The ghost of Ravenclaw - 189

21. バックビークの処刑



 大事な用事・・・・・を終えると、私は真っ直ぐにレイブンクロー塔に戻った。5階の廊下から目の回るような螺旋階段を上がり、ブロンズ製の鷲の形をしたドアノッカーがついた扉が目の前に現れると、私はいつものように1回だけノックした。すると、たちまちノックの音が辺りに響き渡り、ブロンズの鷲が嘴を開いた。

「未来は前にある? それとも後ろにある?」

 柔らかな歌うような声で鷲が問いかけてきて、私は呻いた。いつもの合言葉代わりの問題が出題されたのだ。レイブンクロー寮はこうして問題に答えなければ、入室が許されないのだ。それも哲学的要素が入っているものが多く、寮生は度々これに苦しめられている。これがなければレイブンクローはもっといいのに、どうして合言葉にしなかったのか――私は顎に手を当てて答えを考えながら、ロウェナ・レイブンクローを恨んだ。

「直感的には未来が前で過去が後ろだけど……うーん……英語だとbeforeは“前”と訳すし、afterが“後”よね。なら、答えは“過去は見えているけれど、未来は見えない”」

 なぜなら、未来はまだ分からないけれど、過去に起こったことはすべて事実だからだ。経験してきた事実は見たくなくても目の前にある。しかし、経験していない未来は自分の視線から見えない――つまり、「後ろ」にあるということだ。私が答えると、鷲は「素晴らしい。よく推理しましたね」と満足気に言い、扉をパッと開いた。

 談話室に入ると、中には生徒がほとんどいなかった。午後に試験を控えている生徒も多いので、試験が行われる教室や図書室で最後の追い込みをしているのだろう。既に試験を終えた生徒は、校庭で開放感いっぱいになって遊んでいるのかもしれない。私はそんな人気ひとけの少ない談話室を足早に横切ると、自分の寝室へと向かった。

 寝室は、当たり前だけれど誰もいなかった。私は寝室の扉をきっちりと閉めると、授業用の鞄を所定の位置に仕舞い、自分のベッドに向かった。トランクを引っ張り出し、天蓋カーテンを閉め切ると、早速支度を始める。けれど、忘れ物を取りに戻ってくることは出来ないので、念入りに確認することも忘れない。

 私はまず、杖ホルダーベルトが自分の腰にしっかり巻かれていることを確かめた。去年のクリスマスにハリー達とお揃いで買ったこの杖ホルダーベルトはまだまだ綺麗で、攻撃呪文を受けない限り、途中でうっかり落としてしまうことはないだろう。杖ホルダーにも穴は空いていないし、私の杖もしっかりそこに収まっている。

 次に私はポシェットを取り出した。ジェームズ達が私の家に置いていってくれていたあの中が拡張された魔法のポシェットである。私はそのポシェットを肩から斜めに提げると中に羊皮紙や羽根ペン、インク瓶、それにお菓子を詰め込んで、最後にロキの鳥籠を押し込んだ。鳥籠を何に使うのかは言わずもがな。ワームテールを一時的に閉じ込めておく鳥籠である。これはあとでシリウスに何をしても壊れないよう呪文を掛けてもらう予定である。

 ポシェットの準備を終えると、今度は夏休みに新しく買ったカメラを手に取った。ネックストラップを何度か引っ張り、しっかりついているかを確かめるとそれを首に掛けた。そう、私はこのカメラをただ写真が撮りたくて買ったわけではない。もしワームテールを取り逃しても証拠を残せるようにカメラを買ったのだ。魔法界には厄介なことに変身術があるので、写真だけだと本人か分からないと言われる可能性もあるけれど、ないよりは絶対マシだった。クリスマスの時にセドリックと一緒に使ってみたので、使い方もばっちりだ。

 最後に私はブレスレットを確認した。シルバー・プレートに5本の杖が描かれたブレスレットは、濃紺の革の部分が切れることなくしっかりと私の左手首に巻かれている。杖を取り出し、杖先でプレートを叩いてひっくり返すと、そこには寄り添って座り、こちら見て微笑んでいる牡鹿、牝鹿、犬、狼、鷲の姿があった。

「大丈夫――きっと上手くやれるわ」

 私は自分を励ますようにそう呟いた。それから、プレートをもう一度叩いて元に戻し、杖をホルダーに仕舞うと、もう一度杖がきちんと仕舞われているか確認してからベッドのすぐ横にある窓を開けた。窓から身を乗り出して見える範囲に誰もいないことを確かめると、毎晩そうしているように鷲に変身して寝室の窓から飛び立った。

 禁じられた森の中にあるいつもの場所に向かうと、隠されたテントがある場所の前で犬になったシリウスが落ち着かなげにぐるぐると歩き回っていた。そんなシリウスの隣にはクルックシャンクスの姿もある。彼はシリウスとは正反対にじっと座ったまま空を見上げ、鷲になった私が飛んでくるのが見えると「ニャー」と鳴いた。

 返事代わりに猛禽類特有の甲高い声で「ピー」と鳴き返すと、私は螺旋を描くようにしながらゆっくりと森に降り立った。すると、待ちきれないと言わんばかりにシリウスが隠されたテントの中に消えていき、クルックシャンクスもスッと立ち上がるとシリウスのあとを追って中へと消えていった。私はそんな彼らのあとをちょこちょこと歩いて続いていく。残念ながら鳥は歩くのに向いていない。

 テントの中はすっかり片付けられていた。買った当初から備え付けられていた家具類はそのままだが、その他のものに関してはもう既に綺麗さっぱりなくなっていて、リビングの中央に巾着袋が1つ置いてあるのみとなっていた。巾着袋はシリウスが脱獄する際私が用意したもので、中は魔法で拡大され、驚くほどたくさんのものが収納出来た。

「食べ物や衣服、それにすぐ使えそうな物は先に仕舞っておいた――今日でここを離れることになるだろうからな」

 テーブルの近くまで歩いていき、ポンッと元の姿に戻るとシリウスが言った。辺りを見渡している姿はどことなく感慨深げだ。1年近くをこのテントで過ごしていたのだから、それも今日で終わるかもしれないと思うと無理もないだろう。いや、私達は今日で終わらせなければならないのだ。長い逃亡生活から。

「まもなく午後の試験が始まるでしょうから、そしたらここを離れましょう。暴れ柳の下に隠れていれば、ワームテールが見つかった時にもすぐに飛び出せると思うわ。暴れ柳は城とハグリッドの小屋の丁度中間辺りに植っているもの。少し離れてはいるけど、どちらにせよ、あこそに連れ込むのだし、森の端で待機するよりずっといいわ。森の端にいたら貴方は目立つもの」

 私もポンッと元に戻り、テーブルまで歩いていくと椅子に腰掛けて言った。私より先にテントに入っていたクルックシャンクスは、もう既にお気に入りのソファの上で寛いでいる。シリウスは落ち着かなそうにテーブルの近くを歩いていたが、やがて私の向かい側にドカッと腰掛けた。

「移動したら、しばらくは待機だな。ハナ、控訴の時間は何時だ?」
「2時よ。さっき、ファッジ大臣と危険生物処理委員会の人と死刑執行人と会って教えてもらったの。そうだ、シリウス、ワルデン・マクネアを知ってる? その人が死刑執行人だったの」
「マクネアだと?」

 思いっきり不快そうな顔でシリウスが唸った。

「もう気付いてるかもしれないが、マクネアは死喰い人デス・イーターだ。適当な理由をつけてアズカバン行きを逃れたに違いない――いいご身分だ」
「あのマクネアって人、ヒッポグリフを処刑したくてたまらなそうだった」
「大っぴらに悪事を働けなくなって以降、こういう時だけが奴らの生き甲斐なんだろう。反吐が出る」

 シリウスはしかめっ面でそう言うとテーブルの上に置かれた巾着袋を手に取り、杖先を中に向けた。すると、途端にマグカップが2つ飛び出してきて、テーブルの上に置かれた。私はサッと杖をマグカップに向けると一振りしてそこに水を注ぎ入れた。

「2時が控訴だから、きっとそのあと、日没を待ってから処刑ね。ハリー達も午後の試験を終えているでしょうから、必ずハグリッドの小屋に顔を出すはずよ」
「そこで彼らが上手くワームテールを見つけてくれたらいいが――確かロンという子が捕まえるんだったな。ウィーズリー家の赤毛の」
「ええ、そうよ。私が知っている通りに進むのなら、だけれど。運が私達に味方してくれていることを祈るばかりね」
「私がワームテールを捕まえたロンを叫びの屋敷に引きずり込めれば、ハリー達は必ず追ってくるだろう。そうしたハナ、君の出番だ――」
「バックビークね」

 私は真剣な顔でシリウスの言葉に頷いた。

「任せて、バックビークは必ず逃すわ」

 そう――私達は今夜、ワームテールを捕まえるだけでなく、バックビークも助けようと考えていた。かなり難しいことは重々承知していたけれど、私もシリウスもバックビークが理不尽に処刑されるのは嫌だったし、何よりワームテールの件で自分達がバックビークの処刑を利用する形になるのが嫌だった。助けない、という選択肢は私達にはなかった。

「ハリー達が処刑を見守るだなんてことにならなければいいけど」
「ハグリッドはそんなことさせないさ。彼は心優しい――子ども達に処刑の瞬間を見せるだなんてことは絶対にさせない。それに、処刑するにも手続きがあるはずだ。仮にハリー達が一緒だとしても、手続きの隙にヒッポグリフを逃し、森のどこかに繋いでおくことが出来るだろう」
「ええ、やってみるわ。ヒッポグリフとは一度挨拶をしたことがあるし、何度も顔を合わせたから連れ出せると思う」

 気をつけなければならないのは、絶対に連れ出すところを見られてはならないということと、必ずファッジやマクネアにヒッポグリフが繋がれているところを見せなければならないということだ。姿を見られた瞬間作戦は失敗になるし、ファッジ達にヒッポグリフがいるところを確認して貰っていなければ、ハグリッドが逃したと疑いが掛かるからだ。ワームテールの捕獲と同時進行になるかもしれないけれど、合図はセドリックが出してくれることになっているし、クルックシャンクスもいる。そちらは問題ないだろう。

「タイミングが悪いと私はそっちに行くのが遅れるかもしれないわ。シリウス、私がヒッポグリフを逃すまで、くれぐれも冷静にハリー達と話をするのよ。くれぐれも冷静に。それから、怪我をさせたりしないで」
「分かっている」

 私の言葉にシリウスが眉根を寄せて言った。

「ただ、最初は揉めるだろう。何せ私はハリーの親友を連れ去った凶悪犯として顔を合わせなければならないからな。目的がネズミだと分からせるのはひと苦労だろう。そうでなくとも私はハリーの命を狙っていることになってるんだ」
「ハリーは貴方がジェームズの親友で、裏切り者だと言われていることを知っているかしら。前に三本の箒でファッジ大臣達がその話をしているのをロンとハーマイオニーが聞いていたの……」

 クリスマスの前に起こった出来事を思い出して、私は言った。シリウスが自分を殺そうとしている上、自分の両親を裏切ったと分かったのなら、ハリーはどれだけシリウスを恨むだろうか。それらはどれもデタラメだけれど、話したって信じてもらえないかもしれない。最悪の場合、強行手段を取るしかないが、出来ればそうはしたくない。あとから説明すればいい、では信頼は得られないだろう。

「ハリーは知っているだろう」

 ややあって、シリウスが静かに口を開いた。

「それに、私としてはそのことをハリーが知っていてくれた方がいい。私がジェームズとリリーを裏切ったと言われていることを自分の口から説明しなくて済むんだから――」