The ghost of Ravenclaw - 199
22. 叫びの屋敷
――Harry――
ハリーとハーマイオニーは顔色を青くして顔を見合わせた。透明マントを脱ぎ捨てクルックシャンクスとスキャバーズを追いかけていったロンが誰かに見つかりでもしたら、かなりまずいことになる――2人は大急ぎでロンを追いかけたが、透明マントを被ったまま全速力で追いかけるなんて無理な話だった。いつの間にか、ハリーもハーマイオニーもマントを脱ぎ、背に旗のように靡かせていた。
「スキャバーズから離れろ――離れるんだ――」
2人は走って走って、やがて、前方でロンがクルックシャンクスに怒鳴りつけている声を聞いた。どうやらすぐ近くにいるらしい。
「スキャバーズ、こっちへおいで――」
声は聞こえるというのに、辺りが急速に暗くなってしまったせいで、ロンがどこにいるのか、2人にはまるで見えなかった。すると、ドサッと大きな音がしたかと思うと、またロンの声が聞こえた。
「捕まえた! とっとと消えろ、いやな猫め――」
直後に、ハリーとハーマイオニーは急停止した。暗くてまったく気付いていなかったが、目の前でロンが地面に腹這いになって、スキャバーズを取り押さえていたのだ。なんとかスキャバーズをローブのポケットの中に戻したロンは、震えるポケットの膨らみを両手でしっかりと押さえながら立ち上がった。
「ロン――早く――マントに入って――」
ハーマイオニーが息も絶え絶え促した。
「ダンブルドア――大臣――みんなもうすぐ戻ってくるわ――」
しかし、3人には再びマントを被る時間も、息を整える暇もなかった。何か巨大な動物が忍びやかに走る足音を聞いたからだ。その何かは、暗闇に紛れ、こちらに向かってきたかと思うと、次の瞬間、地面を蹴り上げて跳躍した。薄灰色の目がギラリと光るそれは、真っ黒な犬だ。恐ろしいほどに大きい――。
ハリーは、咄嗟に杖に手をかけたが、杖ホルダーから杖を引き抜くことは出来なかった。大きくジャンプをした犬が前足でハリーの胸を打ったからだ。勢いに耐えきれずにハリーがのけ反って倒れると、ハリーの上にのしかかる犬の口に数センチもの長い牙が並んでいるのが見えた。
噛みつかれる――ハリーがそう思って逃げ出そうと身を捩ると、勢い余って犬がハリーの上から転がり落ちた。前足で打たれた胸の辺りが骨折しているかのように痛く、頭もクラクラしながらハリーがなんとか立ちあがろうとすると、くるりと体勢を立て直した犬が、唸っているのが聞こえた。
この犬がどうしてハリーに襲いかかったのか、ハリーにはさっぱり分からなかった。もしかしたら、杖を引き抜かれるのを止めたかったのかもしれないし、初めからハリーを狙っていたのかもしれない。それはハーマイオニーはもちろんのこと、ロンにも分かっていなかったが、それでも犬が再び跳びかかってくるのが見えると、ロンは無我夢中でハリーを横に押しやって庇った。
「ああああぁぁぁぁ!」
途端、声にならないロンの叫び声が辺りに響いた。ハリーを庇ったばかりに、ハリーではなく、ロンがこちらに伸ばした腕に犬が噛みついていたのだ。ハリーは犬に掴みかかり、むんずと毛を握り引っ張ろうとしたが、犬はまるでボロ人形でも咥えるかのように、やすやすとロンを引きずっていった。
「ロン!」
ハリーとハーマイオニーは、悲鳴にも近い声を上げてロンを助けに向かおうとしたが、次の瞬間、今度は違う何かの襲撃を受けて、2人は吹き飛ばされた。何か、固い巨大な殺人パンチを受けた気分だった。ハリーは額からタラリと垂れてきた血を払い除けると、杖ホルダーを手探りで探し、やっとの思いで杖を引き抜いた。
「ルーモス!」
ハリーが唱えると、杖先に明かりが灯り、ようやく辺りの様子が分かるようになった。目の前に見覚えのある太い木の幹がある――ハリーとハーマイオニーを近づけさせまいと暴れているそれは、他でもない、暴れ柳だった。前学年の時、ハリーはこれに空飛ぶ車で突っ込んで、ボコボコにされかけたのだ。どうやらスキャバーズを追っているうちに、暴れ柳のテリトリーに入ってしまっていたらしい。暴れ柳は一度に何人も樹下に入られたことに怒り狂って太枝を前に後ろに叩きつけている。
しかし、その暴れ柳の木の根元にあの犬がいた。根元に大きく開いたウロの中にロンを頭から引き摺り込もうとしている。ロンは先ほどまでのスキャバーズのように激しく抵抗していたものの、犬の力には到底敵わず、まずは頭が、次に胴がズルズルとウロの中に引き摺り込まれ、見えなくなりつつあった。
ハリーもハーマイオニーもあとを追いたいのに出来なかった。近付こうとする度に、暴れ柳の太枝が勢いよく飛んでくるのだ。そうしている間にもロンはどんどん見えなくなり、もう片足しか見えていなかった。ロンはこれ以上引き込まれまいと足をくの字に曲げて根元に引っ掛け抵抗したが、やがてバキッと銃声にも似た恐ろしい音が響いたかと思うと、ロンは完全にウロに引き込まれ、見えなくなった。足が折れてしまったのだ。
「ハリー――助けを呼ばなくちゃ――」
ハーマイオニーが真っ青になって叫んだ。その肩からは血が流れている。暴れ柳に殺人パンチをお見舞いされた時に切ってしまったらしい。ハリーの額からも血が流れていたが、そんなこと気にしている余裕はなかった。もちろん、助けを呼びに行く暇もあるはずがなかった。
「ダメだ!」
ハリーは暴れ柳の根元のウロを注視しながら言った。いつまでもハリーとハーマイオニーがそばを離れないので、暴れ柳は相変わらず枝を振り回し、2人を殴ろうとしている。
「あいつはロンを食ってしまうほど大きいんだ。そんな時間はない――」
「誰か助けを呼ばないと、絶対あそこには入れないわ――」
「あの犬が入れるなら、僕達にも出来るはずだ」
暴れ柳の下に通路があることをハリーは既に知っていた。クリスマス休暇の前、忍びの地図をフレッドとジョージから譲り受けた時に教えてもらったからだ。フレッドとジョージは入れないと言っていたけれど、通路があるということは、何か入る方法があるということだ。呪文のような、特殊な何かが。ハリーはなんとかその方法を見つけようとあちらこちらを跳び回ったが、結局、暴れ柳の殺人パンチの届かない距離から一歩たりとも根元に近付くことは出来なかった。
「ああ、誰か、助けて」
ハーマイオニーは、オロオロ走り回りながら何度も何度も祈るように呟いた。
「誰か、お願い……」
すると、飼い主の願いを聞きつけたかのように、クルックシャンクスがサーッと前に出た。そして、暴れ回る太枝の間を蛇のようにすり抜けていき、木の根元近くにあるコブの1つに両前脚を乗せた。
一体何が起こったのか、ハリーにもハーマイオニーも理解が出来なかった。けれども、クルックシャンクスがコブに前脚を置いた瞬間、それまで暴れていたのが嘘のように、暴れ柳はピタリと動きを止めた。まるで石像にでもなったかのように、枝どころか木の葉1枚動かない。
「クルックシャンクス!」
ハーマイオニーが驚きと感嘆の混じった声で呟いた。
「この子、どうして分かったのかしら――?」
ハーマイオニーの言葉を聞いて、ハリーは不意にクィディッチ決勝戦の前夜、クルックシャンクスと黒い犬が一緒に校庭を歩いていたところを見掛けたのを思い出した。あの時、ハリーは
「あの犬の友達なんだ」
ハーマイオニーにこれまでの経緯を説明する暇も惜しく、ハリーは端的に答えた。
「僕、2匹が連れ立っているところを見たことがある。行こう――君も杖を出しておいて――」
ハナが話していたことはある意味正しかった。ハリーはそう思えてならなかった。ハナの言う通り、黒い犬が
恐怖に好奇心が入り混じる奇妙な感覚になりながら、ハリーは杖を握り締め、ハーマイオニーと共に暴れ柳の根元まで一気に走った。すると、2人が根元のウロに潜り込む前に、クルックシャンクスがするりと中に潜り込んだ。どうやら先導してくれるらしい――ハリーは腹這いになるとクルックシャンクスのあとに続いてウロの中へ這って進み、正真正銘樹下へと入り込んでいった。