The ghost of Ravenclaw - 229

25. 失われた証拠

――Harry――



 医務室の扉が閉まり、マダム・ポンフリー、マクゴナガル先生、ファッジの3人が医務室から出て行くと、ダンブルドアがハリーとハーマイオニーに向き合った。ダンブルドアなら、きっと話を聞いてくれるに違いない。それに、ダンブルドアならきっと刑の執行を止めてくれるはずだ。ハリーとハーマイオニーは縋るような思いで、訴えた。

「先生、ブラックの言っていることは本当です――僕達、本当にペティグリューを見たんです――」
「――ペティグリューは、シリウスが狼に変身したルーピンと戦っている隙に逃げたんです」
「ペティグリューはネズミです――」
「ペティグリューの前脚の鉤爪、じゃなかった、指、それ、自分で切ったんです――」
「ペティグリューがロンとスネイプを襲ったんです。スネイプじゃありません――」
「ハナがペティグリューの写真を撮りました! けど、ペティグリューがそれを遠くに吹き飛ばしたんです――」

 二人がまるで堰を切ったように話していると、まもなく、ダンブルドアが手を上げて話を止めるようジェスチャーした。

「今度は君達全員・・・・が聞く番じゃ。頼むから、わしの言うことを途中で遮らんでくれ。なにしろ時間がないのじゃ」

 静かな口調で、ダンブルドアが言った。

「ブラックの言っていることを証明するものは何ひとつない。君達の証言だけじゃ――13歳の魔法使いが3人、何を言おうと、誰も納得はせん。あの通りには、シリウスがぺティグリューを殺したと証言する目撃者が、いっぱいいたのじゃ。わし自身、魔法省に、シリウスがポッター家の秘密の守人だったと証言した」
「ルーピン先生が話してくださいます。スネイプも――」

 どうしても我慢出来なくて、ハリーが口を挟んだ。

「ルーピン先生は今は森の奥深くにいて、誰にも何も話すことが出来ん。再び人間に戻るころにはもう遅すぎるじゃろう。シリウスは死よりも惨い状態になっておろう。更に言うておくが、狼人間は、我々の仲間うちでは信用されておらんからの。狼人間が支持したところでほとんど役には立たんじゃろう――それに、ルーピンとシリウスは旧知の仲でもある――スネイプ先生とて同じじゃ。今は呪いを受けて気を失っておる。目覚めるころにはすべてが終わっておろう」
「でも――」
「よくお聞き、ハリー。もう遅すぎる。分かるかの? シリウスは無実の人間らしい振舞いをしなかった。太った婦人レディを襲った――グリフィンドールにナイフを持って押し入った――生きていても死んでいても、とにかくぺティグリューが生きていると証明出来なければ、シリウスに対する判決を覆すのは無理というものじゃ」
「でも、ダンブルドア先生は、僕達を信じてくださってます」
「そのとおりじゃ――しかし、わしは、他の人間に真実を悟らせる力はないし、魔法大臣の判決を覆すことも……」

 ハリーはダンブルドアの深刻な表情を見上げて「ダンブルドアならなんとかしてくれる」という期待が脆くも崩れ去っていくのを感じた。ダンブルドアなら何でも解決出来ると、そう思い込んでいた。ハリーやハーマイオニーに思いつかないような解決策を出し、シリウスを助けてくれるだろうとそう信じていた……けど、違ったのだ。ハリーはショックで言葉も出ず、ただダンブルドアの言葉を待った。すると、

「必要なのは、時間じゃ」

 ダンブルドアがハリーから視線を移し、ハーマイオニーを見た。ハーマイオニーは最初、どうしたらいいのか分からないとでもいうように「でも――」と否定の言葉を口に仕掛けたが、すぐにハッとすると「あっ!」と声を上げた。ハリーはハーマイオニーが何に気付いたのかさっぱり分からず、ダンブルドアとハーマイオニーを交互に見た。

「さあ、よく聞くのじゃ――シリウスは、8階のフリットウィック先生の事務室に閉じ込められておる。西塔の右から13番目の窓じゃ。首尾よく運べば、君達は、今夜、1つといわずもっと、罪なきものの命を救うことが出来るじゃろう。ただし、全員・・、忘れるでないぞ。見られてはならん。ミス・グレンジャー、規則は知っておろうな――どんな危険を冒すのか、君は知っておろう……誰にも――見られては――ならんぞ」

 ダンブルドアはごく低い声で、けれどもはっきりと言った。ハリーとハーマイオニーにダンブルドアが何をさせようとしているのか、ハリーにはさっぱり分からず、戸惑ったままダンブルドアを見ていると、ダンブルドアは踵を返して医務室の出口に向かい、振り返ってゆっくりと瞬きをした。

君達全員・・・・、閉じ込めておこう」

 ダンブルドアは腕時計を見た。どこからともなく、夜風が吹き込み、ハナが寝ているベッドの周りにある衝立のカーテンが揺れた。

「今は――真夜中5分前じゃ。ミス・グレンジャー、3回引っくり返せばよいじゃろう。幸運を祈る」
「幸運を祈る?」

 なんだか軽いものが地面に落ちるような音とダンブルドアが医務室の扉を閉める音がしたのはほとんど同時だった。ハリーはやっぱりわけが分からず、ダンブルドアの言葉を繰り返したが、肝心のダンブルドアはもう廊下に出たあとで、その姿は見えない。

「3回引っ繰り返す? 一体、何のことだい? 僕達に、何をしろって言うんだい?」

 ハリーは医務室の扉からハーマイオニーに視線を移して訊ねた。しかし、ハーマイオニーは何やらローブの襟の辺りをゴソゴソ探っていて、ハリーの話は聞いていなかった。たったあれだけの説明で、ハーマイオニーには何をすべきか分かったということだろうか? 戸惑ったままハーマイオニーを見ていると、やがて、ハーマイオニーが首元からとても長くて細い金のネックレスチェーンを引っ張り出した。

「ハリー、こっちに来て」

 ハーマイオニーが急き込んで言った。

「早く!」

 言われるがままに、ハリーはハーマイオニーのそばに歩み寄った。ハーマイオニーがハリーの方へと突き出しているネックレスチェーンの先にはチェーンと同じ金色の円形のものがぶら下がっている。円形の何かは、いくつもの星型の穴が空いた丸い板の中心に小さなガラス製の砂時計がついていて、その丸い板を囲むように輪っかが2つついていた。外環と中環に何やら文字が刻まれている。ハリーはそれを読もうと目を凝らしたが、ハリーが外環の「I mark the――」まで読んだところで、ハーマイオニーがハリーの首にもチェーンをかけた。

「さあ――いいわね?」

 ハーマイオニーが息を詰めて言った。けれども、いいも何もハリーには未だに何をしようとしているのかまったく見当がついていなかった。

「僕達、何してるんだい?」

 ハリーが訊ねたが、ハーマイオニーは何も答えず、中心にある砂時計に触れた。どうやら砂時計は固定されておらず、くるくる回るらしい。ハリーが砂時計をじっと見ているとハーマイオニーが1回、2回、3回と引っ繰り返した。

 途端、暗い医務室が溶けるように消えていった。ハリーはなんだかとんでもないスピードで後ろ向きに飛んでいるような、世界が巻き戻されているような不思議な気分になった。ぼやけた色や形が、どんどん2人を追い越していき、耳がガンガン鳴った。叫ぼうとしても、ハリーの声はどこへ行ったのか、まったく聞こえなかった。

 やがて、固い地面に足が着くのを感じると、また周りの物がはっきりと見えるようになってきた。けれども、ハリー達がいるのは暗い医務室ではなかった。ここは、玄関ホールだ――ハリーは辺りを見渡した。誰もいない玄関ホールにハリーとハーマイオニーは立っていた。正面玄関の扉が開いていて、金色の太陽の光が、流れるようにホールの石畳の床に差し込んでいる。

「ハーマイオニー、これは――?」

 ハリーが訊ねると、ハーマイオニーはやっぱり何も答えず、ハリーの腕を掴んで引っ張った。

「こっちへ!」

 ハリーはハーマイオニーに腕を引っ張られながら玄関ホールを急ぎ足で横切り、掃除道具置き場の前までやって来た。すると、ハーマイオニーが大急ぎで掃除道具置き場の扉を開け、バケツやモップが置かれている中にハリーを押し込み、自分も体を滑り込ませると扉を閉めた。

「何が――どうして――ハーマイオニー、一体何が起こったんだい?」
「時間を逆戻りさせたの。3時間前まで……」

 真っ暗な中でハリーの首からネックレスチェーンを外しながらハーマイオニーが小声で言って、ハリーは自分の足を思いっきり抓った。相当痛い。ということは摩訶不思議な夢を見ているというわけではないらしい。しかし、時間を逆戻りさせる道具なんてどこで手に入れたのだろう? ハリーが質問しようと口を開きかけると、ハーマイオニーが「シッ!」とそれを制した。

「誰か来るわ!」

 ハーマイオニーが掃除道具置き場の扉にピッタリ耳を押しつけながら言った。

「多分――多分私達よ! 玄関ホールを横切る足音だわ……そう、多分私達がハグリッドの小屋に行くところよ!」
「つまり、僕達この中にいて、しかも外にも僕たちがいるってこと?」

 混乱しそうになりながらハリーが訊ねた。ハーマイオニーの耳はまだ扉に張りついている。

「そうよ。絶対私達だわ……あの足音は多くても3人だもの……それに、私達、透明マントを被ってるから、ゆっくり歩いているし――」

 ハリーはハーマイオニーの話を聞きながら、3時間前のことを思い出していた。あの時、ハリー達は最後の2人組が急いで玄関ホールを横切る足音を聞いたあと、ハグリッドの小屋へ向かった。そして、今しがた、ハリーとハーマイオニーは3時間前まで巻き戻り、玄関ホールを急いで横切った。つまり、あの時聞いた足音はハリーとハーマイオニーの足音だったのだ。

「私達、正面の石段を下りたわ……」

 自分達の足音が遠ざかって行くと、ハーマイオニーは逆さまになったバケツに腰掛けた。未だに分からないことだらけのハリーがすかさず訊ねた。

「その砂時計みたいなもの、どこで手に入れたの?」
「これ、逆転時計タイムターナーっていうの」

 砂時計を持ち上げてハーマイオニーが小声で答えた。

「これ、今学年の始め、学校に戻ってきた日に、マクゴナガル先生にいただいたの。授業を全部受けるのに、今年度中、ずっとこれを使っていたわ。誰にも言わないって、マクゴナガル先生と固く約束したの。先生は魔法省にありとあらゆる手紙を書いて、私に1個入手してくださったの。私が模範生だから、勉強以外には絶対これを使いませんって、先生は魔法省に、そう言わなければならなかったわ……。私、これを逆転させて、時間を戻していたのよ。だから、同時にいくつもの授業を受けられたの。分かった? でも……」

 ハーマイオニーはそこで言葉を切った。なんだか緊張してピリピリしているようでもあり、不安がっているようでもあった。

「ハリー、ダンブルドアが私達に何をさせたいのか、私、分からないわ。どうして3時間戻せっておっしゃったのかしら? それがどうしてシリウスを救うことになるのかしら?」
「ダンブルドアが変えたいと思っている何かが、この時間帯に起こったに違いない――何が起こったかな? 僕達3時間前に、ハグリッドのところへ向かっていた……」
「今が、その3時間前よ。私達、確かにハグリッドのところに向かっているわ。たった今、私達がここを出ていく音を聞いた……」

 ハリーはダンブルドアが話したことを思い出しながら思案した。3時間前、ハリー達はハグリッドの小屋に向かった。バックビークの処刑が決まって、ハグリッドのそばにいようと会いに行った――。

「ダンブルドアが言った……僕達、1つといわずもっと、罪なき命を救うことが出来るって……」

 そして、ハリーはハッと気がついた。

「ハーマイオニー、僕達、バックビークを救うんだ!」
「でも――それがどうしてシリウスを救うことになるの?」
「ダンブルドアが――窓がどこにあるか、今教えてくれたばかりだ――フリットウィック先生の事務所の窓だ! そこにシリウスが閉じ込められている! 僕達、バックビークに乗って、その窓まで飛んでいき、シリウスを救い出すんだよ! シリウスはバックビークに乗って逃げられる――バックビークと一緒に逃げられるんだ!」

 掃除道具置き場の中は暗くてよくは見えなかったが、ハーマイオニーは怖がっているようだった。震える声でハーマイオニーが囁いた。

「そんなこと、誰にも見られずにやり遂げたら、奇跡だわ! それに、シリウスが逃げたら彼はどうなるの? 命は助かるだろうけど、ますます無実だって信じてもらえなくなるんじゃないかしら……ハナのカメラはどこかに飛んでいってしまったし……あっ!」

 突然、ハーマイオニーが声を上げて、ハリーは驚いて背中を仰け反らせた。けれども、ハーマイオニーはそんなことお構いなしに話を続けた。

「ハリー、ハナがカメラを回収しに行ったんだわ。ダンブルドア先生は、敢えて“君達全員”と仰った。あの時、ハナは起きていて、話を聞いていたに違いないわ。瞬きはハナへの合図だったのよ。それに、ハナのベッドのそばの窓がいつの間にか開いていた……窓から出るためだったんだわ。何かが落ちる音が聞こえた……」
「でも、カメラは爆発したんじゃ――」
「ハリー、貴方はカメラが粉々になったのを見た? 私は見なかったわ。大きな音がして、遠くに飛んでいったのを見ただけ――ハナは用心深いから、鳥籠と同じように壊れないよう魔法をかけていたんじゃないかしら?」

 確かに、とハリーは思った。ペティグリューがカメラに向かって呪文を放ったあの時、物凄い爆発音のようなものが響いたが、確かにハリーもカメラが粉々に砕け散る様子は目にしなかった。ただ、遠くに飛んで見えなくなっただけだ。

「でも、アクシオを使わないのはなんでだろう? そうしたら、一発なのに」
「アクシオが効かなかったのかもしれないわ。アロホモラが効かない扉があるように、アクシオだってすべてに効くわけじゃないの。だから、探しに出たのよ。カメラさえあれば、スネイプの証言もあるし、ペティグリューが生きている強力な証拠になる――でも、もしカメラを取り戻せたとしても肝心のスネイプは気を失っているし、その前にマクネアが吸魂鬼ディメンターを連れてきてしまう……」
「だから僕達、証拠が揃うまでの時間稼ぎをするんだ。シリウスさえ無事なら、あとはスネイプが証言してくれるかもしれない。魔法省は罪のない魔法使いに刑を執行せずに済んで逃亡のお礼を言いたくなるだろうな」
「そうなることを祈りましょう――でも、本当に私達だけでやれるかしら……目くらまし術も使えないのに……」
「でも、やってみなきゃ。そうだろう?」

 今度はハリーが扉に耳を押しつけながら言った。外では、何の物音も足音もせず、しんと静まり返っている。

「外には誰もいないみたいだ……さあ、行こう……」

 扉を押し開け、ハリーとハーマイオニーは玄関ホールに出た。門限を過ぎているため、玄関ホールには誰もいない。2人はできるだけ静かに、急いで、掃除道具置き場を飛び出すと、校庭へと出ていったのだった。