The ghost of Ravenclaw - 192

21. バックビークの処刑



 再びハグリッドの小屋に戻ると、私は屋根の上でじっとその時を待った。すべての生徒達が試験を終え、開放感いっぱいになって湖の近くで涼みながら遊んでいる様子を私は屋根の上から眺めた。遠目からでは流石に分かりづらいが、ハリー、ロン、ハーマイオニーの姿は校庭にはないようだ。湖で大イカと派手に遊んでいるフレッドとジョージの姿だけがやけに目立っている。

 夕食が近付くと、ぽつりぽつりと生徒達が城に帰っていき、最後にフレッドとジョージが帰っていくと、校庭には誰もいなくなった。けれども空はまだ随分と明るく、夕方くらいの感覚だった。イギリスの夏は驚くほど日没が遅いので、無理もないだろう。今日の日没だって、夜10時だ。サマーマイムの関係もあるのでその時間になっているともいえるけれど、それがなくとも夜9時まで陽が沈まないので、やはり、日中が長いことには変わりなかった。

 ハグリッドは、小屋の中で憔悴しきったまま刻一刻と日没を待っていた。顔は青ざめ震えているし、落ち着かないのか室内をウロウロしている足音がしきりに聞こえている。それに、10分に1度は窓の外を覗き、まだ太陽が沈んでいないかを確かめた。裏の畑に繋ぎ止めてあるバックビークも何やらいつもの違う雰囲気を察しているのか、落ち着かなげだ。

 セドリックから最初の合図が届いたのは、太陽がすっかり傾き、禁じられた森の木々の向こう側へと沈み始めたころだった。オレンジ色に輝く夕陽のベールが森を覆い尽くし、東の空から夜がゆっくりと、しかし確実に迫っている。

 私は首から提げたペンダントが熱を帯びたのを感じながら、じっと校庭の芝に目を向けた。すると、城の方から見えない何かが近づいてくるのがはっきりと分かった。おそらく3人で透明マントを着ているに違いない。ただ、予想していた通り、芝が揺れ動き、踏み締められて不自然に沈んでいる様子までは隠せていなかった。やがて、芝の不自然な沈みが目の前までやってきたかと思うと、私の真下で止まった。ヒソヒソと話す声が聞こえている。

「あの鷲だ」

 最初に聞こえたのはハリーの声だった。

「去年、秘密の部屋に入る前、マートルのトイレの窓から覗いていた鷲に違いないよ。目が一緒だ――それに、もしかするとハッフルパフとの試合の時、僕を助けてくれようとしたのもこの鷲だったかもしれない……」
「ねえ、これ、私達が見えてるんじゃないわよね?」

 今度はハーマイオニーが怯えたように言った。

「なんだかじーっとこっちを見ているみたい……」
「左の羽にある青いラインはなんだろう? 前はあんなのなかったと思うけど……それに、あの胸元の丸い模様だって……」

 またハリーの声がした。

「なんだっていいじゃないか」

 投げやりな声を出したのはロンだ。

「そうよ、ハリー。気にしている時間はあまりないわ。グズグズしているとすぐに日没になるわよ……」
「ウン、じゃあ、行こう」

 ハリーがそう話す声が聞こえてまもなく、見えない3人がまた動き出して、やがて、小屋の扉がノックされた音が聞こえた。しかし、ハグリッドはすぐには答えなかった。きっと、ファッジ大臣達が来たと思ったのだろう。たっぷり1分ほど経って、ようやく扉が開き、ハグリッドが顔を出した。青ざめた顔で震えながら誰が来たのかとそこら中を見渡している。ハリー達はまだ透明マントを着ていたので、姿が見えなかったのだ。

「僕達だよ」

 再び、ハリーのヒソヒソ声が聞こえた。

「透明マントを着てるんだ。中に入れて。そしたらマントを脱ぐから」
「来ちゃなんねえだろうが!」

 ハグリッドはそう言いながらもここまで来てしまっては仕方がないと、一先ずハリー達を中に入れたようだった。小屋の扉が閉まり、外に人の気配がなくなったのを感じると私は羽音を立てないよう気をつけながら、小屋の屋根から降り、控訴の時と同じように窓辺に止まり、中の様子をうかがった。小屋の中ではちょうど、ハリー達がマントを脱いで姿を現したところだった。

「ハナは来てないの?」

 ハリーが辺りをキョロキョロ見渡しながら言った。

「いんや。来てねえ。茶、飲むか?」
「僕、ハナはもうここにいるんだと思ってた。夕食の時にハナはいなかったんだ……」
「やっぱり、用事が終わってないか、寮に籠ってるのよ。だって、こんなのって……」

 ハーマイオニーが声を詰まらせながら囁いた。それから、ハリーと同じように何かを探して視線を彷徨さまよわせると、躊躇いがちに訊ねた。

「ねえ、ハグリッド、バックビークはどこなの?」
「俺――俺、あいつを外に出してやった」

 ハグリッドはブルブル震える手でヤカンを持ち、マグカップに紅茶を注ぎ入れた。それからミルクを用意しようとミルク入れを取り出し、ミルクがたっぷり入った瓶を傾けて注ぎ始めたが、手が震えるせいで狙いが定まらず、ミルクがテーブルいっぱいに零れた。

「俺のかぼちゃ畑さ、繋いでやった。木やなんか見たほうがいいだろうし――新鮮な空気も吸わせて――そのあとで――」

 ハグリッドの震えはひどくなるばかりだった。激しく震える手でミルク瓶を片付け、今度はマグカップにミルクを注ぎ入れようとミルク入れを手にしたが、ミルク入れはあっという間に手から滑り落ち、ガチャンと大きな音を立てて割れた。床に叩きつけられたミルク入れが粉々になって飛び散り、ハーマイオニーがサッと駆け寄ってテーブルと床を片付けた。

「戸棚にもう1つある」

 ハグリッドは立っているのもままならなくなり、戸棚にミルク入れがもう1つあることをハーマイオニーに告げると、ヨロヨロと椅子に座り込んだ。冷や汗が凄いのか、袖口で額の汗を拭っている。そんなハグリッドのあまりの様子に、ハリーとロンが困った様子で顔を見合わせた。どうしたらいいのか分からないのだろう。

「ハグリッド、誰でもいい、何でもいいから、出来ることはないの?」

 ハグリッドの隣に腰掛け、ハリーが訊ねた。

「ダンブルドアは――」
「ダンブルドアは努力なさった。だけんど、委員会の決定を覆す力はお持ちじゃねえ。ダンブルドアは連中に、バックビークは大丈夫だって言いなさった――だけんど、連中は怖気づいて……ルシウス・マルフォイがどんなやつか知っちょろうが……連中を脅したんだ、そうなんだ……。そんで、処刑人のマクネアはマルフォイの昔っからのダチだし……。だけんど、あっという間にスッパリいく……俺がそばについててやるし……」

 ダンブルドア先生が危険生物処理委員会に働きかけたのは、裁判が決まる前のことなのかもしれない。だからこそ、ハグリッドはバックビークの裁判に関してダンブルドア先生を頼る素振りを見せなかったのだ。ダンブルドア先生が自分のためにどれほど時間を割いてくれていたのか、理解していたからだ。

「ダンブルドアがおいでなさる。ことが――事が行われる時に。今朝手紙をくださった。俺の――俺のそばにいたいとおっしゃる。偉大なお方だ、ダンブルドアは……」

 話を聞いていたハーマイオニーが堪えきれず、啜り泣いているのが分かった。泣いていることに気付かれたくないのか、ハーマイオニーにしては珍しく、代わりのミルク入れを探しす手は乱雑だ。ハーマイオニーはしばらくの間戸棚をガチャガチャとかき回していたけれど、やがて予備のミルク入れを見つけると、背筋を伸ばしてぐっと涙を堪えた。

「ハグリッド、私達も貴方と一緒にいるわ」

 ハーマイオニーがそう声を掛けるも、ハグリッドは頑なに首を横に振った。

「お前さん達は城に戻るんだ。言っただろうが、お前さんたちにゃ見せたくねえ。それに、初めっから、ここに来てはなんねえんだ……ファッジやダンブルドアが、お前さんたちが許可ももらわずに外にいるのを見つけたら、ハリー、お前さん、厄介なことになるぞ」

 ハーマイオニーの頬にスーッ一筋の涙が流れ落ちた。すると、ハーマイオニーはまた忙しなく動き回り始め、お茶の支度を始めた。ハグリッドに泣いている姿を見せたくなかったのだ。そして、ミルクを瓶から容器に注ごうとしたところで、遂にその時がやってきた。

「ロン! し――信じられないわ――スキャバーズよ!」