The ghost of Ravenclaw - 239
26. 逆転時計
――Harry――
ハナがあの時「ジェームズ」と呟いたのは、現れた守護霊が牡鹿だったからだとハリーには分かった。ハナはハリーの父親が牡鹿の
余韻に浸るように、ハリーは手を伸ばしたまましばらくその場に佇んでいた。すると、背後で蹄の音が聞こえて、ハリーは急いで振り返った。そんなこと有り得ないともう自分で証明したばかりなのに、もしかして、と期待してしまったのだ。しかし、当然、蹄の音は牡鹿ではなかった。ハーマイオニーがバックビークを引っ張って猛烈な勢いで駆けてくる。
「何をしたの?」
ハーマイオニーが怒ったように激しく言った。どうやら守護霊が消える瞬間を見られていたらしい。
「何が起きてるか見てるだけだって、貴方、そう言ったじゃない!」
「僕達全員の命を救っただけだ……」
ハリーは宥めるように声を落として言った。
「ここに来て――この低木の陰に――説明するから」
それからハリーはまた低木の陰に隠れ、ハグリッドの小屋を出たあと何があったのか、ハーマイオニーに話して聞かせた。ハーマイオニーはハリーの話を聞きながら、またもや口をあんぐりと開いている。けれども、今回はハリーが死んだ父親に助けられたなどとおかしなことを言い出したからではなく、純粋な驚きからだった。
「誰かに見られた?」
話を聞き終えるとハーマイオニーが心配そうに訊ねた。そんなハーマイオニーにハリーは笑って答えた。見られても大丈夫だと分かっていたからだ。
「ああ。話を聞いてなかったの? “僕”とハナが僕を見たよ。でも、“僕達”は父さんだと思ったんだ! だから大丈夫!」
「ハリー、私、信じられない――」
ハーマイオニーは未だに驚愕した様子だ。
「あの
「僕、出来ると分かってたんだ。だって、さっき1度出したわけだから……僕の言っていること、何か変かなあ?」
「よく分からないわ――ハリー、ハナを見て!」
低木の陰からから、ハリーとハーマイオニーは対岸の様子を盗み見た。対岸では、ハナが地面に屈み込んで何かをしているところだった。どうやら何かを探しているらしい。しばらくすると、目当てものを見つけたのか、ハナが湖畔に腰掛け、何かを口に運んだ。
「チョコレートだわ!」
ハーマイオニーが感心したように言った。
「シリウスが持ってる巾着の中に入ってたに違いないわ。
それから何分かの間、ハナは座り込んだまま動こうとしなかった。みんな気を失って独りぼっちになって、途方に暮れていたのかもしれない。しかし、これからハナはどうやってみんなを連れていくのだろう――ハリーは様子を
「ねえ、あれ、何かしら?」
ハーマイオニーが森の方を指差して、そう呟いた。ハリーが正面玄関から森の方に視線を移してみると、どこからともなく、明かりが2つハナの方へと近付いているのが見えた。2つの明かりのスピードは速く、どんどんハナへ近付いている。しかし、見たことのある明かりだ。ハリーは一体どこでそれを見たのか考えて、それから、ハッと息を呑んだ。
「あれ、ウィーズリーおじさんの車だよ!」
今度はハーマイオニーがハッと息を呑んだ。信じられないような顔でハリーのことを見返している。
「まさか――」
「前学年の時から森で暮らしてるんだよ。僕達が暴れ柳に突っ込んだものだから、怒って森に行っちゃったんだ。蜘蛛を探して森に入った時に再会して、僕達を助けてくれた……騒ぎを知って、ハナのことも助けに来てくれたんじゃないかな」
ハリー達が見ていると、車はハナのすぐ近くで停車した。ハナもウィーズリーおじさんの車だと分かったのだろう。急いで車に近付いていくのが見え、車が時折ヘッドライトをピカッと点滅させた。ハリーはそれを見て、なんだかハナが車と会話をしているように思えた。
やがて、車がヘッドライトを点滅させるのをやめたかと思うと、ハナが気を失って倒れている3人を車の中へと運び込んだ。遠くで微かにバンッと扉が閉まる音がして、それからハナも車に乗り込んで、またバンッと音が聞こえると、ヘッドライトの明かりが暴れ柳に向けて走り始めた。
ハリーとハーマイオニーはその様子をじっと見つめた。運のいいことに、この場所は湖の対岸の様子もそうだが、正面玄関や暴れ柳の様子も小さくだが、見ることが出来た。車はその暴れ柳から少し離れたところで停車して、ハナが降りてきて、そして、正面玄関が開いた。ファッジ、マクネア、ダンブルドアの3人がゾロゾロと校庭へと出てきている。ハナが車から「ハリー達」を降ろし、車が猛スピードで森へと走り去り、
「ハナがファッジ達に見つかったわ!」
ファッジ達が暴れ柳の方へと歩いていくと、ハナを見つけて立ち止まった。何かを話しているようだが、流石にハリーとハーマイオニーの位置からでは何を話しているのかさっぱり分からなかった。ただ、ハナが激しく何かを訴えていることだけは2人にもはっきりと見てとれた。
ハナがファッジ達に見つかってしばらくして、校庭にはマクゴナガル先生やスプラウト先生、それにフリットウィック先生が続々と姿を現した。先生達は担架を1つ創り出すとそれに誰かを乗せ、それを4人で取り囲むとゾロゾロと城の中に運び込んだ。ハリーは今運び込まれたのはシリウスに違いないとすぐに分かった。それから少しして、マクゴナガル先生とスプラウト先生が担架を4つ創り出すと城に向けて歩き始め、ハナがそのあとをトボトボついていき、やがて、見えなくなった。
「さあ、そろそろ時間だわ」
全員が城の中に入っていくと、ハーマイオニーが時計を見ながら言った。
「ダンブルドアが医務室の扉に鍵をかけるまで、あと45分くらい。シリウスを救い出して、それから、私達がいないことに誰かが気付かないうちに医務室に戻っていなければ……」
2人は低木の陰に隠れたまま、ただひたすらにその時を待った。バックビークはその場でじっとしているのが退屈なのか、土をほじり、虫を探している。ハリーは、最初のうちは湖を眺めていたが、いよいよというころになると、城を見上げ、西塔の窓の数を右から数え始めた。
「シリウスはもう上に行ったと思う?」
数を数えながら、ハリーは訊ねた。すると、正面玄関の方を見ていたハーマイオニーが囁いた。
「見て! あれ、誰かしら? お城から誰か出てくるわ!」
数えるのを中断し、ハリーが正面玄関を見てみると、闇の中を男が1人、急いで校庭を横切っていくのが見えた。どこかの門に向かっている。月明かりに反射して、何かが腰のあたりでキラッと光った。
「マクネア! 死刑執行人だ!
ハリーは素早くバックビークの方へと行くと、まずはハーマイオニーがその背に跨るのを手伝った。ハーマイオニーが苦労してバックビークの背に乗ると、ハリーは
「いいかい?」
ハリーが囁いた。
「僕につかまるといい――」
一度バックビークに乗せて貰ったのはハリーにとってこの上ない幸運だった。ハリーがバックビークの脇腹を踵で小突くと、バックビークは翼を広げて
「ああ、ダメ――いやよ――ああ、私、本当に、これ、いやだわ――」
ハーマイオニーは初めてのヒッポグリフでの飛行にかなり怯えていたが、ハリーは構わずバックビークを駆り立てた。音もなく、2人は城の上階へと近付き、西塔の辺りまできたころ、ハリーは手綱の左側をグイッと引っ張り、バックビークが方向転換するよう促した。次々と通り過ぎる窓を順番に数えようとした。しかし、あまりにも速すぎてどうにも数えられない。ハリーは力の限り手綱を引き締めた。
「ドウ、ドウ!」
ハリーが手綱を引き締めると、バックビークは速度を落として停止した。翼をゆっくりと上下に
「あそこだ!」
ハリーはゆっくりと目当ての窓に向かって浮き上がり、そして、窓越しにシリウスの姿を見つけた。ハリーはバックビークの翼が下がった時を見計らって手を伸ばし、窓ガラスを叩いた。シリウスが弾かれたように顔を上げ、呆気に取られて口を開くのが見えた。それから、シリウスは慌てて椅子から立ち上がり、窓際に駆け寄って開けようとしたが、窓には鍵がかかっていた。
「退がって! アロホモラ!」
自分の杖を探そうとするシリウスにハーマイオニーが呼びかけると、左手でしっかりとハリーのローブを掴んだまま、サッと杖を取り出し呪文を唱えた。途端にパッと窓が開き、またシリウスが窓辺に駆け寄ってきた。
「ど――どうやって――?」
何が起こったのかさっぱり理解出来ない様子でシリウスが訊ねた。しかし、ここで事情を説明している時間はない――ハリーはバックビークの首の両脇をしっかりと押さえつけ、シリウスが乗りやすいようその動きを安定させた。
「乗って――時間がないんです。ペティグリューがハナのカメラを吹き飛ばして――とにかく、ここから出ないと――
話を聞くなり、状況を察して、シリウスな窓枠の両端に手をかけて、窓から頭と肩を突き出した。窓は狭かったが、いくら手配写真より健康になったとはいえシリウスはまだまだ細かったので、なんとか窓を通り抜け、ハーマイオニーの後ろに跨ることが出来た。
「よーし、バックビーク、上昇! 塔の上まで――行くぞ!」
ハリーが手綱を一振りすると、ヒッポグリフはその力強い翼を大きく
「シリウス、もう行って。早く」
懇願するようにハリーが言った。シリウスに、やっと出来た家族に、ハリーは生きていて欲しかった。だって、生きてさえいれば、また会える日は必ず来るのだ。でも、
「みんなが、まもなくフリットウィック先生の事務所にやってくる。貴方がいないことが分かってしまう」
「もう一人の子は、ロンはどうした? それに、ハナは――」
シリウスが心配そうに訊いた。
「2人共、大丈夫――ハナは貴方を助けるためにカメラを探しに行きました。ロンはまだ気を失ったままだけど、マダム・ポンフリーが、治してくださるって言いました。早く――行って!」
しかし、シリウスはなかなか行こうとしなかった。まだじっとハリーを見下ろしたままだ。
「なんと礼を言ったらいいのか――」
「「行って!」」
ハリーとハーマイオニーが同時に叫んだ。すると、シリウスはようやくバックビークの手綱を引っ張りバックビークを一回りさせ、空の方に向けた。
「また会おう」
シリウスが言った。
「君は――本当に、お父さんの子だ。ハリー……」
シリウスがバックビークの脇腹を踵で小突くと、巨大な両翼が再び振り上げられ、ハリーとハーマイオニーは急いで飛びのいた。ヒッポグリフが高々と飛翔していく。舞い上がったヒッポグリフの姿が、その乗り手が、段々と小さくなって行くのが見え、やがて、夜の闇に紛れ、見えなくなった。ハリーはその背中をしばらくの間じっと見つめ、見送った。