The ghost of Ravenclaw - 222

25. 失われた証拠



 すべてが終わったのは、月がまもなく完全な満月になろうかというころだった。シリウスとリーマスの呪文により、強制的に変身を解かれたピーター・ペティグリューがこの場にいる全員の信用を失うのはあっという間で、ホグワーツ城まで連行されることが決まった。スネイプ先生も――本人は屈辱的だと思っているようだが――今回ばかりはシリウスの無実を証明するために、今夜明かされた真実を偽りなく証言してくれるだろう。これは、考え得る限りで最も最善だといえた。

 それに、シリウスとリーマスがペティグリューを殺そうとするのを止められたのは何より大きい。ペティグリューを殺してしまえば、真実はどうあれ、2人は殺人者としてアズカバンへ行かなければならなくなる。それは、必ず阻止しなければならないことだった。最早実力行使で止めるしかないと思っていたけれど、ハリーが「やめて!」と飛び出してくれた時には、そんな役回りをさせてしまった申しわけなさと同時にひどく安堵感を覚える自分がいた。

 ペティグリューは、両腕をそれぞれスネイプ先生とロンの片腕と手錠で繋がれることになった。誰かペティグリューと繋がっておかなければならないとなった時、2人が率先して名乗りを上げてくれたのだ。一行は、クルックシャンクスを先頭に、スネイプ先生、ペティグリュー、ロンと続き、そのあとにハーマイオニー、ハリー、シリウスと1列になって部屋を出て、階段を下り、やがて全員の足音が叫びの屋敷から消えた。

「あとは無事に終わるのを祈るばかりね」

 屋敷内がしんと静まり返ると、私は残されていた鳥籠を拾い上げ、ポシェットに仕舞いながら言った。もうすぐ完全な満月になり、リーマスが狼人間に変身してしまうとあって、私は念のためこの場にしばらく留まることになっている。狼人間となったリーマスを止められるのは、動物もどきアニメーガスである私かシリウスだけだが、シリウスがこの場に残るわけにはいかないので、私が残ることになったのだ。

「私もこれ以上のことはもう何も分からないわ。最善を尽くしたとは思ってるけど――」
「セブルスが証人になってくれたのは大きいな。ネズミである証拠も君がカメラに収めているし、言い逃れは出来ないだろう」
「このカメラに入っているフィルムの最初には、去年のクリスマス直前に撮ったものが入ってるの。写真を撮った時期も言い逃れ出来ないわ」
「本当に、君には頭が上がらないな」
「シリウスが無罪になったら、みんなでジェームズとリリーに報告に行きましょう。出来たらハリーも一緒がいいけれど、どうかしら?」
「難しい問題だ――ヴォルデモートは未だどこかで生きながらえているし、ならば、ハリーが両親の墓参りに来ることを予想して先回りしている可能性は十分にある。それにもしハナとジェームズの関係性が漏れれば、ハナだって墓参りにはそう簡単には行けなくなる」
「友達の墓参りに行くのにヴォルデモートのことを考えなきゃならないなんて、どうかしてるわ……」

 盛大に溜息をつくと、私は埃だらけの天蓋ベッドに腰掛けた。完全な満月になるまであと何分ほどだろう――叫びの屋敷の窓という窓には板が打ちつけられているため、月がどんな状態かもここからは確認出来なかった。

「そんなに悲観することはない」

 リーマスが私の隣に腰掛けながら言った。

「楽しいことだってたくさん待ってる――直近でいえば、今度の夏季休暇にはクィディッチのワールドカップがあるし、そろそろ君にもボーイフレンドが出来るかもしれない」
「ボ――なんですって?」
「ボーイフレンドだ。セドリック・ディゴリーの名前が正面玄関を出てすぐのところにあるのをまさか私が見逃しているとでも思ったかい?」

 驚いた――私はリーマスを見て目をぱちくりとさせた。彼は忍びの地図を見て、すぐにセドリックが協力者だと見破ったのだ。寮にいるべき時間帯に正面玄関のすぐそばでじっとしているので、何かあると考えたのだろう。セドリックと仲がいいのは私だし、私に協力して何かしていると思うのが当然なのかもしれない。

「君達が――いや、君が、かな――」

 何も言わないでいると、リーマスが真剣な表情をして続けた。

「君が、今日に至るまでどれほど悩み考え抜いたか、私には想像することしか出来ない。しかし、折角ここまで来たのに、いよいよというところになって私のために叫びの屋敷に留まらなければならなくなるなんて、なんと言ったらいいか……君だって、みんなと共に行きたかっただろう。そのために今日まで頑張って来たというのに……」
「それを言うなら、私、満月の夜を貴方と過ごすために1年生の時からずーっと頑張って来たのよ。もちろん、動物もどきアニメーガスになったのはシリウスを手助けするためでもあったけれど、貴方と過ごせて、私、とっても嬉しいわ」

 リーマスは私がこの場に残ることになったことを自分のせいだと気にしているようだった。明るい声で答えたものの、リーマスは見る見るうちに落ち込んでいき、その表情を青くした。久し振りに脱狼薬の効果を得られない夜を過ごすので、怖がっているのかもしれない。

「ハナ、今夜はいつもと違う」

 暗い声でリーマスが言った。

「私は正真正銘、狼人間に成り果ててしまうんだ。かなりの危険が伴う……ハナ、狼人間は人間を噛みたくて噛みたくて仕方がないんだ。その本能にはどうやっても逆らえない――今の今まで何人もの人がここにいたことがそのことにどう影響を及ぼすのか私にも分からない。なにせ、こんなことは初めてだからね」

 リーマスはこれから自分がどうなってしまうのか、恐れているみたいだった。人間である今は何も感じないが、狼人間になったら、ここにいた人間の匂いを強く感じてしまう可能性だってある。なぜなら、それこそが狼人間の本能だからだ。匂いに引き寄せられ、追ってしまうことだって容易に想像出来た。だからこそ、リーマスは恐れているのだろう。

「リーマス、学生時代、あわやということがあっても貴方は誰一人として噛んだりはしなかったわ。仲間がそばにいたからよ」

 血の気の失せた顔で隣に座るリーマスの手を握り、私は強い口調で言った。

「私もその仲間の1人だということを忘れちゃ困るわ」

 リーマスは恐怖と喜びとが入り混じったような目で私を見返していた。そんなリーマスを見てニッコリ笑って頷くと、リーマスは自分の手を握る私の手を両手で包み込んで、震える声で呟いた。

「ありがとう……ハナ、もしもの時は遠慮なく頼む……」
「分かったわ。お互い遠慮なくやり合いましょう。もしそれで傷が出来ても、お互い恨みっこなしよ」
「君は末恐ろしい魔女だな」
「失礼ね。とんでもなく素晴らしいの間違いでしょ」

 怒ったフリをしてそう言えば、リーマスは小さいながらもようやく声を上げて笑った。しかし、談笑する時間はそう長くは続かなかった。突然、笑い声が奇妙に止まったかと思うと、リーマスの手足が大きく震え始めのだ。変身の始まりだ――とうとう月が完全な満月となったのだ。

 私が急いで距離を取り鷲に変身するのと、リーマスが唸り声を上げるのはほぼ同時だった。リーマスの頭や体が伸び、背中が盛り上がり、人間の面影は急速になくなっていき、狼人間へと変化していく。顔や腕、体の至るところから毛が生え、手足の先は丸まり、鉤爪が生えた。唸り声は人間のそれから次第に獣の鳴き声となり、変身の苦痛に耐えて唸る口元から覗く鋭い牙が、ギラリと鈍く光った。

 狼人間がそこに立っていた。明らかに脱狼薬を飲んでいた時とは、雰囲気が違う――私はリーマスが部屋を出て行かないよう、扉の前で羽撃きながら空中に静止してリーマスの様子を眺めた。後ろ足で立ち上がり、牙をバキバキと打ち鳴らしたリーマスは、飢えた獣のように辺りを見渡し、匂いを嗅ぎ、そして――。

 来る!

 そう思って身構えた次の瞬間、リーマスがこちらに向かって走り出した。私は威嚇するように鳴き声を上げて、どうにか部屋の奥へと押し返そうとしたが、リーマスは最早人間を襲うことしか考えられなくなっていた。鋭い鉤爪が私の右の羽を切り裂いて、私は壁に叩きつけられた。バン! という鈍い音が屋敷に響き、私が無惨にも床に転がると、リーマスはこちらに見向きもせず、扉を壊して階段を駆け下りた。

 もう、どこが痛いのか定かではなかったけれど、ここで呆気なく転がっているわけにはいかなかった。私は痛みに耐えて羽撃くと、階段をひとっ飛びして1階まで下り、トンネルの中に入ろうとするリーマスの背中に、これでお相子だとばかりに勢いよく嘴から突っ込んだ。

 今度はリーマスが痛みに声を上げる番だった。背中から流れた血が辺りにボタボタと落ち、リーマスは纏わりつこうとする私を振り解こうと前脚を振り乱して抵抗した。私はリーマスの腕を避けながら辺りを飛び回り、隙をついて今度は鉤爪で腕を引っ掻いた。すると、リーマスは唸り声を上げて引っ掻かれた方の腕を振り、私を床に叩きつけた。

 2回目ともなるとすぐに体勢を立て直すのも難しくて、私が痛みに床の上でもがいている間に、リーマスは床に空いている穴からトンネルの中に滑り降りた。人間がそちらの方に行ったのが、匂いで分かるのだろう。しかし、そんなことさせられない。ここでリーマスに行かせてしまえば、リーマスの人生は台無しになってしまう。私は力を振り絞って三度みたび飛び上がり、トンネルの中に入り込んだリーマスのあとを追って、穴に飛び込んだ。

 狭いトンネルの中での争いは、ひどいものだった。私が攻撃すればリーマスが私を攻撃し、天井や壁に何度も体がぶつかるし、互いに傷だらけだった。何度痛みに悲鳴を上げたのかも分からない。それでも私はなんとか行く手を阻むように進行方向に滑り込み、食い止めようと踏ん張ったけれど、鷲と狼人間の体格差や力の差はどうにも埋められなかった。進行を遅らせるのが精一杯で、リーマスに押され、どんどんトンネルを進んでしまうのだ。このまま追いついたらどうなるだろう。私がゾッとしたその時だった。

「ワン!」

 鋭い鳴き声がしたかと思うと、黒い大きな何かが私の脇を通り抜けて、こちらに向かって前脚を振り上げていたリーマスに向かって飛びかかり、前脚に噛みついた。リーマスが牙を剥き出しにして唸り声を上げ、もう片方の前脚で黒い何かを叩きつけると、それは天井や壁にぶつかりながら転がるように吹き飛ばされた。けれども、すぐさま体勢を立て直すと、再びリーマスに向かっていく。

 シリウスだった。私達の声がトンネルを進むシリウス達にも聞こえたのだろう。犬になって戻ってきてくれたのだ。シリウスは、先を行くハリー達を追いかけようとしているリーマスを飛びかかって床に押さえつけ、次の瞬間、私に向かって鋭く吠えた。

 行け!

 どうしてだか、そう言っているように思えてならなかった。この狭いトンネルの中でどれほどの時間食い止められるか分からないので、先にハリー達と合流して備えろと言っているのかもしれない。私はひと鳴きして返事をすると、トンネルの中を出口に向かって疾走したのだった。