The ghost of Ravenclaw - 173

19. 早まった裁判

――Harry――



 話に聞いていた通り、翌朝ハナは退院した。
 2日振りに大広間に現れたハナの周りには大勢の友達が集まって、退院を喜んだり、体調はもう大丈夫なのかと気遣う声で溢れた。ハナの方はもうすっかり元気なようで大広間ではニコニコ笑っていたけれど、その後廊下で見かけた時、ハリーはハナがブラックの写真に向かってしかめっ面をしているのをはっきりと見た。ハナは相変わらず自分の親の仇のようにブラックを恨んでいるらしい。

 スキャバーズの骨問題について、ハリーは朝になるとそれとなくロンに話をしてみた。けれども、ロンは「丸呑みしたかもしれないじゃないか」の一点張りで、更には「ベッドシーツに血がついていたのはどう説明するんだ」とか、「だったら未だにスキャバーズが戻って来ないのはおかしいじゃないか」と猛烈に主張し始めたので、ハリーは自分までロンと喧嘩するわけにはいかないと早々にこの話題を取り下げることになった。

 そんなこんなで1週間が過ぎ、待ちに待った土曜日の朝がやってきた。ハリーは着替えを済ませ、透明マントをバッグの中に詰め、忍びの地図をポケットに滑り込ませると、準備万端でみんなと一緒に朝食に下りた。もちろん普段通りの表情を取り繕うのも忘れない。なぜなら、ハリーとロンの話を聞いてしまったハーマイオニーが何かとハリーのことをチラチラ見るからだ。大広間でもずっとそんな調子だったので、ハリーはみんなが正面玄関に向かう際、自分が大理石の階段を上がっていくところをハーマイオニーにしっかり確認させるようにした。

「じゃあ! 帰ってきたらまた!」

 階段を上がりながらハリーは振り向いてロンに呼びかけると、ハリーは階段を上がり、大急ぎで4階に向かった。そうして隻眼の魔女像に辿り着くと、ハリーはコブを開く前に周囲に誰もいないことを確認しようと、像の裏にうずくまって忍びの地図を広げた。杖を取り出し、杖先で白紙の羊皮紙をトンと叩く。

「我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり」

 呪文を唱えると、途端にインクが蜘蛛の巣のように広がっていき、ホグワーツの精密な地図を描きはじめた。その地図の至るところで無数の小さな点が動き回っている。1階でサファイア・ブルーに輝く点がハーマイオニーとセドリックと一緒にいるのが見え、それから4階の廊下に視線を移すと、ハリーは小さく唸った。ハリーから少し離れた場所に小さな点が動いているのが見えたからだ。目を凝らして見てみると、点のそばに細かい文字で「ネビル・ロングボトム」と書いてある。

 タイミングの悪いことに、ネビルは確実にハリーの方へと歩いてきているようだった。先日のブラック侵入の件でマクゴナガル先生にホグズミード行きの禁止を言い渡されてしまったので、これからグリフィンドール塔に戻るのだろう。ハリーはネビルに遭遇してしまわないよう、地図を確認しつつ、急いで杖を取り出し像に向けて「ディセンディウム!」と唱え像のコブを開くと、現れた入口の中に大急ぎで持っていたカバンを突っ込んだ。

 そうして自分自身も入口から通路に入ろうとしたその時、広げたままの地図を見遣ると、ネビルが角を曲がってくるのが見えて、ハリーは慌てた。このままではネビルに入口から入るのを見られてしまう――地図をポケットに押し込むと、ハリーは急いで増から離れ、ネビルを待ち構えた。角から現れたネビルは、居残り仲間を見つけてパッと嬉しそうに顔を綻ばせている。

「ハリー! 君もホグズミードに行かなかったんだね。僕、忘れてた!」
「やあ、ネビル。何してるんだい?」
「なんにも。ねえ、爆発スナップして遊ぼうか?」
「ウーン――あとでね――僕、図書室に行ってルーピンの吸血鬼ヴァンパイアのレポートを書かなきゃ――」

 ハリーは頭をフル回転させて答えた。早くネビルを撒かないことには再びコブを開くことは出来ないし、その間ずっとロンを待たせてしまうことになる。ハリーとしてはロンを待たせたままホグズミードにも行けなくなるなんて避けたかったが、唯一の居残り仲間を逃したくないネビルは、そう簡単にハリーを1人にさせてはくれなかった。

「僕も行く!」

 ネビルは嬉しそうに言った。

「僕もまだなんだ!」

 これにはハリーも内心ひどく慌てた。ネビルがレポートを書くためについてくるなんて思わなかったからだ。このままでは本当にネビルと図書室に行ってレポートを書かなければならなくなる。なんとか上手い言い訳をしなければ――ハリーがあれこれ考えていると、今度はネビルよりもっと厄介な人物がハリーの背後から現れた。スネイプだ。

「ほう? 2人共ここで何をしているのかね?」

 スネイプはこちらに向かって歩いてくると、胡散臭そうにハリーとネビルの顔を交互に見ながら、2人の前で足を止めた。授業の度に標的にされネチネチいびられているネビルはスネイプの登場にすっかり怯え、ハリーの背中に隠れてしまった。

「奇妙なところで待ち合わせるものですな――」

 完全に疑っているような口調でスネイプはそう言うと、暗い視線をハリー達から周囲に向けた。さながら、ここにも三頭犬が隠し扉を守る部屋や秘密の部屋のような隠された場所があるのではないかと言わんばかりである。ハリーはスネイプが廊下の隅から隅、それから隻眼の魔女像を見るのをヒヤヒヤしながら見つめた。どうか、スネイプなんかにバレませんように――。

「僕達――待ち合わせたのではありません」

 ハリーは何食わぬ口調を装って答えた。

「ただ――ここでばったり出会っただけです」
「ほーう? ポッター。君はどうも予期せぬ場所に現れる癖があるようですな。しかもほとんどの場合、何も理由なくしてその場にいるということはない……。2人共、自分のおるべき場所、グリフィンドール塔に戻りたまえ」

 強い口調でそう告げられると、ハリーもネビルも一旦この場を立ち去るほかなかった。これ以上スネイプに何か言い返しては反感を買うばかりか、グリフィンドールから点数をごっそり引かれかねない。渋々その場から離れ廊下を進みすぐそばの角を曲がりながら、ハリーはスネイプが立ち去らないかと期待を込めてチラリと盗み見た。しかし、ハリーが振り返った時、スネイプは魔女像を念入りに調べているところだった。かなり疑っているらしい。

 仕方なく、ハリーは太った婦人レディのところまでネビルと共に引き返した。本当のことを言えば、このまま途中でネビルを撒き、4階の廊下からスネイプが立ち去るのを待ってから戻りたかった。けれども、ネビルは合言葉を教えて貰えないことになっているので、このまま途中で放って行くなんてことは出来なかった。

 そうして太った婦人レディの肖像画の前まで来ると、ハリーはネビルの代わりに合言葉を言った。しかし、肖像画が開くのを見届けるなり、ハリーはこれで役目は終わったとばかりに「吸血鬼ヴァンパイアのレポートを図書室に置き忘れちゃったみたいだ」と言い訳して、もう一度来た道を戻った。スネイプと会ったせいか、ネビルはもうついて行くとは言わなかった。

 警備トロールの目の届かないところまでくると、ハリーは地図を引っ張り出して目を皿のようにして「セブルス・スネイプ」の点を探した。スネイプはもう既に4階の廊下にはおらず、今は地下にある自分の研究室をウロウロしているところだった。しかも、4階の廊下には今度こそ本当に誰もいない。ハリーはようやくホッとすると、やっとの思いで隻眼の魔女像から通路に入り、地図を白紙に戻してからホグズミードへ向かった。

「遅かったな。どうしたんだい?」
「スネイプがウロウロしてたんだ……」

 長く続くトンネルを走り、ハニーデュークスへ続く気の遠くなるような階段を上がると、ハリーは鞄に入れていた透明マントをすっぽり被って店内へ出て、ようやくロンと合流した。燦々と陽の当たるホグズミードの大通りへ出ると、ハリーとロンは話しながら進んだが、ロンにはハリーがまったく見えないので、何度もそこにハリーがいるか確かめた。

 郵便局に行ってたくさんのふくろうを眺めたり、ゾンコの店に行ったりしてハリーはホグズミードを満喫した。郵便局ではそう困ることはなかったが、ゾンコの店は生徒達でごった返していて、ハリーは誰かの足を踏んづけないよう細心の注意を払わなければならなかった。それでも、ハリーはロンにひそひそ声で自分の買いたいものを伝えたり、透明マントの下からこっそり金貨を渡したりして、自分のポケットの中をパンパンにさせることに成功した。

 ゾンコの店を出ると、ハリーもロンも人混みの中を歩くのはしばらく遠慮したい気分だったので、叫びの屋敷を見に行くことにした。前回とは違いいい天気で風もそよぎ、外を歩くのはとても気持ちが良かった。そうして2人は三本の箒の前を通り過ぎ、坂道を登り、村はずれの小高いところに建つ屋敷までやってきた。イギリスで最も呪われた館と言われるだけあって、屋敷は窓という窓に板が打ちつけられ、庭も草が伸び放題で昼間でも薄気味悪かった。

「ホグワーツのゴーストでさえ近寄らないんだ」

 2人で垣根に寄り掛かり、屋敷を見上げていると、ロンが言った。

「僕、ほとんど首無しニックに聞いたんだ……そしたら、物凄く荒っぽい連中がここに住み着いていると聞いたことがあるってさ。だーれも入れやしない。フレッドとジョージは、当然、やってみたけど、入口は全部密封状態だって……」

 そのまましばらくの間、ハリーはロンの話を聞いていたが、陽射しを浴びていると段々暑くなってきて、ハリーは透明マントを脱いでしまいたくなってきた。ちょっとの間くらい、脱いでも大丈夫だろうか。このまま誰も来ないようなら少しくらい平気だろう――。しかし、ハリーが辺りに視線を投げたその時、すぐ近くで誰かが話す声がしてハリーはドキリとした。どうやら何人かがハリー達が上がって来た方とは反対側の道からこちらにやって来ているらしい。

「……父上からのふくろう便がもう届いてもいいころだ。僕の腕のことで聴聞会に出席なさらなければならなかったんだ……3ヶ月も腕が使えなかった事情を話すのに……」

 現れたのは、マルフォイだった。腰巾着のクラッブとゴイルを従えて楽しげに話をしている。

「あの毛むくじゃらのウスノロデカが、なんとか自己弁護しようとするのを聞いてみたいよ……“こいつは何も悪さはしねえです。ほんとですだ――”とか……あのヒッポグリフは死んだも同然だよ――」

 マルフォイが話していたのは、ハグリッドのことだった。金曜日に夜の騎士ナイトバスでロンドンに行くと言っていたので、今日が裁判の日だったのだろう。ハリーとロンが顔をしかめていると、不意にマルフォイの視線がこちらに向いて、ロンが座っていることに気付いた。

「ウィーズリー、何してるんだい?」

 青白いマルフォイの顔が意地悪く歪んだ。

「さしずめ、ここに住みたいんだろうねえ。ウィーズリー、違うかい? 自分の部屋が欲しいなんて夢見てるんだろう? 君の家じゃ、全員がひと部屋で寝てるって聞いたけど――本当かい?」

 どうやらマルフォイはロンを挑発しているらしい。ハリーは、今にもマルフォイに飛び掛かりそうになっているロンのローブの後ろをつかんで止めると、「僕に任せてくれ」と耳打ちしてからそっとマルフォイ達の背後に回り込んだ。マルフォイは透明になっているハリーが自分の後ろにいるなんて思ってもいないのか、次の挑発ネタに移った。

「僕達、ちょうど君の友達のハグリッドのことを話してたところだよ」

 マルフォイの話を腹立たしく思いながら、ハリーはその場にしゃがみ込んだ。こんなに天気がいいのに陽当たりが悪い場所があるのか一部ぬかるんでいる。

「危険生物処理委員会で、今あいつが何を言ってるところだろうなってね。委員達がヒッポグリフよ首をちょん切ったら、あいつは泣くかなあ――」

 ハリーはそのぬかるんだ地面の泥を片手にたっぷりすくい、怒りに任せて投げつけた。泥はベチャッと嫌な音を立ててマルフォイの後頭部に命中し、シルバーブロンドの髪からポタポタと濁った色をした泥が滴り落ちた。

「な、なんだ――?」

 マルフォイ、クラッブ、ゴイルはそこら中をキョロキョロして、突如襲って来た泥が一体どこから飛んできたの見つけようとした。しかし、透明マントを被っているハリーが3人から見えるはずもない。やがて、見えない何かを探そうと躍起になり、同じところをぐるぐる回りはじめた3人にロンは腹を抱えて笑った。

 ハリーは声を上げて笑いたいのを我慢しながら、もっとひどくぬかるんだ場所まで移動すると、緑色をしたひどく悪臭を放っている泥を掬い上げ、また投げつけた。今度はクラッブとゴイルに命中だ。体格のいい2人もこれにはすっかり気が動転し、クラッブはビクビク怯え、ゴイルはその場でピョンピョン跳び上がりながら、顔についた泥を拭った。

「あそこから来たぞ!」

 マルフォイも顔を拭いながら、見当違いの場所を睨みつけた。すると、クラッブが長い両腕をまるでゾンビのように突き出し、その場所に向かって前進し始めた。ハリーはこっそりそんなクラッブの背後に回り込むと、棒切れを拾って投げつけた。棒切れが命中すると、クラッブが、一体誰が投げたのかと振り向くのと同時にバレエのピルエットのように爪先立ちで回転したものだから、ハリーも声を殺して笑った。

 ロンもゲラゲラ笑っていた。そんなロンに腹を立てたのか、クラッブが見えない敵を探すのを諦め、ロンに掴み掛かろうとしたので、ハリーは咄嗟に足を突き出した。クラッブはまんまとハリーの足につまずいたがこれが良くなかった――クラッブのバカでかい足がハリーの透明マントの裾を踏んづけてしまったのだ。するとその瞬間、マントがぎゅっと引っ張られたかと思うと、あっという間に頭から滑り落ちた。マルフォイが目を丸くしてハリーを見て、そして、

「ギャアアア!」

 叫び声を上げると、マルフォイは死に物狂いで坂を走り下り、クラッブとゴイルもそのあとを追った。しまった、とハリーは思ったが最早あとの祭だった。薄気味悪い叫びの屋敷には、今や顔面蒼白になったロンと、宙に浮かぶハリーの生首だけが残されたのだった。