The ghost of Ravenclaw - 193

21. バックビークの処刑



 どうやらワームテールは予備のミルク入れに隠れていたらしい。ハーマイオニーがミルク入れを持ってきてテーブルの上に引っ繰り返すと、キーキー大騒ぎしながらワームテールが滑り落ちてきた。なんとかミルク入れの中に戻ろうともがいている。私はその様子を注意深く観察した。

「スキャバーズ! スキャバーズ、こんなところで、一体何してるんだ?」
「本当にハナの言ったとおりだったなんて――」

 ハーマイオニーが驚いたような感心するような声を出すと、ワームテールは更にジタバタと暴れ出した。きっと私が怖いに違いない。けれども、抵抗虚しく、ワームテールはすぐさまロンに鷲掴みにされた。いなくなってからどんな生活をしていたのか、ワームテールはボロボロで以前より随分と痩せこけて、毛がバッサリ抜け落ちている。体力も衰えているようだったが、ロンの手の中で何とか抜け出そうと身を捩っていた。その時、

「西の空が黄金色に輝いておる……コーネリウス、君も美しいと思わんかね?」

 ダンブルドア先生の声が聞こえて私は振り返った。城の方からファッジ大臣と危険生物処理委員会の老魔法使いとマクネアと共に、ハグリッドの小屋に向かって歩いてくる。やけに大きな声で話しているのは、どこかにいるであろう私に知らせるためだろうか。きっと、手紙が届いたに違いない。私はもう一度小屋の中を見た。ロンは四苦八苦しながらもしっかりとワームテールを掴んでいる。ファッジ大臣達がやって来ているので、もう少しで外に出るはずだ。セドリックに知らせるなら、今だ――。

 私は窓辺から高々と飛び立つと、甲高い声で鳴きながら小屋の上をぐるぐると飛び始めた。途端に胸元にあるペンダントが熱を持ち始め、まもなく、小屋の裏口が開いてハグリッドとハリー達が出てきた。まだマントを着る前で、その姿がはっきりと見て取れる。裏口のすぐそばにはバックビークが繋がれていて、不安げに頭を振り、地面を掻いていた。

「行け。もう行け」

 しばらくしてスーッと屋根の上に戻ると、ハグリッドがそう言う声が聞こえてきた。けれども、ハリー達はまだ裏口のところから動かずにいた。ロンのローブのポケットだけがモコモコ蠢いていて、そこにスキャバーズがいることがはっきりと分かった。

「ハグリッド、そんなこと出来ないよ――」
「僕達、本当は何があったのか、あの連中に話すよ――」
「バックビークを殺すなんて、ダメよ――」

 私は視線を移してダンブルドア先生を見遣った。一行は、もう間もなくハグリッドの小屋に辿り着くところまで迫っていて、ダンブルドア先生がファッジ達に何やら湖の方を指差して話をしているところだった。時間を稼いでくれているのかもしれないが、それも長くは持たないだろう。私は彼らを急かすようにまた「ピー」と鳴いた。東の空から迫る夜の闇が色濃くなり、太陽は、いよいよ森の木々の向こうへ沈もうとし、西の空はオレンジから真っ赤に染め上げられていた。

「行け!」

 ハグリッドが強い口調で言った。

「お前さん達が面倒なことになったら、ますます困る。そんでなくても最悪なんだ!」

 ハリーもロンもハーマイオニーも悲痛な表情でハグリッドを見上げていたが、ハグリッドの言葉にグッと唇を引き結ぶと頭からすっぽりと透明マントを被り、見えなくなった。すると、タイミングよく小屋の表から人声がして、ハグリッドは3人が消えたあたりを見ると掠れ声で言った。

「急ぐんだ。聞くんじゃねえぞ……」

 扉を叩く音がしたのは、その直後のことだった。私は3人の足音が遠ざかっていくのを確認すると、そーっと裏口近くの木の枝に止まった。それほど高くない枝で、バックビークの様子も見えるし、裏に面した窓から家の中の様子も窺える、絶好の位置だった。しかも、ハグリッドが裏口をきちんと閉めていなかったので、半開きになった扉の隙間から、声も聞くことが出来た。

「獣はどこだ?」

 室内に招き入れられると、マクネアが意地悪そうな目つきで小屋を見渡しながら、言った。控訴の時には室内にいたバックビークの姿がないので探しているのだろう。少しして、外にいるとハグリッドが告げる声が聞こえてくると、マクネアの顔が裏に面した窓からかぼちゃ畑を覗き込んだ。すると、背後で何かが動く気配がして私は振り返った。動物だろうか――じっと目を凝らしていると、ガサガサと茂みが動き、そして、

「ハナ、こっちだ」

 まったく違う方からセドリックの声がして、私は視線を移した。禁じられた森の方に息を切らしたセドリックが草叢に隠れて手招きをしている。こんな予定はなかったはずなのに、一体どういうことだろうか。私はハグリッドの小屋を振り返った。小屋の中ではファッジ大臣が死刑執行の通知を読み上げようとしているところだった。

「ハナ、早く。時間がないんだ。急いで」

 もしかしたら、シリウスに何かあったのかもしれない。私はそう考えると、セドリックの方へと飛んで行った。草叢くさむらの陰に隠れ、ポンッと元の姿に戻ると言う。

「セド、一体どうしたの?」
「ついさっき、ダンブルドアから話があったんだ」

 セドリックは大きく肩で息をしながら答えた。本当に急いでここまできたらしい。大粒の汗が、額から頬を伝って流れている。

「ダンブルドアは、バックビークを助ける手立てがあるって。でも、君がその場にいると不都合が起きるかもしれないから、助けている間、離れているようにって」
「不都合?」
「見つかったら確実に君は罪に問われる。ダンブルドアはそれを防ぎたかったんだ――行こう。兎に角、ここから一旦離れないと」

 ハグリッドの小屋の方を気にしながら、セドリックは私の肩に腕を回すと半ば強引に小屋から連れ出し、遠ざかり始めた。私は何が何だか分からなくて、後ろを振り向こうとしたが、振り向こうとする度にセドリックが「急いで」と私を急かした。

「ねえ、本当にバックビークを助けられるの?」

 森の中を隠れるように早足で進みながら、私は訊ねた。本当にダンブルドア先生がセドリックにそんな指示を出したのだろうか? それとも、ダンブルドア先生なら目くらまし術を使っている相手でもすぐに見破ることが出来るのだろうか。それに、ファッジ大臣達の相手もしなければならないはずなのに、本当についさっき・・・・・話があったのだろうか。もしかすると、手紙を貰ったのだろうか。だって、今目の前にいる彼は確実にセドリックだ。私が鷲であることを知っているのはセドリックとシリウスしかいないし、それに、この甘く爽やかな香りはセドリックのものだ。セドリックは嘘をつくような人ではない――。

「大丈夫、今ごろ助け出されているよ」

 もう小屋から十分離れただろうというところで、セドリックは言った。私は、ダンブルドア先生がいうなら大丈夫だろうと分かりつつも、予定外の出来事に不安を隠しきれなかった。バックビークは本当に助けられたのだろうか。小屋から随分離れてしまって、ようやく振り返ることが出来た時には、もう何も様子が分からなかった。しかも、急速に日が陰り、鬱蒼と木々が生い茂る森の中はかなり薄暗くなっている。

「不安かい?」

 私が巨木の陰に身を隠して小屋がある方を見ていると、セドリックが気遣わしげに声を掛けた。それに素直に頷いて見せると、セドリックは「大丈夫だよ」と言って私の肩に回している腕の力を強めて、抱き寄せた。すると、その反動で首から提げているペンダントとカメラが揺れ、セドリックのお腹の辺りにカメラがぶつかった。

「ハナ――くれぐれも――気をつけて――」

 セドリックがカメラをじっと見ながら言った。何だかその様子がいつもと違って見えて、戸惑いながら見上げてみると、セドリックは何か言いたいことを我慢しているようなそんな顔をしていた。数時間前に泣いてしまったばかりだし、これからのことを考えて、私を心配してくれているだけだろうか。それとも、他に何かあったのだろうか。

「セド、どうしたの?」
「いや……上手くいけば、そろそろバックビークが助かったはずだ。少し戻ってみよう。様子が分かるところまで」

 誤魔化すようにそういうと、セドリックは私の手を引いて、来た道を慎重に戻り始めた。しかし、日没を過ぎた森の中はますます暗くなっていく一方で、私は足元が見えなくて戻るのに少々手こずり、セドリックの様子について訊ねる余裕がなくなっていた。

「バックビークの無事を確認して、それから、念の為、ダンブルドアがファッジ達を連れて城に戻るまで待っていた方がいい」

 ハグリッドの小屋が見えるところまでやってくると、セドリックが声を潜めて言った。私はセドリックを見て頷くと、そーっと小屋の裏口に近付き、様子をうかがった。すぐにセドリックもやってきて、私達は並んで草叢くさむらに隠れるよう腰を屈めると、窓から中を盗み見た。室内では、ハグリッドがちょうど上機嫌にダンブルドアにお茶を振る舞っているところだ。その様子はとてもバックビークを処刑されたあとだとは思えない。逆に、マクネアがイライラした様子でこちらとは反対側の窓から空を見上げている。こちらも念願の処刑を成し得たあととは思えなかった。

「バックビークは処刑を免れたみたい……信じられないわ」

 私は驚きながら辺りを見渡した。かぼちゃ畑は、囲いの柵が一部壊されているだけで、他には血の一滴も落ちてはいない。本当にダンブルドア先生が手を尽くしてくださったのだ。きっと誰も疑われずに済むような方法で、だ。

「でも、一体、誰がやったの? 私や貴方以外で、一体誰が……ハリー達は向こうに行ってしまったから助け出すなんて無理だし……」
「バックビークのことはきっと、ダンブルドアがあとで教えてくれると思う」
「ええ、そうね……すべて終わったら、聞いてみるわ。ねえ、そろそろ城に戻るみたい……」

 小屋の中でみんなが席を立つのが見えたのは、それからしばらく経ってからだった。まもなく、入口の扉が開く音がしたかと思うと、ダンブルドア先生の声が聞こえてきた。何やら面白がっているような声だ。

「マクネア、もうここからは見えんじゃろうて――探すならホグワーツ以外のところを探すしかあるまい」

 それからハグリッドに労いの言葉を掛けると、ダンブルドア先生は困り果てた様子のファッジ大臣や老魔法使い、それから怒り狂ったマクネアを連れて、暗い校庭を横切り、城へと戻っていった。ハグリッドはしばらくの間それを見送っていたが、4人の姿が小さくなると、小屋に戻り、ブランデーの大きな瓶を取り出して、豪快にそのまま飲み始めた。

「良かった……」

 私はホッと胸を撫で下ろして、そんなハグリッドの様子を眺めた。ハグリッドはグリフィンドールがクィディッチで優勝した時よりもっと嬉しそうで、長い間落ち込んでいたのを見てきたので、私も胸がいっぱいになった。

 ただ、同時に、バックビークがどうなったのか、ハグリッドが知るのはずっと先のことだろうと私は思った。危険生物処理委員会やルシウス・マルフォイの今後の動向が分からないと、ハグリッドがバックビークを逃した罪に問われるかもしれないからだ。しかも、魔法界には真実薬や開心術があるから厄介だ。もし話すとしたら、ルシウス・マルフォイがバックビークのことなんか忘れてしまったあとだろう。

「本当は正真正銘無罪放免が良かったけれど……」
「今はこれが最善だと思うよ。一先ず、罪のない命が助かったことを喜ぼう」
「ええ、そうね。それに、今夜はもう1人自由にしてあげないと。しかも、こっちも命が懸かってる……」

 私はそう呟くと、バックビークのことからシリウスのことへと無理矢理思考を切り替えた。シリウスもまた、今夜を逃せばきっと無罪を晴らすことは難しくなるだろう。それどころか、吸魂鬼ディメンターに魂を抜かれ、抜け殻にされてしまうかもしれない。そうならないためにも、一刻も早く叫びの屋敷に向かわなければならなかった。上手くいっていれば、今ごろ、シリウスはハリー達とワームテールと共にそこにいるはずだ。

「さっきも言ったけど、くれぐれも気をつけて」

 私の言葉にまた何か言いたげな表情をして、セドリックが囁いた。隣に腰を屈めているセドリックを見てみると、彼はなんだか心配そうな、それでいて苦しげな表情をしていて、私はなんて答えたらいいのか分からずに、少しの間、黙って見つめていた。

「ありがとう、セド。私、きっとやり遂げてみせるわ」

 やがて、私はそう言うと出来るだけ微笑んで見せた。不安がないといえば嘘になる。けれど、心配そうにしているセドリックにこれ以上心配を掛けたくなかった。

「待ってて。終わったら、パーティしましょ」

 精一杯の虚勢を張って、パチンとウインクして見せると、私はその場でポンッと鷲になって飛び立った。セドリックはじっとこちらを見上げたまま、私が暴れ柳の方へ飛び去って見えなくなるまで、そこから動くことはなかった。