The ghost of Ravenclaw - 204

23. レイブンクローの幽霊



 痛いほどの沈黙が、叫びの屋敷の中に広がった。
 ハリーは混乱したように私を見つめたまま、口を開いたり閉じたりしたが、声が出てこないようだった。その後ろにいるロンのローブのポケットでは、何かが激しく暴れていてロンがこの状況に驚きつつも必死に抑えていた。足元に転がってしまったクルックシャンクスがゆったりとした足取りでそんなロンのそばに歩いて行くと、ベッドの上に陣取り、じっとポケットを見張っていた。早く籠の中に入れてしまった方が賢明だろう――私がそう考え始めたその時、

「何てことなの!」

 ハーマイオニーが叫び声を上げて、私は驚いてそちらに視線を移した。見てみると、先程まで壁際で竦み上がっていたはずのハーマイオニーがいつの間にかしっかりと立ち上がっていて、真っ直ぐにリーマスを指差している。何やら悪い勘違いをしているようだ。私はこれからハーマイオニーが言わんとすることが分かって、思わず呻いた。

「ハーマイオニー、やめて」
「や、やめない! 先生は――先生は――」
「ハーマイオニー――」
「その人とグルなんだわ! 2人で共謀して、ハナに錯乱の呪文を掛けたのよ!」

 ハーマイオニーはパニックに陥っているようだった。普段ならもっと冷静に判断出来るだろうに、そう出来ないでいるのは、凶悪犯罪者に殺されてしまうかもしれないという恐怖と、そして、目の前にいる3人のうちの1人が狼人間であるということに気付いているからだろうか。いや、賢く頭の回転が速いからこそ、こういう結論を導き出してしまったのかもしれない。しかし、錯乱の呪文とは厄介だ。魔法省も私に対してそれを言い訳に使う可能性があるからだ。ハナ・ミズマチは錯乱の呪文にかけられ、シリウス・ブラックに協力させられていた――なんとていのいい言い訳だろう。

「だって、こんなのって変よ!」

 ハーマイオニーは尚も続けた。

「ハナは絶対に犯罪者の味方をするような人じゃないわ。そんな人じゃない――それに、レイブンクローの幽霊は先生の親友なんじゃなかったんですか? ハリーがそう聞いたって、私達教えて貰いました! なのに、ハナがそのレイブンクローの幽霊なんて辻褄が合いません。先生が学生だったころは、まだハナは生まれもしてないのに! きっと、ハナ相手じゃ、ハリーや私達が手を出せないと思って、ハナが自分のことをそう思い込むよう仕向けたんだわ! 自分達の仲間だと思わせるようにしたかったのよ。休暇中、ハナと一緒に過ごしている先生なら、その時間はたっぷりあるもの――」
「ハーマイオニー、落ち着いて」
「いいえ、落ち着いていられないわ! 私、ハナが大丈夫だって言うから今まで誰にも言わなかったのに、それだって錯乱の呪文にかけられていたせいだったに違いないわ。先生やハナのためだと思って、私、隠してたのに――」
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから! 説明するから――」

 リーマスも焦ったように叫んだ。このあとに続く言葉が何か、分かったからだ。けれども、今のこの状況では、リーマスの行動は、悪事がバレて慌てているようにしか見えなかった。仮に私が自ら進んでシリウスを手助けしたのだと主張しても、同じことだろう。錯乱の呪文にかけられているから善悪の判断がつかなくなり、庇っているとしか見えないのだ。私はどんどん悪くなっていく状況に頭を抱えたくなった。混乱させるのは分かっていたけれど、話をすることがこんなに難しいとは思いもしなかったのだ。それとも私は、順序を間違えてしまったのだろうか――。

「僕は先生を信じてた」

 ハーマイオニーの言葉を聞くなり、ハリーが声を震わせて言った。恐怖からではない。怒りから来る震えのようだった。この状況でハリーやが誰の意見を信じるか、火を見るより明らかだった。

「それなのに、先生はずっとブラックの友達だったんだ!」
「それは違う」

 リーマスがすぐさま否定した。その表情は一体どうやって説明したらいいかと悩んでいるように見えた。

「この12年間、私はシリウスの友ではなかった」

 慎重にリーマスが言葉を続けた。

「しかし、今はそうだ……説明させてくれ……ハナのことも君達に話すから……」
「ダメよ!」

 ハーマイオニーが叫んだ。

「ハリー、騙されないで。この人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。この人も貴方の死を願ってるんだわ――この人、狼人間なのよ!」

 再び、屋敷の中に沈黙が流れた。私は思わずハーマイオニーに違うと言い返そうとしたけれど、シリウスが「やめろ」と言わんばかりに後ろから私の腕を掴んで止めた。反射的にシリウスを振り返ってみると、シリウスは何も言わずにチラリとリーマスの方に視線を投げたあと、静かに首を横に振った。リーマスに任せた方がいい、ということだろうか――リーマスを見ると、彼は青ざめてはいたけれど、私よりずっと落ち着いていた。こういうことの対処に良くも悪くも慣れてしまっているのだ。一体何人に同じことを言われ、これまで生きてきたのだろう。

「いつもの君らしくないね、ハーマイオニー。残念ながら、4問中1問しか合ってない。私はハナに錯乱の呪文をかけていないし、シリウスが城に入る手引きもしていないし、もちろんハリーの死を願ってなんかいない……しかし、私が狼人間であることは否定しない」

 リーマスが狼人間であることを認めた瞬間、ロンはなんとか立ち上がろうとしたが、痛みに小さく悲鳴を上げてまた座り込んだ。足の骨折が相当ひどいらしい。それを見て、リーマスが心配そうにロンの方に行きかけたけれど、ロンが痛みに喘ぎながら言った。

「僕に近寄るな、狼人間め!」

 途端、リーマスはピタリと足を止めた。その時のリーマスの表情が、必死に悲しみに絶えているように見えて、私は咄嗟にリーマスの背中をポンポンと叩くと前に進み出た。先程私を止めたシリウスは、今度は止めたりしなかった。

「私ならどう? 貴方達の怪我を治すわ」

 出来るだけ柔らかな口調で私は言った。

「骨折はちょっと難しいけど、少なくとも今よりマシな状態には出来る。それから、ロン、スキャバーズがまた逃げ出さないように私の鳥籠を貸してあげるわ。今、持っているの。さっきからずっと暴れてて、今にも逃げ出しそうだわ――」

 ハリー、ロン、ハーマイオニーが固唾を呑んで見守る中、私はサッと杖を持ち上げ、杖先を肩から提げていたポシェットに向けた。そうして弧を描くようにして軽く杖を振ると、ポシェットがひとりでに開き、中から真っ黒な鳥籠が現れた。すると、ロンは半信半疑といった様子で激しく暴れ回っているポケットを抑えた。

「鳥籠も安全よ。ロキの鳥籠なの。ほら」

 今度は鳥籠の中に杖を向けると、私は今度は弧を2度描き鳥籠の中に青い小鳥を創り出した。小鳥は鳥籠の中で縦横無尽に飛び回り、やがて止まり木に止まって大人しくなった。これで鳥籠には何の細工もされていないことは証明出来たと思うけれど、ロンは未だにポケットを抑えたまま動かなかった。やはり、警戒されているから難しいだろうか。

「この状況じゃ、私のことを信じるのは難しいかしら……貴方達に私のことを知って欲しいの。その時がようやくやってきたのよ。それに、私は錯乱の呪文に掛かっていないし、リーマスも掛けてないって証明してくれると思うわ。それでも、私達の話を聞く気にはなれない?」

 私がそう言うと、ハリー達は戸惑ったように視線を交わした。私を信じるべきなのかどうか、かなり迷っているらしい。3人は視線だけで会話をするかのようにしばらくの間黙って見つめ合っていて、私もシリウスもリーマスもそんな彼らが答えを出すのを静かに待っていた。嫌な沈黙がまたゆるゆると流れていき、そして、

「僕――僕、ハナのことだけは信じる」

 ロンが震える声で沈黙を破って、私は驚いてロンを見た。まさか、真っ先にそう言ってくれるのがロンだなんて思いもよらなかったのだ。それは、ハリーとハーマイオニーも一緒だったのだろう。ハリーはギョッとした顔をして、ハーマイオニーは慌てて「ロン!」と制した。

「ロン! 貴方本気なの? ハナは錯乱の呪文にかけられてるかもしれないのよ! つまり、正常な判断が出来ていない可能性があるの。すぐ、ダンブルドアに連絡するべきよ!」
「でも、でも――」

 迷うような素振りを見せつつもロンは続けた。

「怪我を治してくれるって、スキャバーズに鳥籠を貸してくれるって、それくらい信じたっていいだろ? それに僕、ハナを疑うのはもう懲り懲りだ……次何かあっても絶対に疑わないって、僕、去年からそう決めてた……」
「もちろん――もちろん、私だってそうしたいわ」

 ハーマイオニーは泣き出しそうになりながら声を震わせた。

「でも、何の証拠もないのに信じることって危険だわ。相手は例のあの人とも繋がっているかもしれないのよ! ハナを使って、何かする気かもしれないわ。ハリーを殺させようとしているのかも!」
「だったらこうしよう――」

 ハーマイオニーの言葉にハリーが間髪入れずに答えた。ハリーはリーマスとシリウスをじっと睨みつけている。

「鳥籠だけ借りる。治療は話を聞いて、先生とブラックが、ハナに何もしてないと証明出来たら受ける――ただ、証明出来なかったら、僕はこいつらと戦う。君達が止めても無駄だ。僕は、僕の両親を奪い、ハナまでをも奪おうとしている奴らを許しはしない」
「今はそれでいい――」

 リーマスが静かに言った。

「ハナ、ロンに鳥籠を渡してやってくれ。あの様子じゃ話を聞くどころではないだろうからね」

 鳥籠に入れられたら終わりだと分かっているのだろう。ワームテールの暴れっぷりは今やひどいものだった。どうにかロンのポケットから抜け出そうと動き回っている。これは早く入れてしまった方がいいだろう。私はリーマスに頷いて見せると、杖を振って中にいた小鳥を消し、鳥籠をロンの手元へと動かした。

「それに入れておけば、一先ず安心よ。籠は壊れないように魔法を掛けてあるけど、無理に壊そうとしない限りスキャバーズに害はないわ」

 手元に鳥籠が来ると、ロンは嫌がって暴れるワームテールをむんずと掴んでポケットから取り出し、鳥籠の中に手を突っ込んだ。ワームテールは扉を閉められたら一巻の終わりだとばかりに身を捩ったり、ロンの手を噛んだりして抵抗していたが、やがて籠の奥に押し込められると扉はガチャンと音を立てて閉められた。ワームテールは籠の中でキーキー鳴いて暴れ回り、クルックシャンクスがベッドの上からその様子を覗き込んだ。

「あっちに行け、嫌な猫め――」

 ロンはシッシッと追い払うように手を振ると、鳥籠を自分のローブの中にすっぽりと隠しクルックシャンクスからも他の誰からも見えないようにした。しかし、ワームテールが鳥籠に入った――私はシリウスと目配せをすると、頷く代わりにそっと瞬きをしたのだった。