The ghost of Ravenclaw - 166

19. 早まった裁判



 リーマスと話したあと、私はレイブンクロー寮に戻ることになった。もちろんリーマスの付き添い付きで、である。リーマスは「くれぐれも1人にならないように。特にこんな人気のない早い時間帯に1人で出歩くのはやめるんだ」と何度も言い聞かせてから私をレイブンクロー塔へと上がる螺旋階段に押し込んだ。

 流石にその直後にリーマスの目を盗んで必要の部屋へ行く気にはなれず、私は朝食が始まるまでの間、言われた通り大人しく談話室で過ごすことにした。早朝の談話室にはまだ誰もおらず貸し切り状態で、私は暖かな暖炉前の特等席に腰掛けると、ひっそりと溜息をついた。いつもなら本でも読むところだけれど、なんだかまだ胃がキリキリと痛く、妙な気持ち悪さが腹の底に居座っていて、何もする気が起きなかった。

 そういえば、医務室で胃薬をもらおうと思っていたけれど、結局貰わず終いだった。私は胃の辺りを撫でながらそう思い返した。今日は日曜日だし、あとでこっそり医務室に行って今度こそ胃薬をちゃんと貰うべきなのかもしれない。そうして今夜はなんとしてでもシリウスに会いに行かなければならない。グリフィンドール寮に侵入した話を聞き出すのもそうだけど、この目で無事を確かめたいし、食事だってちゃんとしたものを食べさせてあげたい。朝食のあと森に向かってもいいけれど、警戒されているだろうからやっぱり闇に紛れる方がいいだろう。

 そのまま暖炉の前でぼんやりと座ったままでいると、やがて生徒達が起き出してきて談話室にぽつりぽつりと姿を見せ始めた。時間を確認すると、もうそろそろ朝食が始まろうかというころで、私はどうしようか迷って、そのまま暖炉の前に居座ることにした。なんだかまだ胃の調子が悪い上にあまり食欲が沸かないので、同室の子達を待ってから朝食に行こうと思ったのだ。

「おはよう、ハナ。ここにいるなんて珍しいな」
「おはよう、マイケル。たまにはね」
「今朝はゆっくりなのね、ハナ。おはよう」
「ええ、そうなの。おはよう、ペネロピー」
「おはよう、ハナ。あたしの靴下見なかった?」
「おはよう、ルーナ。どんな靴下?」
「これ。片方なくなったんだ」
「分かったわ。見かけたら貴方に持って行くわね」
「ウン。ありがとう」

 暖炉の前に座ったままでいると、こんな時間に談話室にいるなんて珍しいとばかりに私を見遣る生徒達や、派手な刺繍入りのブルーの靴下を片方だけ履いているルーナが声を掛けてきてくれた。そうして更にまた何人かと挨拶を交わし合ったころ、ようやく同室の子達も3人揃って起きてきて、私は「おはよう、みんな」と声を掛けた。パドマとマンディはもうすっかり目を覚ましていたけれど、リサは徹夜をしたせいかまだ寝ぼけ眼で欠伸を繰り返している。

「リサ、もう少し寝たらどう? 眠そうよ」
「ううん、マグル学の本はなんとか読み終わったから、他の宿題を終わらせなくちゃ……。でも、今夜こそ早く寝るわ。2日続けての徹夜はもう懲り懲り……」

 マンディの腕に掴まり寄り掛かりながら歩くリサを伴って、私達は談話室を出て螺旋階段を下り、5階の廊下に出た。すると、ほんの少しの時間しか経っていないというのに、廊下の様子はガラリと変わっていた。先生達が怖い顔をして歩き回り、扉という扉にシリウスの手配写真が貼り付けられていたのである。管理人のフィルチさんも気忙しく廊下を駆け回って、小さな隙間にすら板を打ち付け、穴という穴を塞いでいた。

「一体どうしたっていうの?」

 大広間まで歩きながら、パドマがしかめっ面で辺りを見渡した。アズカバンを脱獄してきた直後のような痩せ細って狂気じみた顔をしたシリウスが、そこら中からこちらを見ては何やら喚いている。流石に写真の中から声は聞こえてこないけれど、これではまさに悪人そのものにしか見えなかった。

「夜中にグリフィンドール塔に侵入したんですって」

 ますます悪化していく胃の痛みに耐えながら私は言った。

「それで警戒を厳しくしたのよ」
「ブラックが侵入したですって?」
「またなの?」
「今回も捕まらなかったそうよ。怪我人が出なかっただけ幸いね。そしたらどうなっていたか――」

 もしロンが叫ぶだけに止まらず、暴れて抵抗しようとしたらどうなっていたことか――私はひっそりと溜息をついた。そうでなくても、これからまた前回侵入した時のように至るところでシリウスに対する罵詈雑言が聞こえてくるのかと思うと憂鬱で仕方がないのだ。もし怪我なんてさせていたら、無罪を証明するどころではなくなっていただろう。いや、今でも不法侵入で器物破損の容疑はあるにはあるし、私自身も犯人隠避があるので、元々清廉潔白とはいかないのだけれど。少しでも失敗すれば私達にはアズカバンではなく、吸魂鬼ディメンター接吻キスが待っているだろう。

 そうならないためにも、来るべき日のために綿密に計画を立てなければならない。だというのに今日ばかりはいつまで経っても胃の調子が戻らなくて、私は当たり障りのない話をしながら同室の子達の少し後ろを歩いた。いくつものシリウスの顔の前――偶にニヤッと笑い掛けるのでしかめっ面で睨み返した――を通り過ぎ、ようやく玄関ホールへと続く大理石の階段に差し掛かると、玄関ホールにある掲示板の前で誰かが忙しなく行ったり来たりしているのが目に入った。ハーマイオニーだ。

「ハーマイオニー、どうしたの?」

 同室の子達に目配せをして先に大広間に行ってもらうと、私はハーマイオニーの方へと歩み寄った。ハーマイオニーは、私に声を掛けられたことに気が付くと、勢いよくこちらを振り向いた。その顔には恐怖が張り付いている。

「貴方を待っていたの。夜中にグリフィンドールにブラックが入って、それでロンが――ロンが――」
「私も少し前にゴースト達やリーマスから聞いたわ。怪我はなかったけど、怖い思いをしたでしょうね……。ロンとは話した? ハリーとは?」
「いいえ、いいえ――だって、ロンは私なんかとは、話したがらないわ――私は意地を張ってばかりだし、知ったかぶりで――昨日の夜だって――」

 話しながらハーマイオニーの目にはみるみる涙が溢れてきて、私はそっと背中に手を回して優しく撫でた。ロンが襲われたと聞いてとても心配したのだろう。本当なら大丈夫だったかと直接聞きたいだろうに、今の口すらまともに利いていない状況ではそれも叶わず、ここで私が来るのを待っていたに違いない。いつものように5階の廊下で待っていなかったのは、私と同じように先生達の誰かに注意されたからだろうか。

「ハーマイオニー、これから少し時間はある?」

 いつの間にか、私達は玄関ホールを行き交う生徒達の注目の的になっていた。スリザリン生の意地の悪い視線がこちらに向いているのが分かって、私は他の人達からハーマイオニーを隠すように僅かに体を動かしながら声を潜めて言った。

「ハグリッドのところへ行きましょう。そこならゆっくり落ち着いて話が出来るわ」

 空き教室に行くという手もあったけれど、注目を集めてしまっていたし、どうせどこの教室にもシリウスの写真が貼ってあるに違いない。だったら、城の外に連れ出すのがいいだろうと私はハーマイオニーを連れて玄関扉を潜り、校庭へ出た。扉を通り抜けるまで聞こえていた玄関ホールのざわめきは、背後で扉が閉まるのと同時にパタリと聞こえなくなった。

「いつも本当にごめんなさい……」

 校庭へ出てしばらくするとハーマイオニーが心底申し訳なさそうに呟いた。

「私、貴方に迷惑を掛けてばかりだわ。どうしてかしら。同い年なはずなのに貴方がずっと年上のお姉さんみたいに思えて、それに、なんでも耳を傾けてくれるものだから、私、つい甘えてしまうの……」
「あら、それはいけないことではないわ」
「でも……」
「貴方が頼りにしてくれて、私とっても嬉しいの」

 安心させるようにニッコリ微笑むと私は真っ直ぐにハグリッドの小屋に向かった。ハグリッドはもうすっかり起きていて、突然の訪問にもかかわらず、私が扉をノックするとファングと共に快く出迎えてくれた。特にハグリッドはこのところハーマイオニーのことをとても気に掛けてくれているので、尚更だろう。ハーマイオニーも私と会えない日などにはハグリッドの小屋を訪れて過ごすこともあるらしい。

「よく来たな。2人だけで大丈夫だったか?」
「ええ、平気だったわ。ハグリッド、貴方はもう夜の話を聞いた?」
「ああ、ブラックがグリフィンドール塔に入ったらしいな。俺も明け方まで校庭を見回っちょった。ハーマイオニー、お前さんは大丈夫か? 今、紅茶を淹れるからな。そこに座っててくれ」

 ハグリッドの小屋には相変わらずバックビークがいて、私もハーマイオニーも彼にお辞儀をし、それから構って欲しそうに尻尾をブンブン振るファングを撫でてから椅子に腰掛けた。その間にハグリッドが手早く熱い紅茶を淹れてくれて、私達の前にカップを1つずつ置いた。カップからは真っ白な湯気がもくもくと立ち昇っている。

「朝食にサンドイッチはどうだ?」
「いいえ、私はいいわ。今朝はあまりお腹が空いていないの。ハーマイオニーは?」
「私も、あんまり……」
「そうか――ロンが襲われたって聞いたら誰だって食欲もなくなる」

 ハグリッドは厳しい表情でそう言いながら、私達の向かいに腰掛けた。ハグリッドの前には特別大きなマグカップが置かれている。

「ブラックがナイフを使ってカーテンを切り裂いたって話だ――マクゴナガル先生は怒り心頭だった。カドガン卿はブラックを入れちまうし、ネビルは合言葉を書き留めたメモをなくしちまうし――」
「誰も怪我がなくて本当に良かったわ。ね、ハーマイオニー」
「もし、ロンが叫び声を上げなかったらどうなっていたか。ロンもハリーも殺されていたかもしれない。それだけじゃないわ。ネビルもシェーマスもディーンだって危なかった――私、それが怖くて、怖くて――もし、2人に何かあったら――」
「ハーマイオニー、ダンブルドア先生がそんなことさせたりしねぇ。絶対だ」
「でも、実際殺されるところだった! 警備は十分だったはずなのに、グリフィンドール塔に入ってきてたのよ! もし、もし――」

 話しながら泣きじゃくってしまったハーマイオニーを私もハグリッドも根気よく慰めた。けれども、私もハグリッドも、ハーマイオニーを無理に泣き止ませるようなことはしなかった。なぜなら私達のどちらとも、ハーマイオニーが自分の気持ちを素直に吐き出せるのが自分達の前だけであるということをよく理解していたからだ。

 ハーマイオニーは思慮深く心優しい一方で、人付き合いは不器用で意地っ張りな面がある。私やハグリッドはそんなハーマイオニーの気質を理解出来るけれど、同年代の子達はそうはいかないだろう。意地っ張りでとっつき難い印象が強くなって勘違いされてしまうことも多く、ハーマイオニーも余計上手く自分の気持ちを話せなくなるのだ。そんなハーマイオニーが唯一素直に話して思う存分泣ける場所を私もハグリッドも失くしたくはなかった。

 それからしばらくの間、ハーマイオニーはいろんな心配ごとを私達に話してくれた。ロンが襲われたこと、ハリーがとても心配なこと、クルックシャンクスが本当にスキャバーズを食べてしまったのではないかと不安に思っていること、授業や宿題が上手くいかないこと――ハーマイオニーはそれらを泣きながら話し、私もハグリッドもそれにきちんと耳を傾け、慰めた。

 ハーマイオニーが泣き止んだのは、ハグリッドの小屋に訪れてから1時間後のことだった。目が真っ赤になってはいたものの、自分の気持ちを吐き出すことが出来たからか少しだけ気分が落ち着いたようだった。すっかり冷めてしまった紅茶をちびちびと飲みながら、ハーマイオニーは「話を聞いてくれてありがとう」と小さくお礼を言った。

「ハーマイオニー、いつでもここに来ていいんだ。いつでもだ」

 ハグリッドが優しく微笑んでハーマイオニーに言った。しかし、

「お前さんもハナも勉強の合間に裁判の手伝いをしてくれちょる。俺こそお前さん達には感謝してるんだ……。それで……、あー、今、言うべきじゃないかもしれん……」

 どういう訳かその口調は次第に尻窄みになり、やがてモゴモゴとしたものになったかと思うと、とうとう言葉が途切れた。ハグリッドにも何かが起こったのだ。

「ハグリッド、貴方にも何かあったのね?」

 嫌な予感を感じつつ、私は訊ねた。

「話してみて。私達、貴方の助けになるわ」
「そうよ、ハグリッド。私達、何かあったら手伝うわ!」

 私とハーマイオニーがそういうと、ハグリッドは袖口でゴシゴシ涙を拭い、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。端の方は握り締めたのか皺になっていて、ところどころ濡れたような跡が残っている。ハグリッドは申し訳なさそうにそれをテーブルの上に置くと、私達が見やすいようにスーッとこちらに差し出してきた。なんだか嫌な予感がして、羊皮紙を覗き込んだ私達にハグリッドは震える声で言った。

「悪い知らせだ。裁判が早まった。次の土曜日だ」