The ghost of Ravenclaw - 248

27. 生涯の友



 ダンブルドア先生も部屋を出ていくと、残ったのはとうとう私とハリーだけになった。ダンブルドア先生もいなくなると、事務室がもっと広くなったように思えて、なんだか物悲しさを感じた。開け放たれたままの窓から夏の暖かな風が吹いてきて、私とハリーの髪をそっと撫ぜた。

 とうとう1年が終わってしまった。
 これまでの2年とは違って、決して達成感に包まれるだけの終わりではない。ペティグリューは逃してしまったし、ヴォルデモートは数年以内に必ず復活するだろう。私はもうこの先のことは何も分からない――それでも、私はこの1年で遂にシリウスの無実を明らかにすることが出来た。正式な判決はまだとはいえ、私達の親友とハリーの家族を取り戻すことが出来た。日刊予言者新聞の一面にその記事が出た喜びは、ヴォルデモートですら消し去ることは出来ない。この3年間、私がどれほどその日を待ち侘びたことか。私がハリーほど複雑な心境を抱えていないのは、その喜びが大きかったからだろう。

「僕の中に父さんがいるって、本当かな……」

 しばらくの間、私達は黙ったままだったが、やがて、ハリーが口を開くと呟くように言葉を漏らした。どうやらハリーはダンブルドア先生の去り際の言葉の意味をどう受け止めたらいいのか、ずっと考えていたらしい。

「ハナも、僕は昨日の夜、僕の中に、父さんを見つけたんだと思う? あれは僕だったのに、父さんに会ったってどういうことだろう」
「ハリー、貴方の中にジェームズは今も生きているのよ」

 私はどう伝えるのがいいか考えながら答えた。ダンブルドア先生が仰ったことの意味を私がすべて理解出来ているとは思えないけれど、それでも私なりに感じたことを出来る限りハリーに伝えてあげたかった。

「ジェームズが牡鹿の動物もどきアニメーガスだと知りもしない貴方が牡鹿の守護霊を創り出せたのが、その証だわ。そうでしょ?」
「僕、あんまり実感がわかないんだ。だから、ダンブルドアの言葉をすんなり受け入れられないんだと思う」
「うーん、そうね……」

 私は言葉を探すようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「ハリー、“人は2度死ぬ”って聞いたことはある?」
「2度?」
「そうよ。1度目は肉体的な死。そして2度目は魂の死よ。自分を覚えている人がいなくなって、その思い出が、記憶が、存在が、すべて忘れ去られた時、人は2度目の死を迎えるの。けれど、言い返せば、その人を覚えている限り、人は記憶の中で生き続けるということじゃないかしら」

 だから人は死してもなお、愛する人の、愛してくれた人のそばから離れることはない。人はその思い出がある限り永遠にそばに寄り添い、記憶の中に息づくのだ。ダンブルドア先生が話した「ハリーとペティグリューの間に生まれた絆」のことは正直私もまだあまり理解出来ていないけれど、マグルとは違い、魔法族にとって、愛するということが力となることだけは理解出来た。ジェームズとリリーへの想いが何度も私に恐怖を乗り越えさせてくれたように、魔法使いが魔法使いを心の底から想う時、それは力となって現れるのだ。

「私の中でもジェームズはまだ生きているし、貴方の中でも生きているのよ。その、父親に対する想いが昨夜、力となって貴方を背中を押し、助けたんじゃないかしら。だから私は貴方の守護霊をジェームズだと思ったし、貴方も自分の魔法の中に父親への想いを見たのよ」

 それからまたしばらくの間、ハリーは私の言葉を噛み締めるように黙っていた。ほとんど1年生と2年生しか校内に残っていないホグワーツはやけに静かで、まるで私とハリーだけが城に取り残されているかのような錯覚に陥らせた。

「ねえ、ハナ。君は、父さんが変身したところを見たことがあるの?」

 5分ほどが過ぎたかというころ、ハリーが再び口を開いた。私がジェームズの変身後の姿を知っていたので気になったのだろう。しかし、残念ながら私はジェームズが変身した姿を一度も見たことがなかった。私はハリーを見て、そっと首を横に振った。

「いいえ。私は元々それを知識として知っていただけなの――でも、秘密の練習場所を教えたのは私よ」
「すごいや」

 私の答えにハリーが驚嘆したように言ってニッコリした。どうやらすべてではないにしろ、ハリーなりに考えて少なからず気持ちの整理が着いたらしい。私はそのことにホッとして、同じように微笑み返した。こんな風に何も気にせず当たり前のようにジェームズの話が出来る日が来るなんて、夢のような気分だった。

「貴方に話したいことも、見せたいものもたくさんあるわ。ジェームズを連れて電車に乗るのがどんなに大変だったか話したいし、ジェームズが遺してくれたものもいろいろあるの。ジェームズがシリウスとリーマスと協力して作った魔法道具もあるし、悪戯の痕跡も……それに、どうやってリリーと付き合ったかの分厚い手紙もあるわよ。やっと見せられるわ。やっと……貴方に見せてあげられたらどんなに素晴らしいかって、私――ずっと――思ってた」

 もう本当に隠す必要は何もないのだ。ジェームズの話をしたら、妙にそのことを実感出来て、私は最後の方、言葉に詰まった。違う世界から来たことも、実は同い年ではないことも、ジェームズが親友だということも、私の言葉をハリーが当たり前のように受け入れてくれていることが嬉しかった。まだ言えてないけど、ハリーの家族になるはずだったという私が打ち明けたら、ハリーはどう思うだろう。

「シリウスが、一緒に暮らそうって言ってくれたんだ」

 私が考えていると、ハリーがタイミングよくそう言った。昨夜、叫びの屋敷ではそんな話はしていなかったので、きっとペティグリューを城へ連行していた最中にしたのだろう――私は、ハリーとシリウスが2人で暮らせる日が来たらどんなに素晴らしいだろうかと思いを馳せた。家はあるだろうか。シリウスの実家があるかもしれないけれど、シリウスはそこでハリーと暮らすのは嫌がるかもしれない。とはいえ、すべてはシリウスの件を綺麗さっぱり終えてからだ。

「素晴らしいわ! すべて終えたらきっとそう出来るわ」

 自分のことのように嬉しくて私は声を上げた。けれど、

「違う」

 そんな私の言葉をハリーはすぐさま否定した。一体何が違うのだろうか。私が首を傾げると、ハリーはなんだか口を開いたり閉じたりして、目を泳がせながら言った。

「いや、あの、違わないけど、その、違うんだ。シリウスは、僕とシリウスだけじゃなくて、君とルーピン先生も一緒にって……その、えっと、君が、僕のあの、姉さんだって教えてくれて……父さんが本当は後見人になるはずだったって」
「…………」
「君が、僕の姉さんになるはずだった。夢みたいだ」

 ハリーが夢見心地な様子で言った。

「僕、ずっと君がお姉さんだったらいいなって思ってた。どうして君にだけそんな風に思うんだろうって不思議だったけど、やっとその意味が分かったんだ。君が僕の姉さんだった! こんなに嬉しいことってないや」

 本当に嬉しそうにハリーがそう言って、私はすぐには言葉が出てこなかった。ハリーが私のことを姉のように思っていてくれただなんて思いもしなかった。そうなったらいいと願ってくれていただなんて、私の方が夢のようだ。私は口を開こうとしたが、上手く言葉にならなくて、代わりにただただ微笑んで頷いた。

「僕、君がヴォルデモートの手に渡らなくて本当に良かった」
「ジェームズが私によくしてくれたおかげよ。ジェームズ達が私を最後の最後にダンブルドア先生に会わせてくれたの」
「だったら、君が君であるお陰だよ。君じゃなかったら、僕の父さんはそんなに気にしなかったと思う。僕、父さんを誇りに思うよ。だから、自分のせいで父さんと母さんが殺されてしまったなんて思わないで欲しい。父さんも母さんも君のことをそんな風には絶対に思ってないと思うから」
「ハリー……」
「悪いのはペティグリューやヴォルデモートなんだ。さっき、君が僕にそう言ったようにね」

 その瞬間、私は不思議なくらいポロポロと涙を零していた。今回、ハリーの前ですべてを打ち明けるのだと心に決めた時、私は泣いて詫びることだけはしないでおこうと思っていた。だって、助けられなかった私がハリーに対してそうする権利はないのだ。なのに、すべてが終わって気が緩んでいたのか、気付けば私はポロポロ泣いてしまっていた。両手で顔を覆って俯くと、ハリーが私の背中をポンポンと撫でた。

「シリウスはハナとも一緒に暮らすならルーピン先生もついてくるだろうって。ルーピン先生はハナに対して過保護だからって」

 ハリーは何気ない口調でそう言って、シリウスと話したことを教えてくれた。確かにリーマスは私に対してちょっと過保護だ。泣きながら笑うと、ハリーもおかしそうに笑った。

「いつから一緒に暮らせるかな。僕、待ち遠しいや」
「貴方をダーズリー家に預けることに決めたのはダンブルドア先生だから、いつから一緒に暮らせるか先生にもご相談した方がいいかもしれない――私、話してみるわ」
「バックビークはどうなるんだろう?」
「それも、ダンブルドア先生に確認を取らなくちゃいけないでしょうけど、今のところ私の家の裏庭に小屋を建てるつもりよ。リーマスと今日、小一時間はそれで盛り上がったの。貴方と暮らすなら私の家になるでしょうから楽しみにしてて」

 それから私はどうにか泣きやむと、ハリーと様々な話をした。ハリーはこの1年私とシリウスがどうやって過ごしていたかや、私がどんな風に動物もどきアニメーガスになったのかを特に聞きたがって、私が話して聞かせると驚いたり、面白がって笑ったりした。そして、リーマスもそうだったが、なぜかハリーも私とセドリックの仲がどうなったのかを知りたがり、私が何も変わっていない、と言うと今日一番の大声を出して驚いた(「そんな! 絶対コクハクするって思ってたのに!」)。


 *


 少なくとも20分は話し込んだあと、いい加減ここを出た方がいいだろうということになり、事務室の前で私はハリーと別れた。これからハリーは、ロンとハーマイオニーのところに戻るらしい。忍びの地図で確かめてみると、ロンとハーマイオニーはまだ湖のところにいたので、ハリーは近道をして校庭へ向かうと言って、階段を下りていった。

 私はというと、事務室を出るとハリーが下りていったのとは別の階段から階下へ下りて、真っ直ぐに地下へと向かった。大理石の階段の左側の扉から地下へと下り、薄暗く寒々しい廊下を進んでいく。そう、これからスネイプ先生に会いにいくのだ。先程ロンとハーマイオニーの居場所を確かめた時、まだ研究室にいることは既に確認済みである。私は研究室の前まで来ると扉をノックした。しかし、返事がない。私はもう一度ノックした。けれども、またもや返事がない。どうやら居留守らしいがそこにいるのは分かっている――私がもう一度ノックしようとすると、ようやく扉がガチャリと開いた。

「こんにちは、スネイプ先生」

 開かれた扉の隙間から心底嫌そうな顔のスネイプ先生が姿を表した。どうやら昨夜の奇跡的な出来事は、私が寝ている間にすっかり終わってしまったらしい。スネイプ先生は昨夜自分がシリウスを助けたことは一生の汚点だとでも思っているかのように眉間に深く皺を寄せていた。

「昨夜は本当にありがとうございました」
「貴様のために証言したのではない」
「それでも、ありがとうございます」
「フン」

 スネイプ先生は鼻を鳴らしてそっぽを向くと、もう話すことは何もないとばかりに自分の事務机の方へ歩いて行った。しかし、扉は開かれたままだ。私はどうすべきかとしばし考えたのち、扉が閉められなかったのは入室していいということだろうと捉え、スネイプ先生のあとに続いて研究室に入った。どうやら学年末試験の採点をしていたようで、事務机の上には羊皮紙が束になって重ねられている。

「入っていいとは言っていない」
「でも、入るなとも言われませんでした」
「我輩に対するその態度――ポッターやブラックが貴様を気に入った理由が分かるというものだ」
「ありがとうございます」
「レイブンクロー、1点減点!」

 半ば怒鳴るように減点を告げると、スネイプ先生はイライラした様子でどかりと椅子に座った。いけない。今日は喧嘩をしに来たわけではないのだ。私は慌ててスネイプ先生に謝った。

「すみません、スネイプ先生。実は、お話があって伺いました。聞いていただけませんか?」
「――内容による」

 スネイプ先生は私の顔は見たくないとばかりに採点途中の筆記試験の羊皮紙に目を落としながら言った。どうやら聞くだけ聞いてくれると言うことらしい。私は居住まいを正すとはっきりとした口調で述べた。

「スネイプ先生、脱狼薬の作り方を――」
「断る」
「まだすべて言っていません!」

 かなり食い気味に「NO」を突きつけられ、私は非難の声を上げた。スネイプ先生はこちらをチラリとも見ず、採点を続けている。

「作り方を教えろと言うのだろう? ならば、断る。なぜ、我輩が教えねばならん」
「貴方が私が知る中で一番魔法薬学に精通しているからです。材料は自分でどうにかします! どうかお願いします!」
「断る」
「自分で作れるようになりたいんです。でないと、満月の夜を彼はこれからずっと苦しむことになる」
「我輩の知ったことではない」
「先生だけが頼りなんです。脱狼薬はトリカブトを扱うし、正しい作り方を知ってる先生じゃないと――だから、どうかお願いします」

 そう、私がスネイプ先生の元を訪ねたのは、脱狼薬の件だったのだ。この1年、教師をしていたからリーマスは脱狼薬をスネイプ先生に煎じてもらい飲むことが出来たが、教師を辞めてしまった今、それが出来なくなる。そこで、作り方を教えてもらって私が煎じられたら、と思ったのだ。私が深々と頭を下げると、スネイプ先生はそんな私を無視して採点を続けていた。けれども、

「我輩の出す課題をやってのけたら考えてやる」

 私が10分経っても顔を上げないので、目障りになってきたのか盛大に舌打ちをして言った。私は弾かれたように顔を上げた。

「本当ですか!?」
「考えるだけだ。勘違いするな」
「はい! ありがとうございます!」
「分かったなら、ここから出ていけ。目障りだ」

 とりあえず今は考えてくれると答えてくれただけで十分だ。それに私がどれだけやれるのか判断するのは必要だろう――私はそう考えると、もう一度スネイプ先生に深々と頭を下げてから研究室を出た。スネイプ先生は相変わらず羊皮紙を見たままこちらに目もくれなかったけれど、扉を閉める直前、スネイプ先生の声が研究室から漏れ聞こえた。

「昨夜はよくやった。レイブンクローに1点」