The ghost of Ravenclaw - 228

25. 失われた証拠

――Harry――



「言語道断……あろうことか……誰も死ななかったのは奇跡だ……こんなことは前代未聞……ハナ嬢がいなければ今ごろどうなっていたか……」
「大臣はミズマチが錯乱の呪文にかかっているとお思いですか? わたくしがあの場に行った時にはそうは見えませんでした」
「あの場にいなかった君は知らないだろうがね、ミネルバ。あれは錯乱の呪文に違いない――ハナ嬢は、私を見るなりブラックの無罪を訴えたんだ。今夜、全員の命が助かったのもブラックのお陰だ、とね。そんなことあるはずがない。ピーター・ペティグリューの写真を撮った、とも言っていた」
「ピーター・ペティグリューの写真を? まさか」
「驚くのも無理はない――あの発言は間違いなく、錯乱の呪文の影響だろう。ハナ嬢はカメラすら持っていなかったようだからね」

 どこからともなく聞こえてくる言葉が、ゆるゆるとハリーの意識の中に入ってきて、ハリーは意識を取り戻した。何だか頭がぼうっとして、ふらふらして、聞こえてくる言葉の意味がなかなか理解出来ない。手足も鉛のようだ。瞼もぴったり張りついて、開かない。なんだかとっても疲れている。このままここに横たわり、もうひと眠りしたい。ハリーは揺蕩たゆたう意識の中でそう思った。

「しかし、ミズマチはあの怪我でどうやって気を失っている3人を湖から暴れ柳まで連れてきたのか――確かにミズマチは非常に勤勉で優秀な子ではありますが」
「私としてもそこが謎でね。呪文の影響でブラックをなんとしてでも助けなければという意思が働いたのかもしれない――校長室でダンブルドアと話している最中に窓から吸魂鬼ディメンターの大群が見え、何事かと大急ぎで外に出ると、暴れ柳の側にハナ嬢がいたわけだ……」

 しかし、のんびりもうひと眠り、という訳にはいかなかった。聞こえてくる話の内容が少しずつ理解出来るようになると、ハリーの頭も少しずつ回転するようになってきた。これはなんだかよくない状況だ――ハリーは胸の奥が騒めくのを感じて、目を開けた。見えるものすべてが不確かで、ぼやけている。誰かが眼鏡を外したらしい。

 ぼやけた視界のまま、ハリーは目を動かして辺りを見渡した。薄暗くてはっきりとはしないが、どうやら医務室のベッドの上に横たわっているようだった。部屋の左端の方にハリーに背を向けて立っているマダム・ポンフリーがいて、何やらベッドの上に屈み込んでいるのが朧げに見えた。目を凝らしてみると、ロンの赤毛がマダム・ポンフリーの腕の下に見える。その更に奥の1番端のベッドからは見覚えのあるローブの端が重く垂れ下がっているのが見えた。あれは、スネイプだろうか。

 次にハリーは枕の上で頭を動かすと反対側に顔を向け、今度は右側に視線を移した。右側のベッドにハーマイオニーが寝ていて、その向こうには衝立がされている。もしかしたら、衝立の向こうにハナがいるのかもしれない。ハリーはなんとなそう思った。ハナの状態は衝立で囲われなければならないほど酷かったのだろうか。それに、ハナが湖から暴れ柳のそばまでみんなを連れてきたと聞こえたけれど、ハリーが意識を失ってからどうなったのだろう?

 ハリーが衝立をじっと見つめていると、隣で寝ていると思っていたハーマイオニーが不意にこちらを見た。どうやらハーマイオニーも目を覚ましていたらしい。ハリーも目を覚ましていることに気付いたハーマイオニーは緊張で張り詰めた顔をしながらも、唇に人差し指を当て、それから医務室の扉を指差した。扉が半開きになっている。ファッジとマクゴナガル先生の声がはっきりと聞こえていたのはそのせいだったらしい。

 そうしているうちに、マダム・ポンフリーの足音が聞こえてきて、ハリーは寝返りを打ってそちらを見た。マダム・ポンフリーはハリーが見たこともないような大きなチョコレートをひと塊持っている。ちょっとした小岩のようで、どう考えても丸齧りは出来そうにない。

「おや、目が覚めたんですか!」

 ハリーとハーマイオニーが目覚めていることに気付くと、マダム・ポンフリーがキビキビと言った。それから、チョコレートの塊をハリーのベッドのサイドテーブルに置くと、すぐさま小さいハンマーを取り出して細かく砕いていく。ハリーとハーマイオニーは小岩にハンマーを叩きつけるマダム・ポンフリーを見ながら同時に訊ねた。

「「みんなは、どうですか?」」
「ウィーズリーもスネイプ先生も死ぬことはありません。ミズマチも無事です。先程少し様子を見ましたが、今は眠っています。貴方達2人は……ここに入院です。私が大丈夫だと言うまで――」

 マダム・ポンフリーが深刻そうに答えるのを聞くや否や、ハリーは上半身を起こして枕元にあった眼鏡をかけると杖を取り上げた。すると、マダム・ポンフリーがギョッとした様子で訊ねた。

「ポッター、何をしてるんですか?」
「校長先生にお目にかかるんです」
「ポッター。大丈夫ですよ」

 ハリーの言葉にマダム・ポンフリーが宥めるように言った。けれども、ハリーの右隣ではハーマイオニーも起き上がって杖を握り締め、今にもベッドから飛び出そうとしている。

「ブラックは捕まえました。上の階に閉じ込められています」

 マダム・ポンフリーが続けた。

吸魂鬼ディメンターがまもなく接吻キスを施します――」
「「えーっ!」」

 ハリーとハーマイオニーは驚きのあまりベッドから飛び降りた。2人の声は医務室内だけでなく廊下にまでも響き渡り、まもなく、勢いよく扉が開いて、医務室にファッジとマクゴナガル先生が入って来た。

「ハリー、ハリー、何事だね?」

 慌てふためいてファッジが言った。

「寝てないといけないよ――ハリーにチョコレートをやったのかね?」
「大臣、聞いてください!」

 ファッジの言葉を無視してハリーは叫んだ。

「シリウス ・ブラックは無実です! ピーター・ぺティグリューは自分が死んだと見せかけたんです! 今夜、ピーターを見ました! 大臣、吸魂鬼ディメンターにあれをやらせてはダメです。シリウスは――」

 しかし、ファッジはまともに取り合おうとはしなかった。夢と現実が混同しているだけだとでも思っているのか、首を横に振るばかりだ。

「ハリー、ハリー、君は混乱している。あんな恐ろしい試練を受けたのだし。横になりなさい。さあ。すべて我々が掌握しているのだから……」
「してません! 捕まえる人を間違えています!」
「大臣、聞いてください。お願いします」

 今度はハーマイオニーが訴えた。

「私もピーターを見ました。ロンのネズミだったんです。動物もどきアニメーガスだったんです、ぺティグリューは。それに――」
「もしかして、君達もか」

 ファッジがとうとう困り果てたように言った。

「ミネルバ、君も分かっただろう。錯乱の呪文だ。ブラックは見事に3人に術をかけたものだ……ハナ嬢だけでなく、ハリー達までもブラックの無実を訴えるとは……」
「僕達、錯乱してなんかいません!」

 ハリーが怒鳴り声を上げると、カンカンになったマダム・ポンフリーが割って入った。

「大臣! 先生! 2人共出ていってください。ポッターは私の患者です。患者を興奮させてはなりません!」
「僕、興奮してません。何があったのか、2人に伝えようとしてるんです」

 激しい口調でハリーは言った。

「僕の話を聞いてさえくれたら――」

 しかし、マダム・ポンフリーはここで強硬手段に出た。突然、ハリーの口の中に大きなチョコレートの塊を突っ込んだのだ。ハリーは思わずむせ込んでしまい、口の中の大きなチョコレートをどうにかしようと格闘したが、マダム・ポンフリーがその隙にハリーをベッドに押し戻した。

「さあ、大臣、お願いです。この子達は手当てが必要です。どうか、出ていってください――」

 マダム・ポンフリーがそう言い終わらないうちに、また扉が開いて、今度はダンブルドアが姿を現した。ハリーはやっとの思いで口いっぱいのチョコレートを飲み込むと、再びベッドから飛び降りた。

「ダンブルドア先生、シリウス・ブラックは――」
「なんてことでしょう!」

 ちっとも患者の面倒を診られないことにマダム・ポンフリーが癇癪を起こした。

「医務室を一体何だと思っているんですか? 校長先生、失礼ですが、どうか――」
「すまないね、ポピー。だが、わしはミスター・ポッターとミス・グレンジャーに話があるんじゃ」

 ダンブルドア先生が穏やかに言った。

「たった今、シリウス・ブラックと話をしてきたばかりじゃよ――」
「ネズミがなんだとか、ペティグリューが生きているだとかの話かね?」

 ファッジ大臣が心底嫌そうな顔をして訊ねた。

「左様、ブラックの話はまさにそれじゃ」
「いやまったく支離滅裂だ……自分が殺したというのに……そのネズミとやらは一体どこにいる? この期に及んで嘘をでっち上げようとするとは……」
「それは、ペティグリューが逃げ出したからです!」

 ハーマイオニーが必死になって訴えた。

「ロンとスネイプ先生に呪いをかけて、逃げたんです! スネイプ先生がお目覚めになれば、証言してくださいます!」
「お嬢さん、君も気が動転しているようだ。チョコレートを食べるべきだと思うがね。なにせ、あんな目に遭ったあとだ――」
「わしは、ハリーとハーマイオニーと3人だけで話したいのじゃが」

 ダンブルドアが唐突に言った。

「コーネリウス、ミネルバ、ポピー――席をはずしてくれないかの」
「校長先生! この子達は治療が必要なんです。休息が必要で――」
「事は急を要する。どうしてもじゃ」

 ダンブルドアに「どうしても」と言われると、マダム・ポンフリーは口を引き結び、医務室の端にある自分の事務室に向かって大股に歩き、バタンと乱暴に扉を閉めて出て行った。それから、マクゴナガル先生が医務室の出口へと歩いて行き、扉を開けてファッジ大臣が来るのを待った。ファッジはベストにぶら下げていた大きな金の懐中時計を見て、時間を確認し、

吸魂鬼ディメンターがそろそろ着いたころだ。迎えに出なければ。ダンブルドア、上の階でお目にかかろう」

 そう言い残すと、マクゴナガル先生と共に扉から出て行った。