The ghost of Ravenclaw - 111

13. はじめての敗北

――Harry――



 決して恥に思う必要はない、と言うルーピン先生の言葉にハリーは胸の内に燻っていた不安な気持ちが少しだけ和らいだような気がしていた。それと同時にルーピン先生になら、母親の最期の声が聞こえることも話していいのではないかと思えて、ハリーはルーピン先生を見た。

 ――声が聞こえなくなる方法をルーピン先生は知っているかもしれない。

 ハリーはそう考えたが、いざそれを口にするとなるとやっぱり喉が詰まる思いがした。声に出そうとしても、無意識それを阻止しようとする力が働いているかのようだった。

「あいつらがそばに来ると――」

 やっとのことで声に出した言葉はほんの少しだけ掠れていた。おまけにルーピン先生の目を見て話すことも難しくて、ハリーはつい視線を下げた。鞄に仕舞かけの本が数冊教卓に残っているのをハリーはじっと見つめながら続けた。

「ヴォルデモートが僕の母さんを殺した時の声が聞こえるんです」

 意を決してハリーがそう言い切るとルーピン先生はなぜだか急にハリーの方に両腕を伸ばした。その動作はまるでハリーの肩をしっかりと掴むかのようだったけれど、ルーピン先生はこれまたなぜだか途中で思い直したように腕を引っ込めた。

「それからハナも、声を聞いたって言っていました――大切な友達に名前を呼ばれたって。それで――」

 その大切な友達とは「ジェームズ」のことではないか。ハリーは医務室で考えていたことをルーピン先生に訊ねようとして再び顔を上げたが、それ以上言葉が続かなかった。視界に飛び込んできたルーピン先生の瞳がなんだか泣き出しそうになっているように見えたからだ。

 ハリーの言葉が途切れると、奇妙な沈黙が2人の間に流れた。ルーピン先生もその奇妙な空気を感じ取ったのか、それとも泣き出しそうになっていたのを誤魔化すためか――ハリーから自分の手元に視線を移すと、鞄に本を仕舞う作業を再開させた。ガサゴソと本を鞄に仕舞う音だけが教室に響いている。

「どうしてあいつらは、試合に来なければならなかったんですか?」

 しばらくして、ハリーは話題を変えようと訊ねた。それと同時に本を仕舞い終えたルーピン先生が鞄を閉める音がパチンと教室に響いたかと思うと、先生がハリーの方をチラリと見た。先生の目はもう泣き出しそうではなかった。

「飢えてきたんだ」

 ルーピン先生が冷静な口調で答えた。

「ダンブルドアがやつらを校内に入れなかったので、餌食にする人間という獲物が枯渇してしまった……クィディッチ競技場に集まる大観衆という魅力に抗しきれなかったのだろう。あの大興奮……感情の高まり……やつらにとってはご馳走だ」

 吸魂鬼ディメンターは元々アズカバンで囚人達の幸福な感情を自由に貪っていたやつらだ。それがホグワーツに配備され、自由を奪われてしまったことでストレスが溜まってしまったのだろう。あいつらが自由に動き回るアズカバンとはどれだけひどいところなのだろうか。ハリーはそのことを想像して気分が悪くなる思いがした。

「アズカバンはひどいところでしょうね」

 絶対に行きたくはない場所だ――ハリーがそう思いながら呟くと、ルーピン先生も暗い顔で頷いた。

「海の彼方の孤島に立つ要塞だ。しかし、囚人を閉じ込めておくには、周囲が海でなくとも、壁がなくてもいい。ひと欠けらの楽しさも感じることが出来ず、みんな自分の心の中に閉じ込められているのだから。数週間も入っていれば、ほとんどみな気が狂う」
「でも、シリウス・ブラックはあいつらの手を逃れました。脱獄を……」

 ハリーなんて想像しただけでも気持ち悪くてたまらないのに、どうしてシリウス・ブラックが平気だったのか分からなかった。ブラックは気が狂わなかったのだろうか? それとも元々狂っていたから平気だったのだろうか? ハリーが考えていると、バランスを崩したルーピン先生の鞄が教卓から滑り落ち、ドサッと床に落ちた。

「確かに」

 ルーピン先生が鞄を拾い上げながら言った。

「ブラックはやつらと戦う方法を見つけたに違いない。そんなことが出来るとは思いもしなかった……長期間吸魂鬼ディメンターと一緒にいたら、魔法使いは力を抜き取られてしまうはずだ……」
「先生は汽車の中であいつを追い払いました」

 ハリーは急にそのことを思い出して言った。すると、ルーピン先生は少しだけ困ったようにハリーを見た。

「それは――防衛の方法がないわけではない。しかし、私達の車両に乗っていた吸魂鬼ディメンターは1人だけだった。数が多くなればなるほど抵抗するのが難しくなる」
「どんな防衛法ですか?」

 ハリーはどうしても知りたくてルーピン先生が困っているのも構わず訊ねた。対抗する手段があるのならどうしても知りたいと思うのは、今のハリーにとっては至って必然なことだった。

「教えてくださいませんか?」
「ハリー、私は決して吸魂鬼ディメンターと戦う専門家ではない。それはまったく違う……」

 ルーピン先生はハリーを見て、迷うように言った。どういうわけか、その防衛法をハリーには見せたくないような顔だ。けれど、この機会を逃したらハリーは吸魂鬼ディメンターと遭遇する度に気を失うことになる。そうすれば、クィディッチはどうなるだろう? 今シーズン、ハリーは一度もスニッチを掴めずグリフィンドールが大敗することになるかもしれない。そうしてマルフォイ達スリザリン生の笑い者にされるのだ。そんなことは絶対に御免だった。

「でも、吸魂鬼ディメンターがまたクィディッチ試合に現れた時、僕はやつらと戦うことが出来ないと――」

 ハリーは懸命に訴えた。今ハリーが頼れるのはルーピン先生しかいなかったからだ。すると、ハリーの思い詰めた様子を見て考え直したのか、ルーピン先生は「よろしい。なんとかやってみよう」と頷いた。

「だが、来学期まで待たないといけないよ。休暇に入る前にやっておかなければならないことが山ほどあってね。まったく私は都合の悪い時に病気になってしまったものだ」

 そうして、ハリーはルーピン先生に吸魂鬼ディメンターの防衛術を教わることになった。これでもう二度と母親の最期の声を聞かなくて済むかもしれない――その事実は確実にハリーの気持ちを明るくさせていったのだった。