The ghost of Ravenclaw - 172

19. 早まった裁判

――Harry――



 ハグリッドとの話は遅くまで続いた。
 ハグリッドは、ハーマイオニーとハナについての話が終わると、この話はここで終わりとばかりに、ハリー達にクィディッチの話題を振ってくれた。初めは拗ねていたロンもこれには少しずつ機嫌が戻り、ハリー達は3人でグリフィンドールがクィディッチの優勝杯を取れる確率が高くなったという話で盛り上がった。話は尽きなかったが、9時になると寮に戻らなくてはならなくなり、ハリーとロンはハグリッドに付き添われ、城まで戻った。

 棍棒の大きさを競い合うトロールの横を通り過ぎ、太った婦人レディの肖像画を潜り抜けて談話室に戻ると、掲示板の前に人集りが出来ていた。どうやら今週の土曜日にホグズミードに行けるというお知らせが張り出されているらしい。背の高いロンがみんなの頭越しに首を伸ばして、そのお知らせを見てくれた。

「今度の週末はホグズミードだ。どうする?」
「そうだな。フィルチはハニーデュークスへの通路にはまだ何も手出ししてないし……」

 掲示板の前を離れると、ハリーとロンは2人で空いている椅子を探してそこに腰掛け、週末どうするかをヒソヒソ話し合った。周りにはハリー達の話に聞き耳を立てているような生徒は見受けられず、背後に本が山のように積まれてあるだけだ。すると、

「ハリー!」

 どこからともなく咎めるような声が聞こえてきて、ハリーは飛び上がった。辺りを見渡し、声の出どころを探してみると、ハリーの後ろ、うず高く積まれた本の向こうからハーマイオニーが顔を覗かせていた。なんと、誰もいないとばかり思っていたのに、本の壁に埋もれてその姿が見えなくなっていただけだったのだ。

「ハリー、今度ホグズミードに行ったら……私、マクゴナガル先生にあの地図のことお話しするわ!」
「ハリー、誰か何か言ってるのが聞こえるかい?」

 ハーマイオニーが決心したようにそう言うと、そちらをチラリともせず、ロンが唸った。その時、ハリーは本の隙間の向こうでハーマイオニーが一瞬下唇をギュッと噛むのを見た気がしたが、瞬きしている間にそれはロンを責めるような目つきに変わっていた。

「ロン、貴方、ハリーを連れていくなんてどういう神経?」

 信じられないとばかりにハーマイオニーが言った。

「シリウス・ブラックが貴方にあんなことをしたあとで! 本気よ。私、言うから――」
「そうかい。君はハリーを退学にさせようってわけだ!」

 とうとう振り向いて、ロンが怒った。

「今学期、こんなに犠牲者を出しても、まだ足りないのか?」

 ロンの言葉に、ハーマイオニーは口を開けて何か言いかけたように見えたが、小さな鳴き声と共にクルックシャンクスがハーマイオニーの膝の上に飛び乗ってくると、慌てて口を噤んだ。ハーマイオニーはドキリとしたようにロンの顔色をうかがいながら、クルックシャンクスを抱きかかえると大急ぎで女子寮の方へと去って行った。

 ハリーはそんなハーマイオニーの後ろ姿を見ながら、本当にクルックシャンクスがスキャバーズを食ってしまったのか未だに判断出来ないでいた。ハリー達は話を聞いてくれないとハーマイオニーが言ったことが、ハリーの中でずっと引っかかっていたからだ。あれは本当にクルックシャンクスが食ったんじゃないと分かっていたからそう言ったんじゃないだろうか。けれども、あれからこっそり探してみたもののスキャバーズは見つからなかったし、状況証拠からしても犯人はクルックシャンクスだ。ハーマイオニーが愛猫の無実を装い、ああ言っただけなのだろうか――。

「それで、どうするんだい?」

 ハリーが考えていると、ロンがまるで何事もなかったかのように訊ねた。

「行こうよ。この前は、君、ほとんど何にも見てないんだ。ゾンコの店に入ってもいないんだぜ!」

 ハリーは振り返り、もう一度ハーマイオニーが去って行った先を見つめた。ブラックが自分の命を狙っていることを考えるとホグズミードに行くのはやめた方がいいのだろう。でも、昼間のホグズミードは生徒で溢れかえるし、むしろ危険は少ない。それに、ハリーには、透明マントがある。前回は突然のことだったので手元になかったから使えなかったけれど、今回は透明マントを持っていける。それなら、ハリーはブラックどころか、他の誰にも見つからない――。

「OK。だけど、今度は透明マントを着ていくよ」
「そう来なくっちゃ」

 ハリーが答えるとロンはニヤッと笑った。それから2人は就寝時間になるまで、ホグズミードではどの店に行こうかと盛り上がった。談話室にいる3年生以上の生徒達の多くがその話題で盛り上がっていたので、行けないはずのハリーがホグズミードについて話していても、誰も気に留めなかった。

 10時になると、ハリーとロンは寝室に向かい、就寝準備に入った。パジャマに着替えてベッドに上がり、天蓋カーテンを閉め切るまで、ハリーはホグズミードに行けることで気分が高揚していたが、横になって布団に潜り込んだ途端、それまでとはまったく違うことが頭によぎり始めた。ハナのことだ。

 ――入院したと聞いたけれど大丈夫だろうか?

 一度考えてしまうと、これがなかなか頭から離れず、ハリーはなかなか眠れなかった。1日経っても退院出来ないなんて、ハグリッドが言うように余程悪かったに違いない。でも、クリスマス以降あまり顔を合わせていなかったハリーには、ハナが倒れてしまうなんてさっぱり想像出来なかった。クリスマスの時にはハナは確かに元気だった。なのに、この短い期間に一体何があったのだろう? ハーマイオニーがパンク寸前だったように、勉強と裁判の手伝いで疲弊してしまったのだろうか。それにハナはいつもルーピン先生の看病をしていたし、クリスマス以降はハーマイオニーに付きっきりだった……。

 しばらくの間、ハリーはベッドの天蓋を見つめたままあれこれ考え込んでいたが、やがて居ても立っても居られなくなると、透明マントを引っ張り出して頭からすっぽりと被り、寝室を抜け出した。ハナに会いに医務室に行こうと思ったのだ。ロンを起こそうかと思ったけれど、ぐっすり眠っていていびきが聞こえていたし、ハナがハーマイオニーに味方をし始めて以降、度々ハナに対しても怒っていたので、ハリーは1人で向かうことにした。

 談話室に下り、そっと肖像画の裏――太った婦人レディが怯えたように「誰なの?」と呟いた――から廊下に出ると、警戒中のトロールの前を駆け抜けて、ハリーは医務室に向かった。真夜中の廊下には至る所にブラックの写真があり、どれもこれも獰猛な獣のように周囲を威嚇しまくっていた。ブラックの写真はいつだってこうして周りを威嚇しているのだ。

 ブラックの写真を見ているとフツフツと憎しみが沸き起こってくる気がして、ハリーはなるべく写真を見ないようにしながら廊下を進み、いくつかの階段を下り、1階にある医務室の前に辿り着いた。扉にピッタリ耳をくっつけて中の様子を確かめてみると、マダム・ポンフリーが歩き回っているような足音も話し声も何も聞こえてこなかった。真夜中なので、眠っているのだろう。

 十分に確認が済むと、ハリーは出来るだけそーっと扉を開いた。医務室は暗く、しんと静まり返っていて、カラカラと扉が開く小さな音がなんだかとても大きく聞こえた。そこで、ごく僅かな隙間だけ開けるとハリーは体を滑り込ませて医務室の中に入った。1か所だけ衝立で囲まれているところがハナが寝ているベッドだろう。

「誰……?」

 そろりそろりと近付いていると、衝立の向こうから訝しむ声が聞こえてハリーはドキリとした。どうやら扉を開く音で起こしてしまったらしい。衝立の隙間からハナのヘーゼルの瞳がこちらを警戒するように覗いている。ブラック侵入の件もあるし、怖がらせてしまったかもしれない。ハリーはそう思いつつもマダム・ポンフリーに見つかる訳にはいかないので、衝立を少しだけ動かして中に入るとようやく透明マントを脱いだ。

「僕だよ、ハナ」
「ハリー!」

 姿を現すとハナは驚いた声を上げてガバリと起き上がった。しかし、その声が思ったより医務室に響いたと分かると、両手で口元を覆って声を潜めた。

「ハリー、こんな夜中に一体どうしたの?」
「僕、ハグリッドにハナが入院したって聞いたんだ。それで心配になって、それから――えーっと――」

 ハリーはこんな時間に医務室にまで来ておきながら、特に急ぐ用事など何もなかったことに改めて気付いた。本当にハナが心配で、ちょっと顔を見たかっただけなのだ。それで、大丈夫か確認したかった。本当にそれだけだったのだ。でも、真夜中に訪問する理由にはならないかもしれない。ハリーはそう思うとなんだか急に恥ずかしくなって、ベッドの脇に置かれていたスツールに腰掛けるとモゴモゴと訊ねた。

「あの、体調はどう?」
「もうすっかりいいのよ」

 ハナはニッコリして腕を振りながら元気なことをアピールした。暗がりで顔色までは分からなかったが、どうやら本当に体調はいいらしい。

「私、退院したかったのに、マダム・ポンフリーが許してくださらなかったの。でも、明日の朝には退院出来るわ。ハリー、貴方の方こそ大丈夫だった? 土曜の夜にグリフィンドール塔にシリウス・ブラックが侵入したって聞いたわ。ロンが襲われかけたって」
「うん。僕達、大丈夫だった。ロンはショックを受けてみたいだけど、元気だよ」
「そう――心配だわ。ハーマイオニーもとても心配していたのよ。ハーマイオニーと話はした?」

 聞かれたくないことを聞かれてハリーはドキリとした。数時間前にハーマイオニーと話はしたものの、ハリーはその時どんな話をしたのかをハナに話したくはなかった。なにせハナには忍びの地図の話をしていなかったし、こっそりホグズミードへ行くなんて言ったら必ず反対するだろうと思ったからだ。

「ううん。箒を返してもらった時、仲直りしようと思って少しは話したけど……直後にスキャバーズのことがあって、それからはあんまり……」
「スキャバーズは見つかった?」
「ううん。どこにも……僕、逃げたんじゃないかってこっそり探してみたんだ。でも、見つからなかった。本当にクルックシャンクスが食べたのかもしれない。ハナはどう思う?」
「うーん、私としてはクルックシャンクスの仕業だと、はっきり言い切れないところがあるって思うのよ。決定的な証拠がある訳じゃないでしょう? たとえば、ハーマイオニーのベッドでネズミの骨が見つかった、とか」

 そういえば、見つかったのはクルックシャンクスの毛と僅かな血痕だけだったように思う。バックビークだってイタチの骨を吐き出していたのだから、クルックシャンクスがどこにも吐き出していないというのは妙な話だ。ハリーはこの時初めてハーマイオニーが頑なにクルックシャンクスの無罪を主張している理由が本当の意味で理解出来た気がした。

 確かにそう言われて考えてみると状況証拠はあるが、決定的な証拠はない。確実にクルックシャンクスの仕業だとは言えないところがあった。けれども確かなのはロンが家族同然のペットを失ってしまったということだった。そんな時に冷静になって話を聞けというのは難しいのかもしれない。

「僕達、仲直り出来るかな?」

 不安になってハリーは訊ねた。それは思っていた以上に情けない声だった。恥ずかしくなって俯くと、ハナがハリーの手をそっと両手で握った。

「大丈夫よ、ハリー。きっと仲直り出来るわ」

 ハリーは頷きながら、不意に、初めて守護霊の呪文を練習した夜のことを思い出した。あの夜もハリーはハナにこうして励まして貰いたいと願っていた。それがようやく叶ったような、そんな気分だった。けれどもハリーはどうしてハナに対してだけ家族に対するような気持ちを抱いてしまうのか、やっぱり分からないままだった。