The ghost of Ravenclaw - 246

27. 生涯の友



 12時になり、昼食の時間になると、私は大広間に行かず、リーマスの私室で昼食を摂ることにした。最初は大広間に行こうと思ったのだけれど、リーマスが「今日はホグズミードの日だから、大広間に行っても1年生と2年生しか居ないよ」と教えてくれたのだ。どおりで城内が閑散としているはずだ――ペティグリューのことを考えるので頭がいっぱいで、次のホグズミードがいつかなんて気にも止めていなかった。いつもなら、セドリックが誘ってくれるけれど、今回はそれがなかったので、セドリックは私がそれどころではないと気を遣ってくれたのだろう。

 そもそも、あんなことがあったあとでセドリックと顔を合わせる自信がなかった私は、リーマスとの昼食を終えると、そのまま居座り、部屋の片付けを手伝うことにした。元からあったものは綺麗に掃除して元の場所へ戻し、リーマスの私物はどんどんトランクの中へ詰め込んでいく。当然トランクは検知不可能拡大呪文で広げられているので、見た目以上に大量のものが入った。

 部屋を片付けながら、私はこの1年話せなかった様々なことをリーマスに話して聞かせた。シリウスがメアリルボーンの自宅前にやってきた時の話。一緒にダイアゴン横丁へ杖を作りに行った話。禁じられた森での様子や守護霊の呪文を教えてもらった話。5階の廊下にある鏡からの隠し通路を塞いだ話。嵐の中、シリウスと一緒にクィディッチを見た話――リーマスはそれらの話の数々を時に驚き、時に呆れながら聞いていた。

 もちろん、これからの話もたくさんした。メアリルボーンの自宅の裏庭にはやっぱり小屋を建てることになりそうで、小屋の中をどうするかで小一時間盛り上がった。検知不可能拡大呪文を使えば、どんなに小さな小屋でも驚くほど広く使えるので、バックビークのために草原や森を作ったり、私達がお茶を出来る場所を作ろうと話し合ったりした。

 それからシリウスだが、しばらくは魔法省とメアリルボーンの自宅との往復のみになるだろうということだった。予言者新聞の報道にもあったように、シリウスの無罪はほとんど確定だろうが、魔法省による正式な事情聴取はこれからなのだ。つまり、シリウスが無罪である知らせは、正式に判決が出てからしかマグルの首相へは連絡されない、ということになる。ペティグリューの危険性はマグル側にも早々に知らされるかもしれないが、シリウスはしばらく中途半端な立場にならざるを得ない。そんなシリウスがマグルの街を出歩けばどうなるかはお察しである。これはバックビークの小屋をクィディッチが出来るほど広くするしかないだろうということで、私とリーマスの意見が一致した。

 私室を片付け終えると次は事務室の片付けだった。私室の時と同じように元々あったものは、綺麗に掃除して戻し、リーマスが用意したものは綺麗さっぱり空にしていく。グリンデローが入っていた水槽にも何もなくなり、魔法で容量が広げられていたはずのトランクがいつの間にかいっぱいになると、ようやくひと心地着いた。空気を入れ替えるために窓と扉を開け放つと夏の風が空になった事務室に静かに吹き抜けた。

「ダンブルドア先生が馬車を用意してくれることになってるんだ」

 事務室の片付けもすっかり終えてしまうと、事務机の上に置いていた忍びの地図を覗き込みながらリーマスが言った。どうやらダンブルドア先生の居場所を見ているらしい。そのそばには透明マントと広げられたままのトランク、それから空になったグリンデローの水槽がそのままになっている。水槽はトランクに入れようとしたら入らなかったので、そのまま手に持っていくことになっていた。

「ダンブルドア先生は今正面玄関の前だね。もうまもなくかもしれない。その前にハリーに必要なものを返せたらいいんだが――ああ、ちょうどこっちに向かっているようだ」
「ハリーがこっちに来てるの?」

 私はそう訊ねながらリーマスの隣に行くと、同じように忍びの地図を覗き込んだ。見ると「ハリー・ポッター」の名前が階段を上がり、どんどんこちらへ近づいてきている。どうやらハリー1人らしい。

「私が辞める話を誰かにでも聞いたかもしれないな」

 リーマスが冷静な口調で言った。階段を上がりきったハリーは、2階の廊下を進み、また階段を上がり始めた。

「スネイプ先生かしら?」
「いや、ハグリッドだろうね。ほら、ロンとハーマイオニーと一緒にハグリッドがいる」

 リーマスが指差した方を見てみれば、ロンとハーマイオニーとハグリッドの名前の湖のそばにあった。なるほど、ハグリッドなら教師だし、森の番人でもあるので、当然リーマスが今日で辞めることも知っているだろう。

「今朝、ハグリッドとも話をしたんだ。逃げたヒッポグリフが私に食べられたんじゃないかと心配していたからね」
「でも、貴方は何も噛まないわ」
「ああ、何も噛まなかったし食べてもいない。そう話したよ。それで、その時にハリー達だけは私の秘密を知っていると教えたんだ」

 ハリーは今や3階の廊下を走っていた。いくつもの教室を通り過ぎ、真っ直ぐにD.A.D.Aの教室の方へと向かっている。そして、ハリーを示す小さな点がリーマスの事務室の前までやってくると、空気の入れ替えのために開け放っていた扉がコンコンコンとノックされた。

「君がやってくるのが見えたよ」

 ノック音に顔を上げると、開かれたままの扉の前にハリーが立っていた。今朝の予言者新聞で、ペティグリューが生きていることが大々的に発表されたというのに、その表情はちっとも嬉しそうじゃない。

「こんにちは、ハリー」

 出来るだけ優しく私は声をかけた。

「無事に退院出来てよかったわ。体調はどう?」
「ええっと――うん、大丈夫――僕、君がどこにいるか探してたんだ。君は大丈夫?」
「ええ、私も平気よ。それで、ここへ来たのはリーマスのことを聞いたから?」
「うん。さっき、ハグリッドに会って……先生が辞めるって……嘘でしょう?」

 真っ直ぐにリーマスを見て、ハリーが言った。グリーンの瞳が辞めないで欲しいと訴えている。リーマスは、そんなハリーの目を見ていることが出来なかったのか、先程空にしたばかりの事務机の引き出しを開け、忘れ物がないか確認しているフリをした。

「いや、ホントだ。さっきもハナにどうしてだと散々聞かれたところだよ」
「どうしてなんですか?」

 ハリーが答えを急かすように訊ねた。リーマスは相変わらず引き出しの中を念入りにチェックしていて、私は呆れたように溜息をつくとハリーの方に歩み寄り、開いたままにしていた扉をそっと閉めた。リーマスはどうにもハリー相手には弱いらしい。親友の息子だからだろうか。

「全校生徒に知られたわけじゃないのに……まさか、昨日の件で魔法省に辞めろと言われたわけじゃありませんよね?」
「いいや。私が君達の命を救おうとしていたのだと、ダンブルドア先生がファッジを納得させてくださった」
「それじゃ、辞めないと秘密をバラすとスネイプに脅されたんですか?」
「いいや。セブルスは今回も私の秘密を守ってくれた……今朝、過去のことを謝ってきたところだよ。しかし、たとえ秘密が生徒にバレていないからと言って、これ以上の迷惑はかけられない。昨日私は、誰か君達を噛んでいたかもしれないんだ……こんなことは二度とあってはならない」
「先生は、今までで最高の D.A.D.Aの先生です! 行かないでください」

 ハリーの訴えに、リーマスはただ首を横に振るだけで何も言わなかった。ハリーの目を見てしまえば、たちまち決心が緩んでしまうとでも思っているかのように、やたら念入りに引き出しの中を確かめ続けた。その様子をハリーが悲しそうに見つめている。しばらくの間、どちらも言葉を発さなくなり、私はハリーの背中を優しく撫でると言った。

「ハリー、リーマスは何も後ろ向きな理由ばかりで辞めるわけではないわ。これから犬の世話で忙しくなるから辞めるのよ」
「犬の世話? 犬なんて……あっ!」

 弾かれたようにハリーがこちらを見て、私はニッコリ微笑んで頷いた。

「今朝の報道にもあったように、彼の無罪はほぼ確定されたも同然でしょうけど、ほぼ確定というだけで聴取はこれからで正式な判決はまだだし、マグルにも判決後に知らされるでしょうから彼はまだ自由には動けないの。だから、誰か一緒にいる人が必要なのよ。元々じっとしていられない性分だし……」

 私の言葉にハリーは納得したように頷きつつも、その目はまだどこかでリーマスを引き留めたそうにしていた。ハリーにとってはそれだけ、リーマスは特別な先生だったのだろう。なにせ、リーマスはこれまでの中で1番まともで素晴らしいD.A.D.Aの先生だったし、ハリーにとっては父親の親友で、守護霊の呪文を教えて貰った人でもあるのだ。このままいて欲しいと願うのも無理はなかった。

「校長先生が今朝、私に話してくれた。ハリー、君は昨夜、随分多くの命を救ったそうだね。私に誇れることがあるとすれば、それは、君が、それほど多くを学んでくれたということだ。君の守護霊のことを話しておくれ」

 少しの沈黙ののち、まるでハリーの気を逸らそうとするかのようにリーマスが言った。これ以上引き止められては敵わない、と考えたのかもしれない。ハリーは、そんなリーマスの思惑どおり、見事に気を逸らされたようだった。

「どうしてそれをご存知なんですか?」
「それ以外、吸魂鬼ディメンターを追い払えるものがあるかい?」

 それからハリーは、昨夜、どうやってバックビークとシリウスを助けたのかをリーマスに話して聞かせた。私は、ハリーがまんまと気を逸らされたことに気付きながらも、黙ってその話に耳を傾けた。リーマスだってきっと教師の仕事を辞めたいわけではないのだ。確かにネガティブな理由だけで辞めるわけではないだろうが、昨夜の件がなければ続けたかっただろう――それでも、誰かを噛んでしまっては取り返しがつかないと辞める決断をしたのだ。なのにれ以上引き止めるのは酷でしかないだろう。

「そうだ。君のお父さんは、いつも牡鹿に変身した。君の推測どおりだ……だから私達はプロングズと呼んでいたんだよ」

 守護霊の話を聞き終えるとリーマスはどこか懐かしむように微笑み、それからようやく引き出しの確認をやめると、ハリーに向き直った。

「部屋に戻ってきたらこれが置かれていた」

 透明マントを手に取ると、リーマスはハリーに手渡した。ハリーはそのことに目をまん丸にさせて驚いている。昨夜、叫びの屋敷から持ち出したのはスネイプ先生だったので、まさかリーマスから返されるとは思っても見なかったのだろう。

「え? どうしてルーピン先生が?」
「どうやら、スネイプ先生のローブのポケットから盗み出した子がいるようだ」

 リーマスが私の方をチラリと見て、どこか面白そうに笑うと、今度は忍びの地図を差し出した。

「それと……私はもう、君の先生ではない。だから、これを君に返しても別に後ろめたい気持ちはない。私には何の役にも立たないものだ。それに、君とハナとロンとハーマイオニーなら、使い道を見つけることだろう」
「リーマスが教師を辞めるのは、貴方にマントと地図を返したかったからというのもあるのよ。教師の立場だと返せないもの」

 私がそう言うと、ハリーは嬉しそうに地図を受け取った。そして、思い出したように呟いた。

「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズが、僕を学校から誘い出したいと思うだろうって、先生、そう仰いました……面白がってそうするだろうって」
「ああ、そのとおりだったろうね」

 パンパンになったスーツケースを閉めながらリーマスが頷いた。

「ジェームズだったら、自分の息子が、この城を抜け出す秘密の通路を一つも知らずに過ごしたなんてことになったら、大いに失望しただろう。これは間違いなく言える」
「そうなれば、ジェームズは私に君は何をしてるんだって問い質したでしょうね」
「まあ、そうはならないだろう。レイブンクローの幽霊は間違いなくハリーを悪の道に誘っただろう」
「あら、失礼ね」

 リーマスの言葉に私がしかめっ面をして、ハリーがクスクス笑うと、扉をノックする音が聞こえて、私達は扉の方に視線を向けた。ハリーが忍びの地図と透明マントを慌ててローブのポケットに押し込むと、タイミングよく扉が開いた。やってきたのはダンブルドア先生だ。私とハリーがいるのを見ても驚いた様子はない。

「リーマス、門のところに馬車が来ておる」
「校長、ありがとうございます」

 遂にホグワーツを去る時間がやって来たらしい。家に帰ったら会えるというのに、私はなんだか複雑な気分になりながらその様子を見つめた。善良であろうとする狼人間の人権が認められ、共存出来る未来が来たらどんなにいいだろう。脱狼薬が当たり前のように飲めたらどんなにいいだろう。私が脱狼薬を作れたらどんなにいいか。

「それじゃ――さよなら、ハリー」

 古ぼけたトランクと空になったグリンデローの水槽を取り上げ、リーマスが優しく微笑んだ。

「君の先生になれて嬉しかったよ。またいつかきっと会える。ハナも夏休みにまた会おう」
「ええ、また夏休みに、メアリルボーンで」
「校長、門までお見送りいただかなくて結構です。一人で大丈夫です……」

 リーマスはあまり見送りをされたくないようだった。こういうのが苦手だというのもあるだろうけれど、1番の理由は、見送りをされてしまうと名残惜しくて仕方ないからだろう。私は彼のその意思を尊重して、この場で見送ることにした。どうせあとひと月もせずに会えるのだから。

「それでは、さらばじゃ、リーマス」

 リーマスがダンブルドア先生と固く握手をし、それからもう一度私達を見遣り、ハリーの膨らんだポケットを見て頷くと、部屋を出ていった。最後にチラリと見せた笑顔は教師ではなく、マローダーズのムーニーの顔だった。