The ghost of Ravenclaw - 117

14. 真夜中の襲撃者



 凍てつくような冷たい風が暗い森に吹き付けていた。
 そんな風に揺られて木々が騒めき、森の奥では何かの動物が恐ろしい鳴き声を上げるのが分かったが、今の私にはそれらがなぜか遥か遠くにあるかのように聞こえていた。長く降り続いていた雨のせいでぬかるんだ地面が容赦なく倒れ込んでいる私の衣服を濡らすのも今は気にならなくて、私はただ呆然と目の前にいる人物を見つめていた。

 頭が真っ白になるとは正にこのことだった。考えなければと思うのに頭は上手く回らなくて、シリウスを庇おうにも体が言うことを聞いてくれなかった。それでも確かなのは、目の前にいるのがセドリック・ディゴリーその人であるということだけだった。こちらを見つめる灰色の瞳がなぜだか悲しげに揺れている。

「手荒な真似をするつもりはなかったんだ」

 やがて、セドリックは倒れ込んだままの私に手を伸ばすとそう言った。どこか気遣わしげな、それでいて心配そうな様子のセドリックに、私はその真意を推し量ることが出来ず、地面に倒れ込んだまま、ただただ差し出された手を見つめていた。確かに先程私達を襲撃したというのに、手荒な真似をするつもりはなかったとはどういうことだろう? どうしてそんな風に悲しげにこちらを見ているのだろう? これは一体何が起こっているのだろう? 私は一体どうするべきなのだろう?

 いつもならもう少しまともに頭が働くはずなのに、今の私の頭の中はポンコツで、疑問符が浮かび上がっては消えていくばかりだった。だって、よりにもよってセドリックに見つかるだなんて思わなかったのだ。どうやって言い訳しよう。この状況を誤魔化して切り抜けるにはどうしたらいいだろう。忘却呪文を使うしかないだろうか――混乱する頭の中で私がそんな風に考えている間にも、セドリックの手は私を助け起こそうとゆっくりとこちらに近付いてきた。しかし、もう少しで私の手を掴むというところで、私の頭上を素早く閃光が通り過ぎ、セドリックの手を弾き飛ばした。

「彼女に触るな」

 それはシリウスが放った呪文だった。
 どうやら受け身が取れて、なんとか体勢を保ったらしい。ハッとして呪文が飛んできた方に顔を向けると、シリウスは私のすぐそばで地面に片膝をついた状態で杖先をセドリックに向けていた。今にも攻撃してしまいそうな形相でセドリックを睨みつけている。

 これはマズイ――私は弾かれたように上体を起こした。仮にシリウスがセドリックに攻撃したと知られたら、それは間違いなく犯罪行為にされてしまうからだ。私がどんなに庇おうとシリウスが一方的にセドリックに襲い掛かったことになってしまうのだ。この場所が知られてしまった以上、何かしらの対処はする必要があるけれど、それは攻撃することではない。ちょっと杖を奪って、記憶を曖昧にしてしまえばいいだけだ。すると、

「待ってください!」

 私が立ち上がろうとしたところで、セドリックが焦ったように声を上げた。振り返ると、セドリックはどういう訳かまるで降参を示すかのように両手を頭上に挙げている。それどころか杖も足元に転がり、完全に無抵抗だ。襲撃したにしては何かがおかしい。私が眉間に皺を寄せると、シリウスが疑わしげに言った。

「どういうつもりだ」

 シリウスもセドリックの真意を量りかねているようだった。杖先をセドリックに向けたまま警戒するように辺りに視線を走らせている。襲撃してきたにもかかわらず、こうもあっさりと降参の意を示すので、何か裏があるのではないかと考えているのだろう。そう、例えば、シリウスの隙をついて捕まえようと魔法省の人間が変身術を使って潜んでいたり――。

「ホメナム・レベリオ」

 私は自分を鼓舞するようにぎゅっと杖を握り締めると、シリウスと背中合わせになるように立ち、呪文を唱えた。「ホメナム・レベリオ」とは隠れている人を見つける呪文だ。先日シリウスが話していた「人を炙り出す呪文」というのがこれで、あれから気になってこの呪文だけ覚えたのだ。呪文が成功すれば、その大体の居場所が術者に分かるようになる。セドリックが先程私達に使ったのもきっとこの呪文だろう。そして居場所を知り、私達をテントから引き摺り出したのだ。

「僕、1人だ。他には誰もいない!」

 疑われているのが分かったのだろう。両手を挙げたままのセドリックが言った。その言葉通り、呪文には何の反応もなく、辺りはしんと静まり帰っている。

「彼が言ってることは本当よ。誰もいないわ」
「だったら尚のことどういうつもりか分からないな――生徒のフリして近付く魔法省の人間か?」
「違う、僕は……!」
「少し黙っていろ――レパリファージ」

 尚も訴え掛けようとするセドリックにシリウスは容赦なくそう言うと呪文を唱えた。「レパリファージ」は変身術の効果を取り消す呪文だ。変身していれば元の姿に戻り、そうでなければ何も起こりはしない。

「どうやら変身術は使っていないらしい。本人か」

 何の変化も起こらなかったことに益々怪訝な顔をしながらシリウスが言った。私もシリウスの背後を警戒するのをやめると、両手を挙げているセドリックの方に向き直った。しっかりしなければと、唇を引き結ぶ。相手が誰だろうとシリウスを助けるためには動揺してはならないのだ。例え、セドリックに幻滅されようと、私は必ずシリウスの無罪を証明しなければならない。それでも、私達を見つけたのがセドリックでなければ良かったと、幻滅されるのが怖いと思ってしまうのは、私の罪だろうか。

「セド、どうして、ここへ来たの?」

 震える声で私は訊ねた。

「それに手荒な真似をするつもりがなかったって……彼が誰だか分かっててここへ来たのよね? 私が何をしているのか、分かってて」
「本当にどういうつもりなのかさっぱり分からないな。襲撃したかと思えばすぐに降参。仲間がいるかと思いきやそうではない。なら生徒になりすましてるかと思いきやそれも違うときた――本来ならすぐに記憶を消して森の外に放り出すところだが、そうするには不可解なことが多過ぎる」

 シリウスはやけに低い声でセドリックに向かって言った。シリウスの杖先はしっかりとセドリックに向いたままで、最早どちらが襲撃犯か分からないほどだった。しかし、セドリックは僅かに焦ったような感じは見受けられるものの、抵抗する素振りは見せず、ただ真っ直ぐに自身を睨みつけるシリウスを見つめている。それは世間で凶悪殺人と言われている人物を目の前にしているとは思えない態度だ。

「襲撃した形になってしまったことは謝ります」

 セドリックは言った。

「でも、どうしても他に方法が思いつかなかったんです。2人に会ってどうにか話が出来ればと思っていたけど、2人は上手く隠れていて、中々姿が見えなかった……それで」
「それで無理矢理私達を引き摺り出したのか。どうして、私達に話をしたかった? 自首の説得か? それとも、ここにいる彼女が私に服従の呪文や錯乱の呪文でも掛けられたとでも思って取り戻そうとしたのか? 何にせよ、ここに1人で来たことは君の間違いだった。その勇気は讃えるがね」

 馬鹿にしたように鼻で笑ってシリウスはセドリックの喉元に杖を押し当てた。杖先がぐっと喉元の皮膚に食い込んで、セドリックは一瞬苦しそうな顔をしたものの、やはり何も抵抗してこなかった。チラリと私の方を見て、そして目の前にいるシリウスに視線を戻す。

「僕が2人と話したかったのは、ハナがまた1人で何でも抱え込んでいるのが分かったからです」
「なるほど? それは殊勝しゅしょうな心掛けだ」
「ハナは僕が関わることを望んでいなかったけれど、僕はやっぱり放って置くなんて出来なくて、それで――」
「君のその口振りだと、ハナを完全に信じきって、手助けしたいと思っているように聞こえるがね」

 セドリックの言葉を遮って、シリウスが言った。

「自分で言うのもなんだが、私は殺人犯だ。しかも、アズカバンを脱獄した指名手配犯でもある。そんな男と一緒にいることを知ったら、まずは取り戻そうとするか、彼女も悪事に手を染めていると考えるのが普通だと思うがね」
「少なくとも僕はそうは思いません」

 セドリックの声は静かに夜の森に響いた。

「それに、おそらく貴方は無実だ」

 はっきりとそう言ったセドリックに私はドキリと心臓が跳ねるのが分かった。どうしてセドリックはシリウスが無実だと思ったのだろう? 先程シリウスも言ったように、魔法界で報道されている数々の悪行はセドリックも知っているはずだ。それに、ハロウィーンの夜の襲撃事件も記憶に新しい。それなのにどうしてセドリックはシリウスのことを無実だと思ったのだろう。

「ほお……どうして私が無実だと思う?」

 私が混乱している一方で、シリウスは面白いものを見るかのようにニヤッと笑っていた。その笑みはまるで凶悪犯のそれだ。セドリックは怯むことなくそんなシリウスを真っ直ぐに見て、それから私の方に視線を向けて優しく笑った。

「彼女が貴方の味方をしている。僕にはそれ以上の答えはありません」