The ghost of Ravenclaw - 217

24. 裏切り者

――Harry――



 ブラックは本当に裏切り者などではなかったのかもしれない――そんな思いが胸の内に生まれるのを、ハリーは感じていた。だって、ハナの目はどこまでも真っ直ぐブラックを信じていて、ブラックのためならなんだってするという目だ。果たして錯乱の呪文にかけられている人がそんな真っ直ぐな目をするだろうか。ハリーは錯乱の呪文に詳しくはないけれど、きっと本当に呪文をかけられた人はこんなに真っ直ぐな目はしないだろうとハリーは思った。それに話を聞けば聞くほど、いろんなことの辻褄が合っていく。面白いくらいに。

「ハリー……私が殺したも同然だ」

 ブラックに対する憎悪がスルスルと解けていくようだった。ハリーの極限まで昂った感情が少しずつ落ち着きを取り戻し始めると、やがて、ブラックがこれまでにない落ち込んだ様子で口を開いた。声は掠れ、灰色の目は潤んでいる。

「最後の最後になって、ジェームズとリリーに、ピーターを守人にするよう勧めたのは私だ。ピーターに代わるように勧めた……私が悪いのだ。ハナの忠告の意味を理解していなかった……。確かに……2人が死んだ夜、私はピーターのところに行く手筈になっていた。ピーターが無事かどうか、確かめに行くことにしていた。ところが、ピーターの隠れ家に行ってみると、もぬけの殻だ。しかも争った跡がない。どうもおかしい。私は不吉な予感がして、すぐ君のご両親のところへ向かった。そして、家が壊され、2人が死んでいるのを見た時――私は悟った。ピーターが何をしたのかを。私が何をしてしまったのかを」

 最後の方は声が震え、涙声になった。泣いているのを見られないようにするためだろうか。ブラックが顔を背けるとハナがサッと駆け寄って、ブラックを抱き締めた。そんな2人の様子をチラリと見遣るとルーピン先生が言った。

「話はもう十分だ。本当は何が起こったのか、証明する道はただ1つだ。ロン、そのネズミを寄越しなさい」

 情け容赦ない声だった。ルーピン先生は冷え切った目で鳥籠にいるスキャバーズを見ている。すると、ロンが緊張した声で訊ねた。

「こいつを渡したら、何をしようと言うんだ?」
「無理にでも正体を現させる」

 間髪容れずにルーピン先生が答えた。

「もし本当のネズミだったら、これで傷付くことはない」

 ロンは僅かに躊躇う素振りを見せたが、とうとう鳥籠を差し出し、ルーピン先生が受け取った。スキャバーズは籠の中でキーキーと喚き続け、のた打ち回り、小さな黒い目が今にも飛び出しそうになっている。

「シリウス、ハナ、準備は?」

 ルーピン先生が言った。
 ブラックとハナはもう既にルーピン先生のそばに立っていた。ブラックは自分の杖を構えて鳥籠に向けていて、ハナは杖ではなく、首から提げていたカメラを手にしている。ハナがルーピン先生の持つ鳥籠に近付いていって、朗らかに挨拶した。

「ハーイ、ミスター・ペティグリュー」

 眩しいくらいのフラッシュが焚かれ、ハナがスキャバーズをカメラに収めた。

「私、貴方にとってもお会いしたかったわ」
「奇遇だな、ハナ」

 ブラックがハナの肩に手を置いて言った。

「我々も君のことをピーターに紹介したいとずっと願っていたんだ。ようやくそれが叶う時が来た――感動の瞬間を収め損ねないよう気を付けてくれ」
「任せて、シリウス」

 カメラを構えたままハナがこくりと頷くと、ブラックが杖で鳥籠をトンと叩いた。すると鳥籠の扉がゆっくりと開き、ルーピン先生がおもむろに籠の中に手を突っ込んだ。暴れ回るスキャバーズをむんずと掴み上げて引っ張り出すと、籠は足元に置かれた。スキャバーズは逃げ出そうと暴れ回っていたが、ルーピン先生は片手でしっかりと掴んで離さなかった。

「一緒にするか?」
「そうしよう」

 ブラックとルーピン先生が視線を交わして頷き合った。ブラックが杖をスキャバーズに向け、ルーピン先生も片手にスキャバーズを掴んだまま、もう片方の手に杖を握りスキャバーズに向けている。

「3つ数えたらだ。1――2――3!」

 次の瞬間、青白い光が2本の杖からほとばしるのと同時に、眩いばかりのフラッシュが立て続けに焚かれた。呪文とカメラのフラッシュの光を受けたスキャバーズの影がくっきりと浮かび上がり、空中でその身を激しく捩っているのがはっきりと見えた。小さな黒い影は、一瞬宙に浮いて静止したかと思うと、床にポトリと落ちて、ロンが叫び声を上げた。

 ブラックとルーピン先生がどんな呪文を使ったのか、ハリーにはさっぱり分からなかった。もう一度、目も眩むような閃光が走ったかと思うと、床に落ちた黒い影が蠢くのが分かった。攻撃されて苦しんでいるからではない――ネズミの形をした影がぐにゃりと形を変えたのだ。まるで何かが芽吹くかのように頭が床からシュッと上に伸びていき、手足が生えていき、そして――。

「やあ、ピーター」

 影が動かなくなったかと思うと、今までスキャバーズがいたところに1人の男が立っていた。小柄な男だ。ハリーやハーマイオニー、ハナとあまり変わらないくらいの背丈だ。まばらな色褪せた髪はくしゃくしゃで、てっぺんは大きく禿げている。顔は奇妙にやつれていて、ハリーにはそれが太った男が急激に体重を失って萎びた感じに見えた。皮膚はまるでスキャバーズの体毛と同じように薄汚れていて、尖った鼻と殊更小さく潤んだ目にはなんとなくネズミ臭さが漂っている。

「しばらくだったね」

 先程のハナと同じような朗らかな声でルーピン先生が言った。ペティグリューは浅い呼吸を繰り返しながら周りの全員を見渡していたが、ハリーはその目が素早く扉の方に走り、また元に戻ったのを目撃した。ペティグリューが気に入らないのか、ベッドの上ではクルックシャンクスが背中の毛を逆立てて唸っていて、壁際ではスネイプが驚愕した様子でペティグリューを見つめている。ハナはジリジリと後退しながら扉の前に立つと、またパシャっと写真を撮った。

「シ、シリウス……リ、リーマス……」

 ペティグリューがオドオドした様子で口を開いた。人間に戻っても声はキーキーとしたネズミの声だ。視線がまた素早く扉の方へ移ったが、そこには既にハナが立っていた。怖い顔をして睨みつけている。

「友よ……懐かしの友よ……」

 この期に及んでどの口が「友」というのか――ペティグリューがその単語を口にした瞬間、ブラックの杖腕が反射的に上がったが、ルーピン先生が素早くその手首を押さえ、嗜めるような目でブラックを見た。それからまたペティグリューに向かって、ルーピン先生はさりげない軽い声で言った。

「ジェームズとリリーが死んだ夜、何が起こったのか、今お喋りしていたんだがね、ピーター。君は籠の中でキーキー喚いていたから、細かいところを聞き逃したかもしれないな――それから彼女こそが、我々が常々君に紹介したかったレイブンクローの幽霊殿だ。彼女は自慢の親友でね。努力家で成績優秀。ちょっとトラブルに自ら突っ込んでいく困ったところがあるが――どうだい? ジェームズが一目見て気に入っただけのことはあると思わないか?」 「リーマス」

 ペティグリューが喘ぎ喘ぎ言った。不健康そうな顔からは、汗がドッと吹き出している。

「君はブラックの言うことを信じたりしないだろうね……あいつは私を殺そうとしたんだ、リーマス……」
「そう聞いていた」

 冷ややかな声でルーピン先生が言った。

「ピーター、2つ、3つ、すっきりさせておきたいことがあるんだが、君がもし――」
「こいつは、また私を殺しにやってきた!」

 ルーピン先生が言い終わらないうちにペティグリューが 金切り声を上げて叫んだ。ペティグリューはブラックを指差していたが、ハリーは人差し指ではなく中指で指しているのをはっきりと見た。普通ならついているはずの人差し指は、そこにはなかった。

「こいつはジェームズとリリーを殺した。今度は私も殺そうとしてるんだ……リーマス、助けておくれ……」

 懸命に訴える姿はなんとも滑稽に見えた。ブラックは底知れぬほど暗い瞳でそんなペティグリューを睨みつけていたが、ブラックが何か口を開くより先にハナが口を開いた。

「よくもそんなことをぬけぬけと……」

 ゾッとするような声だった。怒りがその一音一音から滲み出てくるような感じだった。

「この期に及んでもなお、シリウスに罪をなすりつけようとするなんて、一体どういう神経よ! ハリーを目の前にして一番にすることが自分の命乞いだなんて、信じられないわ……貴方がジェームズとリリーを殺したのに! 貴方自身が、仲間をこっぴどく裏切ったのに! 貴方のせいで、シリウスがどれだけ孤独と絶望を味わったか……ハリーがどれだけ寂しい幼少期を過ごしたか……貴方は自分の失った指の先ほども想像出来ないんでしょうね。こんなことなら、貴方が裏切るとはっきりシリウスに教えていれば良かったんだわ! ピーター・ペティグリューのことだけは信じるのをやめなさいってね!」

 ハナの燃えるような怒りが声となって屋敷中に響いているようだった。烈火のごとく叫ぶハナにペティグリューは身を縮こまらせて怯えるだけで、ハリーの目には最早どちらが信用に値するか一目瞭然だった。ハナもブラックもルーピン先生も互いに互いのことを思いやり、ハリーの両親に対して言葉に言い表せないほどの思いを示しているというのに、片やペティグリューときたら先程から命乞いをするばかりだ。

 ハリーはガタガタ怯えているペティグリューをじっと見つめた。ペティグリューの視線がまた扉にチラリと行き、それからその扉の前に立つハナの首に提げられているカメラに移ったのが、ハリーの目にははっきりと見えていた。