The ghost of Ravenclaw - 240
26. 逆転時計
――Harry――
シリウスとバックビークが夜空に飛び去ってからしばらくの間、ハリーは食い入るように空を見つめたままだった。しかし、タイムリミットは刻一刻迫っている。時間を確認したハーマイオニーがハリーの袖を引いて現実に引き戻した。
「ハリー! 誰にも見つからずに医務室まで戻るのに、10分きっかりしかないわ――ダンブルドアが鍵をかける前に――」
「分かった。行こう……」
ようやく空を見つめるのをやめたハリーは、ハーマイオニーと共に背後の扉から城内へと滑り込んだ。扉の先は急な螺旋階段になっていて、2人は転がり落ちるかのように駆け下りていき、ようやく廊下が見えてきたところで壁にピッタリ張り付いて耳を澄ませた。何やら、すぐそこの廊下を誰かが歩いている。
「ブラックはもう捕まえたのです。アルバスの言うように
「
マクゴナガル先生とファッジが2人のすぐそばを歩いていた。2人は互いに息を潜め、このまま螺旋階段の方に先生とファッジが来ないことを祈った。
「このブラック事件は、初めから終わりまで、まったく面目丸潰れだった。魔法省がやつを遂に捕まえた、と日刊予言者新聞に知らせてやるのが、私としてもどんなに待ち遠しいか……。それに、スネイプが目を覚ませば予言者新聞に、本当は何が起こったのか、
ファッジが通り過ぎるのを、ハリーは歯を食いしばって待った。やがて、ファッジとマクゴナガル先生の足音が遠ざかって行くと、ハーマイオニーが階段の陰から顔を出して本当に誰もいないことを確かめながら呟いた。
「スネイプの証言を聞こうともしないなんて……シリウスが逃げ果せたことを泣いて喜ぶファッジの姿を見るのが楽しみで仕方ないわ」
廊下に誰の姿も見えなくなると、ハリーとハーマイオニーは階段の陰から飛び出してファッジとマクゴナガル先生達が消えて行った方とは反対方向に走り出した。階段を1つ下り、2つ下り、また別の廊下を走り――そして、医務室まであと半分というところで、どこからともなく高笑いが聞こえてきて、ハリーは咄嗟にハーマイオニーの手首を捕まえた。
「ピーブズだ! ここに入って!」
2人は、ちょうど左手にあった教室に大急ぎで飛び込んだ。真夜中近いこの時間帯ならどの教室に飛び込んだとしても誰もいないことは、確認せずとも明白だ。すると、2人が教室に飛び込み扉をピシャリと閉めた途端、すぐ近くでピーブズの大笑いが聞こえてきて、ハリーはホッと胸を撫で下ろした。間一髪、見つからずに済んだようだ。
「なんて嫌なやつ」
ハーマイオニーが扉に耳を押しつけて小声で言った。
「
しかし、そうこうしているうちにタイムリミットはもうほんの数分しか残されていなかった。2人はピーブズの高笑いが遠くに消えていくと、すぐに教室から飛び出してまた全速力で走り出した。
「ハーマイオニー――ダンブルドアが鍵を掛ける前に――もし病室に戻らなかったら――どうなるんだい?」
息も絶え絶え、ハリーが訊ねた。
「考えたくもないわ!」
ハーマイオニーが腕時計で時間を確認しながら呻くように言った。
「あと1分!」
そうして、走って、走って――2人はようやく医務室に続く廊下の端に辿り着いた。医務室の方からダンブルドアの声が聞こえている。2人は廊下を這うように進み、医務室へと近付いていった。すると、扉が開き、ダンブルドアの背中が現れた。
「君達を閉じ込めておこう」
ダンブルドアの声だ。
「今は、真夜中5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」
ダンブルドアさそう言うと、後ろ向きに医務室から出てきて、扉を閉め、杖を取り出して、なんと魔法で鍵をかけようとした。大変だ――ハリーとハーマイオニーは慌ててダンブルドアの前に飛び出した。2人の足音を聞きつけたダンブルドアが振り返って、長い銀色の口髭の下にニッコリと笑みを広げた。
「さて?」
ダンブルドアが静かに聞いた。
「やりました! シリウスは行ってしまいました。バックビークに乗って……」
「ようやった」
ハリーが急き込んで言うと、ダンブルドアはニッコリ微笑んだまま頷き、それから医務室の中の音に耳を澄ました。これから「ハリーとハーマイオニー」は時を戻ってバックビークとシリウスを助けて時間稼ぎをし、シリウスがいなくなったことにみんかが大騒ぎしている間にハナがカメラを探すのだ。ハナならきっとカメラを探してすぐに戻ってくるだろう。
「さてと――よかろう」
ハリーが考えているとダンブルドアが言った。
「
ダンブルドアの言葉に従い、ハリーとハーマイオニーは大急ぎで医務室に入ったが、次の瞬間、驚きのあまり声を上げそうになった。なんと、医務室の窓から出てこれからカメラを探しに行くはずのハナがまだそこにいたからである。ハナは
事情はあとでゆっくり聞くことにして、ハリーとハーマイオニーは慌ててベッドに潜り込んだ。もちろん、ハーマイオニーは
「校長先生がお帰りになったような音がしましたけど?」
カチャッと鍵がかかる音がすると、耳聡いマダム・ポンフリーが事務室から出てきた。手にはあの岩のようなチョコレートの塊とハンマーを持っている。
「これで、わたくしの患者さんの面倒を見させていただけるんでしょうね?」
マダム・ポンフリーは散々邪魔をされたことにひどくご機嫌斜めな様子でハリーとハーマイオニーの方につかつかと歩み寄ってきた。それから、岩のようなチョコレートをサイドテーブルに置くとハンマーで砕き、ハリーとハーマイオニーに差し出した。2人は自分達を見下ろすように立っているマダム・ポンフリーを見て、これはおとなしく食べた方が賢明だ、と黙ってチョコレートを齧った。
けれども、ハリーもハーマイオニーもちっともチョコレートが喉を通らなかった。シリウスは一体どうなったのかと神経をピリピリさせ、何か聞こえやしないかと耳を
「まったく――どれだけ邪魔をしたら済むんですかね! 一体何のつもりでしょう?」
マダム・ポンフリーがカンカンになって言った。足音は次第に大きくなっていき、それに合わせ、話し声が聞こえるようになってきた。どうやら医務室に向かってきているらしい。ハリーとハーマイオニーがシリウスを逃したことがバレたのだろうか? ハリーは心臓がバクバクいうのが分かった。
「きっと姿くらましを使ったのだろう。誰か一緒に部屋に残しておくべきだった。こんなことが漏れたら――」
「この城の中では姿くらましも姿現しも出来ません。何か、別の手段で逃げ果せたのでしょう。とにかく、ポッターの無事を確かめねば」
漏れ聞こえる内容を聞く限り、シリウスがいなくなったことはバレたが、ハリーとハーマイオニーが逃したことはバレていないらしい。ハリーが安堵したのも束の間、医務室の扉が猛烈な勢いで開き、怒った顔のファッジ、血相を変えたマクゴナガル先生、涼しい顔をしたダンブルドアが中に入ってきた。ダンブルドアは涼しげというより、
「ポピー、何事もありませんでしたか?」
医務室に入るなり、マクゴナガル先生が訊いた。
「ええ、皆様方が治療の邪魔をした以外は何も」
明らかに怒ったような刺々しい声でマダム・ポンフリーが答えた。
「それで、今度はどういう要件で治療の邪魔をするのか、説明していただけるんでしょうね?」
「ポピー、それどころではないのです」
マクゴナガル先生が青い顔で言った。
「8階に閉じ込めていたブラックが再び逃亡したのです――一体どうやってあの部屋から逃げたのか……」
「マダム・ポンフリー、誰かがここに来た形跡はあるかね?」
ファッジが医務室をしきりに見回しながら訊ねた。
「突然扉が開いたり、窓が開いたりは……」
「もちろん、そんなことありませんでしたわ! 校長先生が出てらしてから、わたくし、ずっとこの子達と一緒におりましたが、扉が開いたり、窓が開いたりしておりません。誰も医務室には入っておりませんわ!」
「では、わしが10分前にここを出てから鍵は掛かったままということになる」
ダンブルドアが落ち着いた様子で言った。
「ということは、何らかの方法で、ホグワーツを離れたのじゃろう、コーネリウス」
「なんということだ……!」
反対にファッジは怒りに声を荒らげている。
「これで明日の日刊予言者新聞はお祭り騒ぎだ! 我が省はブラックを追いつめたが、やつはまたしても、我が指の間からこぼれ落ちていきおった! あとはヒッポグリフの逃亡の話が漏れれば、ネタは充分だ。私は物笑いの種になる! さてと……もう行かなければ。省のほうに知らせないと……」
「それで、
「ああ、そのとおり」
ファッジが狂ったように指で髪を掻きむしりながら言った。
「連中は出ていかねばならん。罪もない子どもに
「ハグリッドが喜ぶことじゃろう」
ファッジが縦縞のマントを翻してイライラと医務室の出口へ出ていくと、マクゴナガル先生がそのあとにキビキビと続き、ダンブルドアはハリー達にチラッと笑いかけてから最後に出ていった。マダム・ポンフリーは全員が医務室から出ていくと、扉の方に飛んでいって鍵をかけ、それからすべての窓を杖でコツコツ叩いてしっかりと施錠し、またハリー達のベッドの方へと戻ってきた。
すると、ハリーの左側から呻き声が聞こえて、ハリー達もマダム・ポンフリーも一斉にそちらを見た。みれば、1番端にあるベッドがモゾモゾ動いている。スネイプが目を覚ましたらしい。スネイプは、ゆっくりと上半身を起こしたかと思うと、頭を抑えながら辺りを見渡した。
「スネイプ先生、お気付きですか」
マダム・ポンフリーがキビキビとスネイプのところに向かった。
「これは、一体――何が――」
「ブラックに呪いをかけられたのです」
マダム・ポンフリーが答えた。
「ブラックは捕まり、もうまもなく
「
「しかし、ブラックはまたもや逃げ果せたようです。ファッジ大臣が対応のためにまもなく魔法省に戻られ――スネイプ先生、寝てないといけません!」
スネイプは話を聞くなり青い顔をして立ち上がった。マダム・ポンフリーは慌ててそれを押さえつけ、ベッドに押し戻そうとが男性と女性では力に差があることは明らかだった。大の大人の男をマダム・ポンフリー1人でどうにか出来るはずもなく、スネイプはお構いなしにベッドから下り、そしてローブを翻そうとしたところで、はた、とローブを見下ろした。片方だけ重く垂れ下がっていることに気づいたのだ。スネイプは一瞬顔を
「ミズマチ!」
怒鳴るようにしてハナを呼びつけた。明らかに怒っている声だったのに、ハナは気にした様子はなく、
あれは、ハナのカメラのストラップだ――ハリーとハーマイオニーは驚いて目を丸くして顔を見合わせた。一体いつからスネイプのローブに入っていたのか、2人はまったく理解出来なかった。だって、カメラは確かにペティグリューが飛ばしたのだ。ハリーはカメラが遠くに飛んでいったのをこの目で見ている。
「やつに一生消えぬ恩を売る絶好の機会だ」
抑揚のない声でスネイプが言った。
「ミズマチ、証人として、ついて来い」
「はい、スネイプ先生」
勝手に医務室から出て行こうとするスネイプとハナをマダム・ポンフリーはカンカンになって止めたが、2人共、マダム・ポンフリーの言うことはちっとも聞かなかった。2人は、あっという間に医務室の出口から出て行ってしまい、医務室にはまったく思いどおりにならずに怒り狂っているマダム・ポンフリーと未だ目覚めぬロン、そして状況を飲み込めないハリーとハーマイオニーだけが残された。