The ghost of Ravenclaw - 135

15. 秘密だらけのホグズミード

――Harry――



 自分の父親がシリウス・ブラックの親友だった?
 ハリーはテーブルの下に蹲ったまま思わぬ事実に茫然自失とした。そんなこと誰も教えてくれなかった――そもそもハリーは父親や母親のことをほとんど知らない。ハリーが両親について知る機会をヴォルデモートやダーズリー一家が奪い去ってしまったからだ。

 力が入らなくなった手からバタービールのジョッキが滑り落ちて、ガシャンと大きな音を立てて割れた。すると、間髪容れずにロンの容赦ない蹴りがハリーに入り、ハーマイオニーがボソボソと囁く声が頭上から聞こえた。

「ハナとセドリックがこっちを見たわ……ツリーが動いてるって気付いたかもしれない……」

 もしかしたら、ジョッキが落ちた音を聞いてこちらを見たのかもしれない。ハナとセドリックはテーブルの下にハリーが隠れていると気付いたとしても見逃してくれるかもしれないが、先生達に気付かれたら一巻の終わりだ――――ハリーはドキリとしてツリーの隙間からそっと様子を窺った。しかし、こちらに気付いたのはハナとセドリックだけのようだった。先生達は何事もなかったかのように話を続けている。

「ブラックとポッターは悪戯っ子達の首謀者。もちろん、2人とも非常に賢い子でした。まったくずば抜けて賢かった――。しかしあんなに手を焼かされた2人組はなかったですね――」
「そりゃ、分かんねえですぞ。フレッドとジョージ・ウィーズリーにかかっちゃ、互角の勝負かもしれねえ」
「みんな、ブラックとポッターは兄弟じゃないかと思っただろうね! 一心同体!」

 マクゴナガル先生、ハグリッドに続きフリットウィック先生が甲高い声でそう言うのが聞こえると、ファッジが「まったくそうだった!」と同意した。ブラックはそれほど自分の父親と親しかったのだ。ハリーは一言も気に逃すまいと耳をそばだたせた。

「ポッターは他の誰よりブラックを信用した」

 ファッジが続けた。

「卒業しても変わらなかった。ブラックはジェームズがリリーと結婚した時、新郎の付添役を務めた。2人はブラックをハリーの後見人にした。ハリーはもちろんまったく知らないがね。こんなことを知ったら、ハリーがどんなに辛い思いをするか」
「ブラックの正体が例のあの人の一味だったからですの?」
「もっと悪いね……」

 マダム・ロスメルタの囁くような声にファッジが暗い声で答えた。

「ポッター夫妻は、自分達が例のあの人につけ狙われていると知っていた。ダンブルドアは例のあの人と緩みなく戦っていたから、数多の役に立つスパイを放っていた。その内の1人から情報を聞き出したダンブルドアは、ジェームズとリリーにすぐに危機を知らせ、2人に身を隠すよう勧めた。だが、もちろん、例のあの人から身を隠すのは容易なことではない。ダンブルドアは “忠誠の術”が一番助かる可能性があると2人にそう言ったのだ」
「どんな術ですの?」

 マダム・ロスメルタが息を詰めながら訊ねると、「恐ろしく複雑な術ですよ」とフリットウィック先生が答えた。忠誠の術とはなんでも、生きた人間の中に秘密を魔法で閉じ込める術らしい。そうして、選ばれた者は「秘密の守人」として情報を自分の中に隠すのだ。すると、その情報は秘密の守人が口を割らない限り誰にも見つけられなくなるのだという。

 ハリーの両親がヴォルデモートから隠れなければならなくなった時、2人は一番の親友であるブラックなら安心だと考えた。身内にスパイがいると疑っていたダンブルドアは自分が秘密の守人になると申し出たが、ハリーの父親はブラックを秘密の守人にすると主張した。ブラックだったら自分達の居場所を教えるぐらいなら死を選ぶだろうと信じていたからだ。ブラックも身を隠すつもりだとダンブルドアに話していたらしい。

 しかし、ブラックは身を隠すつもりなど到底なかった。それどころか二重スパイの役目に疲れ、例のあの人への支持をおおっぴらに宣言しようとすらしていたのだ。そうして、ハリーの両親への裏切りと死をきっかけにして完全にヴォルデモート側につく計画だったブラックは、忠誠の術をかけてから1週間と経たないうちに親友を裏切った――。

「ところが、知っての通り、例のあの人は幼いハリーのために凋落ちょうらくした。力も失せ、ひどく弱体化し、逃げ去った。残されたブラックにしてみれば、まったく嫌な立場に立たされてしまったわけだ。自分が裏切り者だと旗幟きし鮮明にした途端、自分の旗頭が倒れてしまったんだ。逃げるほかなかった――」
「くそったれのあほんだらの裏切り者め!」

 ファッジが言い終わるや否や、ハグリッドの罵声がパブの店内に響き渡った。バースペースにいた魔法族の半分がしんと静まり返り、マクゴナガル先生が慌てて「シーッ!」と止めたが、ハグリッドの怒りは止められなかった。

「俺はヤツに出会ったんだ」

 ハグリッドは歯噛みして大きな声で続けた。

「ヤツに最後に出会ったのは俺にちげぇねぇ。そのあとでヤツはあんなにみんなを殺した! ジェームズとリリーが殺されっちまった時、あの家からハリーを助け出したのは俺だ! 崩れた家からすぐにハリーを連れ出した。可哀想なちっちゃなハリー。額におっきな傷を受けて、両親は死んじまって……そんで、シリウス・ブラックが現れた。いつもの空飛ぶオートバイに乗って。あそこに何の用で来たんだか、俺には思いもつかんかった。ヤツがリリーとジェームズの秘密の守人だとは知らんかった。例のあの人の襲撃の知らせを聞きつけて、何か出来ることはねえかと駆けつけてきたんだと思った。ヤツめ、真っ青になって震えとったわ。そんで、俺が何したと思うか? 俺は殺人者の裏切り者を慰めたんだ!」

 ハグリッドが吼えた。マクゴナガル先生がまたしても慌てたように声を小さくするよう頼んだが、ハグリッドはそんなこと聞いてはいなかった。

「ヤツは“彼女”がどうとか“教えてくれていたのに”とかなんとか言うとった……それがジェームズとリリーが死んで取り乱してたんではねえんだと、俺に分かるはずがあっか? ヤツが気にしてたんは例のあの人だったんだ! ほんでもってヤツが言うには“ハグリッド、ハリーを僕に渡してくれ。僕が後見人だ。僕が育てる――”ヘン! 俺にはダンブルドアからのお言いつけがあったわ。そんで、ブラックに言ってやった。“ダメだ。ダンブルドアがハリーはおばさんとおじさんのところに行くんだって言いなさった”ブラックはゴチャゴチャ言うとったが、結局諦めた。ハリーを届けるのに自分のオートバイを使えって、俺にそう言った。“僕にはもう必要がないだろう”そう言ったな」

 ブラックはヴォルデモートが凋落ちょうらくしたことで、目立ちすぎる自らのオートバイを捨て、逃げ去った。ブラックが秘密の守人であることはダンブルドアも知っているし、魔法省が追いかけてくるのも時間の問題だと考えたからだ。しかし、逃げたブラックを追い詰めたのは魔法省ではなかった。

 ブラックを追い詰めたのはピーター・ペティグリューという魔法使いだった。ハリーの両親の友達の1人でもある彼は肥っていて背も小さく、あまり優秀とは言えず、学生時代にはいつもブラックとハリーの父親を英雄のように崇め、あとをくっついて回っていたらしい。そんな彼はダンブルドアと同様、ブラックが秘密の守人だと知っている1人で、誰よりも先にブラックを追い掛け、そして、ブラックが放った強力な呪いによる大爆発によって亡くなった。巻き添えになった12人のマグルと共に。

「ペティグリューは英雄として死んだ」

 ファッジが重苦しい声で言った。

「目撃者の証言では――もちろんこのマグル達の記憶はあとで消しておいたがね――ペティグリューはブラックを追いつめた。泣きながら“リリーとジェームズが。シリウス! よくもそんなことを!”と言っていたそうだ。それから杖を取り出そうとした。まあ、もちろん、ブラックの方が速かった。ペティグリューは木っ端微塵に吹っ飛ばされてしまった……」

 マクゴナガル先生がチーンと鼻をかんで、掠れた声で言った。

「バカな子……間抜けな子……どうしようもなく決闘が下手な子でしたわ……。魔法省に任せるべきでした……」
「俺なら、俺がペティグリューのチビより先にヤツと対決してたら、杖なんかもたもた出さねえぞ――ヤツを引っこ抜いて――バラバラに――八つ裂きに――」
「ハグリッド、バカを言うもんじゃない」

 吼えるハグリッドにファッジが厳しい声で言った。

「魔法警察部隊から派遣される訓練された特殊部隊以外は、追いつめられたブラックに太刀打ち出来る者はいなかったろう。私はその時、魔法惨事部の次官だったが、ブラックがあれだけの人間を殺したあとに現場に到着した第一陣の一人だった。私は、あの――あの光景が忘れられない。今でも時々夢に見る。道の真ん中に深くえぐれたクレーター。その底の方で下水管に亀裂が入っていた。死体が累々。マグル達は悲鳴をあげていた。そして、ブラックがそこに仁王立ちになり笑っていた。その前にペティグリューの残骸が……血だらけのローブと僅かの僅かの肉片が――」

 ファッジの声が突然途切れ、鼻をかむ音が5人分と誰かがしきりに床をトントン鳴らしている音が聞こえた。見てみるとハナがイライラとした様子で足を揺すっているところだった。なんだか今にも暴れ出したそうな感じだ。ハリーは顔が見えていないはずなのに、ハナがあの怖い顔をしてバタービールのジョッキを睨みつけている姿がありありと想像出来た。

「さて、そういうことなんだよ、ロスメルタ。ブラックは魔法警察部隊が20人がかりで連行し、ペティグリューは勲一等マーリン勲章を授与された。哀れなお母上にとってはこれが少しは慰めになったことだろう。ブラックはそれ以来ずっとアズカバンに収監されていた」
「大臣、ブラックは狂ってるというのは本当ですの?」
「主君が敗北したことで、確かにしばらくは正気を失っていたと思うね。ペティグリューやあれだけのマグルを殺したというのは、追いつめられて自暴自棄になった男の仕業だ――残忍で……何の意味もない」

 ファッジが考えながらゆっくりと答えるとハナがまたイライラしたように爪先を上下させ、床をしきりにトントン鳴らした。

「しかしだ、先日、私がアズカバンの見回りにいった時、ブラックに会ったんだが……なにしろ、あそこの囚人は大方みんな暗い中に座り込んで、ブツブツ独り言を言っているし、正気じゃない……ところが、ブラックがあまりに正常なので私はショックを受けた。私に対してまったく筋の通った話し方をするんで、なんだか意表を衝かれた気がした。ブラックは単に退屈しているだけなように見えたね――私に、新聞を読み終わったならくれないかと言った。洒落てるじゃないか。クロスワードパズルが懐かしいからと言うんだよ。ああ、大いに驚きましたとも。吸魂鬼ディメンターがほとんどブラックに影響を与えていないことにね――しかもブラックはあそこで最も厳しく監視されている囚人の1人だったのでね。そう、吸魂鬼ディメンターが昼も夜もブラックの独房のすぐ外にいたんだ」
「だけど、何のために脱獄したとお考えですの? まさか、大臣、ブラックは例のあの人とまた組むつもりでは?」

 マダム・ロスメルタが不安気に訊ねた。

「それがブラックの――アー――最終的な企てだと言えるだろう」

 あくまでもハリーの命を狙っていることは秘密なのか、ファッジが言葉を濁した。

「しかし、我々はほどなくブラックを逮捕するだろう。例のあの人が孤立無援ならそれはそれでよし……しかし彼の最も忠実な家来が戻ったとなると、どんなにあっという間に彼が復活するか、考えただけでも身の毛がよだつ……」

 それから間もなく、テーブルの上にグラスを置くカチャカチャという小さな音が聞こえたかと思うと、先生達が席を立った。どうやらファッジはこれからホグワーツに戻り、ダンブルドアと話をするらしい。ダンブルドアが校内に吸魂鬼ディメンターを入れたがらないので、ブラック逮捕のためにも校内に入れるよう交渉するかもしれない、とハリーはなんとなく思った。

 1人、また1人と、ハリーの目の前から足が動き出し、元来た道を戻り始めた。マクゴナガル先生のマントの縁がはらりとハリーの視界に飛び込み、マダム・ロスメルタのピカピカのハイヒールはバーの裏側に消えて行った。パブの扉が再び開き、また強い風が店内に吹き込んできて、ハリーの髪を逆立てた。

『君が何を聞こうと、ブラックを探したりしないと誓ってくれ』

 9月1日にキングズ・クロス駅でウィーズリーおじさんがそう言っていたのは、こういうことだったんだ。ウィーズリーおじさんはこの事実を知っていたのだ。ファッジもダンブルドアもマクゴナガル先生もハグリッドもみんな知っていた。

 それだけじゃない。マルフォイだって自分なら復讐すると魔法薬学の授業でハリーに言ったことがあった。あの時、口から出まかせを言っているだけだと思っていたけど、そうじゃなかった――ハリーだけがこんなに重大な事実を知らなかった。ハリーだけが。

 ハナの足がイライラと動くのを見つめながら、ハリーはしばらくの間、ただただ呆然としていた。