The ghost of Ravenclaw - 220

24. 裏切り者

――Harry――



「殺してはダメだ。殺しちゃいけない」

 ハリーが目の前に立ち塞がると、ブラックとルーピン先生は揃ってショックを受けたような顔をした。まさかここにきて、ハリーがペティグリューを庇うなどとは夢にも思わなかったのだろう。けれども、ハリーは決して2人の前から動こうとはしなかった。ハリーにはこうするべきなのだという確信めいたものがあったからだ。ブラックとルーピン先生の背後では、杖を振り上げかけていたハナが明らかにホッとしたような表情をしてハリーを見て深く頷いてくれた。

「ハリー、このクズのせいで、君は両親を亡くしたんだぞ」

 ブラックが苛立った様子で言った。

「この薄汚い碌でなしは、あの時、君が殺されていたとしても、それを平然と眺めていたはずだ。聞いただろう。小汚い自分の命の方が、君の家族全員の命より大事だったのだ」
「分かってる」

 そんなこと、もう十分に分かっている――ハリーは息を切らせながら言った。それでも、今ここでブラックとルーピン先生を殺人犯にする方が罪深いことのように思えてならなかった。そんなこと許すわけにはいかなかった。

「こいつを城まで連れて行こう。僕達の手で吸魂鬼ディメンターに引き渡すんだ。こいつはアズカバンに行けばいい……殺すことだけはやめて」

 すると、

「ハリー! 君は――ありがとう――こんな私に――ありがとう」

 何を勘違いしたのか、ペティグリューが感激のあまり息を呑んでハリーの膝の辺りにヒシと抱きついた。ハリーは、命が助かった嬉しさに何度もお礼を言うペティグリューの手を乱暴に払い除けた。

「放せ。お前のために止めたんじゃない。ハナや僕の父さんのために止めたんだ。ハナも僕の父さんも、親友が――お前みたいなもののために――殺人犯になるのを望まないと思っただけだ」

 ハリーの言葉に、ブラックとルーピン先生が驚いた様子で振り返り、ハナを見た。ハリーに両親のことや自分のことを話す時、一滴たりとも涙を流さなかったハナの目はほんの少し潤んでいた。

「ハリーの言うとおりよ。私、貴方達をアズカバン送りにするために手助けしてたんじゃないわ。そんな、バカなこと、させるために計画立てたんじゃない――」

 震える声でハナがそう言うと、ブラックとルーピン先生は互いにバツが悪そうに顔を見合わせた。すると、そんな2人をバカにするように誰かが鼻で笑った。

「貴様のくだらない自己犠牲で得られるものは、貴様自身の満足感だけだと気付きもせんとは――よもやその歳になってまだ貴様自身の後始末を友にさせる気か、ブラック」

 スネイプだった。ブラックは半ば条件反射のようにスネイプを睨むと声を低くして口を開いた。

「何だと?」
「貴様らの話によると、貴様がうっかり・・・・我輩を殺しかけた時――決して認めたくはないが、ポッターがその尻拭いをした」

 スネイプはブラックの様子を気にする素振りもなく続けた。

「そして今度はミズマチにその尻拭いをさせようとしている。ルーピン、貴様もだ。ブラックのしでかしたことで自分がどんな目に遭ったのも忘れ、今度は自分もそちら側になろうとしている。それでは、貴様があのうっかり・・・・に無関係だったという主張も通らぬと言うものよ。貴様らは、友が殺人者として吸魂鬼ディメンターに差し出されるのをミズマチが喜んで見送ると思っている愚者共だ――」

 ブラックもルーピン先生も、スネイプの言葉に何も言い返すことが出来なかった。スネイプ言い方は嫌味ったらしくて感情を逆撫でするようだったが、そのどれもがもっともな指摘だったからだ。スネイプはハナのことが好きではないことは1年生の時から明らかだったが、今回ばかりは同情したのかもしれない。それとも、真実が明かされる場に立ち合わせてくれたハナへのお礼だろうか。ハリーの父親に助けられた借りを返すために、クィレルの呪いからハリーを守ろうとしたように、ハナへの借りをそのままにしておきたくなかったのかもしれない。

 理由はどうあれ、スネイプの言うことはもっともだった。ブラックとルーピン先生がペティグリューを殺してしまったらハナがどんなことになるのか、ハリーにだって容易に想像がついたからだ。きっとブラックの無罪は証明出来なくなるし、ブラックは吸魂鬼ディメンターに有無を言わさず接吻キスされてしまうだろう。そうなれば、ブラックを助けたくてこれまで頑張っていたハナの心は間違いなくボロボロになってしまう。ペティグリューが死んで良かった、仇が撃てて嬉しいなんて、ハナがいうはずないのだから。

 それからしばらくの間、誰1人話さず、動きもしなかった。物音1つとして立たない。ただ、胸を押さえたペティグリューが荒い呼吸を繰り返し、ゼイゼイいっているだけだ。ブラックとルーピン先生はしばらくの間互いに見つめ合ったままだったが、やがて決心したように頷き合うと、2人同時に杖を下ろした。

「ハリー、君だけが決める権利を持つ。私はそれに従おう……正直、こいつを殺したいほど憎いが、こんなやつの命よりは、私を想う親友の心の方がずっと大事なことは確かだ……」

 ブラックがそう言うと、それに同意するようにルーピン先生がブラックの腕の辺りを軽く叩き、何度か頷いた。ハリーはその様子を見てホッと胸を撫で下ろすと、ペティグリューを見下ろして言った。

「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。あそこが相応しい者がいるとしたら、こいつしかいない……」

 ペティグリューはハリーの足元でまだゼイゼイ言っていたが、もう命乞いも反論もしなかった。命が助かるのなら、アズカバン行きでもいいのだろうか――ハリーがそのままペティグリューを見ていると、その目が急にまたキョロキョロ動きハナに向いて、同時にハナが一歩前に進み出た。

「それじゃ、スネイプ先生じゃなく、この人を縛りましょう」

 ハナが杖を一振りすると、杖先からまた細いロープが噴き出てきて、先程スネイプを縛り上げた時と同じように今度はペティグリューを縛り上げた。縛られ、さるぐつわを噛ませられたペティグリューは惨めにも床の上でもがくことしか出来なかった。

「我輩を解け、ミズマチ」

 もがいているペティグリューを一瞥すると、スネイプが言った。

「あまり時間がない――お前達は全員忘れているだろうが、もうすぐ月が完全な満月となる。しかも、今夜、ルーピンは薬を飲み忘れている。薬も今、手元にはない……早急にここから出ねばなるまい」

 スネイプの言葉に誰もがハッとしてルーピン先生を見た。どうやらペティグリューのことでルーピン先生自身もそのことをすっかり忘れていたようだが、今夜は満月だったのだ。しかも、叫びの屋敷に来てから随分と時間が経っている。そのことに気付くとルーピン先生は真っ青になり、代わりにハナとブラックがテキパキ動き始めた。

「リーマス、まだもう少しあるわ。大丈夫よ。ペティグリューが逃げないように見張ってて」
「私はロンの怪我の状態を診よう。このままでは城まで歩くのが辛いだろう――ハナ、そっちは頼む」
「分かったわ。スネイプ先生、今、解きます。それから、ハリー、ハーマイオニー、怪我の治療をするわ」

 ペティグリューを縛っているロープの端をルーピン先生が手に取って見張を務めることになった。ルーピン先生は満月が迫っているとあって周りの人達に必要以上に近付くのを恐れているようで、むしろ、見張り役になれてホッとしているようだった。

 ペティグリューに見張りがつくと、その間にブラックは素早くロンの足元に屈み込んで、折れた足の手当を始めた。ブラックはかなり手際が良く、ロンの折れている足に副え木をすると、杖先でロンの足を軽く叩いてあっという間に包帯を巻きつけ、痛くないよう固定をした。

「私のせいで悪かった……寮に侵入した時も怖い思いをさせてしまった。君のご両親にもなんと謝ったらいいか」
「僕のパパとママは、怒るかもしれない……でも、もしかしたら、僕がハリーの両親の仇を捕まえたって名誉に思うかもしれない。あの状況の中、暴れるネズミをよく逃さなかったってね――なら、これは名誉の負傷だって言えるんじゃないかな。きっと僕、明日の朝には日刊予言者新聞の一面を飾ると思うな」

 軽い口調でロンがそう言うと、ブラックは驚いたようにロンを見返した。それからブラックは深々とロンに頭を下げた。

「ありがとう……本当にすまなかった……」

 足を固定したことで、ロンはようやく立ち上がれるようになった。ブラックの手を借りて立ち上がったロンは、恐る恐るといった様子で足に体重をかけていったが、ブラックがかなり上手く手当てしたようで、痛みに呻くこともよろめくこともなかった。

「よくなりました。ありがとう」
「私は応急処置をしただけだ――城に戻ったらすぐにマダム・ポンフリーに診てもらうといいだろう」

 ブラックがロンの手当てをしている間、ハナの方はというとスネイプの元に駆け寄ってロープから解放したところだった。ようやく解放されたスネイプがローブについた埃を払いながら立ち上がると、ハナは申し訳なさそうにしながら、痛むところがないかとスネイプに確認していたが、スネイプはどこも痛くはなさそうだった。おそらく、ハナが手加減して縛っていたからだろう。

「スネイプ先生、満月までどれくらい時間がありますか?」
「もう間もなく満月になる――その前にあの愚か者を城まで連れて行かねばなるまい」
「シリウスをここに残すわけにはいかないので、私がしばらくリーマスに付き添ってこの場に残ります。そして、大丈夫だと分かったら、先生達のあとを追います。その間、彼らのことをお願いします、スネイプ先生」
「――……善処しよう」

 憎きブラックを手助けすることになるとは一生の屈辱だとでと言いたげな顔でスネイプが返事すると、ハナは深々と頭を下げてお礼をし、それから大急ぎでハリーとハーマイオニーのところにやってきた。ハナは2人にどこを怪我したのか訊ね、傷が出来たところを念入りに確認すると、傷に杖を向けてたちまち2人の怪我を治した。ハリーは暴れ柳の太枝によって切れていた辺りを触り、傷がなくなっているのを確かめると、こんなことなら最初から治してもらっていれば良かった、と思った。

「ありがとう、ハナ」

 ハリーとハーマイオニーがお礼を言うとハナは優しく微笑んで頷き、それからすぐに真剣な顔をして言った。

「ハリー、ハーマイオニー、聞いていたかもしれないけれど、私、リーマスとここに残るわ。何かあったら大変だし、貴方達がもう十分離れたと分かってから城へ向かうことにするわ。その間、どうかシリウスをお願いね。見てのとおり、スネイプ先生とは仲が悪いでしょ」

 チラリとブラックを見るとハナは肩を竦めた。

「喧嘩しそうな時は止めてあげてちょうだい」
「うん、分かったよ」
「ハナ、貴方は大丈夫なの? その、残るだなんて――」
「ええ、大丈夫よ。私、動物もどきアニメーガスだもの。鷲に変身すれば、狼人間から襲われたりはしないわ」

 落ちていた透明マントはスネイプが拾い上げ、ポケットにきちんとしまった。ハリーは返してくれと言いたかったが、ハナからブラックとスネイプが喧嘩しそうな時は止めてくれと言われたばかりなのに、自分が真っ先に喧嘩をふっかけに行くのは良くないと口を噤んだ。

「誰か2人、こいつと繋がっておかないと」

 ブラックが足の爪先でペティグリューを小突きながら言った。

「我輩が繋がろう」

 スネイプが進み出た。

「その代わり最後尾は頼む。ミズマチが残るらしいが万が一のことがあった場合、対処出来るのは貴様だけだ」
「いいだろう。なら、もう1人は――」
「僕、繋がるよ」

 ロンが片足を引きずりながら前に進み出て言った。ブラックはロンのことを気遣わしげに見ていたが、ロンが固い決意をした目でブラックを見返すと、何も言わずに頷き返し、杖を振って重い手錠を作り出した。それから、ルーピン先生に引っ張られるようにしてペティグリューがその場に立たされると、ペティグリューの左右の腕が、スネイプとロンの片腕と手錠で繋がれた。ロンは口にはしなかったものの、スキャバーズの正体を、まるで自分への屈辱と受け取ったように口を真一文字に結んでいた。

「ハナ、リーマス、またあとで会おう」
「ああ、またあとで」
「ええ、またあとで」

 ブラックがハナとルーピン先生とハグをすると、見計らったかのようにクルックシャンクスがベッドから飛び降りた。真っ直ぐに扉に向かっていくクルックシャンクスの背中にハナが優しく声をかけた。

「クルックシャンクス、みんなをお願いね」

 クルックシャンクスはそれを自分に任された重要な任務と受け取ったようだった。任せろと言わんばかりに瓶洗いブラシのような尻尾をキリッと上げると、クルックシャンクスは先陣を切って部屋を出て行ったのだった。