The ghost of Ravenclaw - 191

21. バックビークの処刑



 時間にするとほんの2分とか3分くらいの出来事だったように思う。泣いていた時間はきっとそんなに長くなかったはずなのに、ようやく泣き止んで離れた時、なんだか1時間くらいは抱き締められていたような錯覚に陥った。抱き締められていた感覚が体のあちこちに残って気恥ずかしいのと、年甲斐もなく泣きじゃくって情けないのを誤魔化すように袖口で涙を拭うと、自嘲気味に呟いた。

「私、敗訴するものとして作戦を練ってたはずなのに、変ね」

 本来なら、私にはこんな風に泣きじゃくる資格なんてない。なぜなら、バックビークの控訴が満月の日に行われると知って以降、私はバックビークの処刑が行われるものとして作戦を練ってきたからだ。ルシウス・マルフォイの影響力を考えると、ハグリッドが上手く弁護したとしても敗訴は免れないだろうとそう考え、準備してきた。

 けれど、いざ敗訴を突きつけられると、ひどくショックを受けている自分がいた。これで作戦通り計画を進められると喜ぶことなんて、とてもじゃないけど出来るはずがなかった。でも、言い訳が許されるのなら、泣くつもりなんてなかった。本当にそんなつもりはなかったのだ。なのに、セドリックの声を聞いたら、どうしてだか涙が零れるのを抑えきれなかったのだ。

「何もおかしくなんてないさ」

 私の言葉にセドリックが言った。

「だって、君はクリスマス休暇からずっとバックビークを助けようと努力してたんだ。それに、処刑ありきで作戦を練ったのは本当だけど、君がバックビークの処刑を願ったことは一度もなかった。それどころか自分も大変な状況なのに、救おうとすらしてるんだ。そんな君を変だなんて責める人なんていないよ」

 それはいつになく力強い声だった。そんなセドリックの言葉に再び目頭が熱くなるのを感じたけれど、何とか堪えると私はお礼を述べる代わりに、しっかりと頷いてみせた。こんなところで何度も泣いている訳にはいかないのだ。私には、やることが山程残っている。私はぐっと拳を握り締めた。

「バックビークもシリウスも、きっと助けてみせるわ」
「ハナ、君なら必ずやり遂げられる。僕も出来る限りサポートするよ」

 お互いに顔を見合わせて頷き合うと、私達はマートルが戻って来る前に済ませてしまおうと、最終確認に取り掛かった。これからお互いがどう動くのかはもちろんのこと、先程シリウスから受け取ったペンダントを渡すのも忘れない。けれども、セドリックには時間になるとペンダントが消えてしまうことは話さなかった。セドリックはどうしてそうするのか知ったら、嫌がるだろうと思ったのだ。

「処刑は就寝後に行われることになってるわ」

 私は声を潜めて言った。

「さっき、ハグリッドから手紙を書いていたから、もうすぐハリー達か私の元にそれが届くと思う」
「それじゃあ、ハリー達が動くのは日没後の可能性が高いな。処刑に同席しようとするはずだから」
「おそらく、ハリー達は透明マントを被っていると思うわ。ジェームズの遺品で、それを被ると完璧な透明になれるの。でも、足音は消せないし、正面玄関を開く様子は間違いなく見えるはずよ」
「そういうことなら、正面玄関のすぐそばに潜んでいたら出たところは確実に分かると思う。ハリー達が城を出たら一度知らせたらいいんだよね?」
「ええ、コインを杖で叩いたら私とシリウスに知らせがいくわ。ハグリッドの小屋の中の様子は任せて。私が鷲になれば見えるから、ロンがワームテールを捕まえたら鳴いて知らせるようにするわ」
「分かった。それを聞いて僕がコインでシリウスに合図を送ればいいんだね」
「お願いね、セド」
「任せてよ。僕、君を追いかけてる時に目くらまし術がかなり上手くなったんだ」

 セドリックが冗談っぽくそう言って笑うので、なんだか気恥ずかしくて私は大袈裟に咳払いした。

「ゴホン――えー――確認しなくちゃいけないのはこれで全部よね」
「うん、全部だと思うよ」

 私の様子にクツクツ喉を鳴らして笑いながらセドリックが返事をした。

「もう――セド、揶揄からかってるの?」
「少し緊張をほぐそうとしただけだよ。力が入り過ぎてるみたいだったから」
「本当かしら? でも、うーん、そうね……大事な日だから気合いが入り過ぎてたかもしれないわ。空回りしないようにしないと」
「いつでも、君の幸運を祈ってるよ、ハナ」
「ありがとう、セド。私も貴方の幸運を祈ってるわ。いつでも」

 話を終えると、セドリックがマートルの女子トイレをあとにすることになり、まずは私が廊下に顔を突き出して、誰もいないか確かめた。ハッフルパフの王子様と名高いセドリック・ディゴリーが女子トイレから出てきたところを誰かに見られる訳にはいかないのだ。しかし、学年末試験終わりの城内は閑散としていて、誰かにセドリックの姿が見られる心配はほとんどなかった。

「それじゃあ、セド。またあとで会いましょう」
「ハナ、気をつけて。またあとで」

 セドリックを見送ると、私はそのまま女子トイレに残ることにした。元々私とセドリックは別行動の予定なのだ。セドリックはハリー達の行動を城内で見守り、私はいつ何があってもいいように、ハグリッドの小屋の屋根の上で待機である。私がもっと『ハリー・ポッター』に詳しかったらこんなに無駄な作戦にしなくても済んだんだろうけれど、現状ではこうすることが最善と言えた。

 とはいえ、すぐにここから動くわけにもいかなかった。ハグリッドが出した手紙が私の元にも届く可能性があるからだ。そうして、開け放たれたままになっていた窓辺に立ち、ブレスレットでシリウスにバックビークの敗訴と作戦は予定通り行うことを伝えると、ぼんやりと空を見上げてふくろうが来るのを待った。6月の陽射しは強く校庭に降り注ぎ、もうすっかり夏の陽気だ。

 そうして、10分ほど経ったころ、真っ黒な点がどこからともなく現れたかと思うと、真っ直ぐこちらに向かって来るのが見えた。点はどんどん大きくなり、そして、はっきりとふくろうだと視認してまもなく、窓からスーッと飛び込んできて、手洗い台の上に着地した。賢そうな顔つきの黒ふくろうは私の愛梟あいきょう、ロキだ。嘴に羊皮紙の切れ端を咥えている。

「ロキ、手紙を運んでくれたのね。いい子ね、ありがとう」

 優しく頭を撫でてやり、手紙を受け取ると私は急いで目を通した。どうやらハグリッドは、私とハリー達とで、別々に手紙を出したらしい。前は、私とハーマイオニーが一緒にホグズミードに行くと分かっていたので、1通だけだったが、今回は寮も違うし、一緒に行動しているか分からないので別にしたのだろう。



 ハナへ

 控訴に敗れた。日没に処刑だ。ダンブルドアが来てくださる。お前さんはもう出来る限りのことをしてくれた。これ以上何も出来ることはねえんだから、来るなよ。見せたくねえ。



 手紙は、涙で滲んではいなかったけど、文字が激しく震えていた。これを書くのがどれだけ辛かったことだろう。それに、私が今こうしている間もハグリッドはバックビークが処刑される悲しみを一人耐えているに違いない。だけど――。

「ダンブルドア先生が処刑に来てくださる……チャンスだわ。ロキ、手紙を運んでちょうだい。ダンブルドア先生が1人の時を狙って渡すのよ。出来るわね?」

 私は手洗い台の上で羽を休めていたロキにそういうと、杖を取り出し、ポシェットの中から羊皮紙や羽根ペン、それにインク瓶を取り出した。床に羊皮紙を広げると、サッと羽根ペンを滑らせ、走り書きをする。



 今夜、時間をください。



 手紙を書き終えると、ロキは既にやる気に満ちた表情で、脚を突き出して待っていた。私はもう一度頭を撫でてやると、大急ぎで脚に手紙を巻き付けた。ダンブルドア先生なら、きっとこれだけで私がやりたいことを察してくれるだろう。

「ロキ、頼んだわよ」

 最後にもう一度念を押すと、ロキは任せろと言わんばかりに私の指を甘噛みし、窓から外へと飛び立った。私はそんなロキの姿が見えなくなるまで見送ると、ポンッと鷲になって同じように窓から飛び立ったのだった。