The ghost of Ravenclaw - 183

20. クィディッチの優勝杯

――Harry――



 宿題に追われ続けた復活祭イースター休暇が終わると、遂にグリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合が近付いて来た。ハリーは今まで以上にクィディッチにかかりきりになり、暇さえあればウッドの果てしない作戦会議に参加しなければならず、更に宿題にかける時間が少なくなっていた。

「いいか。スニッチを掴むのは、必ず、チームが50点以上、差をつけたあとだぞ」

 試合当日である休暇明け最初の土曜日が間近に迫ってくると、ウッドはハリーの顔を見る度にそう繰り返した。というのも暫定1位のスリザリンは現在、グリフィンドールより200点も総合得点をリードしていたからだ。シーカーがスニッチを掴めばチームに150点が加算され、余程でない限り試合には勝利出来るが、総合得点はあと50点足りず優勝杯を逃すことになる。つまり、グリフィンドールが優勝杯を手にするには、ハリーがどの時点でスニッチを掴むのかが非常に重要となっていた。

「ハリー、俺達が50点以上取ったらだ。さもないと、試合に勝っても優勝杯は逃してしまう。分かるか。分かるな? スニッチを掴むのは、必ず、俺達が――」

 ウッドは鬼気迫る勢いで続けた。それがもう日に何十回と続くので、ハリーはその度に大声でウッドを制しなければならなかった。

「分かってるったら、オリバー!」

 とはいえ、ウッドに熱が入るのも無理はなかった。なぜなら、グリフィンドールが最後に優勝杯を手にしたのは、今や伝説の人物となっていチャーリー・ウィーズリーがシーカーだった時だからだ。ロンの2番目の兄で、2年前、ハグリッドがドラゴンを孵化させた時に世話になったあのチャーリーである。グリフィンドールはそのチャーリーが卒業して以降、優勝杯を逃し続けていたので、それに賭ける想いは一入ひとしおだった。

 けれども、自分以上にスリザリンに勝ちたいと思っているグリフィンドール生はいないとハリーは思っていた。何がなんでも全校生徒の前でマルフォイをこてんぱんにやっつけたい――このところハリーはそんな感情で頭がいっぱいだった。ハリーはレイブンクロー戦の時にマルフォイがハリーを陥れようとしていたことを忘れてはいなかったし、何よりバックビークの件でハリーはどうしようもなく怒っていた。

 一方、マルフォイもハリーにはかなり腹を立てていた。ホグズミードでの泥投げ生首事件を未だに根に持っていたし、それ以上に、そのことで何も処罰を受けなかったことに対して怒り狂っているらしかった。真っ先にスネイプに告げ口したのに上手くいかなかったのが悔しかったのだろう。そんなこんなで、ハリーとマルフォイの関係は今までで1番最悪なものとなっていた。

 関係が最悪なのは何もハリーとマルフォイだけではなかった。グリフィンドールとスリザリンの誰もが試合に熱く燃え、試合が近づくにつれ、チーム同士、寮同士の緊張は爆発寸前まで高まっていた。両寮生は常に一触即発状態となり、廊下のあちこちで小競り合いを起こし、遂にはグリフィンドールの4年生とスリザリンの6年生が耳からネギを生やす騒ぎにまで発展した。

 ハリーは特にひどい目に遭っていた。どこに行くにもスリザリン生が足をかけようとするし、クラッブとゴイルなんかはハリーに怪我をさせようと行く先々に突然現れた。そんな状況に、ハリーがスリザリン生に潰されては敵わないと、ウッドはどこに行くにもハリーを1人にしないよう寮生達に指示を出した。

 この指示をグリフィンドール生の誰もが熱く受け止めた。グリフィンドールのシーカーに怪我をさせてなるものかとばかりに、大勢の寮生が常にハリーを取り囲むようになり、ハリーはどの授業に向かうにも通常の倍以上の時間が掛かるようになっていた。ただ、ハリー自身は自分の身よりファイアボルトが心配で、休み時間になると度々寝室に戻っては無事かどうか確かめた。

 試合前夜ともなると、誰も何も手につかない状態になった。前回のレイブンクロー戦後のパーティの時でさえ本を読んでいたあのハーマイオニーですら本を手放し、明日の試合を心配し、ピリピリしていた。フレッドとジョージはプレッシャーを撥ね除けるためいつもより騒がしかったし、ウッドは暇さえあればクィディッチ・ピッチの模型の上に屈み込み、ブツブツ言いながら杖で選手の人形を突いている。ウッドの模型は、セドリックが持っていた模型が羨ましくて、クリスマスの時に両親から買ってもらったものだった。

 ハリーは就寝時間になると、出来るだけ明日の試合のことを考えないようにしながら、ベッドに入った。一度でも試合のことを考えてしまうと、何かとても大きなものが胃袋から出てきそうな恐ろしい気分になるからだ。ハリーは必死にクィディッチ以外のことを考えながら目を閉じ、やがて浅い眠りに落ちた。

 まずハリーは寝過ごす夢を見た。ウッドが「一体どこにいたんだ。代わりにネビルを使わなきゃならなかったんだぞ!」と叫んでいる。次にマルフォイやスリザリン・チーム全員が、ドラゴンに乗って試合にやってきた夢を見た。ハリーはドラゴンが火を吐く中、猛スピードで飛んでいたが、途中でファイアボルトを忘れたことに気付いた。ハリーは落下し、そして――。

「ハリー、大丈夫?」

 気が付けば、ハリーは地面に倒れていた。そのそばにどうしてだかハナがいて、ハリーの顔を心配そうに覗き込んでいる。ハリーは返事をしようとしてパチパチ瞬きをしてからハナを見た。ハナは何か大きな黒い生き物の上に横向きに座っている。

「ハナ、それ何?」

 ハリーは震える声で訊ねた。すると、ハナはニッコリ笑ってその大きな黒い生き物の首筋を撫でた。黒い生き物は反対側を向いていて、どんな顔をしているのかハリーには分からなかった。

「あら、ハリー、貴方はもう知ってるでしょう?」

 ハナが答えた。

死神犬グリムよ、ハリー。私、死神犬グリムと友達なの――素敵でしょう。ほら、ハリー、彼の内面を知れば、貴方もきっと気にいるわ」

 ハナがそう言うと、大きな黒い死神犬グリムが振り向き、ジロリとハリーを見据えた。ハリーは恐怖で縮み上がって「ヒッ」と悲鳴を上げて、そして、その自分の声に驚いてパチリと目を覚ました。途端にハナと大きな黒い死神犬グリムはいなくなり、代わりに、暗い天蓋が目の前に広がった。

 一瞬、ハリーは何が起こったのか分からなかった。呼吸が荒く、冷や汗をかいていて、喉もカラカラだ。でも、あたりはまだ真っ暗で、クィディッチは始まっていなかった。遅刻する時間じゃないし、ハリーは安全にベッドに寝ている。ドラゴンだっていなければ、ハナが死神犬グリムを友達だと紹介したりもしていない――。

 ホッと胸を撫で下ろすと、ハリーは出来るだけそっとベッドを抜け出して、窓の下に置いてある銀の水差しから水を飲もうと窓辺に近寄った。コップに水を注ぎながらカーテンの隙間から校庭を見てみると、校庭はしんと静まり返っていた。森の木々のざわめきもなく、暴れ柳もじっとして動かない。どうやら、試合の天候は完璧らしい。

 ハリーは一気に水を飲み干すと、空になったコップをその場に置いた。そうして、今度こそ深い眠りに着こうとベッドに戻ろうとしたその時、何かがハリーの目を引いた。校庭の芝生を何か、動物が彷徨いているような気がしたのだ。もしかして、死神犬グリムじゃないだろうか。

 ハリーはゾッとしながらも、気がつけば全速力で自分のベッドに戻り、メガネを引っ掴んでいた。試合直前で死神犬グリムになんて気を取られる訳にはいかないと分かっているのに、どうしてだか確かめなければならない気がして、ハリーは再び窓辺に戻ると目を凝らして校庭を見た。

 最初のうち、ハリーは校庭に死神犬グリムも他の動物の姿も見つけることが出来なかった。しかし探し始めて1分が過ぎた時、森の中から1羽の鷲が飛び出してきて、ハリーはそちらに視線を移した。鷲は城の西の方に向かって飛んで行き、やがて見えなくなるとハリーは再び森に視線を戻した。今度は何かが森の際を歩いている。あの瓶ブラシのような尻尾はクルックシャンクスだ。

 ――なんだ、クルックシャンクスか。
 ハリーは死神犬グリムでなかったことにホッとしたものの、妙に胸騒ぎがしてしかたなかった。本当にクルックシャンクスだけなのだろうか? ハリーは身を乗り出すようにして窓にぴったり鼻をくっつけて、もう一度目を凝らした。すると、クルックシャンクスが俄かに立ち止まったように見えた。それから誰かが来るのを待つように後ろを振り返った。すぐそばの木々が不自然に動いている。

 次の瞬間、森の中からもじゃもじゃの毛の巨大な黒い犬が姿を現した。これまでハリーが何度も目撃してきたあの死神犬グリムだった。夜の騎士ナイトバスに轢かれそうになった時、箒から落っこちた時に目撃したあの死神犬グリムである。夢の中でもハナがその背に座っていた。

 死神犬グリムは音もなく芝を横切りクルックシャンクスの横に並ぶと、仲良く歩き始めた。時折互いに顔を見合わせる姿は、何やら雑談しているようにも見える。あの死神犬グリムはスリザリン戦の時にも、観客席「鷲と並んで座っていたが、友達が多いのだろうか。

 ――いや、待てよ。それは変だ。
 ハリーはなんだか奇妙な違和感に首を捻った。3年生になりトレローニー先生が「死神犬グリム死神犬グリム」と言い出すまで、ハリーはその存在についてまったく知らなかったが、死神犬グリムというのは死の予兆で亡霊犬ではなかっただろうか。ならば、誰にでも見えて友達がいるというのはおかしな話だ。死の予兆と言われるのは、死が近い人にしか見えないからに違いないからだ。

 一体どういうことだろう? ハリーは訳が分からず2匹が並んで歩く姿を見つめた。ハリーの目が確かなら、クルックシャンクスにも死神犬グリムが見えているように思える。それどころか仲良く話をしているようにすら見えるのだ。それは、果たして本物の死神犬グリムと呼べるのだろうか。

「ロン!」

 ハリーは大急ぎでロンのベッドに駆け寄ると、他の人達を起こさないよう気を付けながら声を殺して叫んだ。死神犬グリムのことはハリーよりもロンの方がよく知っている。だからこそ、校庭を歩くあの犬をロンに見てもらいたかったのだ。それに、もしロンにも見えたのなら死神犬グリムだと思っていたのはハリーの勘違いかもしれない。しかし、ハリーが起きて窓の外を見るように頼んでも、ロンは寝ぼけてベッドから起き上がらなかった。

「起きて! 君にも何か見えるかどうか、見てほしいんだ!」
「ウーン、まだ真っ暗だよ、ハリー」

 やがて、ロンのいびきが聞こえ、ハリーが三度校庭を覗いて見ると、今度こそクルックシャンクスもあの犬の姿もハリーには見えなくなってしまっていた。