The ghost of Ravenclaw - 237

26. 逆転時計タイムターナー

――Harry――



 3時間前の「ハリーとハーマイオニー」が暴れ柳のウロの中に入り込んだ数秒後、ハリーとハーマイオニーはすぐ近くで誰かの足音を聞いてそちらに顔を向けた。見れば、ダンブルドア、ファッジ、委員会の老魔法使い、マクネアが歩いている。どうやらハグリッドの小屋でお茶を飲み終え、城の方へと帰っていくところのようだ。マクネアが遠目から見ても明らかにイライラと不機嫌そうな様子で最後尾を歩いている。バックビークを処刑し損ねたことをまだ怒っているらしい。

「私達が地下通路に降りたすぐあとだわ! あの時に、ダンブルドアが一緒に来てくれていたら……」
「そしたら、マクネアもファッジも一緒についてきてたよ」

 本当に「ハリー達」がウロの中に入ってから僅かな時間しか経っていなかったので、驚きの声を上げるハーマイオニーに、ハリーは苦々しげに言った。確かにダンブルドアだけがついて来てくれるならかなり心強かっただろうが、マクネアとファッジもおまけでついて来るなんて、シリウスにとっては最悪以外の何者でもないだろう。マクネアなんてバックビークを処刑し損ねたのだから、自分にシリウスの首を斬らせろと言い出したかもしれない。それに、ファッジだってシリウスを早く捕まえたいのだ。よくない判断を即座に下すことは分かりきっていた。

「駆けてもいいけど、ファッジは、シリウスをその場で殺せって、マクネアに指示したと思うよ」

 ダンブルドア達が城の階段を上がって見えなくなって、数分後、今度は鷲が1羽、暴れ柳の方へと飛んできて、ハーマイオニーが「あっ!」と小さく声を上げた。真っ白な胸元に丸い模様のある鷲だ――鷲は柳まで飛んでくると上空をぐるりと旋回し、まもなく、柳の太枝の届かないところに着地するとポンッと音を立ててその姿を変えた。

「ハナだわ!」

 ハーマイオニーが囁いた。

「ねえ、あの時はそれどころじゃなかったけど、鷲の動物もどきアニメーガスってかっこいいと思わない? 自分の羽で空を飛ぶってどんな感じかしら――」

 ハナはどうやって暴れ柳の動きを止めるのだろうかと2人が見ていると、元の姿に戻ったハナが杖を取り出して素早く近くに落ちていた枝を呼び寄せた。そうして呼び寄せた枝を今度は器用に根元のコブのところに動かし、コツンと当てた。暴れ柳の動きを止めると、ハナは2、3歩樹下に入って本当に動かないかどうか確かめ、それからまた鷲に変身してウロの中に飛び込み、あっという間に見えなくなった。どうやら、透明マントがすぐ近くに落ちていることには気付いていないようだった。

 ハナが叫びの屋敷に向かってからしばらくの間、は、暴れ柳の近くには誰の姿もなかった。しかし、もう少ししたらルーピン先生が現れるはずである。ハリーとハーマイオニーがじっと様子をうかがっていると、やがて、正面玄関が開く音がして、それからすぐにポーチの階段を下りる足音が聞こえてきた。足音は柳に向かってどんどん近づいてくる。

「ルーピン先生が来た!」

 ハリーが声を潜めて言った。暴れ柳の前に姿を現したルーピン先生は、折れた長い枝を拾い上げると、その枝で木のコブを突ついた。柳の動きを止め、まもなく、ルーピン先生は柳のウロの中へと消えていった。ルーピン先生もそばに落ちている透明マントには気付いていなかった。

「透明マントに気付くのがスネイプなんてなぁ……」

 ハリーがぼやいた。

「あのマント、帰りもスネイプが自分のポケットに入れるんだ……スネイプは僕にマントを返したりしないよ……もし、今僕が急いで走っていってマントを取ってくれば、スネイプはマントを手に入れることが出来なくなるし、そうすれば――」
「ハリー、私達、姿を見られてはいけないのよ! それに、スネイプ先生はペティグリューが生きているという唯一の証人だわ。ダンブルドアの言葉を聞かなかったの? 私達やルーピン先生じゃ証人にならないのよ。何のためにハナがスネイプを起こして話を聞かせたか、考えないと!」
「マントがなくても叫びの屋敷には行けるし、証人にはなれるよ」

 ムッとしてハリーはハーマイオニーに言い返した。

「あれは僕の父さんが僕に遺してくれたものだ。スネイプはペティグリューが生きていたと証言してくれるかもしれないけど、僕にマントを返してくれる確証はないよ――僕、マントを取ってくる!」
「ハリー、ダメ!」

 木立の陰から飛び出そうとするハリーのローブをハーマイオニーが掴んで引き戻した。すると、直後に大きな歌声が聞こえてきて、ハリーもハーマイオニーもドキリとした。ハグリッドが城に向かう道すがら、足元をふらつかせ、声を張り上げて歌っている。手には大きな瓶をブラブラさせていた。間一髪だ――ハリーはホッと胸を撫で下ろした。

「でしょ?」

 ほら見てみなさい、と言いたげな顔でハーマイオニーが言った。

「どうなってたか、分かるでしょ? 私達、人に見られてはいけないのよ! ダメよ、バックビーク!」

 ハグリッドの声が聞こえたバックビークが、またもやハグリッドのそばに行こうと動き出して、ハリーとハーマイオニーは慌てて手綱を掴みバックビークを引き戻そうとした。2人はほろ酔いで千鳥足のハグリッドが、早く城の方に行って見えなくなることを祈りながら必死に引っ張り、バックビークをその場に留めた。バックビークはハグリッドの姿が見えなくなると、逃げようとするのをやめ、悲しそうに項垂れた。

 ハグリッドが見えなくなって2分後、今度はスネイプが姿を現し、暴れ柳の方に向かって走ってきた。スネイプは柳のそばで立ち止まると、周りを見渡し、そして、ハナもルーピン先生も気付かなかった透明マントに気付き、拾い上げた。

「汚らわしい手で触るな」

 ハリーが悪態をつくと、ハーマイオニーがハリーの脇腹に肘打ちを一発喰らわせて黙らせた。スネイプはルーピン先生が柳の動きを止めるのに使った長い枝を使って、木のコブを突くと、ハリーの透明マントを被って姿を消した。今ごろは隠し通路を通り、叫びの屋敷に向かっているところだろう。

「これで全部ね。私達全員、あそこにいるんだわ……さあ、あとは、私達がまた出てくるまで待つだけ……」

 ハーマイオニーは静かにそう言うと、バックビークの手綱の端を1番近くにある木の幹にしっかりと結びつけた。これから少なくとも1時間は待たなければならない。ハーマイオニーはようやく人心地つくと、地面に腰を下ろし、膝を抱きかかえた。

「ハリー、私、分からないことがあるの……どうして、吸魂鬼ディメンターはシリウスを捕まえられなかったのかしら? 私、吸魂鬼ディメンターがやってくるところまでは覚えてるんだけど、それから気を失ったと思う……本当に大勢いたわ……」

 ハリーもハーマイオニーの隣に腰を下ろしてから、自分が見たことの一切を話して聞かせた。1番近くにいた吸魂鬼ディメンターがフードを脱ぎ、ハリーに口を近付けようとしたこと。その時、ハナが割って入って鷲の守護霊を作り出して守ってくれようとしたこと。大勢の吸魂鬼ディメンターは、湖の向こうから疾走してきた大きな銀色の何かが追い払ってくれたこと――。

「でも、それ、なんだったの?」

 ハリーが話し終えると、ハーマイオニーが訊ねた。

「ハナの守護霊以外に一体、何が……」
吸魂鬼ディメンターを追い払うものは、たった1つしかありえない」

 ハリーが答えた。

「本物の守護霊だ。強力な」
「でも、一体誰が? ハナの守護霊じゃないの?」

 すぐに答えられず、ハリーは黙り込んだ。あの時、ハナの守護霊はハリー達のそばから動かず、いつの間にか消えてしまった。だから、湖の対岸からやってきた守護霊は、ハナが創り出したものではないと、ハリーにははっきりと分かっていた。それに――ハリーは対岸に見えた人影を誰だと思ったのか、自分ではちゃんと分かっていた。しかも、ハナがその人物の名前を呟くのをこの耳で確かに聞いた……でも、落ち着いて考えてみれば、そんなことは有り得ないだろうとハリーにだって分かった。だって、その人はハリーが1歳の時に亡くなってしまったのだから――。

「どんな人だったか見たの?」

 興味津々といった様子でハーマイオニーが訊ねた。

「先生の1人みたいだった?」
「ううん。先生じゃなかった」
「でも、本当に力のある魔法使いに違いないわ。あんなに大勢の吸魂鬼ディメンターを追い払うんですもの……守護霊がそんなに眩く輝いていたのだったら、その人を照らしたんじゃないの? 見えなかったの――?」
「ううん。僕もハナも見たよ」

 迷いつつ、ハリーはゆっくりと答えた。

「でも……僕もハナもきっと、思い込んだだけなんだ……混乱してたんだ……僕なんて、そのすぐあとで気を失ってしまったし……」
「誰だと思ったの?」
「僕――僕、父さんだと思った」

 ハリーは自分がおかしなことを言っていると分かりつつもそう答えた。けれども、あの時は本当にそう思ったのだ。確かに父さんはもう死んでいるけど、息子であるハリーを、親友であるシリウスとハナを、助けにきてくれたのだと思ったのだ。

「ハナもジェームズって呟いてた。僕、ハナがそう言うのを確かに聞いた。それで――」

 ハリーは反応が気になって、ハーマイオニーの方をチラリと見た。ハーマイオニーは口をあんぐりと開けてコチラを見ている。その表情は、驚いているようにも、憐んでいるようにも見えた。

「ハリー、貴方のお父様――あの――お亡くなりになったのよ」

 言いづらそうにしながら、ハーマイオニーが言った。

「分かってるよ」

 ハリーが急いで答えた。

「ハナも貴方も、ハリーのお父様の幽霊を見たってわけ?」
「分からない……ううん……実体があるみたいだった……」
「だったら――」
「多分、気のせいだ。だけど……僕の見た限りでは……父さんみたいだった……僕、写真を持ってるんだ……」

 ハーマイオニーが心配そうちこちらを見ているのが居た堪れなくて、ハリーはバックビークの方を見ているフリをした。死んだ父さんが助けてくれたなんて、バカげてるって自分でも分かってる。けれども、父親が助けてくれたと思うことがそんなにおかしなことだろうか。ピンチの時に父親が現れたと夢見ることは、いけないことだろうか。きっとハリーのこの思いを正しく理解出来るとしたら、ハナしかいないだろうとハリーは思った。ハナもあの時、自分の親友がピンチに現れることを願っていたに違いないのだ。そう、1年生のハロウィーンの時にハリーを咄嗟に「ジェームズ」と呼んだ時みたいに。

 けれども、ハリーの父親はもうずーっと前に亡くなってしまった。今やハリーの中には、死んだはずの人が実体を持って現れるなんて有り得ないという気持ちとそうであって欲しいという相反する2つの気持ちがせめぎ合っていた。今夜、ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズの4人がホグワーツに現れたのだと信じていたかった。だって、ワームテールはみんな死んだと思っていたのに、今夜姿を現した。なら、ハリーの父親が同じように現れたって何の不思議もないのではないだろうか。それとも、ハリーとハナが湖の向こうに見たものは、ただの幻だったのだろうか。

 ハリーはそっと夜空を見上げた。月が雲の切れ目から現れては消えている。風がそよぎ、頭上の木の葉が微かに揺れた。ハーマイオニーは座ったまま柳の方を見つめたまま何も言わず、ハリーの見たものは幻覚だ、ともう否定することはなかった。