The ghost of Ravenclaw - 244

27. 生涯の友



 医務室に戻った私を出迎えたのは、心底不安げな顔をしているハリーとハーマイオニー、いつの間にか意識を取り戻したロン、そして、怒り心頭のマダム・ポンフリーだった。マダム・ポンフリーは私が医務室の扉を開けるなりもの凄い勢いですっ飛んできて、私をむんずと掴み、有無を言わさずベッドに押し込めた。けれども、マダム・ポンフリーの怒りは一向に収まらず、私からスネイプ先生の居場所を聞き出すや否や、とうとう連れ戻しに医務室を飛び出して行ってしまった。

 これ幸いと、ハリー、ハーマイオニー、私の3人はそそくさとベッドを抜け出してロンのベッドの周りに集まり、ロンが気を失ってから一体何が起こったのかを話して聞かせた。ロンは、ハリーとハーマイオニーが逆転時計タイムターナーを使って時を戻ったことに大いに驚いたし、また、クルックシャンクスがカメラをスネイプ先生のポケットに入れたのだと知ると「僕、あいつは賢い奴だって前から思ってたよ」と言って、ハーマイオニーにジト目で睨まれていた。

 ただ、私はセドリックが逆転時計タイムターナーを持っていることを、ハリー達には話さなかった。魔法省が真実を公表することが決定したので、ハリー達だけにはセドリックが協力してくれていたことを話した方がいいだろうとは思ったものの、逆転時計タイムターナーに関しては、私が許可もなく勝手に話すわけにはいかないと思ったのだ。私が不用意に話してしまったばかりにセドリックが次の学期から受けたい授業が受けられなくなったり、他にも迷惑を被ったら大変だ。なので、クルックシャンクスの行動はセドリックが目撃し、私が報告を受けた、ということにした。

 セドリックが協力していたと知ると、ロンはこれまた大いに驚いたけれど、ハリーは途中から気付いていたようで、やっぱり、という顔をした。しかし、ハーマイオニーだけは唯一セドリックが逆転時計タイムターナーを持っていることを察したようで、こっそり私に目配せすると「黙っているのは正解だ」とばかりに頷いてくれた。

 ハーマイオニーは、自分が同じものを持っているからこそ、逆転時計タイムターナーを誰が持っているのか簡単に話すべきではないと考えているようだった。もしかするとこの様子では、逆転時計タイムターナーの存在を明らかにしてしまったことで、ハーマイオニーは返却しようとするかもしれない――私は密かにそう思った。

 それから、私がスネイプ先生と医務室を出て行ってから何があったのか、その一切も話して聞かせた。3人はハラハラしながら私の話を聞いていたが、スネイプ先生が写真の現像をしてくれ、ファッジ大臣がペティグリューの生存を認め、公表することになったと分かると、飛び上がるほど喜んでくれた。

「じゃあ、シリウスはそのうち自由になれるんだね!」
「やったぜ! 僕も呪いをかけられた甲斐があったってもんだ」
「明日の朝はどこも大騒ぎに違いないわ。ああ、私、本当に嬉しい!」

 しかし、私達が喜びを分かち合う時間はそれほど残っていなかった。まもなく、人声が近付いてきたかと思うと、マダム・ポンフリーがスネイプ先生のローブを引っ掴んで戻ってきたからだ。私達は大急ぎで目配せし合うと慌ててベッドに舞い戻り、あたかもずーっとここに寝ていましたという顔を取り繕った。

「まったく、もう逃しませんからね!」
「いや、我輩は入院など――」
「いいえ、問答無用です! わたくしの患者は1人残らず、わたくしがいいと言うまで入院です!」

 私達は大人しくしているフリをしてスネイプ先生がベッドに押し込められる声を聞きつつ、その日は4人共、いつの間にか眠りについたのだった。


 *


 翌朝、私は遅い時間に目が覚めた。
 私のベッドの周りを囲んでいた衝立はもうすっかり外されて、マダム・ポンフリーがキビキビと歩き回っているのがよく見えた。どうやらスネイプ先生はとっくに退院したらしく、マダム・ポンフリーはベッドシーツを取り替えたりしている。ハリー、ロン、ハーマイオニーはまだ寝ているようで、3人のベッドはまだしんとしていた。

「おや、起きたんですか!」

 私が起きていることに気付くと、マダム・ポンフリーがやってきた。その手には誰かが持ってきてくれたのか、私の私服が一式あった。

「先に着替えをなさい。貴方の同室の子達が持ってきてくれました――それから朝食後に診察をします。大丈夫そうなら、退院してよろしい。ああ、あと、貴方に日刊予言者新聞が届いていましたよ」

「予言者新聞! 本当ですか!?」
「食事と診察が先です。新聞はそのあとで渡します」

 魔法省は夜のうちにシリウスのことを発表しただろうか。ペティグリューの件はどんな風に書かれているだろう。私はソワソワしながら着替えのために用意されていた囲いの中で着替えを済ませ、マダム・ポンフリーに「新聞は逃げません!」と怒られながら朝食を大急ぎで食べ、診察を受けた。それから、もう退院して大丈夫だと太鼓判を押されると、ようやくマダム・ポンフリーが新聞を手渡してくれた。

「ダンブルドア校長がよくぞ真実を明らかにしたと、特に貴方を褒めていらっしゃいました。貴方がいなければ、私達は真実を知らないままだったでしょう――」

 マダム・ポンフリーが手渡してくれた日刊予言者新聞の一面には「PETTIGREW, ALIVE」の見出しが大きな太文字で、正真正銘ピカピカ輝いていた。その見出しの真下、紙面の中央には私が撮影し、スネイプ先生が現像してくれたペティグリューがネズミから元の姿に戻ったり、またネズミになったりを繰り返している写真が大きく掲載されている。私は、胸の内に湧き起こる感情に逆らうことが出来なかった。

「ありがとうございます! 3人にはよろしく伝えてください!」

 私は新聞を握り締め、マダム・ポンフリーの返事も聞かずに医務室を飛び出した。学年末試験の翌日だからか、それとも陽が昇ってから随分と時間が経っているからか、城の中は閑散としていてほとんど誰もいなかったが、私の足は真っ直ぐに図書室に向かっていた。約束も何もしていないのに、どうしてだか、そこで彼が待っていてくれていると、私には分かっていた。

 駆け込んだ図書室には、司書のマダム・ピンスが本の整理をしている以外、誰の姿も見受けられなかった。いつもすぐに人が埋まる中央のテーブルにも誰も座っていないし、書棚のそこここに設けられている席にも誰1人として座っていない。けれども、私はそんなことお構いなしにズンズンと図書室の中を奥へ奥へと進んでいった。

 図書室の最奥――歴代のホグワーツ生の名前を記録した本が年代順に並べてある書棚までやってくると、そこにはやっぱり彼が座っていた。誰も彼もが校庭へ遊びに出掛けたというのに、1人、本を読んでいる。彼は、私が近付く足音を聞きつけるとパッと顔を上げて立ち上がった。そして、

「セド!」

 何の躊躇いもなく、私はその胸の中に飛び込んだ。セドリックが驚いたように目を丸くしながら私を抱き留めて、それから優しく背中に腕を回した。

「セド、記事を見た?」

 私は自分より高い位置にあるセドリックの顔を見上げて言った。

「やったわ! とうとうやったのよ!」
「ホグワーツでは、今朝からその話題で持ち切りさ」

 セドリックが囁くように言った。

「でも、僕は見出しを見ただけなんだ。君と記事を見ようと思ってね」
「一緒だわ」

 私は弾むような声音で言った。

「私も貴方と読みたいって医務室を飛び出してきたの。それに、昨夜の出来事についても話したいわ」

 私は、セドリックといつものように隣同士、並んで座ると、昨日医務室の前で別れてから何があったのかを話して聞かせ、それから、待ちに待った予言者新聞――握り締めていたので皺が出来ていた――を広げて読み始めた。写真の中のペティグリューが私の顔を見て飛び上がって逃げ出し、枠の外に消えて見えなくなったが、今だけはそれを見なかったことにして、記事に目を走らせた。



 ペティグリュー、生きていた。

 この1年、イギリス魔法界のみならず、マグル達をも騒がせてきたシリウス・ブラック逃亡劇に、我々は大いに失望させられきた。コーネリウス・ファッジ魔法大臣が取材に対して常々口にしていた「まもなく捕まえる」という「まもなく」が我々の認識する「まもなく」の期間より遥かに長いものだということは誰もが知るところだっただろう。噂によれば、魔法省は吸魂鬼ディメンターで守りを固めているにもかかわらず、ホグワーツ魔法魔術学校に二度の侵入を許した挙句、ついぞ、捕まえることが出来なかった。

 しかし、この逃亡劇が6月6日の夜、急展開を迎えた。魔法省が本日深夜、なんと、12年前にブラックがアズカバンに収監される原因となった悲惨且つ凶悪な事件で死亡したとされるピーター・ペティグリューが生きているとされる証拠が見つかったと緊急発表したのである。その証拠とされるのが、紙面中央の写真である。

 これまで、我々の誰もが、裏切り者のブラックをペティグリューが追い詰めた、と思い込まされていた。しかし、ペティグリューをその目で目撃し、先んじてブラックとの対話に成功したホグワーツで魔法薬学を担当しているセブルス・スネイプ氏の証言によると、真実はそれとはまったく正反対だったのである。その証言を特派員のリータ・スキーターが独占入手した。

 12年前、ブラックがアズカバン行きとなった事件はこれまでの報道から知る人も多いだろう。しかし、実のところ、あの日我々が目にしたのは、裏切り者のブラックをペティグリューが追い詰めたところではなく、裏切り者のペティグリューをブラックが追い詰めたところだった。ペティグリューはさも自分が追い詰めたかのように装い、あたかもブラックが呪いをかけたかのように見せかけ、大勢のマグルを殺して逃げたのだ。ペティグリューの自分は指を1本その場に置いていくだけでよかった。もし、写真の中のペティグリューが逃げてさえいなければ、人差し指が1本、欠けていることがお分かりいただけるだろう。

 そもそもこの悲劇の始まりは、ブラックが自らの半身とも呼べる親友、ジェームズ・ポッターの一家を守りたいが故だった。かつて、アルバス・ダンブルドアが証言したように、ポッター家の秘密の守人は誰もがブラックだと考えていたが、ブラックはそれを逆手にとり、ペティグリューを秘密裏に秘密の守人としていたのだ。誰もペティグリューを秘密の守人だとは思わない――ブラックはそう考え、自らは裏切り者のために囮となって死ぬ覚悟だった。しかし、当のペティグリューはこの1年も前から名前を言ってはいけない例のあの人のスパイであった。

 写真を見て察した読者も多いだろうが、ペティグリューは未登録の動物もどきアニメーガスであった。あの悲惨な事件のあと、長らく、ウィーズリー家にペットのネズミとして紛れ込んでいたという。当然、ウィーズリー夫妻も子ども達も飼っていたネズミが殺人犯などとは知らず、当社の突然の取材に対し「普通の家ネズミなのに随分長生きだとは思っていましたが、まさか動物もどきアニメーガスなんて。ここ1年ほど元気がありませんでしたが、今思えば、ブラックが逃げ果せたと記事が出始めてからみるみる痩せ細りましたわ」と話した。ファッジ大臣は、ウィーズリー家について「彼らも被害者だ」と同情の言葉を述べている。

 さて、アズカバンの独房にいたブラックがどうしてペティグリューの存在を知り得たのか、気になるところだろう。実は、1年前、ファッジ大臣が視察のため、アズカバンに訪れたことがあった。その際、ファッジ大臣は1部の新聞を手にしていたが、ブラックがそれを譲ってくれないかと声をかけてきたそうだ。クロスワードパズルが懐かしいと話すブラックに、ファッジ大臣は大いに驚き、新聞をブラックに譲った。

 その新聞こそ、ウィーズリー一家が一面を飾った日のものだった。新聞の一面を見たブラックはすぐに子どもの肩に見覚えのあるネズミが乗っていることに気づいた。指が1本欠けたネズミだ。しかも記事にはネズミを肩に乗せた子どもが、9月になれば、自分の被後見人――ゴッドチャイルド――であり、親友の忘形見であるハリー・ポッターの通うホグワーツに帰る、と書いてある。そして、そのネズミがペティグリューであることも、真の裏切り者だと知っているのも自分だけだと考えたブラックは、ハリー・ポッターを守るため、脱獄を決めたのだ。

 アズカバンで十分な食事が出来ず痩せ細っていたブラックは、吸魂鬼ディメンターが食事を運び入れた際、扉の隙間から抜け出したと証言した。そもそも吸魂鬼ディメンターを前に食欲が出たかは疑わしいが、もし、ブラックが十分な食事が出来ていたのなら、今回の脱獄劇は起こらなかっただろうが、真実もまた闇に葬られたままだっただろう。なお、ブラックは真実が明らかになったことにより逃亡をやめ、魔法省の聴取に応じる見込みだ。ブラックの無罪はほぼ決定したも同然だろうが、魔法省は自らの失態により真犯人の証言を聞く機会を失ったことから対応に慎重にならざるを得ず、正式な判決は聴取後になる見込みだ。

 ファッジ大臣は「一方の証言のみを間に受けるわけにはいかないのでね。我々はすでに大いに騙されたあとだ……。死んだと思っていた者が生きていたとは、誰も考えなかった。このことは時間をかけ、十分に調べる必要がある。裏取りもしっかりしなければ。無論、ペティグリューの捜索は続け、捕まえ次第聴取をする」とコメントした。

 今回の件で、魔法省の管理体制が問われるのは間違いない。スキーター女史によれば、6月6日にはヒッポグリフの処刑が行われるはずであったが、処刑の直前に逃げられたと判明している。また、ホグワーツの警備に当たっていた吸魂鬼ディメンターが子どもに接吻キスをしかけたとして、夜のうちにアズカバンに送り返されている。その他にも、ペティグリューの写真が撮られた当時、ファッジ大臣がホグワーツに居合わせたが、ペティグリューをまんまと取り逃した。この一連の失態に対して、ファッジ大臣はコメントを避けている。

 筆者としては、ブラックの続報と共に魔法省が「まもなく」ピーター・ペティグリューを捕えることに期待したい。



「すごいな……」

 記事を読み終えると、セドリックが呟くように言った。なんだか、自分がこの一連の出来事に関わっていたことが信じられないような口調だった。

「僕達が一晩のうちにひっくり返したんだ」
「ペティグリューを取り逃したことは本当に悔しいし、シリウスもすぐに無罪放免ってわけにはいなかったけど、真実を明らかにしたのはとても大きいわ。これから、すべてが変わっていくでしょうね。いい意味でも、悪い意味でも――」

 もう一度記事を流し読みしながら、私は言った。おそらく、今回のこの記事が出ることにより、良くも悪くもこれから先の出来事が大きく変化していくことは間違いない。きっと、私が存在すらしない世界では、たとえ叫びの屋敷にスネイプ先生が現れたとしても気を失わせたまま話を進めただろうし、そうなれば、こんな風に真実が明らかにされることもなかったからだ。私は、今回のことで向かうべき未来の流れを大きく変えてしまったことを少なからず自覚していた。

 けれども、私はそれでいいと思っていた。これまでの3年間、私は出来る限り知っているとおりの流れに沿うことを望んで行動してきた。流れを大きく変えるということは、それ相応のリスクを伴うからだ。現に1年生の時、私に関わったばかりに、何の関係もなかったセドリックまでクィレルに危害を加えられてしまった。しかし、私はもう流れだなんだのを気にする必要はなくなっていた。なぜなら、私はこの先のことを何も知らないからだ。みんなと同じように、未来は進まなくては決して見えやしない。だったら、その未来へは、親友を取り戻して進む方が絶対にいいに決まっている。

「君の世界にあった本では、シリウスはどうなるはずだったんだい?」

 セドリックがそう訊ねて、私は記事から視線を上げた。それから、もう遠い記憶になりつつある例の友人の話を引っ張り出すようにうーんと唸った。

「それが、細かいところは分からないの。でも、本の内容に詳しい友人は、シリウスが無罪放免になったと話したことはなかったわ」
「じゃあ、真実は明かされなかったかもしれないってことかい?」
「スネイプ先生の証言も写真もなかったでしょうし、ペティグリューも逃げ果せたでしょうから、シリウスはずーっと逃亡犯だったかもしれない。だから――」

 そこで、私は言葉を切った。連絡用に用意したコインのペンダントを、セドリックに黙って時間が経てば消えるよう呪文をかけていたことを思い出したからだ。それは一種の保険のようなものだったし、セドリックのためを思えばこそだったけれど、ここまで関わらせておいて、最後の最後で無関係だと切り離されそうになったことをセドリックはよく思っていないだろう。

「あの、セド、ペンダントが消えてしまうこと、黙っててごめんなさい」

 私は眉尻を下げると素直に謝った。

「突然消えてしまって、驚いたでしょう――?」
「うん、確かにビックリはしたかな。君と医務室の前で別れたあと寮に戻って、外そうとしたらなくなってて……でも、少し考えれば、君やシリウスが僕のためを思ってそうしたんだっていうのは分かったし、僕は怒ってはないよ。それに、僕も君の立場なら同じことをしたと思う」
「いいえ、私が貴方の立場ならとっても悔しかったと思うわ。自分が無力だから、切り離されたんだって、そう思って情けなくもなったと思う――」

 もし、私がセドリックと同じことをされたら、悔しくて悲しくて仕方なかっただろう。何があっても行動を共にする覚悟はあったのに、最後の最後で切り離されたら、相手の意図が分かったとて、嬉しくはなかっただろう。けれど、セドリックは優しいから怒ってないよと言ってくれるのだ。私はそれにいつも甘えているだけにすぎない。
 
「私達、最善を尽くしたと思うけど、最後までどうなるか分からなかったから、セドリックだけは守ろうってそう決めたの。でも、私、貴方の優しさに甘えてるだけなんだわ」
「僕は甘えてもらえて嬉しいよ」

 セドリックはニッコリ微笑むと揶揄からかうように言った。

「君からハグしてくれる未来が待ってるなら、尚更ね」

 その瞬間、私は顔が一気に熱くなるのが分かった。図書室にやってきた時、自分がセドリックに飛びついたのをまさに今、自覚したからだ。真実が遂に明かされたことが嬉しくてテンションが上がってしまって、完全に無意識だった――目を白黒させて、あわあわと慌てふためくと、セドリックはおかしそうに笑いながら、こちらに椅子を近付けて横から私を抱き寄せた。

「あ、あの――あの――」
「うん?」
「ど、どう――どうして、ハグ――するの?」

 しどろもどろになりながら訊ねるとセドリックは妙にニコニコしながら首を傾けて、私の顔を覗き込んだ。私はどうにも目を合わせられなくて、視線をあちらこちらに動かした。

「僕が何を言っても君はペンダントのことを気にするだろうから、お詫びに何か貰おうと思って」
「おわ――お詫び? 何か――?」
「うん」

 セドリックがなおもニコニコしながら頷いた。ちょっとでも動けばぶつかってしまいそうなほど近い場所に顔があって、私は心臓が飛び出さんばかりにバクバク脈打つのを感じた。今日のセドリックはなんだか、いつも以上に容赦がない――肺いっぱいにセドリックの香りが満たされて、クラクラしてしまいそうだった。イギリスの男の子って、こんなに積極的だったのだろうか。だってまだ直接好きだとも言われていないし、ちゃんとお付き合いもしていない――。

「セド、セド――待って、あの――」
「僕はもう3年も待ったよ」

 そう言うなり、セドリックの顔が更に近くなって私は反射的にぎゅっと目を瞑った。全身がバクバクというよりかは大太鼓をドンドン叩いてるかのようになって、セドリックに聞こえてるんじゃないかと心配になった。そうこうしているうちに、額にするりと指先が触れて前髪がそっと上げられる感覚がして、柔らかな感覚が額に触れたかと思うと、名残惜しげに離れた。額から指先が遠退いて、輪郭を確かめるように頬を滑った指先が私の唇に触れ、そして、

「この先はちゃんと気持ちを伝えてからにするよ」

 甘い声で、そう囁いた。