The ghost of Ravenclaw - 230

26. 逆転時計タイムターナー



「話は聞いたよ――急ごう」

 私が医務室の窓から飛び降りたのは、真夜中5分前のことだった。窓下で待っていてくれたセドリックは、そんな私を難なく受け止めると、すぐさま私の手を引いて、その場から離れた。医務室の隣の部屋にはマダム・ポンフリーがいるし、その場で話を続けていると話し声を聞かれてしまうかもしれないからだ。

「いろいろ聞きたいことも話したいこともあるけど、とにかく時間がない」

 もう十分に医務室から離れたところで立ち止まると、セドリックが急き込みながらそう言って突然自分の襟元をゴソゴソ探り始めた。私はセドリックが何をしようとしているのか分からず、戸惑いながら言った。

「セド、私、早くカメラを探しに行かなくちゃいけないの。ペティグリューに吹き飛ばされてしまって、呼び寄せ呪文を使っても戻ってこなかったの」
「探すにも僕達には時間が必要だ。ダンブルドアが何をしたらいいのか教えてくれた――3回引っ繰り返そう」

 まもなくして、セドリックは制服のシャツの下から細長い金のネックレスチェーンを取り出した。鎖の先端には鎖と同じ金の輪っかが重なり合ったペンダントトップがついていて、中心には砂時計が嵌め込まれている。外環と中環に何やら文字が刻まれているが、セドリックが私の首にも鎖をかけたので、何と書いてあるのか読めずに終わった。1つのネックレスチェーンを2人で共有するのはなんだか変な感じだ。

「セド、これってなんなの?」
「すぐに分かるよ」

 宥めるようにそう言って、セドリックは砂時計を3回引っ繰り返した。途端、奇妙な感覚に囚われて、私は思わず目の前にあるセドリックのローブを掴んだ。なんだか進行方向とは逆向きで新幹線に乗っているような、変な感覚だ。周りの景色が溶けるように消えていき、みるみるうちに過ぎ去っていく。次第に耳もガンガンし始めて、もう止まって欲しいと思ったところで、地に足が着いたのを感じた。周りの景色もきちんと止まっている。

「な、何が起こったの――?」

 校庭の温室の側に私達は立っていた。先程まで満月が明るく差し込む真夜中だったというのに、外はすっかり明るくなり、どういうわけか西陽が射していて、禁じられた森の木々が金色に染まっている。私はわけが分からず、周りを見渡した。

「3時間前まで、時を戻ったんだ」

 丁寧にネックレスチェーンを私の首から外しながらセドリックが言った。

「時を戻った?」
「これは、逆転時計タイムターナーって魔法道具なんだ。時を戻るっていうのはとんでもなく危険だから普段はすべて魔法省が管理しているんだけど、僕が3年生の時、スプラウト先生が入手してくれた。授業をすべて受けたいっていう僕の希望を聞いてくれて、先生が魔法省に貸し出してくれるよう頼んでくれたんだ。僕は模範生で勉強以外には絶対これを使いませんって。授業が被ってる科目があった時、これで時を戻して授業を受けてた――ただ、慣れなくて最初のころは大変で――君が図書室のあの場所を教えてくれなかったら、とっくに根を上げてたかもしれないな。時間を戻るし、見られたらいけないしで頭が混乱するんだ」
「それで貴方、O.W.Lを12科目すべて受けられたのね? 12科目だなんてどうしているのかしらって思ってたの――それに――それに、ハーマイオニーを気遣っていたのは彼女の大変さが身に沁みて分かっていたから」

 ハーマイオニーもセドリックと同じように逆転時計タイムターナーを持っているに違いない。話しているうちにピンときて、私は言った。12科目すべて選択している自分が持っているのだ。同じように12科目すべて選択している後輩がそれを持っていることは容易に想像出来ただろう。それでセドリックは図書室の奥の席にハーマイオニーを呼んだらどうかと提案したり、ハーマイオニーに勉強のアドバイスをしたりしてくれていたのだ。

逆転時計タイムターナーは便利な反面、かなり神経を使うんだ。1人の人間が同時に2か所に存在していることを自分自身にも、他の誰かに見られてもいけない。過去に起こった出来事は何1つ、変えてはいけない――時間や歴史に干渉するということは、あらゆる危険性を孕んでいるんだ。過去には何人もの魔法族が時間に干渉し過ぎて、過去や未来の自分を殺してしまった」
「過去の自分は未来の自分が時を戻ってきたなんて知る由もないからね?」
「そう。だから、僕達は本当に誰にも見られずに行動する必要がある。正しくは、同時に2か所に存在していると知られずに、かな――でも、どうしてダンブルドアは3時間戻せと言ったのかが分からないな」

 セドリックが思案顔で言った。

「僕はずっと正面玄関のところにいて、全容が把握出来てないんだ。君以外の人達が気を失っていたことと、シリウスが捕まったということは分かったけど……」
「どうして、医務室の窓の下にいたの?」
「あんなにボロボロになって戻ってくるのを見たら、行かずにはいられないよ――そしたら、君が窓から顔を覗かせて、ダンブルドア先生の話が聞こえてきて……時間がないことが分かって、急いで言われた通りに3時間戻ってきたんだ」
「3時間前ならバックビークの処刑が始まる少し前ね」

 私はこれまでの出来事を振り返りながら答えた。

「ハリー達がちょうどハグリッドの小屋へ向かうところだと思うわ。ここからじっくりと待ち構えて、ペティグリューが吹き飛ばす瞬間を見逃さなければ、カメラを回収して医務室に戻ることも難しくはないと思うの。だって――これは屁理屈かもしれないけど――つまり、私はカメラが壊れているところも吹き飛んだあともどうなったのか分からないわけだし、吹き飛んだものを回収したって過去を変えてしまったってことにはならないわ」
「僕もダンブルドアが僕達にさせたいのは、それだ思う」

 セドリックが深く頷いて言った。

「そして、ハリーとハーマイオニーにさせたいのは、捕まってしまったシリウスを一時的に逃すことだ。僕達が過去に戻った時点で吸魂鬼ディメンターはもう城にやってくる寸前だったし、とにかく時間がないからね」
「ええ、悠長にカメラを取り戻すのを待ってたら刑が執行されてしまうかもしれないもの。シリウスの2度の逃亡は、アズカバン12年分でチャラしてもらいましょう。お釣りが欲しいくらいだけど」
「分からないのは、ダンブルドアが首尾よく運べば、僕達は今夜、1つといわずもっと、罪なきものの命を救うことが出来るって言ってたことなんだ。ダンブルドアは他に誰を助けさせたいんだろう? 唯一これかなって思うのはバックビークだけど、君が助けたし――」
「え?」

 セドリックの言葉に、私は思わず声を上げた。

「私、バックビークは助けてないわ」
「え?」

 今度はセドリックが驚いて声を上げた。

「ファッジ達が戻ってきた時、ヒッポグリフがどうして逃げたのかって話してるのが聞こえたから、てっきり無事に逃したんだと思ってたんだけど……違うのかい?」
「何言ってるの? 貴方、その時私とずっと一緒に――マズイわ、ハリー達よ。隠れましょう」

 城の方からハリーとハーマイオニーが走ってくるのが見えて、私達は急いでその場から離れた。すぐ近くにあった3号温室の入口の鍵を解錠呪文で開けると、温室の中に滑り込む。植物達の影に隠れて身を潜めると、ハリー達が温室のそばを通って迂回しながらハグリッドの小屋の方へと走り去るのを待った。

「それで、僕がずっと君と一緒にいたって話だけど――」

 ハリー達が通り過ぎてしばらくして、セドリックが口を開いた。

「僕はさっきも言ったように、ずっと正面玄関のそばにいたんだ。3人くらいの足音が正面玄関から出てきて、そのあとハリーとハーマイオニーが出てくるのを見た。何だか変だなと思いつつも、その時はまさか逆転時計タイムターナーを使っているなんて思いもしなくて、何かの勘違いだろうって合図を送ったけど……それからずっと同じ場所にいたんだ。ルーピン先生が出てきて、スネイプ先生が出てきて、ダンブルドア先生達が出てきて、君が戻ってくるまでずっと」

 どういうことだろう――私は思わず首を捻った。あの時、確かにセドリックが私の元にやってきた。バックビークを助ける手立てがあるけど、私がその場にいると不都合が起きるかもしれないから、助けている間、離れているようにって、ダンブルドア先生から話があったと言っていた。ダンブルドア先生はどうやってバックビークを助けたのだろう。私は先程ハリー達が走り去った方を見遣りながら考えた。そして、

「まさか」

 不意にピンときて私は呟いた。

「でも、そうとしか考えられないわ……セド、やっぱり貴方が私に会いに来たのよ」
「どういうことだい?」
「いい? 私は3時間前、バックビークを助けようと待ち構えているところを貴方に連れ出された。ダンブルドア先生から話があったって言ってたわ。バックビークを助ける手立てがあるけど、私がその場にいると不都合が起きるかもしれないから、助けている間、離れているようにって。それで、連れ出したの。そして、私の推測に間違いがないなら、さっき、その“手立て”が私達の前を通り過ぎた」
「ダンブルドアはシリウスがどこに閉じ込められているか詳しく話していた――バックビークさえいれば、そこに飛んで行くことは容易だし、シリウスはバックビークと共に逃げ出すことが出来る――1つといわず、罪なき命を救うことが出来る。過去に戻ったハリー達の姿を君が見るわけにはいかないから、僕が連れ出すんだ」
「間違いないわ」

 私達が頷き合ったその時、遠くから鷲の鳴き声がして、私はハッとした。あれは、ハリー達がスキャバーズを見つけて捕まえた時の合図だ。しかも、あの時、城の方からはダンブルドア先生達もやってきていたはずだ。時間がない――私は急いで杖を取り出すと、セドリックの頭のてっぺんを杖先で叩いた。セドリックの姿がみるみる周りの景色に溶け込んで消えていき、そして、

「時間がないわ。急いで、セド!」

 セドリックは温室から走り去っていった。