The ghost of Ravenclaw - 168

19. 早まった裁判



「胃がかなり荒れています」

 医務室に運び込まれた私を念入りに診察すると、マダム・ポンフリーは怒りの形相で言った。どうやら私の胃はこのところ抱え込んでいたあれこれで、すっかりひどい状態になっていたらしい。マダム・ポンフリー曰く「おそらくストレスでしょう」とのことだったけど、マダム・ポンフリーはそのストレスについて、根掘り葉掘り聞くような真似はしなかった。私が話したがらないだろうと思ったのだろう。マダム・ポンフリーは生徒の体調について厳しい人だけれど、基本的に理由を訊ねはしないのだ。とはいえ、とっても怒るのだけれど――。

「どうしてもっと早くに医務室に来なかったんです!」

 私を空いているベッドに押し込めながらマダム・ポンフリーはお説教を続けた。私は大人しくベッドに入りながら、胃の痛みと、ここまでセドリックに抱えられてやってきた恥ずかしさと、裁判の手伝いやシリウスのことをどうするかで、頭がぐちゃぐちゃになっていた。こんなことならもっと早くに医務室にくるべきだったのだ。私が医務室に行くのを先送りにしていたばっかりに、きっとみんなに迷惑をかけてしまうことだろう。

「症状が進行していれば、胃の壁が深く傷ついて穴が空いていたかもしれない! 幸い薬を飲んで寝ていれば治りますが、どうしてこんなことになるまで放っておいたんです」
「ご、ごめんなさい……大丈夫だと思って……」
「こんなになるまでストレスを抱え込んで、何が大丈夫ですか! ミスター・ディゴリーが連れてきてくれなかったら、もっとひどいことになっていたんですよ。このことはフリットウィック先生とルーピン先生、それにダンブルドア校長にしっかりと伝えます。ええ、確実にしっかりと。貴方はしばらく入院です! 私がいいと言うまでここから出しません!」

 マダム・ポンフリーはそこまで言うと、杖を一振りして私のベッドの周りを衝立でぐるりと囲んでからプリプリしつつその場をあとにした。それから少しすると、診察の間、医務室の外で待っていてくれたセドリックが戻ってきて、まもなく、なんだかとても美味しくなさそうな色合いの魔法薬が入った大きな瓶とビーカーを手にマダム・ポンフリーも戻ってきた。どうやらあれが胃薬らしい。魔法薬はどうしてあんなに美味しくなさそうなのだろう。

「この薬をお飲みなさい」

 ベッド脇のテーブルにドンとビーカーを置き、濁った緑色のドロドロとした液体を注ぎきれながらマダム・ポンフリーが言った。

「そのまま安静にしていれば明日の朝には治るでしょうが、今夜は辛いですよ。ディゴリー、貴方はきちんと飲んだか見ておくように。それから、静かにするならここにいてもよろしい。私はこれから諸先生方に報告しなければ……」
「あの、私、やらなくちゃいけないことがあって――」
「何をバカなことを言ってるんです。少なくとも、今日1日は安静です。どちらにせよ、今日は薬の副作用でそれどころではないでしょう。胃が燃えるように熱くなりますからね」

 それからマダム・ポンフリーは念には念を入れてセドリックに安静にさせておくようにと言いつけてから、医務室をあとにした。諸先生方に報告すると話していたから、これからフリットウィック先生やダンブルドア先生、それにリーマスに話に行くのだろう。思っていた以上に大事になってしまったと、私はしょんぼり肩を落とした。

「こんなことになるなんて――」
「僕からしたら、よくここまで我慢したなって思うよ。いつから調子が悪かったんだい?」
「もうずーっと。バレンのことがあって、他にもいろいろあって、ちょっと胃がキリキリするなって思ってたの……。医務室で薬を貰おうと思ったことあったけど、ここしばらくは大丈夫だったし、なんだかんだ他のことを優先してしまって……」
「とにかく、マートルがいてくれて良かったよ。彼女、誰かに僕が君と親しいって聞いたみたいで、ハッフルパフ寮の蛇口から出てきたんだ」
「マートルが……」
「ハッフルパフは大騒ぎだったよ。マートルが突然現れたと思ったら、そこら中水浸しにしながら“セドリック・ディゴリーを出せ!”って喚くんだから」

 その時のことを思い出しているのかセドリックが苦笑しながら言った。どうやら本当にマートルがセドリックを探してきてくれたらしい。私がハリー達は呼ばないで欲しいと言ったものだから、他に親しい人は誰なのかと城の中を探し回ってくれたのだろう。近くにいる人にしなかったのは、私に何か事情があると察したからだろうか。

「あとで、お礼をしなくちゃ……。セドも本当にありがとう。あの……重かったでしょ……」
「まさか。あまりに軽いから、ちゃんと食べてるか心配になったくらいだよ」
「だ、大丈夫……普段はしっかり食べてるわ」
「なら良かった。じゃあ、そろそろ薬を飲まないと。バレンには僕が連絡するよ。心配しないで」

 もう一度セドリックにお礼を言うと、私は渋々ベッド脇のテーブルに置かれたビーカーを手に取った。注がれている胃薬は、臭いを嗅いでみるとニガヨモギに似たとんでもなく苦そうな匂いがして、私は思わず顔をしかめた。ニガヨモギが入っているならかなり苦い薬に違いない。ニガヨモギは古代から魔法薬に使われるハーブだけれど、その名の通り苦いことで有名だからだ。

「うー……本当にこれ飲むの……?」
「ハナ、頑張って。さあ」
「いつか絶対、魔法薬を粉末にしてカプセルや錠剤に出来る方法を見つけてやるわ……」

 恨み言を零すと、私はいつもリーマスがしているように鼻を摘んでから胃薬を一口飲んだ。薬はどろどろとした嫌な口当たりで、想像以上に苦くて、思わず吐き出してしまいそうになるのを必死で耐えながらゴクリと飲み込んだ。セドリックの前で吐き出すなんてそんな恥、晒せるはずがない。それに私は年上なのだ。私は年上、私は年上――。

「本当に美味しくない……」

 あっという間に弱気になって私は愚痴を溢した。とはいえ、いつも薬を飲むハリーやリーマスを励ましたりしているのだから、ここで飲みたくないなんて我儘はよくないだろう。しかめっ面で薬を睨みつけていると、セドリックは私の背中を撫でながらおかしそうに笑った。

「君にも苦手なことはあるんだね」
「笑い事じゃないのよ。とっても苦いんだから」

 なんだかんだと文句を言いながら、私は何回かに分けて薬を飲み切った。そのころには最早胃の痛みより口内に残る苦さの方がひどいのではないかという有り様で、私はげっそりしながら空瓶をテーブルに置き、ベッドに横になった。

「体調はどうだい?」
「まだ変化はないけど、ひどい気分……よくなったら、チョコレートがたくさん食べたいわ」
「なら、今度またハニーデュークスに行こう。だから、今は休んで。さあ――」

 布団の中に潜り込むと、私は大人しく休むことにした。本当は裁判の手伝いを進めなければならないけれど、副作用があるというし、今は休むべきだろう。そうでなくとも私は現在進行形でセドリックに大迷惑を掛けてしまったのだ。これ以上の迷惑はかけられない。とはいえ、セドリックがそばにいてくれることは、正直とても心強かった。

 それから医務室には先生達が立て続けに訪れた。フリットウィック先生はとても心配してくれたし、ダンブルドア先生はゆっくり休むよう気遣ってくれた。大慌てで医務室へやってきたリーマスは、なんだかショックを受けた様子だった。こんなになるまでどうして黙っていたのかと怒るものだとばかり思っていたので、あまりの様子に私の方がオロオロしながらリーマスを宥めた。原因がストレスだと聞いて、いろいろ考えてしまったのかもしれない。

 セドリックは途中勉強道具を取りに行ったり、お昼を食べに行ったりする以外は、ずっと医務室にいてくれた。春学期に入ってからセドリックの方も宿題が増え、O.W.L試験の勉強もかなり大変なようで、私は勉強を邪魔しないように大人しく横になったまま、セドリックが勉強する姿をぼんやりと眺めた。

 昼過ぎになると、胃の痛みがなくなってきた代わりに、マダム・ポンフリーが話していた副作用が少しずつ現れるようになってきた。次第に胃の辺りが熱くなっていくのを感じたかと思うと、やがて燃えるような熱さになって、私は高熱で浮かされたようにベッドの上で何時間もうなされることとなった。

 副作用が治ってきたのは、日付も変わり、月曜日の明け方になろうかというころだった。どれだけ眠っていたのか気が付けば辺りは真っ暗で、しんと静まり返っている。ベッドのそばにはスツールが1脚ポツンと置かれていたけれど、1日そこに座ってくれていたセドリックの姿はなかった。きっと寮に戻ったのだろう。マダム・ポンフリーも私室で休んでいるのか、姿が見えなかった。

 私は上体を起こすと、胃薬の空き瓶に代わりに小机に置かれていた水差しを手に取り、一緒に置かれていたグラスに半分ほど注いでからちびちびと飲んだ。かなりの熱にうなされていたので、体中の水分がどこかにいってしまったかのように喉がカラカラで、水を飲むと途端に生き返ったような気分になった。胃の方も、痛みや気持ち悪さがもうすっかりなくなって、代わりに空腹でお腹がぐーっと鳴った。

 そういえば、昨日はほとんど何も食べていなかった。昼にマダム・ポンフリーがいくつか食べ物を用意してくれたけど、あまり食べられなかったし、夕食はうなされていて何も覚えていないのだ。とはいえ、これから何かを食べるわけにもいかず、私は元気を取り戻したらしい自分のお腹を撫でてから、再び横になり朝が来るのを待った。

 しばらくの間、私は医務室の天井を眺めながら何度かゴロゴロと寝返りを打った。随分寝ていたからか、眠気が来る気配はない。こんな時は本でも読んでいるのが一番だけれど、生憎ここは自分の寝室ではないので本は1冊もなかった。

 そうして、朝までどうやって過ごそうかと考えている時だった。不意に窓の外から物音がして、私はハッとして耳を澄ませた。動物だろうか。何かがカサカサと芝の上を移動している音が聞こえてきたかと思うと、次に窓のすぐ下からカリカリと壁を引っ掻く音がした。それから、

「ワンッ」

 聞き覚えのある犬の鳴き声がして、私はベッドから飛び起きた。急いで窓辺に駆け寄りそっと開くと、身を乗り出して外を覗き込む。

「パッドフット!」

 そこにいたのは見慣れた大きな黒い犬だった。耳と尻尾を垂れ下げ、しょんぼりした様子で、お座りしている。セドリックが連絡してくれると言っていたから、話を聞いて心配してここまでやってきてしまったのだろう。シリウスの隣にはクルックシャンクスの姿もあった。ハーマイオニーの寝室から黙って抜け出してきたに違いない。

「こんなところまで来て、見つかったらどうするの?」

 辺りを見渡しながら私は言った。

「ただでさえ警戒が強まったのよ。私、本当に貴方が心配なの。貴方は無事なのよね? 怪我はない?」
「ワンッ」
「なら、良かったわ。私ももうすっかりいいの。退院したら、必ず会いに行くわ。だから、さあ、行って――クルックシャンクス、彼をどうかよろしくね。貴方も早めにハーマイオニーのところに戻るのよ」

 追い返すようで申し訳ない気持ちになりながら、私は言った。けれども、現状ではこんなところで悠長に会っていていい状況ではないのだ。シリウスもそれは分かっているのか、しばらくしょんぼりとしたままこちらを見上げていたけれど、やがて渋々といった様子でクルックシャンクスと連れ立って、とぼとぼとその場から離れた。

「ごめんなさい。来てくれて、ありがとう」

 離れていく2匹の背中にそう呟くと、シリウスとクルックシャンクスの尻尾がゆらりと揺れて、暗闇の中に消えていった。