The ghost of Ravenclaw - 235

26. 逆転時計タイムターナー

――Harry――



 3時間前まで時間を戻ったハリーとハーマイオニーが正面玄関から校庭へと飛び出すと、もう随分と太陽が西に傾いていた。2人の影が長く伸び、禁じられた森の木々の梢が、3時間前に見た時と同じように金色に輝いている。透明マントのない2人の姿は丸見えだ。叫びの屋敷を出る時、スネイプが透明マントを自身のローブのポケットに入れてしまったので、今はマントなしで移動しなければならなかった。

「誰かが窓から覗いていたら――」

 校庭を進みながら城を見上げ、ハーマイオニーが上擦った声を出した。もし誰かに見つかってしまえば、すべてが台無しだ。ハリーは恐々としているハーマイオニーに決然と言った。

「全速力で走ろう。真っ直ぐ森に入るんだ。いいね? 木の陰かなんかに隠れて、様子をうかがうんだ――」
「いいわ。でも温室を回り込んで行きましょう! ハグリッドの小屋の戸口から見えないようにしなきゃ。じゃないと、私達、“自分達”に見られてしまう! ハグリッドの小屋に“私達”がもう着くころだわ!」

 なんだかややこしくて、ハリーにはハーマイオニーの言ったことがすぐには理解しきれなかった。けれども、兎に角見られないようにしなければならない――ハリーはハーマイオニーが着いてくるのを確かめると、全力で走りだした。野菜畑を突っ切り、温室の陰でひと呼吸入れてから、また走っていく。全速力で暴れ柳を避けて通り抜け、ようやく森までやってきて身を隠せるようになると、ハリーとハーマイオニーは立ち止まった。ここまで走ったせいで2人とも肩で大きく息をしている。

「これでいいわ」

 木の陰で息を整えながらハーマイオニーが言った。

「ハグリッドのところまで忍んで行かなくちゃ。見つからないようにね、ハリー……」

 2人は木々の間に隠れながら、森の端をこっそりと進み、ハグリッドの小屋の方へと向かった。やがて、ハグリッドの小屋の扉が垣間見えたかと思うと、扉を叩く音が聞こえ、2人は急いで太い樫の木の陰に隠れた。幹の両脇から覗き見ると、ハグリッドがちょうど青ざめた顔で震えながら扉から顔を出したところだった。誰が戸を叩いたのかと辺りを見渡している。ハリーの耳に自分自身がヒソヒソ話す声が届いた。

「僕達だよ。透明マントを着てるんだ。中に入れて。そしたらマントを脱ぐから」
「来ちゃなんねえだろうが!」

 ハグリッドは咎めるようにそう囁きながらも1歩下がり、「ハリー達」を小屋の中へと入れた。そして、バタンと扉が閉まると、小屋の屋根からスーッと鷲が1羽降りてきて、窓辺に止まった。鷲はじーっと静かに中の様子をうかがっている――ハナだ。ハリーはハナが屋根の上にいたことはこの目で見たので知っていたが、ハリー達が小屋に入ってからもあんな風に様子をうかがっていたとは思いもよらなかった。あの時は正真正銘鷲だと信じて疑わなかったけれど、動物もどきアニメーガスだと分かって見ていると、鷲の動きはかなり人間っぽかった。そもそも、グィディッチ競技場のスタンド席に腰掛けている時にどうして気付かなかったのか、ハリーは自分で自分が不思議でならなかった。鷲が椅子に腰掛けるはずがないのに。

 それにしても――。

「こんなヘンテコなこと、僕達今までやったことないよ!」

 3時間後にはこうして時間を戻ってきて、自分達の様子をコソコソ見ているなんて、どうしたら想像出来るだろう。ハリーは本当に3時間前まで戻ってきたことが信じられず、半ば夢見心地で囁いた。しかし、そんなハリーのことをすぐさまハーマイオニーが現実に引き戻した。

「もうちょっと行きましょう。もっとバックビークに近付かないと!」

 そうだ、バックビークを助けに来たんだった。
 ハリーはやらなければならないことを思い出すと、再びハーマイオニーと共に木々の間を隠れながら進み、小屋の裏側にあるかぼちゃ畑の近くにやってきた。ハグリッドのかぼちゃ畑の柵のところに、落ち着かなげな様子のバックビークが繋がれている。

「やる?」

 太い木の幹と草叢の陰に身を隠しながらハリーが言った。今なら誰にも見られずにバックビークを連れ出すことが出来るだろう。しかし、ハーマイオニーはすぐさま否定した。

「ダメ! 今バックビークを連れ出したら、委員会の人達はハグリッドが逃したと思うわ! 外に繋がれているところを、あの人達が見るまでは待たなくちゃ!」
「それじゃ、やる時間が1分くらいしかないよ」

 ハリーは、先程「やってみなきゃ」なんて言ったにもかかわらず、バックビークを連れ出すのにほんの少しの時間しかないなんて思いもせず、途端に不安になった。1分の間にバックビークにお辞儀をして、それからみんなに見えないところに連れて行くなんてそんなことが可能なのだろうか? するとその時、陶器の割れる音がハグリッドの小屋から聞こえ、ハリーは顔を上げた。ハグリッドがミルク入れを壊したところらしい。

「もうすぐ、“私”がスキャバーズを見つけるわ――」

 ハーマイオニーがじっと小屋の方を注視しながら囁いた。それから本当に数分して、2人は「ハーマイオニー」が驚いて叫ぶ声を聞いた。ミルク入れの中にペティグリューが潜んでいるのを見つけたのだ。

「ハーマイオニー」

 ピンと閃いてハリーは言った。

「もし、僕達が――中に飛び込んで、ペティグリューを取っ捕まえたらどうだろう――」

 しかし、またハーマイオニーがすぐさま否定した。

「ダメよ! 分からないの? 私達、最も大切な魔法界の規則を1つ破っているところなのよ! 時間を変えるなんて、誰もやってはいけないことなの。だーれも! ダンブルドアの言葉を聞いたわね。もし誰かに見られたら――」
「僕達自身と、ハグリッドに見られるだけじゃないか!」

 何が問題なのか分からず、ハリーは言い返した。ペティグリューが逃げたせいでシリウスがまた捕まってしまったのに、ハーマイオニーがどうして平気なのかハリーにはちっとも理解出来なかった。

「ハリー、貴方、ハグリッドの小屋に自分自身が飛び込んでくるのを見たら、どうすると思う?」

 少し考える素振りをしてハーマイオニーが訊ねた。ハリーはハグリッドの小屋にいる時、扉から自分が飛び込んでくるのを想像し、すぐに自分がバカなことを口にしていたことに気付いた。

「僕――多分気が狂ったのかなって思う」

 ハリーはモゴモゴ答えた。

「でなければ、何か闇の魔術がかかってると思う――」
「そのとおりよ! 事情が理解出来ないでしょうし、自分自身を襲うことも有り得るわ! 分からないの? マクゴナガル先生が教えてくださったの。魔法使いが時間にちょっかいを出した時、どんなに恐ろしいことが起こったか……。何人もの魔法使いが、ミスを犯して、過去や未来の自分自身を殺してしまったのよ!」
「分かったよ! ちょっと思いついただけ。僕、ただ考えて――」

 これでは、カメラのことをハナに教えるのもダメだと言われるんだろうな、とハリーはそのことを口に出すのはやめておいた。あのカメラさえ吹き飛ばされなければ、今ごろはシリウスの無罪が証明されていたかもしれないのに――ハリーが考えていると、ハーマイオニーがハリーを小突いて城の方を指差した。見れば、正面玄関の方からダンブルドア、ファッジ、危険生物処理委員会の老魔法使い、それに死刑執行人のマクネアが石段を下りてきている。ハーマイオニーが声を潜めて言った。

「まもなく“私達”が出てくるわよ!」

 本当にまもなくして、鷲が甲高い声で鳴きながら舞い上がり、小屋の屋根の上をぐるぐる回り始めたかと思うと、裏口が開き、「ハリー達」とハグリッドがかぼちゃ畑に姿を現した。鷲は「ハリー達」が出てくると鳴くのをやめ、屋根の上に止まると下を覗き込んで「ハリー達」を見守っている。ハリーは奇妙な気分になりながらその様子を眺めた。

「大丈夫だ、ビーキー。大丈夫だぞ……」

 ハグリッドが、不安げにしているバックビークに話しかけ、それから「ハリー達」に向かってもうこの場から離れるよう言った。しかし、3人はなかなか動こうとはしなかった。

「ハグリッド、そんなこと出来ないよ――」
「僕達、本当は何があったのか、あの連中に話すよ――」
「バックビークを殺すなんて、ダメよ――」

 ハリーはまだ行かないのだろうかとヤキモキしながらその様子を見つめた。すると、「ハリー達」を急かすように鷲がひと鳴きして、いよいよダンブルドア達がすぐそばまで近付いてきているのを知らせた。

「行け!」

 ハグリッドが強い口調で言った。

「お前さん達が面倒なことになったら、ますます困る!」

 とうとう観念して、「ハーマイオニー」が「ハリーとロン」に透明マントを被せると、「3人」の姿は瞬く間に見えなくなった。すると、ハグリッドの小屋の扉が叩く音がして、死刑執行人の一行が到着したことを知らせた。

「急ぐんだ。聞くんじゃねぇぞ……」

 ハグリッドは見えなくなった「ハリー達」にそう言うと一度だけ振り返ってから、小屋の中へと入っていった。動揺しているからか、それとも別の意図があるのか、裏口は半開きになったままだった。ハリーが先程まで「自分達」がいたところを見てみると、小屋の周りの芝生がところどころ踏みつけられるのが見え、3組の足音が遠のいていくのが聞こえた。しかし、「ハリー達」がいなくなったというのにハナはいつまで経ってもその場から離れようとしなかった。動いたとしても屋根の上からちょっとそばにある木の枝に移っただけだ。

「ハナはどうして動かないんだろう?」

 ハリーが声を潜めて言った。小屋の中に入ったらしいマクネアが「獣はどこだ?」と言うのが聞こえている。ハグリッドが外にいると掠れ声で答えると、マクネアの顔がハグリッドの小屋の窓から覗き、バックビークをじっと見たのが分かった。ハリーとハーマイオニーが頭を引っ込めながら上を見てみると、ハナは未だに動くことなく木の枝の上からじーっとその様子をうかがっていた。

「このままじゃ、僕達バックビークを連れて行けないよ」

 死刑執行人一行もそうだが、ハナがいてはバックビークを連れ出すに連れ出せなくなってしまう。まだだろうか――ハリーはハナの様子をもっとよく見ようと身じろぎした。カサリと草叢が動き、次の瞬間、ハナがくるりとこちらを振り返ったかと思うと、ハリーはハーマイオニーに思いっきり頭を押さえつけられていた。ハーマイオニーを見れば「何やってるのよ!」とでもいいだけな顔でハリーを睨んでいた。すると、離れたところで茂みがガサガサ動き、そして、

「ハナ、こっちだ」

 突然セドリックの声がして、ハリーもハーマイオニーも息を呑んだ。先程まで確かに誰もいなかったはずの茂みの陰にセドリックが隠れていたのだ。急いで来たのか、息が弾み、汗をかいている。ハナは驚いたように目を丸くして、それからセドリックの方へとスーッと飛んでいった。ポンッとハナが元に戻る音が聞こえ、すぐにコソコソと話をする声が聞こえたがあまりにも小さな声で何と言っているのかまではハリーには分からなかった。それよりも小屋から聞こえてくるファッジの声の方がハリーにはよく聞こえた。

「ハグリッド、我々は――その――死刑執行の正式な通知を読みあげねばならん。短くすますつもりだ」

 ハリーはハナとセドリックから小屋の方へと視線を移した。マクネアは早く処刑したいとばかりに未だ、窓からバックビークの姿を見ていた。

「それから君とマクネアが書類にサインする。マクネア、君も聞くことになっている。それが手続きだ――」

 まもなくして、セドリックに連れられてハナが大急ぎでどこかに連れて行かれたのも束の間、マクネアの顔が窓から消えた。今だ――ハリーは思った。バックビークを連れ出すなら、ハナもどこかに行き、マクネアも見ていない今しかない。

「ここで待ってて」

 ハリーはハーマイオニーに囁いた。

「僕がやる」

 再びファッジの声が聞こえてきたのを合図にハリーは木陰から飛び出し、かぼちゃ畑の柵を飛び越え、バックビークに近付いたのだった。