The ghost of Ravenclaw - 216

24. 裏切り者

――Harry――



 こんなヘンテコな状況は未だかつて見たことがない。
 誰も経験したことがないようなことを経験してきたハリーですら、今の叫びの屋敷の状況にそう思わざるを得なかった。声が出せなくなったスネイプがロープで縛られているだけでもおかしな状況だと思うのに、凶悪殺人犯と狼人間が揃いも揃って、ハリーの命ではなくスキャバーズの命を狙っているのも奇妙としか言いようがなかった。しかも、親友であるハナもスキャバーズはピーター・ペティグリューだと主張しているのだ。これは誰がどう見てもヘンテコ以外の何者でもなかった。

「君――ピーターを渡してくれ。さあ」

 スネイプが現れたことにより、一時は更なる混乱を極めたものの、話はようやく本筋に戻り、ブラックの視線は鳥籠の中でキーキー暴れているスキャバーズに移った。そのすぐそばでは同じように厳しい表情をしたルーピン先生がスキャバーズに注視していて、離れたところではハナがスネイプの隣に立ち、スキャバーズをじっと睨みつけている。

 異様な空気だった。ほんの数分前のスネイプをどうするかで揉めていた時の雰囲気は既にどこかへ消え去り、肌がピリピリとするような空気感が、部屋を覆い尽くしていた。ロンもその異様な空気を感じ取ったのだろう――スキャバーズの入った鳥籠を抱き締めながら弱々しく口を開いた。

「冗談はやめてくれ。スキャバーズなんかに手を下すために、わざわざアズカバンを脱獄したって言うのかい? つまり……」

 そこで一旦言葉を切ると、ロンは助けを求めるようにハリーとハーマイオニーを見上げた。

「ねえ。ペティグリューがネズミに変身出来たとしても――ネズミなんて何百万といるじゃないか――アズカバンに閉じ込められていたら、どのネズミが自分の探しているネズミがなんて、この人、どうやったら分かるって言うんだい? もしハナが予言書? だとかなんとかでそのことを知っていたとしても、連絡が取れる訳でもなかっただろうし……」
「そうだとも、シリウス。まともな疑問だよ」

 ルーピン先生はそう言うと、ブラックに向かってちょっと眉根を寄せた。スネイプは自分もブラックのことを質問責めにしたいというような顔をしていたが、ブラックに呪文を掛けられているせいで忌々しい表情を見せるだけで何も話すことが出来なかった。ブラックがシレンシオを掛けた時、ハナはかなり怒っていたが、ハリーはこれだけはブラックが正しかったのではないかと思った。

「あいつの居場所を、どうやって見つけ出したんだい?」

 ルーピン先生に訊ねられると、ブラックは徐ろに自分のベルトに括りつけてある巾着袋に杖を向けてクシャクシャになった紙の切れ端と、綺麗に折り畳まれた紙を取り出した。ブラックは気に食わなそうな顔をしながらもクシャクシャな方をスネイプの方に放り投げ――ハナが呆れた表情をしてそれを拾い上げてスネイプに見え易いように広げ直していた――綺麗な方をハリー達やルーピン先生に見えるように突き出した。

 ブラックが手にしていたのは、1年前の夏、日刊予言者新聞に載ったウィーズリー家の写真だった。ガリオンくじを当てて、家族みんなでエジプトで働いている一番上のお兄さんに会いに行った時の記事だ。ジニーの肩に手を回してニコニコしてるロンの肩の上にスキャバーズが写っている。

「一体、どうしてこれを?」

 驚いたようにルーピンが言った。

「こっちはハナが持たせてくれた巾着の中に入っていたものだが――あっちは私がファッジから貰ったものだ」

 ブラックがスネイプの方を顎でしゃくって答えた。

「去年、アズカバンの視察に来た時、ファッジがくれた新聞だ。ピーターがそこにいた。一面に……この子の肩に乗って……私はすぐ分かった……こいつが変身するのを何回見たと思う? それに、写真の説明には、この子がホグワーツに戻ると書いてあった……ハリーのいるホグワーツへと……」
「何たることだ」

 新聞から視線を外し、鳥籠の中のスキャバーズを見て、それからまた新聞の写真を見て、もう一度スキャバーズの方をじっと見つめながらルーピン先生が静かに言った。

「こいつの前脚だ……」
「それがどうしたって言うんだ?」

 ロンが食ってかかった。その向こうでスネイプがルーピン先生と同じように新聞とスキャバーズを見比べている。

「指が1本ない」

 ブラックが恨みの籠った声で言った。すると、ルーピン先生が驚嘆の溜息をついた。

「まさに。なんと単純明快なことだ……なんと小賢しい……あいつは自分で切ったのか?」
「変身する直前にな」

 ブラックが答えた。

「あいつを追い詰めた時、あいつは道行く人全員に聞こえるように叫んだ。私がジェームズとリリーを裏切ったんだと。それから、私が奴に呪いをかけるより先に、奴は隠し持った杖で道路を吹き飛ばし、自分の周り5、6メートル以内にいた人間を皆殺しにした――そして素早く、ネズミがたくさんいる下水道に逃げ込んだんだ……」
「ロン、聞いたことはないかい?」

 ルーピン先生が訊いた。

「ピーターの残骸で一番大きなのが指だったって」
「だって、多分、スキャバーズは他のネズミと喧嘩したか何かだよ! こいつは何年も家族の中で“お下がり”だった。確か――」
「12年だね」

 ルーピンが言った。

「どうしてそんなに長生きなのか、変だと思ったことはないのかい?」
「僕達――僕達が、ちゃんと世話してたんだ!」
「今はあんまり元気じゃないようだね。どうだね? 私の想像だが、シリウスが脱獄してまた自由の身になったと聞いて以来、痩せ衰えてきたのだろう……」
「こいつは、その狂った猫が怖いんだ!」

 ロンは、ハナのそばから離れベッドの上に乗ってゴロゴロ喉を鳴らしているクルックシャンクスを顎で指した。しかし、それは違う、ハリーは思った。スキャバーズは1年前、ハリーがダイアゴン横丁でロンと再会した時から元気がなかった。クルックシャンクスに会う前から――ロンがエジプトから帰ってきて以来ずっとだ。ロンはその時エジプトの水が合わなかったとか言っていたが、確かにそれはブラックが脱獄した時期とピッタリ重なった。

「この猫は狂ってはいない」

 ブラックがきっぱりとした口調で言った。

「私の出会った猫の中で、こんなに賢い猫はまたといない。ピーターを見るなり、すぐ正体を見抜いた。私に出会った時も、私が犬でないことを見破った。私を信用するまでにしばらくかかった。ようやっと、私の狙いをこの猫に伝えることが出来て、それ以来私を助けてくれた……」
「それ、どういうこと?」

 ハーマイオニーが眉をひそめて訊ねた。

「ピーターを、私のところに連れてこようとした。当初、この猫に協力して貰おうと話した時、ハナは大反対だった。君達の関係が悪くなるのではないかってね」

 ブラックはロンとハーマイオニーをチラリと見て続けた。

「ハナはひどく心配していたが、私がもっと もらしい理由をつけて説得して、最終的には折れてくれた。しかし、それ以来、ハナは常に君達の仲について気に病んでいた……ハナが倒れたのは、私のせいだ。ハナにストレスをかけ過ぎた……」

 その話を聞いて、ハリーは不意にハナが入院した時のことを思い出した。あの時、スキャバーズがいなくなってロンとハーマイオニーが大喧嘩したり、ロンがブラックに襲われかけたり、バックビークの裁判が迫っていたりと立て続けに事件が起こった直後だった。そうでなくともハナはクリスマス以降、ハーマイオニーにつきっきりだったのだ。いろんなことを抱え込み過ぎた結果、過剰なストレスがかかって倒れてしまっても無理もない状況だった。ハナのことだから喧嘩の原因は自分にあると責め続けていたに違いない――ハリーがスネイプのそばに立っているハナを見ると、ハナはそんなこと言わなくていいのに、というような顔をしていた。

 ハナがブラックを完全に信じ切って過ごしていたならば、ブラックに対する世間の言葉の数々にもハナは耐えられなかったはずだ。けれど、誰にもそれを相談することも出来ず、ただ耐え続けるしかなかった。ハリーはハナが新聞をしかめっ面をして燃やしたり、3本の箒でファッジ達の話を聞きながらイライラ足を揺すっていたことを思い出した。

 あれ?――ハリーはふとした違和感に気付いた。ブラックはどうしてハナがストレスで倒れたことを知っているのだろう。ハナがわざわざ「私この間ストレスで倒れたの」なんて嫌味ったらしく言うだろうか? ハナはブラックを信じていて、親友だと思っているのに、わざわざ心配をかけるようなこと言うだろうか? ハリーの知っているハナならむしろ、隠し通すのではないだろうか。

 ハリーは頭の中でグルグル思考が回転するのが分かった。3本の箒でイライラしていたハナに寄り添っていたのは誰だったか――その人物が手にしていたバタービールの瓶は何本だったか――倒れた時、ハナのそばにいることを唯一許されたのは、誰だっただろうか――春学期が始まって以降、ハナが夕食後によく会っていた人物は――。

「兎にも角にも、私は私の目的のためにこの猫に協力を仰いだ。しかし、出来なかった……そこで私のためにグリフィンドール塔への合言葉を盗み出してくれた……誰か男の子のベッド脇の小机から持ってきたらしい……」

 考えれば考えるほど、ハリーは混乱し、頭が重く感じられた。セドリックも協力していたなんて、そんなバカな話があるはずがない。でも、もしそうだとしたなら、バタービールが3本だったのも説明がつくし、ハナがどうして倒れたのかブラックは知ることが出来ただろう。しかし、ブラックもハナもセドリックの名前は一切出さないし、ここにセドリックはいない。やっぱりハリーの勘違いだろうか。でも、

『ああ。僕が見た時は落ちていく君の真下をグルグル飛んでいて、君を助けようとしているように見えた。その鷲の――あー、ハリー、ハナのブレスレットを見たことがあるかい?』

 ハッフルパフとの試合でハリーが箒から落ちて入院した時、お見舞いに来てくれたセドリックはやけに鷲のことを気にしていた。あの時、セドリックがどうして鷲の話から急にハナのブレスレットの話に変えたのか、ハリーは分からなかったが、その時既にセドリックが鷲の正体に気付いていたとするならどうだろうか。セドリックは急に話を変えたのではない。鷲の左の翼にある青いラインがハナのブレスレットではないかと考えていたからあんな風に訊ねたのだ。セドリックは、ハナから事情をすべて聞かされていたのだろうか? 3本のバタービールは、ハナとセドリックとブラックの分だったのだろうか。そんなバカな……でも、やっぱり……。

「しかし、ピーターは事の成り行きを察知して、逃げ出した……この猫は――クルックシャンクスという名だね?――ピーターがベッドのシーツに血の痕を残していったと教えてくれた……多分、自分で自分を噛んだのだろう……そう、死んだと見せかけるのは、前にも一度上手くやったのだし……」

 ブラックがそう話すのが聞こえてくると、ハリーはハッと我に返って考えに没頭するのを中断した。まだいくつかの疑問が解決していないことを思い出したのだ。それをすべて納得出来る形で説明出来なければ、ハリーはブラックとルーピン先生のことまで信じることは出来なかった。だって、魔法があればなんだって出来るのだ。それこそ、ちょっと杖を一振りしただけで、記憶を消したり、ハリーの両親を裏切ったのがペティグリューだと勘違いさせることだって出来るのだ。ハリーがハナが異世界から来たという話を信じと言いつつ、未だにブラックとルーピン先生を疑っているのはそこにあった。

「それじゃ、なぜピーターは自分が死んだと見せかけたんだ? お前が、僕の両親を殺したと同じように、自分をも殺そうとしていると気づいたからじゃないか! それで、今度は止めを刺そうとしてやって来たんだろう!」

 違うと否定するルーピン先生の言葉も無視して、ハリーは感情のままに叫んだ。どう考えても、ハリーにはブラックがハナの感情を利用して悪事を働こうとしているようにしか見えなかったのだ。その証拠にブラックもそれを否定しようとはしない。

「そのとおりだ」

 殺気立った目をしてスキャバーズを睨みつけながらブラックが言った。やっぱり、ブラックはハナを利用しようとしたのだ。都合の良い存在を利用して、不都合な存在を始末する――なんて、最低だろう。

「それなら、僕はスネイプにお前を引き渡すべきだったんだ! お前だけでも!」
「ハリー、分からないのか?」

 ハリーが叫ぶとルーピン先生が言った。

「私達は、ずっと、シリウスが君のご両親を裏切ったと思っていた。ピーターがシリウスを追いつめたと思っていた――しかし、それは逆だった。分からないかい? ピーターが君のお父さん、お母さんを裏切ったんだ――シリウスがピーターを追いつめたんだ――」
「だったら、この3年間、ハナがそれをダンブルドアに訴えなかったのはなぜだ! ブラックがハナを利用しようと魔法をかけたからじゃないのか!? ブラックが秘密の守人だった! ブラック自身が、貴方が来る前にそう言ったんだ。こいつは、自分が僕の両親を殺したと言ったんだ!」

 いつの間にかハリーは、ブラックを指して声の限り叫んでいた。すると、しばらくの間スネイプの隣で黙って話を聞いていたハナが静かに口を開いた。

「ハリー、私はもちろんダンブルドア先生に訴えようとしたわ。再会したその日に、よ。でも、ダンブルドア先生は順序が大事だと仰って話を聞こうとしなかった」
「ダンブルドアが話を聞こうとしなかった――?」
「そうよ」

 ハリーは眉根を寄せたままハナを見た。ヘーゼルの瞳がハリーを真っ直ぐに捉えている。

「ハリー、物事には順序があるの。そして、その順序を逸脱した時の怖さをダンブルドア先生はよくご存知だわ。だからこそ、私の話を聞こうとしなかった。まだ聞く時ではないと分かっていたからよ」

 そんなの早くダンブルドアに言ってしまった方がいい方向に進むに決まっている。ハリーはそう思った。だって、放って置く方が状況を悪くするだけだ。ロンを見てみると、ロンもハリーと同じことを考えているのか似たような顔をしていたが、ハーマイオニーだけはハナの話していることの本当の意味を理解しているようだった。胸元をギュッと握り締めて深く頷いている。

「もし、1つでも道を間違えれば、どんな恐ろしいことが起こるか分からないわ。ハリー、1年生の時、もし私が貴方達に早々とニコラス・フラメルについて話していたら。もし、それを狙っているのがスネイプ先生ではなく、クィレルだと話していたら――一体どんなことが起こったかしら。上手くいくかもしれないし、はたまた上手くいかなかったかもしれない――流れを変えるということは、その裏でとんでもない災いを呼び寄せることにも繋がるのよ。だからダンブルドア先生は私の話を聞きたがらなかった。私は、確実にシリウスの無罪を証明するために然るべき日まで、正しく順序を追わなければならなかった――」

 ――じゃあ、本当に?
 ハリーは信じられない気持ちでブラックに視線を移した。本当にブラックは裏切り者ではなかったのだろうか。みんながペティグリューに騙されていただけだったのだろうか――ハリーはもう一度ハナを見た。ヘーゼルの瞳はやっぱりハリーを真っ直ぐ捉えて離さなかった。