The ghost of Ravenclaw - 247

27. 生涯の友



 リーマスがいなくなると、トランクやグリンデローの大きな水槽も持ち出されたためか、事務室の中は片付けを終えた直後より更にガランとした印象になった。ぐるりと見渡すと、ここでリーマスとお茶をしたり、励ましながら脱狼薬を飲ませた日々が既に懐かしくさえあった。たった1年――されど、親友2人とホグワーツで過ごせた1年は、あんなに大変だったのに、私にとってとても素晴らしく、かけがえのないものだった。

「ハリー、どうしたね? そんなに浮かない顔をして」

 部屋を見渡していると、ダンブルドア先生が静かに訊ねた。見れば、ハリーはリーマスがいつも座っていた椅子に腰掛け、塞ぎ込んだように床を見つめている。とうとうリーマスが教師を辞めてしまい、去ってしまったことが寂しいのだろうと思った。もしくは、ペティグリューを逃さなければ、リーマスは去らなくて済んだと考えているのかもしれない。

「昨夜のあとじゃ。自分を誇りに思ってよいのではないかの」
「僕は、何にも出来ませんでした」

 苦虫を噛み潰したような顔をしてハリーが言った。

「ハナやシリウスがあんなに頑張って備えていたのに、ぺティグリューは逃げてしまいました」
「何にも出来なかったとな?」

 穏やかな声でダンブルドア先生が言った。

「ハリー、それどころか大きな変化をもたらしたのじゃよ。君は、真実を明らかにするのを手伝った。1人の無実の男を、恐ろしい運命から救ったのじゃ」

 私はいつも自分が座っていた椅子をハリーのそばに引き寄せると、隣に座ってハリーの背中を撫でた。ハリーが何も出来なかっただなんて、とんでもない。ハリーは昨夜、様々なことをやってのけたのだ。シリウスとバックビークの命を救った。シリウス・ブラックが裏切り者だと言われる時代を私達が終わりにした。確かにペティグリューを逃したことは悔しいが、それでも世の中は大きく変化した。私はそれがとても価値のあることだとよく分かっていた。なぜなら、シリウスが本当は逃げ続ける運命にあると私だけが察していたからだ。その運命を私達が変えたのだ。

「ダンブルドア先生――」

 大丈夫だと背中を撫でていると、何やら思い出したのか、ハリーが弾かれたように顔を上げて、私は手を止めた。その顔が妙に強張っている。シリウスのことだろうか、それとも、もっと別の何かだうか――ハリーの顔を覗き込んでいると、深刻な様子でハリーが続けた。

「昨日、占い学の試験を受けていた時に、トレローニー先生がとっても――とっても変になったんです」

 まさかトレローニー先生のこととは思わず、私は驚いて目を丸くした。占い学の試験の時に一体何があったのだろうか。とても変になったというのはどういうことだろう。ハリーがダンブルドア先生に話すくらいだから、余程奇妙な状態だったに違いない。私は訊ねたくなるのを我慢して、ハリーとダンブルドア先生の話に耳を傾けた。

「ほう?」

 ダンブルドア先生も興味深そうな様子で訊ねた。

「アー――いつもよりもっと変にということかな?」
「はい……声が太くなって、目が白目になって、こう言ったんです……“闇の帝王は、強力な入れ物を手に入れ損ねた”とか……“今夜、真夜中になる前、その召使いは自由の身となり、主君の下に馳せ参ずるであろう”とか……。こうも言いました。“闇の帝王は、召使いの手を借り、再び立ち上がるであろう”」

 それはまさに予言のようだ。
 私はギョッとしてハリーを見た。召使いが主君の下に馳せ参ずるとは、逃げたペティグリューがヴォルデモートのところに向かうことを示しているに違いなかったからだ。ペティグリューはロンのそばでずっとハリー達の話を聞いていて、当然、ヴォルデモートが今どこに隠れているか知っているはずだし、助けを求めてそこへ向かったはずだ。ヴォルデモートは都合のいい、召使いを喜んで受け入れるだろう。

「それから先生はまた、普通というか、元に戻ったんです。しかも自分が言ったことを何も覚えてなくて」

 ハリーが続けた。

「あれは――あれは先生が本当の予言をしたんでしょうか?」
「これは、ハリー、トレローニー先生はもしかしたら、もしかしたのかも知れんのう」

 ハリーの問いかけにダンブルドア先生は考え深げに言った。

「こんなことが起ころうとはのう。これでトレローニー先生の本当の予言は全部で3つ・・になった。給料を上げてやるべきかの……」

 ――3つ?
 私はダンブルドア先生の言葉に引っかかりを覚えて、ダンブルドア先生をじっと見上げた。トレローニー先生の本当の予言が3つ目ということはつまり、トレローニー先生は正真正銘予言者で、以前にも2つ、予言をしているということだ。しかし、私は例の友人から予言の話を一切聞いたことがなかった。唯一読んだことのある『賢者の石』にも予言なんて言葉は一言も出てこない。残り2つの予言は、ヴォルデモートに関係のないことなのか、それとも話す気はないのか、ダンブルドア先生は素知らぬ顔をしている。

「ダンブルドア先生」

 そもそも、残りの予言がどうあれ、確認しておきたいことがいくつかある。私は我慢出来ずに口を挟んだ。ダンブルドア先生の視線がハリーから私の方へと移った。

「予言とはつまり、将来、それが事実として起こるということですよね? 占いとは違って、確実に起こると」
「そうじゃ。予言と占いは明確に異なる――」
「であれば、闇の帝王はヴォルデモートで、召使いはペティグリューということになりますね。ペティグリューがヴォルデモートのところに向かうのは必然だった」

 私の問いにダンブルドア先生は静かに頷いた。
 予言とは、先の未来で必ず事実として起こることを示す――つまり、ペティグリューがヴォルデモートの下へ逃げるのが必然なら、ペティグリューの助けにより、ヴォルデモートが復活するということもまた、必然ということになる。けれども、分からないのは、ヴォルデモートが手に入れ損ねた強力な入れ物のことだった。ヴォルデモートが手に入れ損ねたものは――。

「私?」

 はたと思い至って私は呟いた。

「ダンブルドア先生、ヴォルデモートが手に入れ損ねた強力な入れ物とは、私のことですか? ヴォルデモートはもしかして、3年前、クィレルではなく、私に乗り移りたかったんですか? そのために、私が召喚された……」

 どうして私がヴォルデモートを強力にするのか、その理由がようやく分かった気がした。ハリーを殺し損ねた時、死の呪いが跳ね返ったヴォルデモートは半死半生となった。肉体を失って魂の成れの果てのような姿となり、とても1人では行動出来なくなった。クィレルが現れるまで何も行動を起こさなかったことからもそれは間違いないだろう。そして、ヴォルデモートは復活するために、どうしても自由に動ける体が必要だった――私はその入れ物に選ばれた。

 なるほど、どおりでヴォルデモートは私自身には微塵も興味を示さないはずである。召喚に失敗した過程で私の身に何が起こったのか、気にも留めていなかったのも納得だ。ヴォルデモートにとって、私はやっぱりただの道具でしかなかったのだ。私が魔法薬を作る時、それを保存する瓶がどこで作られ、誰を経由して手元に来たのか気ないのと同列なのだ。だって、ヴォルデモートにとっては私はただの入れ物に過ぎないのだから。入れ物は使えたらそれでいい。そこに意志は関係ない。

「おそらくそうじゃろう」

 ダンブルドア先生が静かに答えた。

「しかし、ハナ、忘れてはならぬのは、ヴォルデモートがそれを手に入れ損ねたということじゃ。君も知っているとおり、その恐ろしい企みは食い止められた。他ならぬ、君自身の行動によって、じゃ――君達はクィレルを覚えておるかね?」

 ダンブルドア先生がそう訊ねて、私とハリーは顔を見合わせた。どうして今更クィレルの話をするのか、私もハリーも分からなかったからだ。クィレルのことを聞くのは、彼が私の召喚に関わっていたからだろうか。私とハリーはそう考えつつ、2人同時にこくりと頷いた。

「では、クィレルはどうして一角獣ユニコーンの血を飲まなければならなかったと思うかね?」
「え? 一角獣ユニコーン?」

 それが一体何の関係があるのだろう――そう考えたのか、ハリーが驚いたように声を上げた。しかし、ダンブルドア先生は答えを待つかのようにじっとこちらを見ている。ハリーは戸惑ったように続けた。

「えっと、ヴォルデモートを生きながらえさせるため……です。2年前、ヴォルデモート自身がそう話しました……一角獣ユニコーンの血が自分を強くしてくれた、と。クィレルが自分のために飲んでくれたって……」
「私もヴォルデモートがそう話しているのを聞きました」

 ハリーの言葉に続けて私もそう言うとダンブルドア先生は静かに首を横に振った。

「わしが思うに、それはおそらく正解なようで正解ではない。正しくは、入れ物の寿命を伸ばすためじゃろう」
「入れ物の寿命――?」
「ヴォルデモートは当時、クィレルの命を食い物にしておったのじゃ。クィレルはたった1年の間に食い尽くされ、目的を達成する前に命が尽きようとしておった。ヴォルデモートは目的の達成のため、クィレルをどうにか生きながらえさせる必要があったのじゃ」
「たった1年で――?」

 私は2年前、ヴォルデモートがクィレルを殺してしまったとダンブルドア先生が話していたことを思い出した。自分の家来を情け容赦なく扱うと、ダンブルドア先生は確かそう話していた。あの時はただ殺していったのだとばかり思っていたけれど、実は違ったのだ。あれは、クィレルの命を食らい尽くしたからそうなった。クィレルはそうとも知らず、長い間、ヴォルデモートを受け入れ続けてしまった――。

「大人の魔法使いでも1年じゃ――動物や虫などに乗り移ったところで、ヴォルデモートあっという間に命を食らい尽くし、殺してしまうことじゃろう。そこで、強力な入れ物を欲したのじゃとわしは考えておる」
「私はいずれ、殺されるはずだった――?」

 自分がどんな運命にあったのか分かって、私はゾッとして震え上がった。私は、あの時ジェームズ達がダンブルドア先生に会わせてくれなかったら、ヴォルデモートに命を食われるだけの入れ物にされていたかもしれないのだ。あるいはこの手で、誰かを殺していたかもしれない――手が震えてぎゅっと握り締めると、大丈夫だというようにハリーがそっとその手の上に両手を重ね、訊ねた。

「クィレルや他の動物とかがダメでもハナだったら1年以上耐えられるということですか? ハナがもしヴォルデモートの手に渡っていたら……」
「おそらくそうじゃろう。ハナは世界を渡ることに耐えるだけの力があった――その力はクィレルを遥かに凌駕するものだったはずじゃ。ヴォルデモートは長期間、自由に動ける体が欲しかったのじゃ」
「じゃあ、ダンブルドア先生がハナを保護してヴォルデモートの手に渡るのを阻止したのに、僕がダメにするんだ――」

 ハリーが私の手をぎゅっと握り締めて言った。

「シリウスとルーピン先生がペティグリューを殺そうとしたのに、僕が止めたんです! もし、ヴォルデモートが戻ってくるとしたら、僕の責任です!」
「それは違うわ、ハリー。貴方の責任ではない」
「ハナの言うとおりじゃ、ハリー」

 ダンブルドアが静かに言った。

逆転時計タイムターナーの経験で、ハリー、君は何かを学ばなかったかね? 我々の行動の因果というものは、常に複雑で、多様なものじゃ。だから、未来を予測するというのは、まさに非常に難しいことなのじゃよ……トレローニー先生は――おお、先生に幸いあれかし――その生き証人じゃ。君は実に気高いことをしたのじゃ。ペティグリューの命を救うという」
「でも、それがヴォルデモートの復活につながるとしたら――!」
「ペティグリューは君に命を救われ、恩を受けた。君は、ヴォルデモートの下に、君に借りのある者を腹心として送り込んだのじゃ。魔法使いが魔法使いの命を救う時、2人の間にある種の絆が生まれる……ヴォルデモートが果たして、ハリー・ポッターに借りのある者を、自分の召使いとして望むかどうか疑わしい。わしの考えはそうはずれてはおらんじゃろ」
「僕、ペティグリューとの絆なんて、欲しくない!」

 怒ったようにハリーが叫んだ。

「あいつは僕の両親を裏切った!」
「これは最も深遠しんえんで不可解な魔法じゃよ。ハリー、わしを信じるがよい……いつか必ず、ペティグリューの命を助けて本当によかったと思う日が来るじゃろう」

 ダンブルドア先生はそう言ったもののハリーはちっとも信じていないような顔をしていた。かくいう私自身もなんだか半信半疑でダンブルドア先生とハリーを交互に見ていた。魔法使いが魔法使いの命を救う時に生まれる絆とは一体なんだろうか。それは、魔法のようなものなのだろうか。魔法使いの間になら、互いの魔力によって、そういう不可思議な絆が生まれるのだろうか。自分が意図せずとも?

「ハリー、わしは君の父君をよう知っておる。ホグワーツ時代も、そのあともな。君の父君も、きっとペティグリューを助けたに違いない。わしには確信がある――ハナ、君もそう思うじゃろう?」
「ええ、それは私もそうだと思います」

 ダンブルドア先生の言葉に私は思考を中断するとすぐさま頷いた。ペティグリューとの間に生まれた絆が何なのかは分からないが、ハリーにとってそれが悪いものではないことは確かだし、それになにより、ペティグリューを殺さないという選択は間違っていないと私は信じていたかった。

「ジェームズは、仇を殺してくれてありがとうと喜ぶような人ではないと間違いなく言えます。むしろ、シリウスとリーマスを殺人者にしなかった自分の息子を心底誇りに思うでしょう」

 死は、人の心に傷を残す。それが殺人ともなればどれほど深い傷を負うことになるか計り知れない。もしあの時殺すという選択をしていたならば、たとえそれがジェームズとリリーを裏切った仇だとしても、あの場にいた全員が深い傷を負っただろう。それは、一生修復出来ない傷だ。

 だから、ペティグリューを殺す選択をしなくてよかったのだ。たとえそれがペティグリューを逃すことに繋がってなっても、だ。それはハリーの責任などではない。逃げたペティグリューが卑怯だったというだけだ。ハリーは悲しみに耐え、正しい選択をした――そんな気持ちを込めて私が微笑むと、ハリーは小さく頷いて、それからまたダンブルドア先生に視線を移した。ぽつりと呟くように言葉を零していく。

「昨日の夜……僕、守護霊を創り出したのは、僕の父さんだと思ったんです。あの、湖の向こうに僕自身の姿を見た時のことです……僕、父さんの姿を見たと思ったんです」
「無理もない――もう聞き飽きたかも知れんがの、君は驚くほどジェームズに生き写しじゃ。ただ、君の目だけは……母君の目じゃ」

 ダンブルドア先生は優しく語りかけたが、ハリーはその言葉を否定するかのように頭を振った。

「あれが父さんだと思うなんて。僕、どうかしてた。だって、父さんは死んだって分かっているのに」

 湖の向こう側に人影を見た時、それがジェームズだと思ってしまっても何もおかしなことはないと私もダンブルドア先生も思っていた。ダンブルドア先生の言うようにハリーはジェームズとそっくりだし、逆転時計タイムターナーの存在を知らなければ、時を戻った自分がそこにいるなんてことが分かるはずもない。それに、私自身もハリーと同じようにジェームズの姿を見たと思ったのだ。昨夜の湖で、1年生の時のハロウィーンの事件で、そして、初めてヴォルデモートと対峙した時に。

「でも、ハリー、2年前、私はジェームズに勇気を貰ったわ」

 スリザリンを吹き飛ばせ! と言ってくれたジェームズの姿を思い出して、私は言った。すると、ハリーが驚いたようにこちらを見て訊ねた。

「父さんに……?」
「そうよ。みぞの鏡の中にジェームズを見たの。戦う勇気が欲しいと願った私に、ジェームズが勇気をくれたのよ。だから今回、ジェームズが助けに来てくれたと思っても、ちっとも変じゃないわ」

 微笑んでそういうと、ダンブルドア先生はそのとおりだとばかりに頷いてハリーに語りかけた。その声はどこまでも優しい。

「ハリー、愛する人が死んだ時、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にある時、いつにも増して鮮明に、その人達のことを思い出しはせんかね? 君の父君は、君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君が本当に父親を必要とする時に、最もはっきりとその姿を現すのじゃ。そうでなければ、どうして君が、あの守護霊を創り出すことが出来たじゃろう? プロングズは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ。2年前、ハナにそうしたようにの」

 ハリーは何も言わず、ただダンブルドア先生を見上げていた。その言葉の意味をどうにか理解しようとしているかのようだった。

「シリウスが、昨夜、あの者たちがどんなふうにして動物もどきアニメーガスになったか、すべて話してくれたよ。まことに天晴れじゃ――わしにも内緒にしていたとは、ことに上出来じゃ。そこでわしは、君の創り出した守護霊が、クィディッチのレイブンクロー戦でミスター・マルフォイを攻撃した時のことを思い出しての。あの守護霊は非常に独特の形をしておったのう。そうじゃよ、ハリー、君は昨夜、父君に会ったのじゃ……君の中に、父君を見つけたのじゃよ」

 やがて、ダンブルドア先生は穏やかに微笑んでそう言うと、私達を残し、部屋をあとにした。