The ghost of Ravenclaw - 232

26. 逆転時計タイムターナー



 暴れ柳の根元にあるウロからクルックシャンクスが姿を見せたのは、私達が城の外壁の窪みに隠れてから1時間半近く経ってからだった。ウロから飛び出てきたクルックシャンクスが素早い動きでコブに触り柳の動きを止めると、まずはスネイプ先生が息も絶え絶えといった様子で出てきた。リーマスが迫ってきているのでかなり急いだに違いない。遠目から見ても明らかにスネイプ先生は汗だくだった。

 スネイプ先生の次に出てきたのは手錠で繋がれているペティグリューだ。ペティグリューはヒーヒー泣きながらウロからなんとか這い出てきて、スネイプ先生がそれをやや乱暴に引っ張り上げた。ペティグリューのあとにはロン、ハリーと続き、ハリーは自分がウロから這い出ると屈み込んで手を差し出し、ハーマイオニーが出てくるのを手助けした。

「いよいよだわ――」

 私は杖を握り締めながら囁いた。暴れ柳のウロから全員が這い出てきたことを確かめたスネイプ先生は、またペティグリューを無理矢理引っ張り、城に向かって大股で歩いている。スネイプ先生がペティグリューを引っ張るので、ペティグリューと手錠で繋がっているロンも半ば引っ張られるようにして続き、そのあとをハリーとハーマイオニーが急いで追った。

 一行は全速力で暴れ柳から走り去り、もう十分離れたというところで、全員崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込んだ。誰も彼もが限界の様子で、肩を大きく上下させ、ゼイゼイいって、動くことすらままならない。唯一余裕な様子のクルックシャンクスは、みんなが暴れ柳の樹下から出るのを確認すると、サッと一行を追いかけ、ハーマイオニーのそばに立ち、じっと暴れ柳を見つめていた。

 今ここでペティグリューを攻撃出来たらどんなにいいだろう。全身金縛りの呪文をかけて動けなくさせてもいいかもしれない――けれど、そうは思えど、私はそうすることが出来ないのだ。起こってしまったことを変えることはしてはいけない。それは、逆転時計タイムターナーを使う上で絶対に守らなければならないことだ。それに、私が約束事を破ればセドリックに迷惑がかかってしまう。グッと歯を食い縛り、私はその時を待った。

 まもなくして、鷲に変身した「私」が暴れ柳のウロから飛び出してきた。私は暴れ回る柳の太枝を掻い潜り、辺りをぐるりと見渡したかと思うと、一直線にハリー達の下に飛んでいって、空中で変身解いた。それから――これは自分でもどうやったのかまったく分からないのだけれど――ひらりと回転しながら杖を引き抜いて、ハリー達を背にして地面に着地した。

「シリウスとリーマスが出てくるわ。備えて! 人間の匂いが強くて抑えられなかったの――」

 「私」が叫んだ。腕や額からダラダラととめどなく血が流れていて傍から見ているとかなり痛々しい。セドリックが隣で小さく呻いたのが耳に届いたけれど、今は何かを話す余裕はなかった。もうまもなく、ペティグリューによってカメラが吹き飛ばされるのだ。その瞬間を見逃すわけにはいかなかった。

 私はじっとペティグリューを見つめた。シリウスとリーマスが暴れ柳から出てきて、ペティグリュー以外の全員が2人の戦いに釘付けになっている。そのことに気付いたペティグリューは、スネイプ先生のローブを見遣った。ここからでははっきりとは見えないけれど、どうやらそこに杖があることを分かっているらしい。ペティグリューは周りを気にしながら手錠で繋がれた腕を少しずつ上げていき、やがて、一気にスネイプ先生の杖に飛びついた。

 スネイプ先生の罵声が上がり、ロンがペティグリューに引き摺られて悲鳴を上げた。そして、続け様にバンバンと音が鳴って光が炸裂したかと思うと、ロンとスネイプ先生が倒れたまま動かなくなった。そして、

「ペティグリュー!」

 「私」が叫んで杖を向けようとした瞬間、素早く「私」の方に――というよりはカメラを狙って――ペティグリューが呪文を放った。「私」は真横に飛び退いて呪文を回避したけれど、首のスレスレを閃光が走って、カメラのストラップが切れた。私は杖を構えた。カメラは空中に放り出され、ペティグリューが卑下た笑みを浮かべてカメラに杖を向けた。

 爆発音が響き渡った瞬間、私は素早く杖を振った。隣ではいつでも飛び出してカメラをキャッチ出来るよう、セドリックが身構えるのが何となく感じられたが、次の瞬間、カメラがこちらに勢いよく飛んできて、私は呆然とした。カメラは私に激突する寸前だったけれど、セドリックがキャッチしたのか、空中で静止した。向こうの方では、ハリーが武装解除呪文を叫ぶ声と「私」の罵声が聞こえている(「この――卑怯者!!」)。

「カメラが戻ってきた……」

 私は驚きながら呟いた。

「確かにさっきは呼び寄せ呪文は効かなかったのに」
「誰かが意図的に君の手に渡らないようにした、とか?」

 隣でセドリックが何やら考え込んでいるような素振りで言った。けれども相変わらず目くらまし術をかけたままなので、セドリックが本当に考え込んでいるのかは定かではなかった。空中にはぷかぷかとカメラだけが不気味に浮いている。

「それって――うーん――つまり、私達がすぐに“私”の手に渡らないようにしたってことかしら?」
「うん、そうとしか考えられない。だって、カメラは今こうして手元にあるわけだし」
「シリウスだけでなく、バックビークも助けるためには私達4人が過去に戻る必要があるから敢えてそうしたってことかしら……バックビークを助ける時には、そこに誰もいるはずがない状況を作り出さなきゃいけないわけだし……」
「でも、かなり回りくどい気もするな。だって、君なら上手くバックビークを助けられるはずだ」
「それは、買い被りすぎよ。だって、私じゃ失敗するからこうなってるはずだもの」
「そうかな。君なら必ずやり遂げると思うけど」

 セドリックがきっぱりとした口調で言った。

「君がバックビークを助けたら、こんなややこしいことにはならないはずだ。医務室でカメラを呼び寄せ、それをすぐにファッジかダンブルドア先生に渡せば、シリウスの刑の執行だって一旦止められるはずなんだ。でも、ダンブルドア先生はそうはしなかった――」
「そもそも、ファッジ大臣にカメラを渡したらシリウスの刑の執行は一旦止められるって思ってる私達の考えが甘いのかしら」
「どういうことだい?」
「だって、魔法省はとにかく汚名を返上したいと思っているでしょう? 特にファッジ大臣は散々予言者新聞でこき下ろされたからすぐにでも刑を執行してシリウスに裁きを下したことを発表し、これ以上の恥の上塗りは防ぎたいと思ってるはず……」

 私は窪みから顔を出し、ハリー達の様子を窺いながら言った。遠くで狼の遠吠えが聞こえ、リーマスがその声に導かれるようにして森に向かって走り去っていった。すかさず、ハリーがシリウスにペティグリューが逃げたことを伝える声がする(「シリウス、あいつが逃げた。ペティグリューが変身した!」)。

「そして、ファッジ大臣は私が錯乱の呪文にかかっていると思い込んでるわ」

 顔を引っ込めると私は続けた。

「私は校庭でファッジ大臣達に発見された時、すぐにカメラを渡さなかったわ。だって、手元になかったんだもの。ファッジ大臣はカメラが手元にないのに写真を撮っただのと喚くから、私が錯乱していて、シリウスを助けようとするためのデマカセを言っているんだと考えたはず――そこに私があとからやっぱりカメラがありましたって持って行ったらどうなると思う?」
「ファッジは君がかなり錯乱状態で証拠をでっち上げたと考えて相手にしない――?」
「そう……きっとそうだわ。ダンブルドア先生はそうなることを危惧したんじゃないかしら。だからこんなややこしい方法で全員を助けようとしているのよ。そして、私達ならそれをやり遂げられるって信じてくださってる」

 シリウスを一旦逃すということは、実はかなり有効な手段なのではないだろうか。私達はシリウスが逃げている間に写真を現像することだって可能だし、スネイプ先生だって目覚めるだろう。そうなれば、今度こそファッジ大臣はペティグリュー生存説を無視出来なくなる。シリウスにすぐに刑を執行しようなどというバカな真似は限りなく不可能になる――時間が必要なのは何も私達だけではないのだ。

 その時、暗闇の向こうからキャンキャンと犬の鳴き声が聞こえてきて、私は顔を上げた。シリウスが吸魂鬼ディメンターに襲われているのだ。私は今にも飛び出してしまいたくなる衝動をグッと堪えた。何の策もなしに飛び出しては、過去の出来事に狂いが生じてしまう可能性がある。

 さて、これからどう行動するのが一番いいだろうか。私が考え込んでいると、ハリーとハーマイオニーが走り去り、この場には気を失ったロンとスネイプ先生、それにクルックシャンクスだけが残されたのだった。