The ghost of Ravenclaw - 176

19. 早まった裁判

――Harry――



 ルーピン先生の機転により、ハリーはあとから駆け込んできたロンと共に、なんとかスネイプの気味の悪い研究室をあとにした。スネイプにしては珍しく、ハリーは減点も罰則も言い渡されなかったが、決して無傷とは言えなかった。ゾンコで買った悪戯グッズはスネイプに取り上げられてしまったし、忍びの地図はなんと、ルーピン先生のローブのポケットの中だ。先程ルーピン先生が「これは私が引き取ろう」と言った際、そこに仕舞ったのだ。

 自分の少し先を歩くルーピン先生の背中を見ながら、ハリーはどうやって地図を返して貰おうかと必死に言い訳を考えた。ルーピン先生はただの悪戯グッズだと思い込んでいるようだから、上手く言い訳さえ出来れば返して貰えるかもしれない――ハリーはそう考えると、スネイプの研究室から玄関ホールまで歩いたところで、ようやく口を開いた。しかし、

「先生、僕――」
「事情を聞こうとは思わない」

 ルーピン先生はハリーの言い訳を聞いてくれなかった。先程は庇ってくれたけれど、やっぱり怒られてしまうのだろうか。隣に立つロンも顔を青くして黙り込んでしまっている。ハリーも覚悟を決めて俯くと、ガランとした玄関ホールを見渡して、ルーピン先生が声を潜めた。

「何年も前にフィルチさんがこの地図を没収したことを、私は偶々知っているんだ。そう、私はこれが地図だということを知っている」

 それは、あまりにも意外な言葉だった。怒られるものだとばかり思っていたハリーとロンは驚きのあまり勢いよく顔を上げた。ルーピン先生が忍びの地図を知っていただなんて思いもしなかったのだ。けれども、あの古びた羊皮紙が地図だと分かっているなら、ハリーに返ってくる見込みはないだろう。ハリーは地図が完全に没収されることを思って、肩を落とした。

「これがどうやって君のものになったのか、私は知りたくない。ただ、君がこれを提出しなかったのには、私は大いに驚いている。先日も、生徒の1人がこの城の内部情報を不用意に放っておいたことで、あんなことが起こったばかりじゃないか。だから、ハリー、これは返してあげるわけにはいかないよ」

 やっぱりだ――思った通りの結果になったことに、ハリーはショックを受けた。折角フレッドとジョージがハリーを元気付けようと地図を譲ってくれたのに、ハリーはほんの数ヶ月で没収されてしまったのだ。ハリーはなんとか返して欲しいと思いつつも抗議する気にはなれなかった。それよりもこの短時間の間に聞きたいことが山ほど出来て、そちらの方がハリーにとっては重要だった。

「先生、それが地図だとご存知なら、サファイア・ブルーに名前が輝いている人がいることを知っていますか?」
「――いいや。見たことはない・・・・・・・

 先程スネイプの研究室で話した時と同じく、感情の窺い知れない声でルーピン先生が言って、ハリーはあからさまにガッカリした。忍びの地図が何かを知っているルーピン先生なら、ハナの名前だけが違う色になっている理由についても知っていると思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。けれども、次の質問には答えてくれるかもしれない。ハリーはルーピン先生の気が変わらないうちに次の質問に移った。

「スネイプがさっき、僕の父さんの仲間だったレイブンクローの女の子が退学になったと話していました。父さんはその人を犠牲にして、自分だけ助かったんだって……」
「ハリー、それは違う」

 今度はきっぱりと、ルーピン先生が否定した。

「それだけは絶対に違う。彼女にはホグワーツを離れなければならない理由があった。他に選択肢はなかった。どうにかしようと奮闘したが、どうにもならなかった」
「そのレイブンクローの女の子って……」
「そう、レイブンクローの幽霊だ。しかし、先日も言った通り、彼女について聞いても、あれ以上教えられることはない」
「じゃあ、先生――スネイプは、どうして僕がこれを製作者から手に入れたと思ったのでしょう?」

 ハリーはルーピン先生をじっと見つめて訊ねた。サファイア・ブルーに輝くインクもホグワーツを離れることになったレイブンクローの幽霊のこともハリーは気になったが、三度目の質問もハリーが気になっていたことだった。すると、

「それは……」

 ルーピン先生が途端に口籠った。言葉を探すように視線が宙を彷徨さまよって、それからまたハリーを捉えると口を開く。

「それは、この地図の製作者だったら、君を学校の外へ誘い出したいと思ったかもしれないからだよ。連中にとって、それがとてもおもしろいことだろうからね」

 そうしてやや時間を掛けて出された返答に、ハリーは奇妙な違和感を覚えた。ルーピン先生が「連中にとって」と言った時、なんだか知り合いの話をしているような気やすさを感じたのだ。

「先生は――」

 ハリーは反射的に訊ねた。

「先生は、この人達をご存知なんですか?」
「会ったことがある」

 なるほど、とハリーは思った。制作者を知っているなら、この羊皮紙が地図だということを知っていてもなんら不思議ではないからだ。一体ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズの4人はどんな人達だったのだろう――ハリーが想像を膨らませていると、ルーピン先生がこれまでに見せたことがないような真剣な眼差しでハリーを見た。

「ハリー、この次は庇ってあげられないよ。私がいくら説得しても、君が納得してシリウス・ブラックのことを深刻に受け止めるようにはならないだろう。しかし、吸魂鬼ディメンターが近付いた時、君が聞いた声こそ、君に最も強い影響を与えているはずだと思ったんだがね。君のご両親は、君を生かすために自らの命を捧げたんだよ、ハリー。それに報いるのに、これではあまりにお粗末じゃないか――たかが魔法のおもちゃ1袋のために、ご両親の犠牲の賜物を危険に晒すなんて」

 確かにルーピン先生の言う通りだった。厳しい口調でそう言い残してルーピン先生が立ち去ると、ハリーはこれまでにないほど惨めな気持ちになるのが分かった。いくらハーマイオニーに注意されても、スネイプに怒られても、こんな気持ちにはならなかったのに、普段温厚なルーピン先生にあんな風に言われるとハリーの心の中は罪悪感でいっぱいになった。

 黙りこくったまま、ハリーとロンは大理石の階段を上がり、グリフィンドール塔へと向かった。途中、隻眼の魔女像の通路の中に透明マントを置いたままにしていることを思い出したが、取りに戻る気には到底なれなかった。そうして4階を過ぎ、5階に差し掛かったところでロンが突然口を利いた。

「僕が悪いんだ――僕が君に行けって勧めたんだ。ルーピン先生の言うとおりだ。バカだったよ。僕達、こんなこと、すべきじゃなかった――」

 ロンの言葉にハリーは何も返事を返せなかった。けれども決してロンのせいだと思っていたから返事をしなかった訳ではなかった。バカだったのはハリーも同じだ。ハーマイオニーはあんなに注意してくれていたのに、ハリーはちっとも真面目に考えなかった。自分の一時いっときの楽しみを優先してしまったのだ。

 再び黙り込むと、廊下を進みまた階段を上がり、2人はようやく警護のトロールが闊歩している廊下に辿り着いた。すると、2人が帰ってくるのを待ち構えていたかのようにハーマイオニーがこちらに駆け寄ってくるのが見えて、ハリーは途端に心が沈んでいくのが分かったもうきっと泥投げ生首事件のことをもう聞いたに違いない。マクゴナガル先生にも、もう言いつけてしまっただろうか?

「さぞご満悦だろうな?」

 ハーマイオニーが2人の真ん前で立ち止まると、ぶっきらぼうにロンが言った。

「それとも告げ口しにいってきたところかい?」

 どうやらロンもハリーと同じように考えたらしい。ハリーがロンを見ると、その口調とは裏腹に、罰が悪くてつい思ってもないことを口にしてしまった、というような表情をしていた。もうここ数ヶ月ずっと喧嘩をしていたので、突然素直になることが出来ないのだ。しかし、ハーマイオニーが言いたいのは泥投げ生首事件のことではなかった。

「違うわ」

 ハーマイオニーは今にも泣き出しそうな震える声で言った。その時、ハリーはようやくハーマイオニーが両手で手紙のようなものを握り締めていることに気付いた。

「貴方達も知っておくべきだと思って……ハグリッドが敗訴したの。バックビークは処刑されるわ。これを――これをハグリッドが送ってきたの」

 手に持っていたのはやっぱり手紙だったらしい。ハーマイオニーがこちらに向かってその手紙を差し出すと、ハリーは複雑な心境でそれを受け取った。広げてみると、羊皮紙は湿っぽく、端は強く握り締められたかのようにくしゃくしゃになっているし、インクもあちこち滲んでしまっている。ハリーにはそれが涙のせいだと分かったけれど、ハグリッドの涙のせいか、それともハーマイオニーやハナの涙のせいかは判断出来なかった。



 ハーマイオニーとハナへ

 俺達が負けた。バックビークはホグワーツに連れて帰るのを許された。
 処刑日はこれから決まる。
 ビーキーはロンドンを楽しんだ。
 お前さん達2人が俺達のためにいろいろ助けてくれたことは忘れねえ。

 ハグリッドより



「こんなことってないよ」

 手紙を読むなり、ハリーが言った。

「こんなこと出来るはずないよ。バックビークは危険じゃないんだ」
「マルフォイのお父さんが委員会を脅してこうさせたの」

 ハーマイオニーは目尻に溜まった涙を拭った。

「あの父親がどんな人か知ってるでしょう。委員会は、老いぼれのヨボヨボのバカばっかり。みんな怖気づいたんだわ。さっき、玄関ホールでマルフォイと会った時、そんな風に話してた。それで、ハナが怒って、マルフォイと少し言い争いになって――」

 ハーマイオニーの言葉に、ハリーは誰がこの手紙の端をくしゃくしゃにしてしまったのか分かった気がした。何も悪くないバックビークが敗訴してしまったことが悔しくて、思わず手紙を持つ手に力が入ってしまったに違いない。

「ハナはどうしてるの?」
「セドリックと話をしているわ。彼も裁判の準備を少し手伝ってくれたし、事情も知っているから、私達、彼にもこのことを話したほうがいいだろうって考えたの」
「バックビークはもう処刑されるしかないの?」

 ハリーは縋るような思いで訊ねた。しかし、ハーマイオニーの声は暗い。

「そりゃ、控訴はあるわ。必ず。でも、望みはないと思う……何にも変わりはしない」

 ハーマイオニーという学年一の秀才が望みはないというのだから、絶望的だ。控訴しても結果は何も変わりはしないのだ――ハリーはショックでそれ以上何か言うことが出来なかった。すると、

「いや、変わるとも」

 黙って話を聞いていたロンが突然力強い口調で言った。

「ハーマイオニー、今度は君達2人だけで全部やらなくてもいい。僕が手伝う」

 それは、ロンがようやく素直になった瞬間だった。その言葉を聞いたハーマイオニーの目には、一度拭ったはずの涙がみるみる溜まっていき、やがてワッと泣き出すとロンの首に腕を回して抱きついた。

「ああ、ロン!」

 素直になれたのは、ハーマイオニーも一緒だった。ロンはこれまでツンケンしていたハーマイオニーが急に自分にしがみついてわんわん泣くので、どうしたらいいかオロオロしていた。けれども、ハーマイオニーは一向にロンから離れる気配はない。やがてロンはハーマイオニーを宥めるように不器用にその頭を撫でた。

「ロン、スキャバーズのこと、本当に、本当にごめんなさい……」

 しばらくして、やっとロンから離れるとハーマイオニーがしゃくり上げながら謝った。

「私、ちっとも配慮が足りなかった……」
「ああ――ウン――あいつは年寄りだったし」

 ハーマイオニーが離れてくれて、なんだか安心したような顔でロンが言った。

「それに君の猫が犯人だって、確実な証拠もないのに決めつけた僕もいけなかったんだ。君のベッドからスキャバーズの骨が見つかった訳じゃないし、違う猫の仕業かもしれない。ハナがそう話してたってハリーから聞いて、僕、最初は頭にきたけど確かにそうだなって思ったんだ……」

 ロンは気恥ずかしそうに頬を掻いた。ハリーが指摘した時、あんなに怒っていたけれど、あの時はただ素直になるきっかけがなかっただけなのかもしれない。

「それに、あいつ、ちょっと役立たずだったしな。パパやママが、今度は僕にふくろうを買ってくれるかもしれないじゃないか」

 何はともあれ、これで仲直りだ。ハリーはようやく仲直りした親友達を見て、ひっそりと胸を撫で下ろしていた。