The ghost of Ravenclaw - 208
23. レイブンクローの幽霊
――Harry――
スキャバーズは本当にピーターなのだろうか。それとも、ブラックもルーピン先生も頭がおかしくなっていて、そんなことを口走っているだけだろうか。けれども、呪文の影響なのかどうなのか、ハナはブラックとルーピン先生が「スキャバーズはピーター・ペティグリューだ」と言っても否定の言葉を口にしなかった。それどころか、怖い顔をして睨んですらいる。先程ハリー達を庇った時はいつものハナに見えたけれど、やっぱり錯乱の呪文の影響だろうか?
ハリーは何が正解なのかさっぱり分からず、ベッドのそばでスキャバーズが入った鳥籠を抱え、座り込んでいるロンを見下ろした。ロンと目が合うと、ロンもハリーと同じように訳が分からないという顔をしているのが見て取れた。確かに、スキャバーズは何の魔力も示さないのに12年以上生きている不思議なネズミだ。けど、スキャバーズがピーターであるなんて、やっぱりおかしな話ではないだろうか? ブラックはアズカバンで狂ってしまったからそんなことを言っているだけなのではないだろうか。
しかし、ブラックだけならまだしも、ルーピン先生も同じことを言っているのは不可解だった。どうしてルーピン先生は、ブラックと調子を合わせているのだろうか。自分はブラックの手引きをしていないと言いながら、ブラックと同じことを言っているのは変ではないだろうか? どうして、ルーピン先生はブラックの味方であるようなことを度々言うのだろう。やっぱり、ブラックと共謀してハナをいいように利用しているだけではないだろうか――ハリーが考えていると、ハーマイオニーがまるで祈るような口調で言った。
「でも、ルーピン先生……スキャバーズがペティグリューのはずがありません……そんなこと、あるはずないんです。先生はそのことをご存知のはずです……」
「どうしてかね?」
「だって……だって、もしピーター・ペティグリューが
ハリーはあんなに勉強に追われている中でも一切手を抜かずにハーマイオニーが登録簿まで調べていたことに、驚いた。ハリーなんて
「またしても正解だ、ハーマイオニー」
ルーピン先生が感心しつつも、なぜだかおかしそうに笑った。
「でも、魔法省は、未登録の
「その話をみんなに聞かせるつもりなら、リーマス、さっさとすませてくれ」
片時もスキャバーズから目を離さず、ブラックが急かした。
「私は12年も待った。もうそんなに長くは待てない」
「分かった……だが、シリウス、君にも助けてもらわないと。私はそもそもの始まりのことしか知らない……」
その時、廊下で床が大きく軋む音がしてルーピン先生の言葉が途切れた。すると、閉じられていたはずの扉が独りでに開き、6人が一斉に扉を見つめた。ハナが素早く杖を引き抜いて構え、ルーピン先生はそんなハナと目配せして頷き合うと足早に扉の方に進み、階段の踊り場を見た。
「誰もいない……」
「変ね。風が吹いてるのかしら……」
ハナも杖を持ったままそっと扉に近づいて、ルーピン先生の肩越しに廊下を覗き込むと不審そうな顔をして言った。
「ここは呪われてるんだ!」
ロンが怯えたように叫んだ。
「そうではない」
扉に目を向けたままルーピン先生が言った。ハナも警戒したように視線を向けたが、先程攻撃の意思はないと示したこともあってか、ハリー達を気にするそぶりを見せると杖をホルダーにしまった。
「叫びの屋敷は決して呪われてはいなかった……村人が嘗て聞いたという叫びや吠え声は、私の出した声だ」
話は、ルーピン先生が狼人間になったところから始まる――噛まれたのは、まだ幼いころのことだ。先生の両親は手を尽くしたが、当時はまだ治療法がなかった。スネイプが調合していた魔法薬もごく最近発明された高価なものだという。その薬を満月の夜の前の一週間、欠かさず飲みさえすれば、狼人間は変身しても自我を保て、人を襲わずに済むのだそうだ。
今年度中、先生は満月が来る度にその薬を飲み、叫びの屋敷に来ては夜を明かした。ダンブルドアは薬さえきちんと飲みさえすれば、与えられた私室にいてもいいと言ってくれたそうだが、先生はそうしなかった。城の中にいれば、ハナが必ず自分のそばにいようとすると先生は分かっていたからだ。ハナはそういう性格だと、先生は痛いほど分かっていた。
「だから私はわざわざ通い慣れた叫びの屋敷を利用することに決めた――まあ、無駄だったようだがね。鷲はどんなに大雨の日だろうと、満月になると常に私の元にやってきた。ハナのふくろうのロキも必ず私のところへきたし、そのうち、クルックシャンクスも加わった――私は学生時代が懐かしく、久し振りに穏やかな満月の夜を過ごすことが出来た」
なるほど、とハリーは思った。だからクルックシャンクスは暴れ柳を大人しくさせる方法を知っていたし、襲いかかる枝を掻い潜るのにも慣れていたのだ。ハリーがチラリとハーマイオニーを見ると、ハーマイオニーは一言一句逃すまいと真剣な顔をしてルーピン先生の話に耳を傾けていた。
「トリカブト系の脱狼薬が開発されるまでは、私は月に一度、完全に成熟した怪物に成り果てた――」
先生の両親は、狼人間になってしまった息子がホグワーツに入学するのは不可能だろうと考えていた。他の生徒の親からしてみれば、自分の子どもを危険に晒したくはないからだ。きっと、他の誰かが校長だったのなら同じように考えただろう。けれども、その時から校長はダンブルドアだった。ダンブルドアはルーピン先生に同情し、きちんと予防措置を取りさえすれば、学校に来てはいけない理由などないと言って、ルーピン先生をホグワーツに迎え入れた。
ハリーのニンバス2000が粉々になった時、ルーピン先生はハリーに「あの暴れ柳は、私がホグワーツに入学した年に植えられた」と話したが、本当はルーピン先生がホグワーツに入学するから植えられたものだった。叫びの屋敷に続くトンネルも、ルーピン先生が使うために作られた。先生は月に1度、城からこっそり連れ出され、変身するために屋敷に連れてこられたのだ。暴れ柳が植えられたのは、先生が危険な状態にある間は誰も先生に出会わないようにという配慮だった。
「そのころの私の変身ぶりといったら――それは恐ろしいものだった」
ハリーは着地点の見えないこの話に、どっぷりのめり込んでいた。聞かなければならないという思いが、そうさせているのかもしれない。話を聞き何が真実なのかをしっかりと見極めたかった。なぜなら、この話が正しいのかそうでないのかによって、ハナが操られているのかそうでないのかが決まるからだ。
「狼人間になるのはとても苦痛に満ちたことだ。噛むべき対象の人間から引き離され、代わりに私は自分を噛み、引っ掻いた。村人はその騒ぎや叫びを聞いて、とてつもなく荒々しい霊の声だと思った。ダンブルドアは
それは、ハリーには想像もつかない状況だった。自分で自分を噛み、引っ掻き回るなんて、気が狂うに決まっている。けれども、ルーピン先生は変身することを除けば、ホグワーツ在学中は人生で最も幸せな時期だったとハリー達に話して聞かせた。なぜなら、これまで狼人間だったことで友達がいなかったルーピン先生に生まれて初めて友達が出来たからだ。友達は3人――シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリュー、そして、ハリーの父であるジェームズ・ポッターだ。
しかし、ここでハリーは「おや?」と思った。
レイブンクローの幽霊が――ハナ・ミズマチの名前が、ルーピン先生の友達の中に上がらなかったのだ。親友だと言ったのに、友達の中に名前が出てこないのはなんだか妙だ。ハリーは疑問に思ったが、それを問う間もなく、ルーピン先生の話は続いた。
「さて、3人の友達が、私が月に1度姿を消すことに気づかないはずはない。私はいろいろ言い訳を考えた。母親が病気で、見舞いに家に帰らなければならなかったとか……。私の正体を知ったら、途端に私を見捨てるのではないかと、それが怖かったんだ。しかし、3人は、ハーマイオニー、君と同じように、本当のことを悟ってしまった……」
ジェームズ、シリウス、ピーターの3人は、真実を知ってしまってもルーピン先生を見捨てはしなかった。それどころか、3人はルーピン先生のために
「でも、それがどうして貴方を救うことになったの?」
ハーマイオニーが怪訝な顔で訊ねた。
「人間だと私と一緒にいられない。だから動物として私につき合ってくれた。狼人間は人間にとって危険なだけだからね。3人はジェームズの透明マントに隠れて、毎月1度こっそり城を抜け出した。そして、変身した……ピーターは一番小さかったので、暴れ柳の枝攻撃を掻い潜り、下に滑り込んで、木を硬直させるコブに触った。それから3人でそっと柳の下にあるトンネルを降り、私と一緒になった。友達の影響で、私は以前ほど危険ではなくなった。体はまだ狼のようだったが、3人と一緒にいる間、私の心は以前ほど狼ではなくなった」
「リーマス、早くしてくれ」
ブラックが殺気立った様子でスキャバーズを睨みつけらがら唸った。すると、ハナがブラックをジロッと睨んで、きつい口調で咎めた。
「怖い顔しないで、シリウス」
ハナの言葉にブラックは一瞬、拗ねたような表情をしたが、何も言い返さなかった。
「私達がとーっても会いたかったミスター・ペティグリューは逃げ出したりしないわ。壊れないよう、鳥籠に貴方が魔法を掛けたんでしょう」
「それにハナの話もしなくては……もう少し待っててくれ――」
ルーピン先生は宥めるように言うと、話を再開した。
「……そう、全員が変身出来るようになったので、わくわくするような可能性が開けた。ほどなく、私達は夜になると叫びの屋敷から抜け出し、校庭や村を歩き回るようになった。シリウスとジェームズは大型の動物に変身していたので、狼人間を抑制できた。ホグワーツで、私達ほど校庭やホグズミードの隅々まで詳しく知っていた学生はいないだろうね……こうして、私達が忍びの地図を作り上げ、それぞれのニックネームで地図にサインした。シリウスはパッドフット、ピーターはワームテール、ジェームズはプロングズ」
「どんな動物に――?」
父親がどんな動物になったのか気になって、ハリーは質問しかけたが、ハーマイオニーがそれを遮った。
「それでもまだとっても危険だわ! 暗い中を狼人間と走り回るなんて! もし狼人間がみんなを上手く撒いて、誰かに噛みついたらどうなったの?」
「それを思うと、今でもゾッとする」
重苦しい声でルーピン先生が言った。
「あわや、ということがあった。何回もね。あとになってみんなで笑い話にしたものだ。若かったし、浅はかだった――自分達の才能に酔っていたんだ。もちろん、ダンブルドアの信頼を裏切っているという罪悪感を、私は時折感じていた……ほかの校長なら決して許さなかっただろうに、ダンブルドアは私がホグワーツに入学することを許可した。私と周りの者の両方の安全のために、ダンブルドアが決めたルールを、私が破っているとは、夢にも思わなかっただろう。私のために、3人の学友を非合法の
そのルーピン先生の言葉には、どこか自己嫌悪の響きがあった。けど、ちょっとこの話はおかしい――ハリーは思った。ハナの名前が未だに出てこないからだ。大事な親友だと話したのは嘘だったのだろうか? けれども、レイブンクローの幽霊が実在したのは確かなはずだ。ルシウス・マルフォイも話していたし、スネイプだって退学になったどうのと話していたから間違いないのに、話に出ないのは一体どういうことだろう?
「ハナは――レイブンクローの幽霊はどうしたんですか?」
ハリーは気になって仕方なくて、思わず訊ねた。
「先生はレイブンクローの幽霊を大事な親友だって言いました。それにブラックとも仲が良かったし、彼女を犠牲にして退学を免れたという話がデタラメだったとしても、父さんの仲間だったのは確かなんですよね?――でも、今の話にはレイブンクローの幽霊の名前は一度も出てこなかった。それはどうしてですか? 実在したんですよね?」
「ああ、レイブンクローの幽霊は実在した。今もこうしてね」
ルーピン先生はチラッとハナを見ると言った。
「だが、ハリー、考えてみてくれ。彼女がどうして“幽霊”と言われているのか――」
「それって、どういう……」
「ハリー、レイブンクローの幽霊は神出鬼没だったの。突然現れて突然消える。だから、幽霊――」
訳が分からずハリーが混乱していると、ルーピン先生の代わりにハナが答えた。スキャバーズから視線を外しハリーを見たハナは続けた。
「私は当時、ホグワーツ生ではなかった。私を見掛けた人達が生徒だと勘違いしていただけよ」
そして、
「ハリー、私、違う世界からここに来たの」
とんでもないことを口にしたのだった。