The ghost of Ravenclaw - 207

23. レイブンクローの幽霊

――Harry――



 何が何だかさっぱり分からない。
 今、ハリー、ロン、ハーマイオニーの頭の中を占領しているのは、この言葉だけだった。だって、理解が出来るはずがない。鷲がブラックを庇おうとして、それで、その鷲がよりにもよって、ハナだった。ハナは2年生の終わりごろから動物もどきアニメーガスで、この1年間、ずーっとブラックを手助けしていた。杖を与え、食事を与え、ホグワーツに入れるよう手引きしたという。

 これが、錯乱の呪文による影響によるものではないと、どうしたら信じられるだろう。ハリー達を絶対裏切らないと言ったハナの行動だとは到底思えないし、いつだって悪い人に立ち向かおうとしていたハナの姿からは、かなりかけ離れている。だったら、ハーマイオニーの言うように、錯乱の呪文にかけられたという方が現実的だと言えた。むしろそうであってほしいとハリーは願わずにいられなかった。

 それに、まだ分からないことがある――ハナこそが、あのレイブンクローの幽霊だということだ。

 レイブンクローの幽霊は、18年以上前にホグワーツに在学していたとされる女生徒だった。2年生になる前の夏、ルシウス・マルフォイがその名を口にするのを聞いて以降、ハリーがことあるごとに耳にしていた名前だ。ドラコ・マルフォイはレイブンクローの幽霊はハナの母親で、アズカバンの囚人――おそらくはシリウス・ブラック――の恋人だと話していたし、ルーピン先生は彼女が自分の親友だとハリーに教えてくれた。それから、スネイプは彼女が退学になったと言った。ルーピン先生は事情があったのだと言っていたけれど、それらはすべて、ハナが生まれる前、ルーピン先生が学生時代の話だ。レイブンクローの幽霊がハナであるはずがなかった。

 でも、ルーピン先生は、ハナがレイブンクローの幽霊だと言った。ルーピン先生とブラック、そして、ハリーの父親と親友だったとそう話した。そんなことあり得るはずがない――ハリーの父親がヴォルデモートに殺された時、ハナはたったの1歳だった。親友になれるはずがない。けれども一方で、どこかでそのことを全否定出来ない自分がいることも確かだった。

 だって、1年生の時、ハナはハリーのことを1回だけ「ジェームズ」と呼んだ。それに、初めて会った汽車の中で、マルフォイがハリーの両親を侮辱した時、ハナはハリー以上に怒っていた。それに、汽車の中に吸魂鬼ディメンターが乗り込んできた時、セドリックはなんと言っていた? セドリックはハナが「ジェームズを殺さないで」と苦しんでいる、と言った。もしかして、と思うことは何度もあったのだ。そしてそれらは、ハナと父親が親友だったということで説明がついてしまう。

 ハリーは目の前でじっとスキャバーズを睨んでいるハナを見た。ハナは、どういう訳か首からカメラを提げていた。夏休みの最後の日にハリーと一緒に買いに行った、あのカメラだ。それに、ブラックとお揃いのペンダントをつけている。それから、いつも使っているポシェットを斜めがけしていて、手首にはこれまたブラックとお揃いで色違いの青い革製のブレスレットが嵌められていた。

 今やハリーにはハナが遠い人のように思えた。 本当にハナがレイブンクローの幽霊なのだろうか? 父さんと親友だったって本当だろうか? ハナは本当に自分の意思でブラックの手引きをしていたのだろうか? だとしたら、ブラックにそれだけの理由があったということだろうか? いや、どれもこれも滅茶苦茶だ。圧倒的に辻褄が合わないことが多すぎる――ハーマイオニーの言っていることの方が遥かにまともだし理解出来た。

 確かにルーピン先生は、忍びの地図を書いたのだろう。だからこそ、スネイプに取り上げられそうになった時、羊皮紙を見てそれがなんなのか瞬時に判断することが出来たのだ。使い方が分かっていたのも頷ける。地図を見ていたから、ハリー達が叫びの屋敷にいることが分かったというのも本当かもしれない。けれど、だからといって、ハナに錯乱の呪文を掛けていないと信じることはできないし、スキャバーズがピーター・ペティグリューだというのも流石に無理があった。だって、ピーター・ペティグリューは――。

「ピーター・ペティグリューは死んだんだ! こいつが12年前に殺した!」

 ハリーはブラックを指差して叫んだ。すると、ブラックの口許がピクリと痙攣するかのように動き、食いしばった歯の隙間から憎々しげに呟いた。

「殺そうと思った」

 獣が唸るような声だ。

「だが、小賢しいピーターめに出し抜かれた……今度はそうはさせない!」

 ブラックは大声でそう言うと、スキャバーズの入った鳥籠に向かって襲いかかった。その勢いで膝に乗っていたクルックシャンクスは投げ出され、襲い掛かられたロンは鳥籠を必死になって両手で守ったが、折れた足にブラックがのしかかると、痛さに叫び声を上げた。

「シリウス!」

 ハナが悲鳴に近い声を上げてブラックの背中に飛びつき、引き離そうとした。この瞬間だけ、ハナがハリー達を守ろうとするいつものハナに見えた。

「やめて! 約束したでしょ! シリウス!」
「シリウス、よせ!」

 ワンテンポ遅れてルーピン先生も加勢すると、2人かがりでなんとかロンから引き離そうとブラックを力いっぱい後ろに引っ張った。それでもブラックはスキャバーズに襲い掛かろうともがいている。

「待ってくれ! そういうやり方をしてはダメだ――みんなに分かって貰わねば――説明しなければいけない――」
「ちゃんと説明責任を果たさなくちゃ! いつもそうだから、貴方はみんなに勘違いされるのよ!」
「あとで説明すればいい!」

 ブラックがハナとルーピン先生を振り払おうと暴れながら歯を剥き出しにして叫んだ。その片手はスキャバーズの鳥籠を捕らえようと空を掻き続けている。スキャバーズは子豚のようにビービー鳴きながら、籠の中で暴れ回っていたが、壊れないよう魔法がかかっている籠はびくともしなかった。

「みんな――すべてを――知る――権利が――あるんだ!」

 ルーピン先生は息も絶え絶え言った。ハナも大きく息を乱しながら、空を掻くブラックの腕を取り押さえている。左手首につけているブレスレットが激しく揺れて、プレートに描かれた5本の杖がチラチラと見え隠れした。

「ロンはあいつをペットにしていたんだ! 私にもまだ分かっていない部分がある! それにハリーだ――シリウス、君はハリーに真実を話す義務がある!」
「それに私達クルックシャンクスを巻き込んだのよ! クルックシャンクスはハーマイオニーのペットだわ。どうしてクルックシャンクスが言うことを聞かなかったのか、説明しなくちゃ! そのことで彼女がどんなに傷付いたか! 彼らにはすべてを聞く権利があるのよ。シリウス、順番を間違えてはいけないわ。私達――今夜――すべてを話すの!」

 ハナとルーピン先生の必死の説得に、ブラックはようやく足掻くのをやめて籠から離れた。けれども、ブラックの獰猛な目だけは未だにスキャバーズを睨みつけたままだった。ロンはそんなブラックの目からスキャバーズを守るように鳥籠をぎゅっと両手で抱え込んだ。

「いいだろう。それなら」

 ブラックはネズミから目を離さずに言った。

「君達がみんなに何とでも話してくれ。ただ、急げよ、2人共。私を監獄に送り込んだ原因の殺人を、今こそ実行したい……」

 ブラックが「殺人」という単語を口にすると、ハナが何か言いたげな表情でブラックを睨みつけた。それから、何か言おうと口を開きかけたが、ハナより先にロンが声を出したので、ハナが何と言いたかったのかハリーには分からなかった。

「正気じゃないよ」

 声を震わせて、ロンはハリーとハーマイオニーに同意を求めるように振り返った。

「ハナ――本当に君は正気なのかい? 僕、君を信じていたい。ハリーもハーマイオニーもそうだ。僕達、君を悪い奴だなんてこれっぽっちも思っちゃいない。君は僕達を絶対裏切らないって言ってくれた……けど、でも――」
「ありがとう、ロン。それから、私達は全員正気よ」

 ハナはそう言うとブラックをチラリと見て困った顔で言った。

「だけど、彼が怖がらせてごめんなさい……頭に血が昇ってるの。けれど、今は訳がわからなくても、話をすべて聞けば、彼がどうしてこんな風になってるのか、きっと理解できるわ――」
「僕、分からないことだらけだ――君達の話は滅茶苦茶で所々辻褄が合わないし――ハリーの父親と友達だって、そりゃ、君がフラメルみたいに不老不死だって言うんなら話は分かるけど、そうじゃないだろ? それに、スキャバーズがピーター・ペティグリューだっていうのも変だ」

 ロンが鳥籠でキーキー喚くスキャバーズを見て言った。ハリーにもこの痩せこけてすっかり衰えてしまった何の取り柄もないただのネズミがピーター・ペティグリューだなんてとても信じられなかった。

「ペティグリューが死んだのを見届けた証人がいるんだ。通りにいた人達が大勢……」

 訝りながら、ハリーが言った。すると、鳥籠の中でジタバタしているスキャバーズから目を離さずにブラックが荒々しい口調で答えた。

「見てはいない。見たと思っただけだ」

 それは一体どういう意味だろう。ハリーがそう考えていると、今度はルーピン先生が言った。

「シリウスがピーターを殺したと、誰もがそう思った」

 ルーピン先生の目もスキャバーズから離れない。

「私自身もそう信じていた――今夜地図を見るまではね。忍びの地図は決して嘘はつかないから……ピーターは生きている。ロンがあいつの入った鳥籠を抱えているんだよ、ハリー」

 3人共どうかしている。ハリーはそう思うのに、ハナが黙ってスキャバーズを睨んでいるのを見ると、何だかそうなのかもしれない、という気がした。なぜなら、ハナが怖い顔をするのは、物凄く悪い人に対してだけだからだ。これまで、例外はスキャバーズだけだった。ハリーはそれが不思議でならなかったけれど、もし、例外ではなかったとしたら? スキャバーズのことをピーター・ペティグリューだと考えて、そんな態度だったのだとしたら? ピーター・ペティグリューにはハリーの知らない秘密があるでは無いだろうか。

 ハリーはじっとハナを見た。
 ハナはじっとスキャバーズを睨み続けていた。