The ghost of Ravenclaw - 245

27. 生涯の友



 図書室でセドリックと会ってから30分後、半ば飛び出すように図書室をあとにした私は、3階にあるリーマスの私室に向かっていた。あのままあの場にいたら心臓が爆発してどうにかなってしまいそうだったので、「リーマスに会いに行かなくちゃ」と口走って出てきたのだ。図書室を走って出ていく私にセドリックはご機嫌な様子でやっぱりニコニコ笑って手を振っていて、私はしばらくセドリックには会えないな、と思った。

 だって、額に――されただけで心臓が飛び出しそうだったのに、正真正銘気持ちを伝えられて、本当に――されたら、今度こそ本当に心臓が爆発してしまいかねない。セドリックはそれが分かってたからあえて、気持ちを言わなかったんだろうか。それとも、セドリックの中で何かまだ言うタイミングではないのだろうか。あるいは、自分が3年も待ったんだから、私にももっと自分を意識して過ごせということなのだろうか。だって、こんなの、意識しないなんて、無理だ。去年初めてハグされた時よりずっと意識してしまう。全身がまだ熱くて仕方がない。

 私は熱を覚ますようにパタパタと手で顔を仰ぎながら、リーマスの私室へと急いだ。何はともあれ、リーマスに会わなければならないのは本当のことだった。昨夜、森に入り込んでしまったリーマスの無事を確かめたかったし、あれからどうなったのかを聞いておきたかった。それに、シリウスのことで話し合う必要もある。そうして、階段を上がり、廊下を進み、また階段を上がって3階の廊下までやってくると、私はリーマスの私室の扉をノックした。途端、パッと扉が開いて、中からリーマスが顔を出した。

「やあ、君が来るのが分かったよ」

 リーマスは顔色こそ悪いがそれでも思っていたよりかは元気そうだった。そのことにホッとしながら私室へと足を踏み入れると、テーブルの上に古ぼけた羊皮紙を発見して私は目を輝かせた。どうやら、それを見ていたからノックした途端に扉が開いたらしい。

「わあ、これが忍びの地図ね!」

 テーブルに駆け寄ると私はまじまじと羊皮紙を見た。初めて見る忍びの地図は本当によく出来ていて、ホグワーツのあらゆる場所が細やかに網羅されていた。地下の魔法薬学の教室のところにスネイプ先生の名前があって、校長室には、ダンブルドア先生の名前がある。それから、3階にあるリーマスの私室のところに私の名前がサファイア・ブルーに輝いていた。

「実物を見るのは初めてかい?」
「ええ。素晴らしい出来だわ。どんな魔法が使われているの?」
「いろいろあるが、城内すべての人物を追跡するのにホムンクルスの術というのが使われている。それから、無理矢理秘密を暴こうとした人物に侮辱的な言葉を書き連ねる魔法もかけている」
「分かった。スネイプ先生対策ね?」

 ちょっと片眉を上げてそう言うと、リーマスは苦笑いしながら「ご明察」と答えた。リーマスはそうでもなさそうだが、まったくどうやってもジェームズとシリウスはスネイプ先生と仲良くする気は一切ないらしい。それなのにスネイプ先生はよくシリウスが無罪であるという証言をしてくれたものだ――私は昨夜のスネイプ先生の様子を思い浮かべてそう思った。あれは、奇跡のようなものだったのだろう。奇しくもあの一瞬だけはシリウスとスネイプ先生の利害関係が一致したというわけだ。

「それで、君は今年こそボーイフレンドは出来たんだろうね?」

 忍びの地図をあちこち眺めて回っていると、リーマスが図書室の奥にある「セドリック・ディゴリー」の名前をトントンと指差しながら言った。どうやら、私がセドリックと図書室にいるのを見ていたらしい。私はムッとしてリーマスを睨んだ。

「見たの? 悪趣味ね」
「何をしていたかまでは見ていない。当然ながらね」

 リーマスは両手を上げて何も見ていないことをアピールしていたが、その視線は揶揄からかうようにこちらを見ていた。こういうところは学生時代のジェームズとシリウスの悪影響を大いに受けてしまったらしい。

「ただ、一緒にいるのが見えただけさ」
「本当かしら」

 私は疑わしげにリーマスを見たが、私とセドリックを示す小さな点がピッタリ重なっていたのを見たか、と聞く勇気はなかった。そんなのどう考えても私が恥ずかしい思いをするだけだし、尚更リーマスに揶揄からかわれるだけだ。私は大袈裟に溜息をつくと続けた。

「それから私、ボーイフレンドは出来てないわ」
「なんだって?」

 私の言葉にリーマスは本気で面食らったような顔をした。信じられないとでも言いたげな表情で私を見ている。そんなに私とセドリックが付き合っていないことが変なのだろうか。いや、普通に考えたら、たとえイギリスの男の子と女の子と言えど、手を繋いだりハグしたり額にだけど――したりまでしたのに、付き合っていないというのはかなり変なのかもしれない。だけど、本当に付き合っていないのだから仕方がない。セドリックの気持ちは察しているけれど、好きだと言われていないのもまた、事実なのだ。

「冗談だろう? 彼は君に好きだの一言もないのか?」
「貴方が気にする必要ないでしょ、リーマス」

 私はほとほと困り果てて、懇願するように言った。

「もう、もう本当に放っておいて――」
「君はセドリックの話題にはめっぽう弱いな」

 リーマスがおかしそうに笑って言った。

「まあ、これ以上の追求は可哀想だ。君は普通の女の子と違って特殊だし、セドリックにも何か考えがあるのかもしれない――それに、君はシリウスを救った1番のヒーローだからね。今朝の予言者新聞はもう見たかい?」
「ええ、もちろん。とうとうやってやったわ」
「本当に君がいなければ、真実は闇に葬られたままだっただろう。セブルスは私達に手を貸さなかっただろうし、私は間違った人物を恨んだままだった――しかし、私が脱狼薬を飲み忘れてさえいなければ、ピーターも逃げずに済んだ……」
「貴方のせいじゃないわ。あれは、ペティグリュー自身が卑怯だったからそうなったの」
「君は、あいつが自分が裏切ったことをまるで君のせいみたいに語ったことを気にしてはいないだろうね?」

 そう言って、リーマスは心配そうな目をこちらに向けた。私はそんなリーマスを見て、昨夜ペティグリューが、命乞いをする際、私になんと言っていたのかを思い出した。

『私はただ怖かっただけなんだ……分かっておくれ……学生時代、君が私の居場所を奪おうとしているという恐怖に囚われていた……ジェームズ達が私を置いて行ってしまうと恐れていた……そこをあの人につけ込まれたんだ……』

 おそらく、リーマスはこのことを言っているのだろう。私が本当は気に病んでいるのにそれをひた隠しにして無理をしていないか、心配してくれているのだ。確かにジェームズとリリーが殺されてしまったのは、私に責任があると思っている。世界を行き来している時にもっと現実として受け止めていれば、もっと具体的にシリウスに伝えていればと今でも思う。けれど、私はペティグリューに言われたことを自分でもビックリするほど気にしてはいなかった。もしかしたら本当に、ペティグリューは私のせいで居場所がなくなると恐れたのかもしれない。けれども、彼は私が居なくとも仲間を裏切るのだ。私がいてもいなくても、変わりはないのだ。それは、ペティグリューが本人が1番よく分かっていることだろう。

「いいえ。彼は、自分で居場所を手放したのよ」
「ならいいんだ――君が本当は傷ついていないかと、心配していた」
「私は平気よ。嘘じゃないわ。ねえ、背中の傷は大丈夫だった?」

 安心させるように微笑むと、昨日思いっきり背中に嘴を突き刺したことを思い出して私は訊ねた。リーマスはそれに「ああ」と思い出したような声を出すと、自分の背中をチラリと見遣って笑った。その様子を見るに、どうやらリーマスも、私とシリウスと争ったことを必要以上に気に病んだりはしていないようだ。

「昨日受けた一撃はなかなかだった」
「お互い様よ。リーマス、貴方が無事で良かったわ」
「君も無事で良かった。君の方は傷は大丈夫かい?」
「もうすっかり大丈夫よ。マダム・ポンフリーがすぐに治してくれたの。リーマスは森に行ったあとどうしてたの?」
「ロキが来てくれたんだ。どうやら、昨日はいつもの窓を開けなかったせいか叫びの屋敷に入れなかったみたいでね。屋敷の周りをぐるぐる飛び回っていたらしいが、森にいた私を見つけて一晩中一緒にいてくれた」
「まぁ。あとでたっぷりご褒美をあげなくちゃ」

 ロキは本当に賢くて素晴らしいふくろうだ。夏休みに入ったら、ふくろうフードをどっさり買ってあげようと心に決め、私はようやくお互い立ったままだったことに気付き、いつも座っている椅子に歩み寄った。そして、腰掛けようとしたところで、足元に開かれたトランクが置かれているのを見つけ、はたと動きを止めた。そう言えば、部屋の中のものも大分減っているようだ。

「どうして、片付けているの?」

 私はリーマスの部屋を見渡しながら言った。あんなにいろいろ置いてあったリーマスの私物がもう半分は片付けられている。

「夏休みはまだもう少し先よ」
「ああ、今日付けで辞めることにしたからね」

 なんでもないという風にリーマスが淡々と答えた。

「今朝、ダンブルドア先生にそう話してきたばかりだよ」
「どうして辞めなくちゃいけないの? ダンブルドア先生が辞めるよう仰ったの? 昨日、脱狼薬を飲み忘れたから?」
「いいや、私から辞めさせてくれと言ったんだ」
「どうして? 貴方は、誰も噛まなかったのに! 辞めなきゃいけない理由なんて何もないわ!」
「そういうわけにはいかない」

 リーマスは少し厳しい口調で話した。

「私は君やハリー達を噛むところだった。これ以上の迷惑はかけられない。それに、昨日の件でダンブルドア先生は随分私のために尽力してくれた――君がセブルスと一緒に大臣に証拠を突きつけたあと、詳しい事実確認のためにもう一度ファッジが戻ってきたんだがね。あいつが逃げた時の状況を事細かに話さなければならなかった――それで、ダンブルドア先生はシリウスが動物もどきアニメーガスであることを誤魔化してくださった上、私が君達の命を救おうとしていたのだと、ファッジを納得させてくださった。セブルスも私があんなことになったことをファッジ以外には秘密にしてくれて、生徒には知られずに済んだが、私が狼人間だと知られてこれ以上の迷惑がかかる前に辞めるのが筋というものだろう」
「貴方は素晴らしい教師だったのに……本当よ。私、本当にそう思ってるのよ。みんな、そう思ってるわ」
「君にそう言って貰えるだけで私は嬉しいよ。それに、教師のままでは出来ないことがたくさんあるんだ。たとえば、教師の立場で忍びの地図や透明マントをハリーに返すことは出来ない。昨夜セブルスが持っていたはずの透明マントを私の部屋に持ってきたのは、君だね?」

 リーマスが今度は悪戯っぽくそう言って、部屋の隅をチラリと見た。そこには、昨夜私とセドリックがここへ持ち込んだ透明マントが、綺麗に折りたたまれて置かれている。確かに忍びの地図や透明マントは教師の立場では返しづらいのかもしれない。けれども、だからといって、リーマスが辞めることに納得がいくかといえばそうではなかった。しかし、私がなんと言って引き留めてもリーマスは辞めてしまうのだろう。

「ハナ、君が私のためを思ってくれるのは本当に嬉しい。ただ、辞めるのは何もネガティブな理由だけではないんだ」

 透明マントを見つめたまま黙っていると、リーマスが私の肩をぽんぽんと叩いて続けた。

「君はもう知っているだろうが、近々犬を飼うことになりそうでね」
「犬……あっ!」
「そう。君が思い浮かべた犬で間違いない。あれは教師をしたままではとてもじゃないが面倒をみきれない。なんと言っても、君以上に聞き分けがない」

 お手上げだ、とばかりにリーマスが肩を竦めて私はようやくクスクス笑って頷いた。確かに、シリウスの面倒は教師をしながらでは無理だろう。リーマスは私がやっと納得したのが分かったのか、明らかにホッとしたような表情で微笑んだ。

「出来れば君の家で飼いたいんだが、どうだい?」
「もちろん、いいわ!」

 私はリーマスが言い終わらないうちに返事を返した。

「もう1室空いている部屋があるから、そこを使って。それから、増えるのは犬だけじゃないから、もし大きな小屋が必要なら裏庭に小屋を建ててね。広さは、魔法でどうにかなるでしょ?」
「分かった――というわけで、私が辞めるのは犬の件もあるというわけだ。今朝、無実が明らかになったが、周知されるまでには時間がかかるだろうし、とても1人には出来ないからね」
「じゃあ、連絡する手段が必要よね」

 私はそう言うと、この1年左腕にずっとつけていた青い革製のブレスレットを外してリーマスに渡した。リーマスは受け取ったブレスレットのプレートに描かれた5本の杖をしげしげと眺めている。

「連絡用にこのブレスレットを貸すわ。シリウスがもう1つ持ってるから、連絡に使えるはずよ。どこかに逃げてるシリウスを呼び戻して、魔法省に連れて行ったりいろいろあるでしょう?」
「ありがとう。有り難く借りていくよ――いい出来だな。私達の杖だね。ジェームズ、リリー、これは私の杖だし、君のもある。見慣れない杖はシリウスの新しい杖だね。昨夜はよく見る暇がなかった」
「休みに入ったら、貴方の分も作りましょう。これ、素晴らしいのよ。シリウスが作ったの――見てて」

 ニッコリ笑って杖を取り出すと、私はリーマスの掌に置かれたブレスレットのプレート部分を杖先でコツコツと叩いた。すると、プレートがまるで生き物のようにブルッと震えたかと思うと、あっという間にひっくり返り、牡鹿と雌鹿、犬、狼、鷲の絵が現れた。

「これをつけて私達、戦ってたの」

 動物達が寄り添い合い、戯れ合い、笑い合っている。リーマスはそれを食い入るように見つめていた。瞳が少し潤んでいる。

「こんな未来が来るとは思いもよらなかった」

 リーマスがぽつりと呟くように漏らした。

「シリウスとまた語り合える日が来るとは――私はてっきり、シリウスが裏切ってスパイになったのだと思い込んでしまっていた……信じていられたら、どんなに良かったか……」
「仕方ないわ。そういう時代だったのよ」
「ああ、そういう時代だった――私達は進んで不死鳥の騎士団に入団したが、常にヴォルデモートの脅威に晒されるという状況は精神的におかしくならざるを得なかった。恐怖に支配され、疑心暗鬼になり、友を疑った――」

 ヴォルデモートと戦うということは常に強いプレッシャーとストレスに晒され、心が休まる時がなかったのだろう。なぜなら、明日生きているのかも分からない、そんな時代だったからだ。強い精神力が必要だが、それを何日も何ヶ月も保てる人が、果たしてどれだけいるだろう。

「シリウスもそうだったのかしら」
「誰もがそうだった。ただ、ジェームズだけはいつでも真っ直ぐだった。友を疑うなんて不名誉極まりないと考えて私達を疑うことをしなかった。その優しさが仇となった」
「疑うべきだったって思ってる?」
「そうだね――疑わずに死ぬくらいなら、疑ってでも生きていて欲しかった。そうしたら、また、仲直りすることだって――私とシリウスがそう出来たように、あの時はすまなかったと言うことだって……」

 そこで、リーマスは奇妙に声を詰まらせて一度言葉を切った。そんなリーマスの肩を今度は私がぽんぽんと叩いた。リーマスの肩が震えていることには、気付かないフリをした。

「もちろん、君やシリウスにだって生きていて欲しい」

 ややあって、リーマスがまた口を開いた。

「だから、正直、危ない真似はやめてくれって言いたい。特に君は女の子だし、私は周りの子達と同じように君が普通に恋をして、幸せであったらいいと思ってる。シリウスだってそうだ。けれど、君もシリウスも血気盛んだからどんなに危険なことにも突っ込んでいくんだろう」

 その口調はまるで「仕方ないな」と笑っているかのようだった。だって彼もまた生粋のグリフィンドール生なのだ。いざ危険に身を投じなければならなくなった時、彼は逃げも隠れもせず、果敢に飛び込んで行くのだろう。なんだかんだ、私達は似たもの同士なのだ。だけど、

「お互い、お互いには苦労するわね」
「ああ、まったくだ」

 なにものにも変えがたい友がいるということは、いつの日にか私達にとって、これ以上ない力となるだろう。