The ghost of Ravenclaw - 231

26. 逆転時計タイムターナー



 3号温室の中に潜み、私はセドリックが戻ってくるのを待った。つい先程まで金色に輝いていた空は徐々に真っ赤に染まっていき、気が付けば、東の空から急速に闇夜が近付いていた。森の木々が時折ザワザワと騒めいて、なんだか薄気味悪い雰囲気が漂っている。セドリックが戻ってくるまでにはまだしばらくかかるだろう――私は温室の隅に座り込んで、ひっそりと息をついた。本当なら私もついて行きたかったけれど、自分に自分の姿を見られるわけにはいかないので、セドリックが戻ってくるまで温室で待っているしかないだろう。今は下手な行動は控えた方がいい。

 3時間前、一旦その場を離れた私がセドリックと共にハグリッドの小屋に戻ってきた時、確かにバックビークは逃げ果せたあとだった。なので、おそらく、ハリーとハーマイオニーはファッジ大臣やマクネアに気付かれることなく、バックビークをその場から連れ去ることが出来るはずだ。というわけで、バックビークの件について、私はほとんど心配していなかったが、問題は私の方だった。医務室で試した時、呼び寄せ呪文が効かなかったことが引っかかっていたのだ。果たして、カメラは取り戻せるだろうか。もし、取り戻せなければ、スネイプ先生の証言だけが頼りとなる――下手したら、シリウスは永遠に逃亡生活だ。そんなことさせるわけにはいかなかった。

「ハナ、上手くいったよ」

 セドリックが戻ってきたのは、空がすっかり暗くなってしばらくが過ぎたころだった。驚かさないためか、それとも3時間前の私と別れてからそのままだったのか――セドリックはもう既に目くらまし術を解いていた。森の中をかなり急いで移動したからだろう。戻ってきたセドリックは3時間前に私が見た時と同じように僅かに汗をかいている。

「ハリーとハーマイオニーは、バックビークを無事に連れ出せた――それから、ダンブルドア先生達が城に戻っていくのを確認したよ」
「ありがとう、セド。大変だったでしょう?」
「君に何も言わないでいるのがとにかく大変だったな。君がどんな状態で戻ってくるかと考えると、つい教えてしまいたくなって……」

 セドリックは私の隣に腰を下ろすと、なんだか複雑そうな表情をしてそう漏らした。あの時、セドリックが何か言いたいことを我慢しているように見えていたけれど、あれはこういうことだったのだ。ペティグリューが逃げることやシリウスが捕まってしまうこと、それに、カメラがどこかに行ってしまうこともセドリックは知っていて、言いたいのを耐えていたに違いない。

 あの時、もしセドリックが私に未来を話していたら、ペティグリューは逃げなかったかもしれないし、カメラも奪われなかったかもしれない。けれども、それを知ってしまったばかりに未来が狂い、ハリーとハーマイオニーがバックビークを助ける未来はやってこなかったかもしれない。ペティグリューが逃げず、シリウスの無罪が初めから晴れていたら、私達が過去に戻る必要などないからだ。もちろんその場合、セドリックが私を連れ出すこともないから、当初の予定通り私がバックビークを連れ出すのことになるだろうけれど、そこに成功の保証は一切なかった。ファッジ大臣やマクネアに見つかり、すべての計画が台無しになっていた可能性だってあるのだ。

「今夜、バックビークが処刑から免れることが出来るのは、ハリー達はもちろん、貴方がいてくれたからこそだわ」

 私は確信を持ってきっぱりとそう言った。

「貴方は結果的に正しいことをしたのよ。そして、私達はこうすることが最善だったと証明してみせなくちゃ」
「うん。そのためにもカメラを取り戻そう。カメラがあれば、流石にファッジも現像した写真を確認せざるを得ないからね」
「少し休んだら、暴れ柳が見える位置に移動しましょう。戻ってきたばかりで疲れたでしょう?」
「ありがとう。じゃあ、5分経ったら移動しよう」

 温室できっかり5分休憩すると、私達は静かにその場を離れ、暴れ柳の方へと向かった。私達と同じように時を戻ってきたハリーとハーマイオニーが近くにいる可能性があるので、移動は慎重に慎重を重ね、物音を立てないようゆっくりだ。もちろん目くらまし術をかけるのも忘れない。私達は城に沿って進み、温室を出てから10分後、暴れ柳が見える位置に辿り着いた。暴れ柳の前は誰もおらず、しんと静まり返っている。

「ちょうどあっちの方向にカメラが飛んで行ったの」
「じゃあ、そこに隠れていた方がいいかもしれないな」
「ええ――行きましょう」

 ヒソヒソと言葉を交わし、私達はカメラが飛んでいった方へと足を進めた。少し進んだ先にちょうど2人分隠れられるだけの窪みが城の外壁にあるのを見つけ、私達はそこにすっぽり収まって隠れた。ここまで来れば目くらまし術を解いても大丈夫だろうか――チラリと顔を出してあたりを確認すると、誰かの歌声が聞こえてきて私は慌てて頭を引っ込めた。

「ハグリッドだ」

 左隣でセドリックが囁いた。様子をうかがってみると、確かにハグリッドが校庭を歩いているところだった。大きな瓶を持ち、上機嫌で歌を歌いながらフラフラと歩いている。ダンブルドア先生達が帰ったあと、1人で飲んでいたのだろう。ハグリッドはすっかりほろ酔いの千鳥足で城の方に向かって、やがて見えなくなった。

 それから更に2分後、今度は城から誰かが出てくる音がして、私とセドリックは外壁の窪みから顔を出した。目くらまし術はまだ解いておらず、顔を出しても私達の存在が誰かに見とめられることはなかった。

「スネイプ先生だわ――」
「目くらまし術をそのままにしておいて正解だったね」
「ええ。このままでいたほうがいいみたい」

 暴れ柳の方へ走ってきたスネイプ先生は、柳のそばで来ると一旦立ち止まり、辺りを見渡し始めた。まもなくして、スネイプ先生が何かを見つけたかと思うと、屈み込んでそれを拾い上げた――ハリーの透明マントだ。どうやらハリー達は暴れ柳のそばに落としていたらしい。あんなところに落ちているなんてまったく気付かなかった。私は目を瞬かせた。

「これで全員ね――あと1時間は出てこないと思うわ」

 暴れ柳の方を注視したまま私は言った。これからしばらくの間誰も出てこないとはいえ、油断は禁物だ。ペティグリューがカメラを吹き飛ばすところを決して見逃してはならない。

「このあとは何が起こるんだい? ペティグリューが逃げ出したり、カメラが吹き飛んでしまうことは君が話してくれたから分かるけど――」
「うーん、そうね……私達、叫びの屋敷から出るまではほとんど計画通りだった。シリウスの話や私の話も全部聞かせて、ペティグリューを呪文で強制的に元の姿に戻したの。ペティグリューが生きていると信じてもらうにはそうするしかなかった――それでハリー達がシリウスは無実だって信じてくれて、城まで連行することになったんだけど、トラブルが起こって……ダンブルドア先生がリーマスをなんて言っていたか、聞こえていた?」

 私はセドリックがどんな反応をするのか不安になって、段々声が尻窄みになっていくのが分かった。セドリックはあからさまな差別をするような人ではないけれど、それでも狼人間ともなればいい顔はしないだろう。

「うん、狼人間だったんだね」

 優しいトーンでセドリックが言った。私はセドリックがいる左隣をチラリと見遣ったが、目くらまし術をかけたままなので、セドリックがどんな顔をしているのかは見えないままだった。

「君とシリウスが動物もどきアニメーガスなのは、ルーピン先生が狼人間だから?」
「ええ、そうよ。狼人間が襲いたいと思うのは人間に対してだけだから、動物に変身すると満月の夜も一緒にいられるようになるの。私は、シリウスの手助けのためでもあったけれど……」
「去年の夏、君が僕の家に泊まりに来たのは、満月で家に1人になるからだね。夜、少し様子がおかしかった」
「ええ、その通りよ。でも、リーマスは本当にみんなが思うような狼人間じゃないの。彼は真っ当に生きようとしているし、心優しい素晴らしい人よ――人間を噛まないように満月の夜は必ず閉じこもるの。でも、それって想像を絶する辛さなんだと思うわ。噛むべき対象がいなくて、リーマスは自分で自分を傷付けるの。もちろん、ホグワーツにいる間、スネイプ先生が脱狼薬を作ってくださっていたから、満月の夜も正気でいられたけど……」
「ハナは怖くないかい?」
「リーマスが? まさか」

 私は間髪入れずに答えた。

「彼は私を噛みたいなんて思っていないし、私も満月の夜、彼が私を噛まなくて済むようにお互い気をつければいいだけよ。貴方は怖い?」
「正直、分からない――」

 セドリックは率直に語った。

「何の対策もないまま理性を失った狼人間と対峙するのはもちろん怖い。僕は動物もどきアニメーガスじゃないし、相手のことを考えてもそうするべきじゃない……けど、ルーピン先生自身が怖いかと言えば、そうじゃない。普段は温厚で優しい先生だって知ってるし、何より君がルーピン先生のことを信頼してる」
「私、貴方がそのうち悪い人に騙されないか心配だわ」
「僕が手放しに信用するのは君のことだけだよ」

 柔らかな声が耳に届いて、私はなんだか落ち着かない気分になって俯いた。肩が触れ合う距離にいるのも急に気になり出して、私は出来るだけ右側に寄ろうとしたが、窪みはちょうど2人分で、肩は触れ合ったままだった。私がソワソワし始めたのが伝わったのか、セドリックが微かに笑ったのがその空気感で分かった。

「ええっと、話を戻すわね――」

 左手が、セドリックの右手と触れ合いそうになって慌てて引っ込めると、私は続けた。目くらまし術で透明になっていなければ、今ごろ真っ赤になっていたかもしれない。私は年上、私は年上。落ち着くのよ――。

「実は今夜、リーマスが脱狼薬を飲み忘れたの。脱狼薬は満月までの1週間、毎日欠かさず飲まないと効果を発揮しなくて、ペティグリューを連行する際、私とリーマスは叫びの屋敷に残ることになったわ。万が一何かあれば、私が彼を止めることになってた。それで、急いでみんなが城に戻ることになって、それから少ししてリーマスの変身が始まって……普段閉じ籠って人間から隔離して過ごしてるのに、直前までたくさんの人が叫びの屋敷にいたでしょ? 匂いに我慢出来なかったのね……変身したリーマスが人間の匂いを辿って追いかけていってしまったの」
「君の怪我はその時に負ったものだったのかい?」
「ええ、そうよ。でも、私もリーマスの背中に思いっきり嘴突き刺してやったからお相子ね。ただ、リーマスの勢いを止めるのは凄く難しかったの。途中からシリウスが変わってくれて、その間になんとか全員校庭へ出て、それからまもなくしてシリウスとリーマスが出てきて――みんなが2人に注目している間にペティグリューが逃げたの。その時にスネイプ先生とロンに呪いを掛けて、カメラを吹き飛ばしたのよ。追いかけたけど、捕まえられなくて、そのあとは吸魂鬼ディメンターのことがあって――間一髪のところで牡鹿の守護霊が現れて無事でいられたけど、とても他のことをする状況じゃなかったの」
「カメラは呼び寄せ呪文が効かなかったって言ってたけど、心当たりはあるかい? 呼び寄せ呪文が効かないよう予め対策していたりとか」
「いいえ。私とシリウスがカメラに施したのは、保護魔法だけよ。壊れないようにしただけ。だから、呼び寄せ呪文は効くはずなの」
「でも、実際は効かなかった――」

 カメラは大破してさえいなければ、呼び寄せ呪文は効くはずなのに医務室で試した時、呼び寄せ呪文は何の効果も示さなかった。壊れないように魔法をかけたから確実に壊れてはいないはずなのに、だ。私が考え込んでいる隣では、セドリックもうーんと頭を捻らせている声が聞こえている。

「どちらにせよ、チャンスは一度きりだな」

 ややあって、セドリックが口を開いた。

「呼び寄せ呪文を試さない手はないから、ペティグリューがカメラを吹き飛ばす瞬間にハナがもう一度呼び寄せ呪文を使って、効かなかった時は僕が急いでカメラを回収しに行くのはどうだい? 動くものを捕まえるのは僕の方が得意だ」
「それが一番ね――そうしましょう」

 私達は頷き合って、再び暴れ柳の方をじっと見守った。月が雲の切れ目から現れては隠れを繰り返し、そして、雲が流れ月明かりが暴れ柳を照らし始めたかと思うと、ようやくその時はやってきたのだった。