The ghost of Ravenclaw - 234

26. 逆転時計タイムターナー



 シリウスが8階へと運ばれてからしばらくして、マクゴナガル先生とスプラウト先生、それに担架に載せられたハリー、ロン、ハーマイオニー、スネイプ先生が正面玄関から玄関ホールに入ってきた。その最後尾を怪我をしてボロボロになった「私」が俯いたまま歩いている。先頭を行くマクゴナガル先生とスプラウト先生が何か小声で話をしていたが、何を話しているのかはよく分からなかった。ただ、先生達は時々後ろを振り返っては、「私」がきちんとついて来ているか確かめた。

 一行は玄関ホールを横切り、医務室がある方へと進んだ。やがて、もう十分に距離が開いたと思うところで、背中がトントンと叩かれるのを感じて、私はセドリックと共にそろりそろりと一行のあとを追いかけて抜き足差し足ついて行った。医務室に辿り着くと、すっかり準備を整えたマダム・ポンフリーが出迎えて、マクゴナガル先生とスプラウト先生と話しながら医務室の中に入っていった。

「シリウス・ブラックが――吸魂鬼ディメンターを――今、8階に――」

 マクゴナガル先生の声が途切れ途切れに聞こえ、扉がバタンと閉まるのと同時に途絶えた。私は秋学期の初めにマルフォイの様子をうかがっていた時に隠れていた石像の陰にセドリックと隠れ、耳をそばだてたが、扉が閉まっていては中でどんな話をしているのか聞こえてはこなかった。確かあの時は、先生達が経緯を話したあと一度退出したはずだ。そのあと、マクゴナガル先生はファッジ大臣と共にこの廊下を通りかかる――。

「もう少ししたら、先生達が医務室から出ていくわ」

 声を潜めて、私は言った。隣では、同じように石像の影に隠れながらセドリックが様子をうかがっているのが、なんとなく感じられた。

「それからしばらくして、マクゴナガル先生がファッジ大臣とここを通りかかるわ。そのあとダンブルドア先生が医務室に来て、みんな出ていくようにと仰る――その時、マクゴナガル先生が医務室の扉を開けてファッジ大臣が出てくるのを待つ時間があるの。私が医務室に戻るのなら、そこね。マクゴナガル先生とスプラウト先生が退室したあとでもいいけれど、ちょっと早すぎるわ」
「うん、ダンブルドア先生が来るまで待った方がいいと思う。早く医務室に入り過ぎると、問題が起こるかもしれない――ハリー達の方は大丈夫かな」
「ええ、きっと。今までだって彼らは力を合わせて困難を乗り越えて来たんだもの。今回だって、上手くやるわ」

 マクゴナガル先生とスプラウト先生が医務室から出てきたのは、それからすぐのことだった。2人はどうやら8階へと向かうようで、私達が潜んでいるなんてことに気付くことなく、小声で話をしながら足早に目の前を通り過ぎていく。余程急いでいるのか、医務室の扉は完全に閉めきれておらず、半開きになっていた。中からは微かにマダム・ポンフリーの足音と何やら話す声が聞こえていたが、はっきりとは分からなかった。

 これからマクゴナガル先生がファッジ大臣と共に戻ってくるまでには、少し時間がかかるだろう。私はフーッと息をついて壁にもたれかかった。少しでもシリウスの無罪を信じて貰える確率が上がるように行動してきたつもりだけれど、果たしてすべて上手くいくのか流石に分かるはずもなく、どうにも落ち着かない心地がした。目覚めたスネイプ先生はカメラに気付いてくれるだろうか。ファッジ大臣はそれを信じてくれるだろうか――。

 そのまましばらくの間、私もセドリックも何も話さず石像の影に隠れたままゆるゆると時間だけが過ぎた。やがて、廊下の向こう側から誰かの足音が2人分聞こえてきたかと思うと、角を曲がってきたマクゴナガル先生とファッジ大臣が暗い廊下に姿を現した。ファッジ大臣がブツブツ話している。ダンブルドア先生が来るまでもうすぐだ――私はいつでも物陰から出られるよう体勢を整えた。

「言語道断……あろうことか……誰も死ななかったのは奇跡だ……こんなことは前代未聞……ハナ嬢がいなければ今ごろどうなっていたか……」
「大臣はミズマチが錯乱の呪文にかかっているとお思いですか? わたくしがあの場に行った時にはそうは見えませんでした」
「あの場にいなかった君は知らないだろうがね、ミネルバ。あれは錯乱の呪文に違いない――ハナ嬢は、私を見るなりブラックの無罪を訴えたんだ。今夜、全員の命が助かったのもブラックのお陰だ、とね。そんなことあるはずがない。ピーター・ペティグリューの写真を撮った、とも言っていた」
「ピーター・ペティグリューの写真を? まさか」
「驚くのも無理はない――あの発言は間違いなく、錯乱の呪文の影響だろう。ハナ嬢はカメラすら持っていなかったようだからね」
「しかし、ミズマチはあの怪我でどうやって気を失っている3人を湖から暴れ柳まで連れて来たのか――確かにミズマチは非常に勤勉で優秀な子ではありますが」
「私としてもそこが謎でね。呪文の影響でブラックをなんとしてでも助けなければという意思が働いたのかもしれない――校長室でダンブルドアと話している最中に窓から吸魂鬼ディメンターの大群が見え、何事かと大急ぎで外に出ると、暴れ柳の側にハナ嬢がいたわけだ……」

 それから2人の会話が途切れたかと思うと、今度は半開きになったままの医務室の扉の向こうから、マダム・ポンフリーの話し声が聞こえてきて私は耳を澄ました。どうやらハリーとハーマイオニーが目を覚ましたらしい。マダム・ポンフリーのキビキビとした声が微かに聞こえ、そして、

「「えーっ!」」

 ハリーとハーマイオニーの大声が響き渡った。すぐ近くまで来ていたマクゴナガル先生とファッジ大臣はその声を聞くなり、目をまん丸にして顔を見合わせると慌てた様子で医務室の中に勢いよく飛び込んだ。先生と大臣が医務室に飛び込んだ影響で半開きの扉が全開になり、一瞬中の声がはっきりと聞こえてきたけれど、マクゴナガル先生が今度はきっちり扉を閉めて、声はすぐになんと言っているのか聞こえなくなった。

「ハリー、ハリー、何事だね? 寝てないといけないよ――ハリーにチョコレートをやったのかね?」
「大臣、聞いてください! シリウス ・ブラックは無実です! ピーター・ぺティグリューは自分が死んだと――」

 しかし、すべてではないにしろところどころで、何と話しているのか聞くことが出来た。ハリーもハーマイオニーも必死のあまり大声だったし、それを宥めるファッジ大臣の声も大きかったので、扉が閉まっていても廊下に漏れ聞こえていたのだ。今も、ハリーがあまりにも叫ぶので、マダム・ポンフリーがマクゴナガル先生とファッジ大臣を医務室から追い出そうとカンカンになって怒鳴っている声が聞こえている。

「大臣! 先生! 2人共出ていってください。ポッターは私の患者です。患者を興奮させてはなりません!」

 すると、廊下の向こうからまた誰かが歩いてくる足音が聞こえ、私は医務室からそちらに視線を移した。見れば、ダンブルドア先生がゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきている。ダンブルドア先生は、医務室の扉の前までやってくるとなんだか興味深そうに私とセドリックが隠れている石像の方に視線を寄越し、それから一度だけ頷くと扉を開けて中へ入っていった。マダム・ポンフリーが新たな敵が現れたとばかりに叫んでいる声が扉の隙間から廊下まで届いた(「なんてことでしょう! 医務室を一体何だと思っているんですか?」)。

 それからまた、ハリー達が必死になって訴える声が微かに聞こえたかと思うと、いよいよマクゴナガル先生が扉を開けて医務室から姿を現した。扉を開けたままにして、ファッジ大臣が出てくるのを待っている。今だ――私は、隣にいるセドリックの腕の辺りを一度だけぎゅっと握り締めると、石像の陰から飛び出してマクゴナガル先生の脇をすり抜け、医務室の中に入った。ファッジ大臣が私と入れ違いになって、医務室から出ていく。

吸魂鬼ディメンターがそろそろ着いたころだ。迎えに出なければ。ダンブルドア、上の階でお目にかかろう」

 扉が静かに閉まり、マクゴナガル先生とファッジ大臣の足音が遠ざかっていくと、ハリーとハーマイオニーが堰を切ったように話し出した。私は2人の話を聞きながら、そっと自分のベッドの方に近付いていった。衝立の陰に隠れ、中の様子を窺ってみると、「私」はそろりとベッドから抜け出して窓の方へと近づいているところだった。

「先生、ブラックの言っていることは本当です――僕達、本当にペティグリューを見たんです――」
「――ペティグリューは、シリウスが狼に変身したルーピンと戦っている隙に逃げたんです」
「ペティグリューはネズミです――」
「ペティグリューの前脚の鉤爪、じゃなかった、指、それ、自分で切ったんです――」
「ペティグリューがロンとスネイプを襲ったんです。スネイプじゃありません――」
「ハナがペティグリューの写真を撮りました! けど、ペティグリューがそれを遠くに吹き飛ばしたんです――」

 話を聞きながら「私」がそろりと窓を開け、窓枠に足をかけた。私は「私」が窓から飛び降りるのを待った。もう少ししたら窓下にいるセドリックに気付くだろう。

「今度は君達全員・・・・が聞く番じゃ。頼むから、わしの言うことを途中で遮らんでくれ。なにしろ時間がないのじゃ。ブラックの言っていることを証明するものは何ひとつない。君達の証言だけじゃ――13歳の魔法使いが3人、何を言おうと、誰も納得はせん。あの通りには、シリウスがぺティグリューを殺したと証言する目撃者が、いっぱいいたのじゃ。わし自身、魔法省に、シリウスがポッター家の秘密の守人だったと証言した」
「ルーピン先生が話してくださいます。スネイプも――」
「ルーピン先生は今は森の奥深くにいて、誰にも何も話すことが出来ん。再び人間に戻るころにはもう遅すぎるじゃろう。シリウスは死よりも惨い状態になっておろう。更に言うておくが、狼人間は、我々の仲間うちでは信用されておらんからの。狼人間が支持したところでほとんど役には立たんじゃろう――それに、ルーピンとシリウスは旧知の仲でもある――スネイプ先生とて同じじゃ。今は呪いを受けて気を失っておる。目覚めるころにはすべてが終わっておろう」
「でも――」
「よくお聞き、ハリー。もう遅すぎる。分かるかの? シリウスは無実の人間らしい振舞いをしなかった。太った婦人レディを襲った――グリフィンドールにナイフを持って押し入った――生きていても死んでいても、とにかくぺティグリューが生きていると証明出来なければ、シリウスに対する判決を覆すのは無理というものじゃ」
「でも、ダンブルドア先生は、僕達を信じてくださってます」
「その通りじゃ――しかし、わしは、他の人間に真実を悟らせる力はないし、魔法大臣の判決を覆すことも……」

 そこで一旦、ダンブルドア先生の言葉が途切れた。「私」は窓枠の上に乗ろうと身を乗り出している。すると、「私」が驚いたように口許を手で覆うのが見えた。窓の下にいるセドリックを見つけたらしい。あとは「私」が窓から出ていき、その場を離れるのを待って、入れ替わるだけだ。それで私はずっと医務室にいたことになる――。

「さあ、よく聞くのじゃ。シリウスは、8階のフリットウィック先生の事務室に閉じ込められておる。西塔の右から13番目の窓じゃ。首尾よく運べば、君達は、今夜、1つといわずもっと、罪なきものの命を救うことが出来るじゃろう。ただし、全員・・、忘れるでないぞ。見られてはならん。ミス・グレンジャー、規則は知っておろうな――どんな危険を冒すのか、君は知っておろう……誰にも――見られては――ならんぞ」

 「私」が窓枠によじ登った。セドリックに下に短パンを履いているから大丈夫だとアピールしている。私はその様子を背後から見つめながら、もう少し恥じらいを持つべきだった、と反省した。いや、あの時はそんなことで恥ずかしがっている場合ではなかったのだ。そうしている間にダンブルドア先生が医務室の出口に向かって歩き出し、「私」が振り返った。ダンブルドア先生がこちらを見てゆっくりと瞬きをした。

君達全員・・・・、閉じ込めておこう。今は――真夜中5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」

 「私」はダンブルドア先生の方を頷き返すととうとう窓から飛び降りた。私は素早く衝立の隙間から中に忍び込み、窓辺に近付くと、耳をそばだてた。ハリーとハーマイオニーが話している声と共に、開いた窓の隙間から微かにセドリックの話し声がした。

「話は聞いたよ――急ごう」

 まもなくして、足音が2つ、急速にその場を離れていくのを確かめると、私は窓をそっと閉めて目くらまし術を解いた。すると、ハリーとハーマイオニーの気配が消え、直後に医務室の入口からバタバタと足音が2つ、駆け込んできた。駆け込んできた足音の主達は、衝立の隙間から私と目が合うと、目が飛び出るほど大きく見開いた。

 ハリーとハーマイオニーは、どうやら私まで時を遡っていたなどとは思っていないらしかった。出ていったばかりの私がまだ医務室にいるので驚いているのだろう。私が悪戯っぽく笑ってウインクしながら、空っぽのベッドを指差して戻るよう促すと、2人はハッとしたようにベッドに駆け込み、それから数秒後、背後でカチャッと鍵がかかる音がした。