The ghost of Ravenclaw - 198

22. 叫びの屋敷

――Harry――



 ハグリッドが小屋の中へと戻っていくと、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、黙ってその場をあとにした。みんな、これから行われることへの言いようのない悔しさと恐怖と悲しみで、何か言葉にすることすら出来なかった。3人は無言で、なるべく足音を立てないように進んだが、ようやく小屋から少し離れたかというところで、ダンブルドア達が室内に入っていったのか、表の扉がバタンと閉まる音が聞こえてきてハーマイオニーが耐えきれずに囁いた。

「お願い、急いで」

 ハーマイオニーの声は震えていた。ハリーのローブの背中をこれでもかと握り締めている。

「耐えられないわ。私、とっても……」

 緩やかな上り坂になっている校庭の芝生を、3人は城に向かって登り始めた。辺りは急速に暗くなっていき、20分ほど前に城から出て来た時にはまだはっきりとその姿が見えていた太陽も、そのほとんどが禁じられた森の木々に隠れ、今にも沈もうとしている。それを受けてか、西の空は金色から真っ赤に燃えるルビーに変わっていた。

 3人はゆっくりだが、確実に校庭を進んでいた。しかし、ほどなくして、ロンがピタリと立ち止まった。何やら前屈みになり、格闘している。

「ロン、お願いよ」

 ハーマイオニーが後ろを振り返りながら急かした。ハグリッドの小屋からはまだそれほど離れてはいなかった。

「スキャバーズが――こいつ、どうしても――じっとしてないんだ――」

 どうやらロンは、ポケットから逃げ出そうとするスキャバーズと格闘しているらしかった。ハリーが覗き込んでみると、よほどミルク入れの中が良かったのか、スキャバーズは大暴れしてキーキー鳴き、ロンの手に噛みつこうとしている。

「スキャバーズ、僕だよ。このバカヤロ、ロンだってば」

 しかし、あまり立ち止まってはいられなかった。3人の背後でまた小屋の扉が開く音がして、人声がするのが耳に届いたからだ。なんと言っているのかまでは分からないが、とうとうやるのだということだけははっきりと分かった。

「ねえ、ロン、お願いだから、行きましょう。いよいよやるんだわ!」

 ハーマイオニーが涙声で訴え、再び3人は前進した。ハリーもハーマイオニーと同じ気持ちで、出来る限り背後から聞こえてくる声を聞きたくなかったが、そう望み通りにはいかなかった。スキャバーズが暴れ回り逃げ出そうとするので、ロンが度々それを取り押さえなければならなかったからだ。

「こいつを押さえてられないんだ――スキャバーズ、こら、黙れ。みんなに聞こえちゃうよ――」

 スキャバーズがキーキー喚き散らす声が辺りに響いていたが、たったネズミ1匹の鳴き声だけでは、ハグリッドの裏庭から聞こえてくる音を掻き消せるはずもなかった。ハリーが聞くまいとしても、5人の男達の声が嫌でも聞こえてくる。この距離では5人の声ははっきりとはせず、ざわめきのように聞こえていたが、それが不意にピタリと聞こえなくなったかと思うと、突如、斧が何かを切り裂いた鈍い音が、風と共にハリー達の耳に届いた。

「やってしまった!」

 思わず立っていられなくなり、ハーマイオニーがよろけながら声を上げた。

「し、信じられないわ――あの人達、やってしまったんだわ!」

 ハリーはそんなハーマイオニーを支えることすら出来ず、ショックで立ち尽くした。ロンですら、一瞬スキャバーズと格闘することを忘れ、恐怖で立ち尽くしている。ハーマイオニーは泣くのを我慢しているせいか、呼吸が奇妙に乱れていた。

 そんな3人を沈みゆく太陽がルビー色に染め上げていた。やがて、太陽は血のような明かりを3人に投げかけたかと思うと、森の向こうに消え、夜の帳が下りるのを告げるように、誰かの荒々しい吠えるような叫びが周囲に轟いた。

「ハグリッドだ」

 なんと言っているのかまでは分からなかったが、その声がハグリッドであることだけは、ハリーにはすぐに分かった。反射的に引き返そうとすると、ロンとハーマイオニーがハリーの両脇をガッチリ取り押さえた。ハリーは振り返って「行かせてくれ」と言おうとしたが、顔面蒼白で震えている2人を前にとてもじゃないけれどそんなこと言えなかった。

「戻れないよ――僕達が会いに行ったことが知れたら、ハグリッドの立場はもっと困ったことになる……」

 ロンが声を潜めてそう言って、ハーマイオニーも目で行ったらダメだと訴えていた。ハリーは引き返すのをやめ、ロンとハーマイオニーの背中を撫でた。ハナならこういう時、ハリー達にそうしてくれるだろうと思ったからだ。そして、ハリーがまさに、今、ハナにこうして欲しいと願っていた。ハナはどうやっても、ハリーの本当のお姉さんにはなれないし、家族にだってなれないのに、心細い時、ハリーはいつもそう願ってしまうのだ。

「どうして――あの人達――こんなことが出来るの?」

 ハリーが背中を撫でるとハーマイオニーが声を詰まらせて言った。

「本当にどうして――こんなことが――出来るっていうの?」

 3人は、支え合うようにピッタリとくっついて、透明マントにしっかりと隠れていることを確認しながら、また歩き始めた。太陽が沈んでまだ間もないというのに、外はどんどん日が陰り、広い校庭を横切り終えるころには、まるで夜の闇が魔法のように空を覆い尽くしていた。

「スキャバーズ、じっとしてろ」

 あともう少しで城の中に入るというところで、スキャバーズがまた暴れ回り始め、ロンが立ち止まった。ポケットのもっと奥深くに押し込もうと暴れるスキャバーズと格闘している。

「一体どうしたんだ? このバカネズミめ。じっとしてろ――アイタッ! こいつ噛みやがった!」
「ロン、静かにして!」

 あまりにロンの声が響くので、ハーマイオニーが声を低くして咎めた。

「ファッジが今にもここにやってくるわ――」
「こいつめ――なんでじっと――してないんだ――」

 スキャバーズは尚も暴れていた。城に戻るのがよほど怖いのか、ありったけの力で身を捩り、ロンの手からなんとか逃れようと必死になっている。そんなスキャバーズを取り押さえようと、ロンも躍起になった。

「まったく、こいつ、一体どうしたんだろう?」

 暴れるスキャバーズをしっかりと手で握り締めたままロンがそう言ったまさにその時、ハリーは招かれざる客がこちらにやって来るのを見た。それは、暗闇の中に大きな黄色い目を光らせ、地を這うようにして忍び寄ってくる。赤味がかったオレンジ色の毛に、瓶洗いブラシのような尻尾――クルックシャンクスだった。スキャバーズのキーキー声を追って来ているのか、まるで3人の姿が見えているかのように迫ってくる。

「クルックシャンクス!」

 ハーマイオニーがマントの中から呻いた。

「ダメ。クルックシャンクス、あっちに行きなさい! 行きなさいったら!」

 しかし、クルックシャンクスはちっとも言うことを聞かなかった。ジリジリと迫り、あともう少しでスキャバーズに飛びかかれるというところまで迫って来た。すると、

「スキャバーズ――ダメだ!」

 ロンの手からスキャバーズがスルリとすり抜け、地面に落ちた。スキャバーズは、クルックシャンクスから逃れようと遮二無二逃げ出し、そのあとをクルックシャンクスが矢のように追いかけていった。ロンはペットを食べられてなるものかと、透明マントをかなぐり捨てて、ネズミと猫のあとを猛スピードで追って行った。

「ロン!」

 ハリーとハーマイオニーが気付いた時には、2匹と1人は夜の暗闇の中に消え去ったあとだった。