The ghost of Ravenclaw - 157

18. グリフィンドールの合言葉



 金曜日の朝、私はいつも通り起きた。
 同室の子達はまだみんな眠っている時間で、私は手早く支度しルーティンを済ませると、寝室を出た。これから必要の部屋へ向かうのだ。クリスマス休暇中は談話室で自由に呪文の練習が出来たけれど、授業が始まるとそういう訳にもいかないので、また以前のように必要の部屋で守護霊の呪文の練習をするのである。魔法省が吸魂鬼ディメンター接吻キスの執行許可を出した以上、今まで以上に練習しなければならない。

 談話室を横切り、レイブンクロー塔の気の遠くなるような螺旋階段を下ると、私は5階の廊下に出た。この時間帯のホグワーツの廊下はどこもかしこも、しんと静まり返っていて、人っ子1人見当たらない。出歩いている物好きは私くらいなものだ。しかし、今日に限っては出歩いている物好きは私1人ではなかった。なんと、ハーマイオニーが立っていたのだ。レイブンクロー寮の入口に近い場所に1人、俯いて立っている。

「ハーマイオニー?」

 ハーマイオニーが私を待っていてくれたのだろうということは容易に想像出来たけれど、一体いつから待っていたのだろうか――まだ誰も起きていない時間だ。睡眠を必要としないゴースト達ですら自分達のお気に入りの場所でひっそりとし、絵画達もみんな眠っている。先生達は分からないけれど、たとえ起きていたとしても私室でのんびりしているころだろう。

「こんな時間にどうしたの?」

 クリスマス休暇中、ハーマイオニーはこうして早い時間に5階の廊下にやってきてはいたけれど、それでもせいぜい朝食のちょっと前くらいで、こんなに早い時間から私を待っていたことはなかった。だというのに早々と起き出して私を待っていたということは、何かあったということだ。戸惑いながら近付いて顔を覗き込むと、ハーマイオニーの目は驚くほど真っ赤に腫れていた。一晩中泣き腫らしたような、そんな腫れ方だった。

「……何かあったのね?」

 ハーマイオニーの頬に掛かる髪をそっと耳に掛けてやりながら、私は言った。ハーマイオニーは、下唇をぎゅっと噛み締めて泣くのを堪えているような、そんな表情をしている。しかし、

「ハナ……」

 我慢の限界はすぐにやって来た。私がやってきて、緊張の糸が緩んでしまったのかもしれない。か細い声で私の名前を呼んだかと思うと、ハーマイオニーの褐色の瞳から、堪え切れなくなった涙がぽろりと零れ落ちた。一度溢れてしまった涙は次々に、ポロポロポロポロ、とめどなく流れている。

「わ、私――ど、どうしたらいいのか、わ、分からないの――」

 しゃっくり上げて、ハーマイオニーは言った。

「ロンの、ロンのベッドのシーツに、ち、血がついてて――スキャバーズが――わ、わ、私、クルックシャンクスを寝室に閉じ込めてたけど――違うって信じてるけど、でも――ロンは――私、ロンに、ロンに嫌われたわ!」

 とうとう、堪え切れなくなってハーマイオニーは顔を覆って泣き出した。恐らく、スキャバーズは――ワームテールは、昨夜クルックシャンクスに食べられたフリをしてどこかに逃げたに違いない。シリウスを嵌めた際にやり、上手くいったやり方だ。今回は2度目だし、騙す相手が子どもだったということもあり、より上手く騙せたことだろう。けれど、そのせいでハーマイオニーとロンの仲は更に拗れてしまったのだ。

 私は神経を擦り減らして弱り切ったハーマイオニーをどう慰めたらいいのか分からないでいた。そもそも私に慰める権利なんてないのかもしれない。クルックシャンクスに協力を仰ぎ、ワームテールがグリフィンドール寮から逃げ出すきっかけを作ったのは私だ。それなのに、何も知らないフリをして私が慰めるなんて、お門違いもいいところだ。でも、泣いている友達をどうして放って置くことが出来るだろう。

「ハーマイオニー、大丈夫よ」

 泣きじゃくるハーマイオニーの背中を撫でて私は言った。ハーマイオニーの泣き声ですっかり目覚めてしまった5階の廊下の絵画達が、ジロジロとこちらの様子を覗き込んでいる。ある老婦人はよく見えるところに行こうと、額縁から額縁へ移動しているところだった。

「どこかゆっくり話せる場所に行きましょう。ロンだって、今は頭に血が昇っているだけで、貴方を嫌ったりなんかしないわ。絶対よ」

 泣いているハーマイオニーを支えるようにして私は廊下を進み、すぐそばにある絵画もなく、誰の目も耳もない教室に滑り込んだ。明かりのついていない教室はまだ薄暗かったけれど、私は敢えてランプに明かりは灯さなかった。明かりがついていては、誰かにここにいることが知れてしまうからだ。ハーマイオニーは誰にも見られたくはないだろう。

 教室に入ってからもハーマイオニーはただただ泣いていた。私はそんなハーマイオニーと並んで座り、落ち着くまで震える背中を撫で続けた。

「私、スキャバーズを食べてしまったのは、違う猫の可能性もあるって思ってるの……」

 やがて、落ち着きを取り戻してくると、ハーマイオニーが呟くようにそう漏らした。

「だって、ロンはクルックシャンクスがダイアゴン横丁でスキャバーズに襲い掛かった時から、ずっとクルックシャンクスが嫌いだったし、偏見があった。クリスマスの時だって、蹴り上げようとして……。私、確かな証拠もないのに、クルックシャンクスが食べたんだって認めるのは違うと思った。それに、本当に食べられてしまったかどうかも分からない……。ベッドの下とかキャビネットの隙間とかに隠れてるかもしれないでしょ? でも、ロンはよく探しもしないで、初めからクルックシャンクスのせいだって決めつけてた」

 ぽつりぽつりとハーマイオニーは話した。溢れてくる涙を止めようと、袖口で何度も拭っている。

「人間であれ、動物であれ、不当な扱いをされることは許されないことだわ。だから、飼い主である私だけでもクルックシャンクスの無実を信じてあげなくちゃって……。だから、はっきりと言い返したの。でも、考えれば考えるほど、自信がなくなって……。私、クリスマスの時からなるべくクルックシャンクスを女子寮から出さないように気を付けてたけど、知らない間に出てしまったかもしれない……。ロンのベッドにクルックシャンクスの毛が残っていたの……。クリスマスの時からあるのかもしれないけど、昨日のものかもしれない……」

 ハーマイオニーはそう言うと、また溢れてくる涙をゴシゴシ拭った。

「私、どうしてロンに対して素直になれないのかしら……。これまでだって謝るべき時はたくさんあったのに、私、ムキになって謝りもしなかった。ロンに嫌われるのは当然だわ」

 暗い声でハーマイオニーは続けた。そしてそれは、

「私、貴方とセドリックにずーっと憧れてたけど、私には貴方達みたいになるのは無理なんだわ……。ロンは私みたいな意地っ張りの知ったかぶりは好きじゃないもの……」

 彼女が密かに抱いている気持ちに気付かされるには十分な言葉だった。