The ghost of Ravenclaw - 197

22. 叫びの屋敷

――Harry――



 ハリーは、ハグリッドが悲しみに暮れ、泣いているかもしれないと考えていたが、バックビークの処刑を前に、ハグリッドは泣いてはいなかった。透明マントを脱いで姿を現したハリー、ロン、ハーマイオニーの3人に縋りついてくるようなこともない。けれども、ハグリッドは明らかにいつもと様子がおかしかった。心ここに在らずというか、茫然自失としていて、自分がどうしているのか、まったく意識がない様子だった。ハリーはこんなハグリッドを見るくらいなら、縋りついて大泣きしてくれていた方がマシだと思った。それくらい、ハグリッドを見ているのが辛かった。

 小屋の隅の方では、何かを察したファングが落ち込んだ様子で床に伏せていた。いつもなら、ハリー達が小屋にやってくると表の扉をノックしたそばからワンワン吠えて、尻尾をブンブン振りながら飛びついてくるのに、今日はそんな様子は微塵もない。ハリーはそんなファングを見るのも辛くて、視線を無理矢理移した。ハグリッドの小屋には他には誰もいない。ハリーは小屋を見渡しながら訊ねた。

「ハナは来てないの?」
「いんや。来てねえ。茶、飲むか?」
「僕、ハナはもうここにいるんだと思ってた。夕食の時にハナはいなかったんだ……」
「やっぱり、用事が終わってないか、寮に籠ってるのよ。だって、こんなのって……」

 ハーマイオニーの言葉はそれ以上続かなかった。ハリーは声を詰まらせるハーマイオニーに気付かなかったフリをしながら、何かを探して小屋を見渡した。小屋の中には肝心なものが足りなかった。すると、

「ねえ、ハグリッド、バックビークはどこなの?」

 同じように何かを探していたハーマイオニーが躊躇いがちに訊ねた。そう、小屋の中にはこの数ヶ月もの間ここにいたはずのバックビークの姿がなかったのだ。一体バックビークをどこにやったのだろうか――ハリーがそう考えていると、ハグリッドがブルブル震える手でヤカンを持ち、マグカップに紅茶を注ぎ入れながら答えた。

「俺――俺、あいつを外に出してやった。俺のかぼちゃ畑さ、繋いでやった。木やなんか見た方がいいだろうし――新鮮な空気も吸わせて――そのあとで――」

 話しながらハグリッドはヤカンを置き、ガタガタブルブル震えながらミルク入れを取り出した。それから、もう片方の手でミルクがたっぷり入った瓶を持ってミルク入れに注ぎ始めたが、手の震えが激しくて狙いが定まらず、ミルクがテーブルいっぱいに零れた。ハグリッドは、激しく震える手でミルク瓶を片付け、今度はマグカップにミルクを注ぎ入れようとミルク入れを手にしたが、ミルク入れはあっという間に手から滑り落ち、床に叩きつけられて粉々に砕けた。

「私がやるわ、ハグリッド」

 ハーマイオニーが急いで駆け寄って、テーブルや床を綺麗に拭き始めた。ハグリッドは呆然としたまま立っていることもままならなくなり、ミルク入れが戸棚にもう1つあるとハーマイオニーに伝えると、大きな椅子にヨロヨロと座り込んだ。冷や汗がダラダラ流れ、それを袖口で拭っている。

「ハグリッド、誰でもいい。何でもいいから、出来ることはないの?」

 ハグリッドの隣に腰掛けて、ハリーが訊ねた。縋るような思いだった。

「ダンブルドアは――」
「ダンブルドアは努力なさった。だけんど、委員会の決定を覆す力はお持ちじゃねえ。ダンブルドアは連中に、バックビークは大丈夫だって言いなさった――だけんど、連中は怖気づいて……ルシウス・マルフォイがどんなやつか知っちょろうが……連中を脅したんだ、そうなんだ……。そんで、処刑人のマクネアはマルフォイの昔っからのダチだし……。だけんど、あっという間にスッパリいく……俺がそばについててやるし……」

 そう話すハグリッドの視線が、まるで僅かな望みを求めるかのように辺りを彷徨さまよっていた。ハリーはそれが、無意識にダンブルドアが助けに来てくれるのを待っているのかもしれない、と思えてならなかった。だって、頭では無理だと分かっていても、ダンブルドアならもしかしたらとハリーでも期待してしまうからだ。

「ダンブルドアがおいでなさる。ことが――事が行われる時に。今朝手紙をくださった。俺の――俺のそばにいたいと仰る。偉大なお方だ、ダンブルドアは……」

 床を綺麗に拭き終え、いつの間にか代わりのミルク入れを探して戸棚を掻き回していたハーマイオニーが小さく啜り泣くのが、ハリーの耳に届いた。ハーマイオニーはしばらくの間、戸棚をガチャガチャとしていたけれど、やがてミルク入れを見つけると、背筋を伸ばして涙を堪えた。

「ハグリッド、私達も貴方と一緒にいるわ」

 こちらに歩み寄ってきたハーマイオニーがそう声を掛けると、ハグリッドはすぐさま首を横に振った。

「お前さん達は城に戻るんだ。言っただろうが、お前さん達にゃ見せたくねえ。それに、初めっから、ここに来てはなんねえんだ……ファッジやダンブルドアが、お前さん達が許可ももらわずに外にいるのを見つけたら、ハリー、お前さん、厄介なことになるぞ」

 途端、堪えきれなかった涙が一筋、ハーマイオニーの頬に流れ落ちた。ハーマイオニーはそれに気付くと、ハグリッドに気付かれないように涙を拭いて、また忙しく動き回り、お茶の支度の続きを始めた。そして、ミルクを瓶から容器に注ごうとしたところで、ハーマイオニーが声を上げた。

「ロン! し――信じられないわ――スキャバーズよ!」

 これにはロンだけでなく、ハリーもポカンとしてハーマイオニーを見た。

「何を言ってるんだい?」

 あまりの辛い出来事に、ハーマイオニーがおかしくなったのかと思ったが、そうではなかった。ハーマイオニーが慌てた様子でミルク入れを持ってきてテーブルの上で逆さまにすると、そこから本当にネズミのスキャバーズが滑り落ちて来たのだ。キーキー言いながら、なんとかミルク入れに戻ろうともがいている。

「スキャバーズ! スキャバーズ、こんなところで、一体何してるんだ?」
「本当にハナの言ったとおりだったなんて――」

 ハーマイオニーが驚いたような感心するような声を出すと、スキャバーズは更に大暴れして逃げ出そうとした。ロンはようやく見つけたペットを逃がすまいと、そんなスキャバーズを鷲掴みにして明かりにかざした。どこをどう見ても、確かにスキャバーズだった。けれども、ハリーが前に見た時よりもボロボロで痩せこけ、毛がバッサリ抜け落ちて頭頂部が大きく禿げている。相当怖い思いをしたのか、ロンの手の中で必死に身を捩っていた。

「大丈夫だってば、スキャバーズ! 猫はいないよ! ここにはお前を傷つけるものは何もないんだから!」

 すると、外で鷲が鳴く甲高い声が聞こえたかと思うと、ハグリッドが急に立ち上がった。目が窓の外に釘付けになり、顔がみるみるうちに土気色になっていく。

「連中が来おった……」

 ハグリッドの震える声に、ハリー、ロン、ハーマイオニーが一斉に振り向いた。見ると、本当に遠くの城から何人かが降りてくるのが見えた。先頭を歩いているのはダンブルドアで、銀色の髭が沈みかけた太陽を映してキラキラ輝いている。その隣をファッジがせかせかと歩き、2人の後ろから委員会の老魔法使いと死刑執行人――先程ハグリッドがマクネアといった男――がやって来ている。

「お前さんら、行かねばなんねえ」

 ガタガタ震えながらハグリッドが言った。小屋の外では危険を知らせるように鷲が鳴いている声が響いている。

「ここにいるとこを連中に見つかっちゃなんねえ……行け、早う……」

 3人は顔を見合わせ、後ろ髪引かれる思いで小屋を出る準備をした。ロンはスキャバーズをポケットに押し込み、ハーマイオニーがハリーの代わりに透明マントを持ってくれた。ハグリッドは、それを確かめると「裏口から出してやる」と言っていつもの表の扉とは反対方向に向かっていった。

 小屋の裏口から出ると、そこにはこぢんまりとした裏庭があった。ハロウィーンのために育てているかぼちゃ畑があり、その後ろの禁じられた森の近くにある木にバックビークが繋がれていた。ハリーは繋がれたバックビークを見た瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられる思いがした。バックビークはこれから本当に処刑させるのだろうか――バックビークも何かを感じとっているのか、頭を左右に振り、不安げに地面を掻いている。

「大丈夫だ、ビーキー。大丈夫だぞ……」

 ハグリッドがバックビークに歩み寄り、優しく語りかけた。それから3人を振り返ると強い口調で言った。

「行け。もう行け」

 鷲の鳴き声が止まり、3人の動きも止まった。行きたくなかった。厄介なことになってもそばにいたかった。こんな状態のハグリッドをどうして1人に出来るというのだろう。それに、バックビークのために何かをしてあげたかった。3人は口々にハグリッドに訴えかけた。

「ハグリッド、そんなこと出来ないよ――」
「僕達、本当は何があったのか、あの連中に話すよ――」
「バックビークを殺すなんて、ダメよ――」

 すると、ハリー達を急かすように鷲がまたひと鳴きした。まるで、ハリー達に何が起こっているのか、鷲には全部分かっているかのようだった。

「行け!」

 ハグリッドが強い口調で言った。

「お前さん達が面倒なことになったら、ますます困る。そんでなくても最悪なんだ!」

 ここまで言われては、行くしかなかった。ハーマイオニーが震える手で自分とハリーとロンに透明マントを被せ、3人の姿が辺りから消えた。マントの中で見たハーマイオニーはハグリッドと同じくらいガタガタ震えて、目には涙が溜まっていた。

「急ぐんだ。聞くんじゃねえぞ……」

 小屋の表で人声がするのが聞こえると、ハグリッドは3人が消えた辺りを見てそう言い、大股で小屋の中へと戻っていった。