The ghost of Ravenclaw - 213

24. 裏切り者



 シリウス・ブラックは無罪である。
 今の魔法界でこのことを信じる人は、ほんの一握りだろう。そんなことを声高に主張すれば、頭のおかしな変人扱いされることは間違いない。もし、ピーター・ペティグリューが実は動物もどきアニメーガスでネズミに変身出来て、長年ウィーズリー家のペットになりすましていた、なんて話でもしたらどんな反応をされるかなんて、想像に難くない。

 当時の状況を誰が聞いたとしても、シリウス・ブラックが裏切り者で、大勢のマグルを巻き添えにしてピーター・ペティグリューを殺したことは明らかだと考えるだろう――道路のど真ん中に出来た深く抉れたクレーター、死体がそこら中に転がっていて、マグル達が逃げ惑い、悲鳴を上げている――そこで、仁王立ちになって笑っている男がいたならば、その男が犯人だと思うのが普通だ。誰も、そこで笑うしかなかった男の気持ちなど、考えもしない。その日が男の孤独と絶望の始まりであることも、信じていた親友に裏切られた日であることも、何も分かりはしないのだ。だからこそ、誰もがシリウス・ブラックは狂っているで済ませようとする。そうすれば、彼の心の内など理解せずに済むのだから。

 そんな世の中が狂っていると片付けたシリウス・ブラックが脱獄した際、一番に頼ったのが当時たったの13歳だった女の子だと耳にしたならば、一体どう考えるだろうか。マグルならば「女の子を脅して食べ物を要求した」と考えるだろうし、魔法族ならば「錯乱の呪文にかけて協力させようとした」と考えるだろう。あろうことかその女の子が自らの意思で協力し、助けていたなんて、信じるはずがないのだ。そしてその女の子がシリウス・ブラックの親友だなんてことも、理解しろというのが土台無理な話だ。しかも、その女の子が異世界から来たなんて言うからもうお手上げだ。

 この誰にも理解されないであろう話を理解してもらうには、最初から丁寧に根気よく説明していくしかない。ピーター・ペティグリューはどうして未登録の動物もどきアニメーガスになったのか、ハナ・ミズマチは――私は、どうしてジェームズ・ポッターやシリウス・ブラック、リーマス・ルーピンと友達になり、どんな理由でシリウス・ブラックを助けていたのか、そのすべてを。

 叫びの屋敷にリーマスが来てくれたことは、思わぬ幸運だった。今日は満月だし、もしかしたら私が知らなかっただけで、元々本の中でもリーマスは叫びの屋敷に来ることになっていて、ハリー、ロン、ハーマイオニーに丁寧に説明してくれたのかもしれない。だって――私はそんなことまったく知らなかったが――リーマスは忍びの地図をハリーから没収していたのだ。地図を見る気さえ起きれば、ピーターが生きていることはすぐに分かっただろうからだ。それでも、リーマスが没収してから今日に至るまで、地図を見なかったのは、そこにシリウスの名前が出てくるのを恐れたからだろうか。今まで見なかったのに今日地図を見たのは、城を抜け出すであろうハリーが心配になったからだろうか。満月まではもう少し時間があるからちょっと様子を見守っていよう――そんな考えだったかもしれない。

 ハリー達は、とても冷静に話を聞く気持ちにはなれなかっただろう。クリスマス休暇が始まる前日に三本の箒でファッジ大臣と先生達の話を聞いていたのなら尚更だ。シリウスに対する憎しみは相当だろうし、そんなシリウスを庇うリーマスにも幻滅しただろう。今すぐにでもどうにかしてやりたいと考えるのは至極当然のことだった。どんなに違うと諭しても、シリウスとリーマスが私に対して錯乱の呪文をかけている、と疑い続けることは無理のないことだった。

「僕、君の話は信じる」

 それでも、ハリーは私に関する話を聞いた時、そう言った。召喚魔法なんて一部の物好き以外は耳にすらしないものだし、異世界なんてものも信じられなくて当然なのに、私の話を信じると言ったのだ。私がジェームズとリリーが殺されることを知っていたと分かって、ボロボロ涙を零しつつも、決して「お前のせいだ」ということはなかった。きっとハリーをとても苦しめたのに、ハリーには私を責める権利があったのに、ハリーはそうしなかったのだ。

 ハリーが信じると言ったのは、私が違う世界から来たということに対してだけだろうということはすぐに分かった。シリウスとリーマスのことを信じている様子はなかったからだ。けれども、真実を見極めようとしていることだけは確かだった。きっと、これでスキャバーズがピーター・ペティグリューであることを目の前で証明出来れば、ハリーもロンもハーマイオニーも私達の話を信じてくれるだろう――。

「私達は同学年だったんだ。それに――つまり――ウム――お互いに好きになれなくてね」

 リーマスが1つ1つ丁寧に経緯を説明していくのを、私は黙って聞いていた。私の話やリーマスが私と再会した時のことを話し、今はスネイプ先生のことを話している最中だった。スネイプ先生とシリウス達とのいざこざについてこの場で話すのは時間のロスだとも思えたけれど、ある意味仕方のないことだった。そもそも、スネイプ先生との話になったのも、私がややこしくなるのが嫌でシリウスに話をしていなかったからに他ならない。だからこそ、話に聞いていなかったスネイプ先生の名前が出て来て、シリウスが反応してしまったのだ。

「セブルスは特にジェームズを嫌っていた。妬み、それだったと思う。クィディッチ競技のジェームズの才能をね……兎に角、セブルスはある晩、私が校医のマダム・ポンフリーと一緒に校庭を歩いているのを見つけた。マダム・ポンフリーは私の変身のために暴れ柳の方に引率していくところだった。シリウスが――その――からかってやろうと思って、木の幹のコブを長い棒で突つけば、あとをつけて穴に入ることが出来るよ、と教えてやった。そう、もちろん、スネイプは試してみた――もし、スネイプがこの屋敷までつけてきていたなら、完全に狼人間になりきった私に出会っていただろう――しかし、君のお父さんが、シリウスのやったことを聞くなり、自分の身の危険も顧みず、スネイプのあとを追いかけて、引き戻したんだ……しかし、スネイプは、トンネルの向こう端にいる私の姿をちらりと見てしまった」

 この話が終われば、まもなく、ピーター・ペティグリューの話に移れるだろう。無理矢理動物もどきアニメーガスの変身を解きさえすれば、彼が生きていることは証明できるし、そうすればきっと、ハリー達だってシリウスが無罪だと理解してくれるはずだ。元の姿に戻すには鳥籠から出さなければならないので多少リスクはあるけれど、信じてもらうにはそうするしかないだろう。私は鳥籠の中でキーキー暴れているワームテールをじっと見つめた。リーマスは話を続けている。

「ダンブルドアが、決して人に言ってはいけないと口止めした。レイブンクローの女生徒についてダンブルドアがスネイプを注意したのもこの時だ――だが、その時から、スネイプは私が何者なのかを知ってしまった……」
「だからスネイプは貴方が嫌いなんだ。スネイプは貴方もその悪ふざけに関わっていたと思ったわけですね?」

 ハリーは妙に納得しながら言った。どうやら話はひと段落したようだ。さて、逃げないように気をつけながらワームテールの正体を明かすにはどうすることが最善だろうか――私は部屋の扉をチラリと見ながら考えた。叫びの屋敷はすべての窓に板が打ちつけてあり、出入り出来ないようにしてあるのでこの部屋から出るには、あの扉を通るしかない。扉を開けられないよう呪文をかけるべきだろうか。それに、カメラに写真も収めなければならない。私が考え込んでいると、

「そのとおり」

 リーマスの背後の壁辺りから、冷たく嘲るような声が聞こえて私は飛び上がった。見れば、先程まで誰もいなかったそこに、スネイプ先生が立っている。片手に透明マントを持ち、もう片方の手には杖を握ってリーマスに突きつけている。私はほとんど無意識に杖を引き抜くと、シリウスを背に庇うように前に出て、スネイプ先生に突きつけた。いつからここにいたのだろう――私は内心歯噛みした。

「暴れ柳の根元でこれを見つけましてね」

 どうやらハリー達は透明マントを脱ぎ捨てていたらしい。スネイプ先生は私を見てバカにしたように笑うと、そう言って透明マントを脇に投げ捨てた。杖は、真っ直ぐにリーマスの胸に突きつけられたままだ。

「ポッター、なかなか役に立ったよ。感謝する……」

 おそらく、スネイプ先生は先程扉が開いた時にこっそり入って来たに違いない。透明マントに隠れて話を聞きながら、出ていくタイミングを見計らっていたのだろう。しかし、話を全部聞いていないせいか、それとも学生時代の恨みつらみが勝っているのか――スネイプ先生は私達を捕まえることしか頭にないような顔をしていた。もし、学生時代のスネイプ先生とジェームズ達の関係が多少なりともまともであったのなら、こうはならなかっただろう。私は彼らの過去の行いに頭を抱えたくなった。

「我輩がどうしてここを知ったのか、諸君は不思議に思っているだろうな? 君の部屋に行ったよ、ルーピン。今夜、例の薬を飲むのを忘れたようだから、我輩がゴブレットに入れて持っていった。持っていったのは、まことに幸運だった……」

 いつもならもう少し早い時間に脱狼薬を飲んでいるけれど、今日は学年末試験が行われていたので、飲むのが遅くなったのだろう。そこで、スネイプ先生が脱狼薬を持ってリーマスの私室に行くと、そこには忍びの地図が開かれたままになっていた。リーマスは慌てて私室を出たばかりに地図を消すのを忘れてしまったのだ。そうしてスネイプ先生は私とリーマスが叫びの屋敷に向かうのを目撃し、何かあるのだとあとを追ってきたというわけだ。そして、追ってきた先でシリウスを見てしまい、スネイプ先生も私達がシリウスを手引きしていたのだと勘違いしてしまった――。

「セブルス、君は誤解している。君は、話を全部聞いていないんだ――説明させてくれ――シリウスはハリーを殺しにきたのではない――」
「スネイプ先生、どうか、話を聞いてください。シリウスとリーマスが嫌いなのは分かります。彼らは貴方に対して、良くなかった――けど――」

 リーマスも私も慌ててスネイプ先生に訴えかけた。しかし、今のスネイプ先生の目には、私達はただ言い訳をしているようにしか映っていなかった。

「友情のなんと尊いことよ」

 そんなこと微塵も思っていないような声でスネイプ先生が言った。

「今夜、また3人、アズカバン行きが出る。貴様も一緒だ、ミズマチ。心配には及ばん。我輩がきっちり、錯乱の呪文などにはかかっていないと証言することを約束しよう。ダンブルドアがどう思うか、見物ですな……ダンブルドアは君達が無害だと信じきっていた。分かるだろうね、ルーピン……飼いならされた人狼さん……」
「愚かな――」

 リーマスが愕然とした様子で呟いた。

「学生時代の恨みで、無実の者をまたアズカバンに送り返すというのかね?」

 次の瞬間、スネイプ先生の勢い良く細いロープが飛び出し、リーマスに巻きついた。リーマスは足首にロープが巻きつくと立っていられなくなり、とうとう床に倒れて身動きが取れなくなった。スネイプ先生は憎しみの籠った目で床に倒れ込んだリーマスのことを見ている。その表情はまるで「お前がそれを言うのか」と言っているようだ。

 確かに、スネイプ先生が怒るのは尤もだ。学生時代のことを考えれば、リーマスに「愚かな」とスネイプ先生に言う資格なんてない。それは私だって十分理解しているけれど、リーマスに駆け寄らずにはいられなかった。

「お願い、やめて! リーマス!」

 きっときちんと話し合うことさえ出来れば、スネイプ先生だって、少なくともシリウスが無実であるということだけは分かってくれるはずなのだ。だって、スネイプ先生だって本当は誰が裏切り者だったのか、知りたいに決まっている。リリーを愛したスネイプ先生なら、たとえお互いに分かち合えることはなくとも、目的を共にすることくらいは出来るはずだ。もちろん、みんなの前でスネイプ先生の気持ちを話すなんて野暮なことはしない。けれど、どうにか話を聞いてもらう道があるはずなのだ。

 しかし、話をする前に私はロープに絡め取られて前からつんのめるようにして床に倒れた。ロープは私の足首に絡み付いたかと思うと両手首を後ろ手に締め付け、口にも話せないようにロープが食い込んで声を出そうにも言葉にならなかった。もうどうにもならないのだろうか――私が顔を上げると、ハリーが青ざめた様子でこの状況を見つめていた。