The ghost of Ravenclaw - 124

14. 真夜中の襲撃者



 夜の森にセドリックの話す声だけが響いていた。最初に私に感じた疑問。動物もどきアニメーガスではないかと思ったこと。森の中でシリウスを匿っているのではないかと考えたこと。しかし、そこには何か理由があるのではないかと考えたこと。自分なりに調べ、シリウスが実は無実ではないかと思ったこと。私が1人でそのことを抱え込んでいるのではと心配していたこと。何か力になりたいとずっと思っていたこと。話をするならばこういう状況下でなければ、はぐらかされるだけだと考えたこと――。

 セドリックはそのひとつひとつを丁寧に話した。そして、何度も私の助けになりたいと、共に立ち向かいたいと訴えた。私のことを好きだとかそういう直接的な言葉は口にしなかったけれど、セドリックが私に対してどういう気持ちを抱いているか、シリウスには察しがついたようだった。一度だけ何やら意味ありげな視線を私とセドリックに送ると、それっきり小難しい顔をして考え込み始めた。杖先は未だにセドリックに向けたまま、眉間に皺を寄せている。

「貴方が私を心配してくれているのは嬉しいわ」

 チラリとシリウスを見遣ったあと、私は言った。

「だけど、セド、貴方はこのことに関わってはならないのよ。私の手助けなんてしようとしなくていい。私、そんなこと望んでない……」

 セドリックを私が行うことに関わらせてはならない。これは常々私が感じていたことだった。だって、私は例の友人からセドリック・ディゴリーなんて名前を聞いたことがなかった。友人は親世代の話ばかりだったけど、実際、『賢者の石』にセドリックの名前は出てこなかった。そんなセドリックが私に関わってしまったばかりにどうなったか。2年前、既に証明されていたはずだ。私はあの出来事を忘れてはならない。

「2年前、私と一緒にいたばかりにどうなったか、覚えてるでしょう? 貴方はその必要がなかったのに、私といたばかりに巻き込まれてクィレルに襲われたわ。このまま私と一緒にいれば、あれよりひどいことが起こるのよ。私、そんなの耐えられない……私が真剣に現実と向き合っていなかったせいで、どんなに恐ろしいことが起こったか……」

 ジェームズとリリーは私が殺したも同然だ。
 18年前、私だけが彼らの間に起こることを知っていた。しっかりと忠告する機会は何度もあった。けれども私は最後の最後まであれは自分の夢の中だと、しっかりと現実に向き合うことをしなかった。バカな私は何度も忠告の機会を逃して、はっきりとしたことは何も伝えなかった。

 私が本当にすべてが現実だったのだと理解したのは、ジェームズとリリーが亡くなったと分かったあとのことだった。世界が私の知っている通りに回っていたことを知ったあの絶望は、この先一生忘れることはないだろう。だからこそ私はもう2度と間違いは犯せないのだ。

「私のせいで、シリウスはアズカバンに収監された……私のせいで、リーマスは長い間ひとりぼっちになってしまった……」

 いつの間にか、私はガタガタと震えていた。隣に立つシリウスはしばらくの間、そんな私のことを痛ましい表情で見ていたけれど、やがて「ハナ、落ち着くんだ」と声を掛けると、背中を撫でた。

「2年前、私は何とか乗り切れたけど貴方を巻き込んでしまった……去年は私の行動が遅かったばかりにジニーを危険な目に遭わせてしまった……私、私、もう2度と失敗は許されない……次は本当に誰かが死ぬかもしれない……そのためには最善を尽くさないと……」
「ハナ、だったら彼に洗いざらい話して、協力を頼むのが最善だ」

 突然シリウスがそう言って、私は訳が分からないまま隣に立つシリウスを見上げた。あんなに敵意を剥き出しにしていたというのに、まさかシリウスがそんなことを言い出すとはこれっぽっちも思わなかったのだ。一瞬冗談を言い出したのかとも思ったけれど、こちらを見るシリウスの顔は真剣そのもので、その声音も冗談を言うそれではなかった。

「何言ってるの……?」

 震える声で私は訊ねた。

「私の話を聞いてたでしょう。貴方はそれが分かるはずよ。なのに、どうして……」
「分かるからこそだ、ハナ。今の君はとてもじゃないが冷静に物事を考えているとは言い難い――冷静になってよく考えるんだ。そうすれば、重要な見落としに気付くはずだ。ハナ、彼は2年前、君と共にいて賢者の石を巡る事件に巻き込まれた――たった今君がそう話したばかりだ。これがどういうことか、冷静になれば、分かるはずだ」

 一体シリウスが何を言いたいのか私にはさっぱり分からなかった。2年前、セドリックが巻き込まれてしまったのは私と一緒にいたからだ。だから、私と一緒にいなければいい。そうすれば、これから先のセドリックの安全は間違いなく保証される。その私の考えに間違いはないはずだ。何も、間違いなんて――。

「ハナ、君は私にこれまでの2年間の冒険譚をよく聞かせてくれた」

 まるで幼子に言い聞かせるかのようにシリウスは言った。

「その中で、君は“クィレルという教師の後頭部にヴォルデモートの顔があった”と教えてくれた。肉体を失い魂の成れの果てのようになって弱っていたヴォルデモートはクィレルに寄生して生きながらえていた、と」
「ええ……ええ、そうよ。でも、それが一体どうしたっていうの? 貴方、一体何が言いたいの?」
「ハナ、本当に分からないか? ヴォルデモートは君とここにいる彼が親しいことを既に知っている・・・・・・・んだ。それがどういうことか、君は本当に分からないのか?」

 少し前まで確かにセドリックに向いていたシリウスの杖先は、今やもうすっかり地面を向いてしまっていた。私はそんなシリウスの杖を見て、それからシリウスを見て、最後にセドリックを見た。セドリックは私達のやりとりに口を挟むことなく静かに見守っている。

「ヴォルデモートは少なくとも2回、君を手に入れ損ねた。あの最後の日とそして2年前、君を襲った日だ。そして賢者の石を手に入れることにも失敗し、復活する絶好のチャンスをも失った。その時、取り戻しつつあった力も使い果たしてしまったことで今は大人しくしているらしいが、また動けるようになれば必ずその力を取り戻すために君を手に入れようとするだろう」

 シリウスは続けた。

「もし私が奴なら、手っ取り早く君を手に入れるために真っ先にここにいる彼を狙うだろう。そうして君にこう言えばいい――“彼を殺されたくなければ言うことに従え”とね。君はそれに従うだろう。実際2年前、君は彼を助けるために言うことに従い捕まった。君はヴォルデモートの目の前で彼のためなら何でもすると証明してしまっているんだ。奴はそれを忘れたりはしない」

 つまり、シリウスが言いたいのは私が本当にセドリックから距離を置き離れたとしても、例え今この場で私に関する記憶を消して今夜のことをなかったことにしたとしても、それはヴォルデモートにとって何の意味もなさないということだ。セドリックの記憶から私に関することが消えても、ヴォルデモートの記憶から消え去ることはない。どんな状況下でも、自分の目的のためにヴォルデモートはどんなものでも利用し、邪魔する者は容赦なく殺していくだろう。

 だから、シリウスは情報を与え対処出来るようにするべきだ、と言ったのだ。何が危険か知ることは危険に対する一番の防衛になる。それで必ず安全になるとは言い難いけれど、何も知らないより何が危険かを知っていた方が注意出来るし、必要な呪文を覚えることだって出来る。シリウスの言っていることは分かる。でもそれは、簡単に決めていいものではない。だって――。

「シリウス、それは私達に協力させることで解決出来る問題じゃないわ。むしろより危険な目に遭うかもしれない。そうでしょ?」

 私達の仲間になり情報を得るということは、危険を知ることだけれど、それと同時に相応のリスクを背負うことにもなる。シリウスの件に関して言えば、失敗した時に魔法省からの追及は免れないし、イギリス魔法界全体から凶悪殺人犯の共犯者というレッテルを貼られるかもしれない。そんなリスクをセドリックに背負わせる訳にはいかない。セドリックには家族だっているのだ。こんな危ないことに首を突っ込むべきではない。しかし、シリウスは「危険な目に遭う」ということを別の意味に捉えたようだった。

「確かに、仲間を増やすということはそれだけ裏切りに合う確率も上がるということだ……」

 忌々しそうにシリウスが言った。

「裏切りによってどんなに恐ろしいことが起こったか……忘れられる訳がない……」

 どうやらシリウスは私達が裏切りに合うリスクを考えたらしい。ワームテールに裏切られたことを思い出してしまったのだろう。シリウスはしかめっ面をして、ギリッと音が聞こえそうなほど奥歯を噛み締めながら、落ち着かない様子で私とセドリックの間を行ったり来たりし始めた。

「もし本当に彼の身を守りたければ、必要な情報を与え、備えさせ、戦えるようにするしかない。たった1人で何人も守るなんて夢物語に過ぎないからだ。あまりにも現実的ではない。たとえダンブルドアでも無理な話だ。ヴォルデモートの全盛期、何人が死に、拷問にかけられ、正気を失ったか……今朝会ったばかりの人が夜には死んでいたなんてことがよくあった。まさに闇の時代だ。あのころ、本当に信用出来る人物を見極めるのは非常に難しかった……事実、裏切るはずがないと思っていた人物が裏切り者だった……誰もが、そいつが裏切るとは考えもしなかった。誰もが、私の方が裏切り者だと思っていた……私を信じていたのはたった3人だけで、そのうち2人は死んでしまった……」

 まるで演説するかのようにシリウスはその場をグルグルと歩き回りながら話を続けた。

「私が洗いざらい話したらどうかと提案したのは、彼が裏切らない前提の話に過ぎない。君が取り乱すほど心配しているから守りたいならそうするべきだと言ったんだ。果たして平和に暮らしてきた未成年の魔法使いにそんな覚悟があるのかどうか……私としては、裏切るくらいなら潔く死ぬ覚悟くらいは欲しいものだがね。でなければ、今夜のことは一切合切お忘れいただこう」

 そこまで話すとシリウスはピタリと立ち止まり、セドリックを真っ直ぐに見据えた。まさか裏切るくらいなら死ねと言われるとは思ってもみなかったのだろう。セドリックは戸惑ったようにシリウスを見て、それから私を見ると地面に視線を落とした。

 多くの魔法使いや魔女が死ぬ覚悟なんてあるはずがない――私はシリウスに「そんなこと求めなくていい」と言いそうになったのをグッと堪えた。セドリックが死の恐怖を前にやっぱり無理だと言って逃げ出してくれたらいいと思ったのだ。その方が私は安心だ。彼を巻き込まなくて済むのだから。

「僕は……」

 ややあって、セドリックが口を開いた。

「僕は正直、死ぬ覚悟はありません」

 それは私の望んでいた答えだった。覚悟がないというのなら、シリウスだって洗いざらい秘密を話して巻き込もうなんてバカな考えは辞めてくれるに違いない。記憶を消して終わりにしたらいいだけだ。期待を込めてシリウスを見ると、シリウスはセドリックの言葉が気に入らなかったのか思いっきり顔をしかめていた。しかし、セドリックの話はこれで終わりではなかった。

「ハナはこれまで、大切な人の死に直面し過ぎた」

 私やシリウスが何かを言う前にセドリックは話を続けた。再び顔を上げたセドリックの表情からは先程見て取れた戸惑いは消え失せていた。

「肉親を亡くしているし、恐らく、それ以外の人も……きっと、その度に僕には想像もつかない絶望と悲しみを味わったはずです。それでも彼女はその度に這い上がって、今もこうして誰かのために必死で生きてる。だから僕は死ぬ覚悟は出来ません……彼女を悲しませたくて手助けしたいと言っている訳じゃないからです。だけど、生き抜く覚悟ならあります」

 セドリックの中にあるのはただただ強い意志だけだった。真っ直ぐに私とシリウスを見つめる目は驚くほど誠実で澄んでいる。私はそんなセドリックの澄んだ灰色の瞳をただただ見つめ返した。胸を何かにぎゅっと締め付けられる思いだった。彼は、私のために生きると言う。私のために――。

「僕はハナのために何が何でも生き抜きます。ハナが悲しまなくて済むように共に戦います」

 セドリックの言葉に苦しさが胸の奥から迫り上がってくるのが分かった。そんなこと考えなくていい。セドリックは真面目で優秀で将来があるのだから、もっと素晴らしく幸せな未来が選択出来るはずだ。記憶を消して私と関わるなんてやめた方がいい。私はそう伝えるべきだと分かっていたのに、胸の奥から迫り上がってきた何かが喉を詰まらせているせいで上手く言葉が出てこなかった。鼻がツンとして、目頭も熱くなっていく。

「私、貴方を失いたくない……」

 やっとの思いで絞り出した言葉はやけにか細かった。おまけに視界まで歪んで、私は思わず下を向いた。ポロポロと頬に何かが伝っては落ちて、暗い森の中へと消えていく。

「もう誰も死なせたくなんてない――私、貴方に何かあるなんて耐えられない――私――」
「僕は君のそばからいなくなったりしない」

 足音が聞こえたかと思うと、こちらまで歩み寄ってきたセドリックが震えている私の手を優しく包み込んだ。先程倒れ込んでいた私を引き起こそうとした時には私に触れるなとその手を弾き飛ばしたシリウスは、何も言わずにじっとして動こうとはしなかった。

「君は知らないかもしれないけど、僕、かなり諦めが悪いんだ。だからずっと離れないよ。何より僕がそうしたいんだ」
「どうして、こんなに私に優しくしてくれるの――私、普通の13歳の女の子じゃないのに――私、みんなとは違うのに――私、本当は――」
「君が不安なら僕は何度でも証明する。それに、きっと記憶がなくなっても僕は同じことを繰り返すよ。何度でも君を見つけて声を掛けて、隣に立ちたいと願うんだ」

 もうほとんど私は泣きじゃくっていた。セドリックがそんな私をそっと抱き寄せて、何度も大丈夫だよ、と頭を撫でた。すぐ隣ではシリウスがなんだか仕方にいなとばかりに息を吐いて、笑った気がした。

「ハナ、私は君の負けだと思うがね」

 シリウスの声はどこか嬉しそうだった。

「我々の思い出話を彼に聞かせてあげよう――今夜は長くなりそうだ」

 この日私は初めて、ジェームズやシリウス、リーマス、ダンブルドア先生以外の人に秘密を話した。それは長い雨が終わり、暗い森の遥か頭上に満天の星々が輝く優しい夜のことだった。