The ghost of Ravenclaw - 165

19. 早まった裁判



 グリフィンドールとレイブンクローの試合から一夜明け、2月最初の日曜日の朝になった。目覚めると同室の子達はやっぱりまだ寝ている時間帯で、私はみんなを起こさないよう気をつけながらベッドから抜け出した。早朝の寝室はカーテンの隙間から朝日が差し込み、薄明るくなっている。他のベッド周りのカーテンはそんな陽射しを遮るようにきっちりと閉められていたが、私のベッドの他にもう1つだけカーテンが開いているベッドがあった。リサのベッドである。

 リサは、壁際に備え付けられた勉強机で顔を突っ伏して眠っていた。クィディッチの試合は観に行ったようだけれど、マグル学の宿題であるとんでもなく分厚い本を月曜日までに読み終わらないといけないからと昨夜も徹夜をしたのだ。という訳で私は昨夜もシリウスに会いに行き損ねたのだが、ブレスレットで連絡を入れたし、ロキに食事を持たせたのでおそらく何も問題はないだろう。そもそも何かあった時のためにシリウスには保存食をたくさん持たせている。

 昨日行われたクィディッチの試合だけれど、もちろん私も観に行った。今回はハーマイオニーと一緒だ。裁判の手伝いもしている上、宿題を山ほど抱えているハーマイオニーは、試合の時間すら惜しいほどだろうけれど、それでもハリーを応援したいのだと言って観に行くことに決めたのだ。しかし、1分たりとも無駄に出来ないと、観客席では試合開始ギリギリまでマグル学の宿題である本を読み耽り、試合が終わると早々と競技場をあとにしていた。

 部屋での運動もそこそこに、私は支度を済ませると寝室を出て談話室へと下りた。これから日課となっている守護霊の呪文の練習をしに必要の部屋へ向かうのだ。実は昨日の試合でちょっとした事件が起こり、ハリーが守護霊の呪文を使う場面があったのだけれど、その時見せた守護霊が動物の姿こそしていなかったけれどとても素晴らしくて、触発されたのだ。守護霊の呪文はなかなか動物の姿にならなくて、長い間燻っているのだけれど、練習あるのみ、である。

 そんなこんなで私はいつも以上に気合を入れて談話室を通り抜け螺旋階段を下り、早朝の廊下に出た。すると、途端にいつもと違う雰囲気を感じて私は眉根を寄せた。いつもならみんな寝ている時間帯だというのに、絵画達がみんな起きていて、ヒソヒソと話をしているのだ。どうやら知らない間に何かがあったらしい。

 一体何があったのだろうか。もしかして、シリウスに何かがあったのかもしれない――妙に胸騒ぎがして、私は誰か状況を教えてくれる人はいないかと辺りを見渡した。魔法省が吸魂鬼ディメンター接吻キスの許可を出しているし、万が一ということは十分あり得た。しかもこの2日間、私はシリウスに会えていないのだ。

「こんなところに1人でいたら危険ですよ」

 キョロキョロしていると、不意にそんな声がして目の前の壁からゴーストが1人、姿を現した。足首まである長いローブ、腰まで届かんばかりの長い髪に勝気な瞳――レイブンクロー寮憑きのゴースト、灰色のレディだ。

「レディ! ねえ、夜の間に何かあったの?」

 これ幸いと私は灰色のレディに駆け寄った。ゴーストなら何があったか知っているかもしれない。しかも、レディは寮憑きだから尚更先生達とも話をする機会は多いだろう。

「シリウス・ブラックです」

 灰色のレディは駆け寄ってきた私を見下ろすと静かに言った。その瞬間、心臓がドッドッと痛いくらい脈を打ちはじめた。今、レディはなんと言っただろう?

「夜中にシリウス・ブラックが生徒を襲ったのです」
「シリウス――ブラックが? 本当に――?」
「グリフィンドール寮に侵入したのです。先程ようやく城内の捜索が終わりましたが、まだ1人で出歩かないほうがいいでしょう」

 そう言うと、灰色のレディは私の横を通り過ぎ、背後にある壁を通り抜けてどこかへ消えてしまった。その場に残された私はあまりの衝撃に、ただ立ち尽くすしかなかった。なぜなら、グリフィンドール寮に侵入を決行するだなんて話はまったく聞いていなかったからだ。昨夜だなんて寝耳に水である。

 確かに、そうする必要があるだろうという話は以前から何度もしていた。ワームテールを確実に捕まえるためには、彼を寮外に追い出さなければ始まらないからだ。だから、寮内が危険だと思わせるために侵入の必要があったのだ。けれども、それには合言葉の入手が必要不可欠で、クルックシャンクスが手に入れてくるまでは保留となっていた。それに、ワームテールもロンの元から逃げてしまったので、たとえ侵入したとしてもまだ寮内に隠れているかのかも定かではない――いや、

「私、まだ、そのことを話していないわ……」

 私は重要なことをまだシリウスに話せていなかったことを思い出して、思わずそう呟いた。だって、ワームテールのことを金曜の朝に知って、それからシリウスとは直接会って話せていないのだ。当然、計画を練り直す時間もなかった。このたった2日の間に一体何があったと言うのだろう。どうしてシリウスは私に何も話してくれなかったのだろう。私のように手紙は危ないと考えたとしても、ブレスレットで何かしら連絡をくれたら良かったのに、今更何もなしに実行に移すなんてどうしたのだろう。

 私は頭がぐちゃぐちゃになっていくのが分かった。とてもじゃないけれど、冷静に判断出来る状況状態ではではなかった。灰色のレディは何も言わなかったが、シリウスは無事に逃げられたのだろうか。生徒を襲ったと聞いたが、怪我をさせたりしていないだろうか。こんなことなら、多少危険を冒してでもシリウスに会いに行くべきだっただろうか。シリウスが何も出来ず、最近イライラしていることは分かっていたのだから、もっと注意するべきだった――。

「カドガン卿が寮内に通してしまったそうよ」
「合言葉が書かれた紙を持っていたらしい」
「1週間分読み上げたそうよ」
「ブラックは生徒のベッドのカーテンを切り裂いたが、起きた生徒が叫び声を上げると逃げ出したらしい――」
「カドガン卿はクビになったって」
「当然だ。犯罪者を入れてしまったんだからね」
「しかもまたブラックを捕まえ損ねたらしい」

 呆然としている私をよそに、絵画達はお互いの額縁を訪問し合い、シリウスについての噂話に花を咲かせていた。四六時中絵画の中にいる彼らにとって、こういう噂話はとてもいい娯楽なのだ。けれども、今この時に限っては噂好きの絵画達の話し声はこの状況を把握するのにとても役立った。どうやらシリウスは逃げ切れたらしい――。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、誰かが廊下を走る足音が聞こえて私はそちらに顔を向けた。見れば、リーマスが慌てた様子でこちらにやってきている。

「ハナ、良かった!」

 私のそばに駆け寄るなり、私の肩を両手でがっしりと掴んでリーマスが言った。

「こんなところに1人でいたら危ないじゃないか」
「リーマス、どうしてここに?」
「さっき、灰色のレディが君がここに1人でいるとダンブルドアに連絡を入れたそうだ。君の後見人がダンブルドアだと彼女も知っていたんだろう。それで、ダンブルドアは手が離せないから私に話が来たわけだ。君はこんな時間にどうしたんだい?」
「私、守護霊の呪文の練習をしようと思って寮を出たところだったの。寮の中ではあまり練習出来ないし……それで、廊下に出たら彼が――」

 私が何と言っていいか分からず言葉を詰まらせた。まだ心臓がドッドッと激しく脈を打っている。

「ああ、夜中にグリフィンドール寮へ侵入した。覚えきれないからとネビル・ロングボトムが予めカドガン卿に1週間分の合言葉を聞き出して書き留めておいたメモを手に入れたようだ」

 私の様子にリーマスは複雑そうな表情をして、そう言った。やっぱり、シリウスは本当にグリフィンドール寮に侵入したらしい。ネビル・ロングボトムのメモはクルックシャンクスが手に入れ、どうにかハーマイオニーの目を盗んでシリウスに持って行ったに違いない。シリウスは、ワームテールが逃げ出したことをクルックシャンクスから聞いたかもしれないが、まだ寮内に隠れている可能性があると侵入に踏み切ったのだろう。

 シリウスはこのところ焦っていたし、私も会いに行けなかったから居ても立っても居られなかったに違いない。どうして一言だけでも言ってくれなかったのだろうとは思うが、私にはシリウスを責める資格などなかった。シリウスが突っ走るのを変に心配して、ワームテールが逃げたことを直接顔を見て報告することに拘ったのは私だし、それに、グリフィンドール寮に侵入する計画は以前から話し合って、私も納得済みだったのだから。

「それで、夜の間に捜索が行われたのね」
「ああ、手分けして城内を探したが見つからなかった。まさか合言葉を手に入れて寮に入るとは思わなかったよ……」
「誰か襲われたって聞いたけれど――」
「正確には未遂に終わっている。ナイフを手にしていて、ロンのベッドのカーテンを切り裂いたそうだが、ロンが叫ぶとすぐに逃げたらしい」
「ロンは怖い思いをしたでしょうね……」
「しかし、彼が目覚めてくれたお陰で大事には至らなかった。ハリーも無事だ。もしロンが目覚めていなければ、殺されていたかもしれない」

 リーマスの言葉に私は同意するように頷いてみせた。シリウスはきっと、ワームテールを脅すことが目的だったろうし、誰も襲うつもりはなかっただろうが、そんなことは私しか知らないのだから、ここは頷いておくのが正解だろう。すると、

「君も安全とは言い難い」

 リーマスは心配そうに私を見て続けた。

「レイブンクローは合言葉がないし、質問に答えられさえすれば誰でも入れてしまう」
「私は平気よ。彼は私には興味ないと思うわ」
「そうは言い切れない。君を連れ去る可能性は十分にある――ハナ、くれぐれも気をつけてくれ。たとえ君が杖を持っていて、あいつが杖を持っていないとしても、君は女の子で、あいつは男だ。力では敵わないし、君があいつに反撃出来るとは思えない。君は優しすぎる」
「私、そんなに優しくないわ」

 リーマスの言葉に私は自嘲気味に笑って言った。

「私だって、目的のために誰かを傷つけることだってあるのよ。たくさんね――」

 キリキリしはじめた胃の痛みを見て見ぬフリをしながら。