The ghost of Ravenclaw - 125

15. 秘密だらけのホグズミード



 満天の星々が夜空を彩った翌朝、私はいつもより少し遅く起きた。とはいえ、それでも同室の子達はまだ眠っている時間だ。レイブンクロー寮にある私達の寝室には気持ち良さそうな寝息だけが聞こえている。きっと楽しい夢でも見ているに違いない。

 私はぼんやりとしたまま寝返りを打ち、ベッドの天蓋を見上げた。このごろはすっかり日が昇るのも遅くなったせいか、カーテンの隙間から漏れる明かりもなく、真っ暗な天井には真鍮製の星屑製造機スターダスト・メーカーだけが吊り下げられている。

 それは、いつもと変わらぬ目覚めの景色だったけれど、確かにいつもとは違う朝の始まりであった。このごろは朝起きると守護霊の呪文の練習をするために必要の部屋へと向かっていたけれど、こんな日くらいはみんなと同じ時間に起きても許されるだろう。私はそっと目を閉じると昨晩起こった出来事を思い返した。


 *


「――ここが隠れ家なの」

 真夜中の禁じられた森の中――秘密を打ち明けると決めた私は、シリウスと相談し合って隠されたテントの中にセドリックを招き入れることにした。私は散々グスグス泣いてしまった上、体中泥だらけだったし、シリウスも私ほどではないけれど汚れていて、おまけに外もとても寒かったので、長話は室内でした方がいいだろうということになったのだ。テントの中はミニチュア箒作りの作業途中で、ニンバスの破片やヤスリ掛けをした際に出た木屑が散らばったままになっている。

「ソファにでも座って待っててくれ。紅茶を淹れよう――それから、君にはタオルが必要だな」
「ありがとう、シリウス」
「日ごろ私の方が世話になっているからこれくらいはするさ――おっと、スコージファイ――これでいいだろう」

 さっと杖を一振りして自身と私についた泥を綺麗さっぱり取り去ると、シリウスは奥にあるキッチンへと引っ込んで行った。セドリックに襲撃された時にはあんなにも警戒心を剥き出しにしていたのに、今ではそれも見る影もない。初めて私以外に自分のことを無実だと信じてくれる人が現れて嬉しいのかもしれない。

 一方で私はセドリックに自分のことを話すと決めたにもかかわらず、恐怖にも似た気持ちでその場に立っていた。シリウスの言うように何が危険かを知ることは一番の防衛となる。たとえば、2年前だって、クィレルが襲ってくると知っていたならば、仮に実力差があったとしても私もセドリックもあんなに簡単に倒されたりはしなかっただろう。襲われる前提で準備が出来るからだ。

 だから、何が危険か、どんなことが起こっているのか伝えることは決してデメリットばかりではない。ダンブルドア先生だって、信用出来る人ならば私のタイミングで話してもいいと仰っている。ハリー、ロン、ハーマイオニー以外に話すなとは言わなかった。そして、セドリックは信用出来る人だ。誠実過ぎて泣きたくなるほどに――。

 それでも自分のことを話すのが怖いのは、セドリックなら信じてくれるかもしれないという思いがある反面、信じてもらえなかったらどうしようという思いがどこかにあるからかもしれない。それにもし今回の選択か間違っていたらと思うと震える思いがした。

 隣を見れば、セドリックはリビングの中央に置かれているテーブルの方を気にしているようだった。恐らくニンバスの破片が置かれていることに気付いたのだろう。セドリックはあれがなんなのか訊きたそうに何度もテーブルを見ていたけれど、今はそのタイミングではないと思っているのか我慢しているようだった。そんなセドリックがなんだか可愛らしく思えて、思わず小さく笑った。

「ハリーのニンバスなの」

 私が声を掛けるとセドリックは驚いたようにこちらを見て、それから少しだけ照れ臭そうにした。私はこれから秘密を打ち明けることへの恐怖心や緊張が僅かに解れていくような気持ちになって、セドリックにソファに座るよう促すと壊れたニンバスで何をしているのかを話して聞かせた。発した声は考えていたよりも震えていなかった。

「ハリーが本当にショックを受けていたから、何か出来ないかと思って破片を預かって、ここで作業してたの。喜んでくれるといいんだけれど――」
「喜ぶよ、きっとね」

 ソファに並んで座っていると、キッチンで紅茶を淹れていたシリウスがマグカップを3つとタオルを1枚、トレイの上に載せて戻ってきた。シリウスはトレイを持ったまま滑らかな動作で杖を振り、ソファの前にローテーブルを作り出すと、もう一度杖を振ってマグカップをそれぞれ私達の前に置いた。マグカップはどれもデザインが異なっていて、シリウスは真っ黒なもの、私は鮮やかなブルー、セドリックはベージュだ。中には熱い紅茶がたっぷりと注がれ、真っ白な湯気が立ち昇っている。

「少し緊張がほぐれたみたいだな」

 中央のテーブルから椅子だけ引っ張り出してきたシリウスがローテーブルを挟んで向かい側に腰掛けるとまるで揶揄からかうように言った。私はトレイに載せられていたタオルを手に取って、目元を拭いながら「少しだけね」と苦笑した。

「でも、いざ話すとなるととっても難しいわ。何から話したらいいのかしら……あまりにも非現実的だし、とても信じられる内容じゃないもの」
「信じるさ。君を信じて、君のためにこんなところまで1人で乗り込んで来た男だ――なあ、少年」
「大丈夫。僕は君を信じるよ」

 とりあえず、自己紹介を先にした方がいいだろうと真夜中の密会は、シリウスとセドリックが互いに自己紹介するところから始まった。シリウスはセドリックがハッフルパフで監督生をしていると聞くとひどく納得した様子で、逆に自分の学生時代に行った悪行の数々――フィルチさんをどんな風に困らせたかやとあるスリザリン生とは会う度に呪いを飛ばし合ったとか――を披露してセドリックを驚かせていた。

 それから、私の話は始まった。元々違う世界で生まれ育ったこと。そこでの私は今よりずっと大人で本当は13歳ではないこと。ある日眠るたびにこちらの世界と行き来出来るようになり、学生時代のシリウス達と出会ったこと――。

「私が世界を行き来するようになったのは、ヴォルデモートの召喚魔法の影響だったの。ハリーを殺し損ねてすっかり弱り果てていたヴォルデモートは、自分の目の前に現れたクィレルを利用して、未知の力を手に入れようと企んだ。それで、古い魔法に手を出した――」

 ダンブルドア先生は召喚魔法のことを「奇妙且つ繊細で、禍々しい魔法」と話していた。成功させるには、多くの犠牲が必要な上、被召喚者――つまり、私の名前が必要となる、とも。

「召喚魔法は複雑で完成させるには私の名前が必要だった。最初のころ、ヴォルデモートは私の名前を知らなかったから当然魔法は完全に作用しなかった。その中途半端な魔法が私の記憶と結びついたために、ヴォルデモートが意図しないところで私は世界を行き来することになった」
「ハナの記憶って……?」

 私の話に引っ掛かりを覚えたのだろう。じっと黙って話を聞いてくれていたセドリックが怪訝な顔をして訪ねた。向かいに座るシリウスは今のところ話に口を出す気はないのか、静かに紅茶を飲んでいる。

「それにえーっと、例のあの人は……一体どうやってハナの名前を手に入れたんだい? だって、君の話でいくと、あの人とハナはそもそも住んでいる世界が違った。君の名前を手に入れられる訳がなかった。君が知らずに名乗ってしまった、とか?」
「いいえ――気付いた時にはヴォルデモートは私の名前を手に入れていたの。ただ、それをどうやって手に入れたかは分からないわ……。でも、記憶のことならはっきりとしているわ。私の世界にはこの世界のことが書かれた本があるの。ハリーが主人公の物語よ」

 こんなにも非現実的なことばかり話していて、挙げ句の果てに本があるだなんて信じてもらえないかもしれない――不安になりながらも私は思い切って話した。セドリックが一体どんな反応をするのかと考えると、解れていた恐怖心や緊張感が一気に戻ってくるような気がして心臓がやけにバクバクとしていた。セドリックはそんな私のことを難しい顔をして見ていたけれど、嘘だとか信じられないなどとは決して言わなかった。

「私はその本のことを少ししか知らないの……けど、友人が大好きだった。その本に登場するシリウスのことが好きで、私はよく話を聞かされたの。特に学生時代の話を――」
「それじゃあ、その記憶があったために君は過去に……例のあの人が実際に召喚魔法を使うより何年も前に現れることになったてしまったんだね? 魔法は中途半端だったし、学生時代の記憶が強かったから時間がズレたんだ」
「そう、そうよ。そうして私はジェームズ・ポッター――ハリーの父親と知り合うことになった」

 私がジェームズの名前を出した途端、セドリックがハッと息を呑むのが分かった。隣を見てみれば、セドリックはひどく傷付いたような、それでいて何か恐れているような目をしていた。

「僕、君が彼の名前を呼んでいるのを聞いた……」

 セドリックの声は僅かに震えていた。

「汽車の中で君が気を失った時に、その……それが、ハリーの父親のことだった?」

 セドリックの言葉に静かに頷きながら私は、汽車の中で目覚めた際にジェームズの名前を呼んだことを思い出した。あの日、セドリックは私に気を遣ってジェームズが誰かなんて訊ねなかったけれど、その時のことをずっと覚えていてくれたのだろう。もしかしたら、気を失っている時にうわ言も言ってしまったかもしれない。

「――私、初めて出会った時からジェームズが将来どうなるか知っていた」

 僅かな沈黙の後、まるで教会で懺悔するかのような気分で私は言った。それは私の罪そのものだった。元の世界のことや本のことを話すより、このことを口にするのが何より勇気が必要だった。

「私は知っていたのにきちんと伝えなかった。自分の夢だとばかり思って、深く物事を考えていなかった。これは変だと思い始めたのは、夢から出られなくなったあとだった。でも、その時にはもう既に遅くて、きちんと伝える前にこの時代に来てしまっていた……私……私がジェームズとリリーを殺したも同然だわ……ハリーから両親を奪った……シリウスをアズカバンに入れてしまった……リーマスを1人で苦しませた……」

 私は決して許されないことをした。ジェームズとリリーの未来は防げるものだった。私はもっと真剣に考えて行動するべきだった。そうしたら、ジェームズもリリーも助かったかもしれない。ハリーはひとりぼっちでダーズリー家に預けられ、虐待されずに済んだかもしれない――。

『僕はジェームズだよ。ジェームズ・ポッター』

 この世界で初めて私に声を掛けてくれたのは、ジェームズだった。その時からジェームズは私の友達だった。到底信じられないような私の話を信じ、親身になってくれた。それなのに、私は一体彼に何をしただろう。私は大切な友達とその友達が愛する人を見殺しにしただけだった。

「こんな私に、ジェームズもシリウスもリーマスもたくさんいろんなものを残しておいてくれた。ダンブルドア先生だってこんな私のことを信じてくださってる……私、だから、ハリーだけはなんとしてでも守りたいって、ダンブルドア先生の信頼を裏切る真似だけはしないようにってそう思って過ごしてきた。それに、絶対にシリウスの無実を晴らして、ハリーのたった1人の家族と、リーマスの唯一の親友を取り戻さないとって……」

 じわりと涙が滲むのが分かって、私はタオルに顔を埋めた。泣いたって私がしたことは許されるわけではないのに、歯を食いしばったって、拳を握り締めたって涙は止まってくれなかった。それどころか、これまでシリウスにも話せずに1人で耐えてきたことがとめどなく溢れ返ってきてどうしようもなかった。

 私の家にやってきた時の痩せこけたシリウスの姿、夏休みに連日報道された記事、ハロウィーンのあと聞こえてきた罵詈雑言、クルックシャンクスのことでロンと喧嘩をして泣いていたハーマイオニー――それらが頭の中に浮かんでは消えてを繰り返した。

「それじゃあ、尚更1人より2人の方がいい」

 気が付けば、隣に座るセドリックが私の肩に腕を回して、慰めるように撫でていた。優しい声が頭上から慈雨のように降ってきて、私はぎゅっと下唇を噛んだ。そうしていないとまた幼子のように泣きじゃくってしまいそうだった。

「君が戦うものと僕も戦う。君がどこで生まれ、本当は何歳でも、君は君でしかないし、そんなのは些細なことだ。むしろ君が年上だって分かって、納得すらしてるよ。なんていうか――そりゃ相手にされないはずだってね」

 セドリックが冗談っぽく笑う声が聞こえると、向かいでシリウスが吹き出す声がした。でも、そのあと少しだけ鼻を啜る音がしたのでシリウスはもしかしたら半分泣いていたかもしれない。けれど、タオルから顔を上げられない私にそれを確かめるすべはなかった。

「僕にとって重要なのは、君がこんな風に不安を抱え、責任を感じ、たった1人震えて泣いていないかってことだけなんだ。僕は君の気持ちをすべて理解するなんて出来ないかもしれない。けど、泣きたい時そばにいることは出来るし、涙は拭ってあげられるよ。それじゃ、一緒に戦うにはやっぱり頼りないかな」

 甘く爽やかな香りが私を包み込んでいた。セドリックを関わらせて危険に晒すことへの恐怖、未来がどんな風に変わっていくか分からないことへの不安が胸の内に渦巻いていた。この1年が終われば、この先に何が待っているのか私にも分からなくなる。今日した選択がとんでもない未来を引き寄せる可能性だって十分にある。

 それでも私はもうセドリックの腕を振り解くことなんて出来なかった。抱き締められてひどく安心して嬉しくて、罪深くも、一緒にいたいと願ってしまったのだ。