The ghost of Ravenclaw - 164

18. グリフィンドールの合言葉

――Harry――



 本当にブラックが寝室にいたのだろうか?
 ロンの主張にハリーもシェーマスもディーンもネビルも半信半疑だった。だって、グリフィンドールは合言葉がないと入れやしない。その合言葉をブラックが知っている訳がないのだ。しかも、修復中の太った婦人レディの代わりの門番であるカドガン卿は頻繁に合言葉を変えて、ハリー達ですら覚えるのが大変だ。たとえ合言葉を手に入れたとしても、侵入するころには次の合言葉になっているに違いない。

 しかし、ロンは確かにブラックを見たという。ナイフでカーテンを切り裂いていて、その音で目が覚めたらしい。言われてみれば、確かにロンのカーテンは寝ぼけてやってしまったにしては不自然なくらい切り裂かれているし、それに、ハリーの勘違いでなければ、先程誰かが走り去り、寝室の扉から出ていく音がした。寝室には5人全員揃っているにもかかわらず、だ。

 まさか、本当に――?
 顔を見合わせるなり、ハリー達はみんなでベッドから飛び出し、扉に向かって走り出した。先頭だったハリーが勢いよく寝室の扉を開け、螺旋階段を転がるように走り下りていく。そんなハリー達の後方では、扉がいくつも開く音が聞こえ、眠そうな声が次々に聞こえて来た。

「叫んだのは誰なんだ?」
「君達、何してるんだ?」

 そんな声を一切無視して、ハリー達は談話室に出た。談話室は、窓から差し込む月明かりと、消えかかった暖炉の残り火がほんのりと辺りを照らしているだけで、薄暗かった。片付けられていないパーティーの残骸がまだあちらこちらに散らばっている。しかし、誰もいない。音が聞こえてからそれほど時間は経っていないように思えるが、もう逃げたのだろうか。それとも、やっぱりロンの勘違いだろうか? でも、あの凶悪な犯罪者であるブラックが子どもの叫び声に逃げるなんてあるのだろうか?

「ロン、本当に夢じゃなかった?」
「本当だってば。ブラックを見たんだ! 写真よりずっと健康そうだったけど、でも、あれは絶対にブラックだった!」

 そうしているうちに、騒ぎを聞きつけて男子寮からも女子寮からも次々に生徒達が下りてきた。みんな欠伸をしながら「なんの騒ぎ?」と訊ねたり、「マクゴナガル先生が寝なさいって仰ったでしょう!」と言ったりした。ロンの兄であるフレッドとジョージは、ハリー達がまだパーティーをするつもりだと思ったのか「いいねぇ。また続けるのかい?」と楽しげだった。

「みんな、寮に戻るんだ!」

 最後に慌ただしくパーシーが下りてきた。起き出して来たみんなを叱りながらも、ヘッドボーイのバッジをしっかりとパジャマに止めつけている。

「パース――シリウス・ブラックだ!」

 ロンが真っ先に主張した。

「僕達の寝室に! ナイフを持って! 僕、起こされた!」

 一瞬にして、談話室がしーんとなった。
 みんなが戸惑ったように顔を見合わせ、何かの悪い冗談ではないかと言いたげな顔をしている。パーシーに至ってはそんなのナンセンスだとばかりに、弟の主張を切り捨てた。いくらロンが本当なんだと言っても、ロン以外誰もブラックの姿を見た人はおらず、ハリーですら本当かどうか分からなかった。すると、

「おやめなさい!」

 再び騒ぎを聞きつけて、マクゴナガル先生が戻ってきた。勢いよく肖像画の扉を開けて談話室に入ってくると、起き出して来た生徒達を睨みつけた。

「まったく、いい加減にしなさい! グリフィンドールが勝ったのは、わたくしも嬉しいです。でもこれでは、はしゃぎ過ぎです。パーシー、貴方がもっとしっかりしなければ!」
「先生、僕はこんなこと、許可していません」

 パーシーは心外だとばかりに言い返した。

「僕はみんなに寮に戻るように言っていただけです。弟のロンが悪い夢にうなされて――」
「悪い夢なんかじゃない!」

 今度はロンが憤慨して言い返した。

「先生、僕、目が覚めたら、シリウス・ブラックが、ナイフを持って、僕の上に立ってたんです」
「ウィーズリー、冗談はおよしなさい。肖像画の穴をどうやって通過出来たと言うんです?」

 マクゴナガル先生はロンをじっと見つめた。ロンが嘘を言っていると考えているような目だった。けれども、ロンは絶対見たと譲らなかった。カドガン卿に聞いてくれとあまりにも騒ぐので、先生はみんなにここで待つよう伝えると、疑わしげにロンを睨みながら渋々引き返し、カドガン卿に訊ねるために廊下に出て行った。これで通していないとカドガン卿が言えば、騒ぐのをやめるだろうと考えたのだろう。

「カドガン卿、今しがた、グリフィンドール塔に男を1人通しましたか?」

 肖像画の向こう側にマクゴナガル先生が姿を消してまもなく、先生がそう訊ねる声が談話室に聞こえた。まったくそんなこと信じていないような声音だ。その場に残されたハリー達は誰ともなく息を殺してそっと肖像画の裏に近付いた。

「通しましたぞ。ご婦人!」

 ハリー達が耳をそばだてていると、カドガン卿が意気揚々と答えるのがはっきりと聞こえた。ロンは「ほら言ったとおりじゃないか!」という顔をし、それ以外のみんなはまさか本当だったなんて、と愕然とした。肖像画越しに聞こえるマクゴナガル先生の声がワナワナと震えている。

「と――通した? あ――合言葉は!」
「持っておりましたぞ! ご婦人、1週間分全部持っておりました。小さな紙切れを読み上げておりました!」

 マクゴナガル先生はもう返す言葉もないようだった。しばらくして談話室に戻ってきた先生の顔は血の気が引いて真っ青になっている。ハリー達はそんな先生の顔を固唾を飲んで見つめた。

「誰ですか」

 ぐるりと生徒を見渡し、マクゴナガル先生が訊ねた。

「今週の合言葉を書き出して、その辺に放っておいた底抜けの愚か者は、誰です?」

 誰もすぐには返事をしなかった。一瞬、談話室はしんと静まり返り、咳払い1つ聞こえなくなったが、やがて「ヒッ」という小さな悲鳴が上がった。みんなの顔が声のした方に一斉に向くと、1人の男子生徒がガタガタ震えながらそろそろも手を挙げている。ネビルだ。

 そういえば――ハリーはファイアボルトを返してもらった夜のことを不意に思い出した。あの日、ネビルは合言葉を書き留めていたメモを失くしたと話していた。カドガン卿があまりにもコロコロ合言葉を変えるので、覚えきれなくなり、今週どんな合言葉を使うのか予め教えてもらってメモしていたのに、そのメモをどうしたのか分からなくなったのだ、と。ハリーはネビルがうっかり落としてしまって、それを非常に運の悪いことに、ブラックが見つけ拾ってしまったに違いないと思った。

「どうしてそんなに大事なものをその辺に放っておいたりしたんですか! 誰かが殺されていたかもしれないんですよ!」

 ハリーが思い返していると、マクゴナガル先生がネビルを怒鳴りつけた。怒り心頭な様子でこれでもかとネビルを睨みつけている。ネビルはガタガタ震えたまま縮こまり、今にも泣いてしまいそうになっていた。

「いいですか、貴方の処分は後ほど決めます。わたくしはこれからダンブルドア校長にお目にかからねば――その間、貴方達はここから一歩も出ないように。合言葉はすぐに変更します。ただし、誰もロングボトムに合言葉を教えないように。パーシー、わたくしがいない間、みんなを頼みますよ」

 マクゴナガル先生はネビルを叱りつけるのをやめると、大急ぎでまた肖像画の裏から出て行った。あとを頼まれたパーシーだけが水を得た魚のように生き生きとみんなをまとめ上げていたが、残された生徒達は談話室にみんなで身を寄せ合い、眠れない夜を過ごしたのだった。