The ghost of Ravenclaw - 108

13. はじめての敗北

――Harry――



 週末いっぱい、ハリーは入院することになった。
 ハリーは用意して貰った魔法薬を飲んで体中の痛みもなくなり元気だったが、マダム・ポンフリーがハリーはまだ医務室で安静にしているべきだと主張したからである。普段ならそんなマダム・ポンフリーに退院させてくれとせがむところだけれど、今回ばかりはハリーも反抗しなかった。そんな気すら起きなかったのだ。

 ハリーが今回マダム・ポンフリーに唯一反抗したことといえば、ニンバス2000の残骸の処分についてだけだった。木片を残しておいても仕方ないだろうと主張するマダム・ポンフリーに対し、ハリーは断固拒否の姿勢をとったのだ。ハリー自身、ニンバスがもうどうにもならないことはよく分かっていたけれど、失った箒をあっさり捨てるなんてことはどうしても出来なかった。

 そんなハリーの元には、昼過ぎから夕方に掛けて入れ替わり立ち替わり見舞い客が訪れた。ニンバスが壊れてしまったことを知った人達がハリーを慰めようとやってきてくれたのである。ハグリッドは黄色いキャベツのような形をした虫だらけの花をどっさり送って寄越したし、ジニーは真っ赤になりながらお手製の「早くよくなってね」カードを持ってやってきた。そのカードときたら、果物の入ったボウルの下に閉じ込めておかない限りキンキン声で歌い出した。

 ロンとハーマイオニーとハナはその日の午後いっぱい、ハリーのベッドのそばにいた。普段はすぐに見舞い客を追い出そうとするマダム・ポンフリーも今回ばかりは「3人が静かにしているなら」とそばにいることを許可してくれたのだ。それに、最近ずっとハナを疑って張り付いていたスネイプも今回ばかりは医務室まで追って来てハナがハリー達と過ごすのを邪魔したりはしなかった。

 けれども、3人が何をしようと何と言って励まそうとも、ハリーの心は晴れないままだった。それくらいニンバスはハリーにとって大事な宝物で、親友のような大事な宝物だったのである。しかも、ハリーを悩ませるものは大破したニンバスだけではなかった。

 夜になり、ロンとハーマイオニーとハナが寮に戻らなければならなくなると、ハリーの頭の中はそのニンバス以外の悩みでいっぱいになった。考えまいとしてベッドに横になり目を瞑っても、ほんの少し微睡んだかと思えば死神犬グリムや真下で蠢く吸魂鬼ディメンターを夢に見て飛び起きることになった。

 今回スタンド席に死神犬グリムがいるのを見たことをハリーはまだ誰にも話していなかった。占い学の初授業のあと、マグノリア・クレセント通りで黒い犬を見たと話したら、ロンがショックを受けてお先真っ暗という顔をしたことや、ハーマイオニーが完全否定したことをハリーはよく覚えていたからだ。ハナは夏休みの時のように黒い犬はどこにでもいるとハリーを諭すかもしれない。

 しかし、あの黒い犬は死神犬グリムに違いないとハリーは思っていた。なぜなら、あの黒い犬が現れる度にハリーは死ぬような目に遭っているからだ。最初に犬を見た時からそうだった――マグノリア・クレセント通りで犬に驚いて転んだ瞬間、夜の騎士ナイトバスが目の前に現れて危うく轢かれるところだった。2度目は直後に吸魂鬼ディメンターがやってきて箒から落ちて20メートルも転落した。

 これはあの黒い犬が死神犬グリムであるという証拠ではないだろうかとハリーは考えていた。けれど、そうするとあの死神犬グリムはハリーが死ぬまで付き纏うのだろうか? ハリーはこれから死ぬまでずっと犬の姿に怯えて生きていかなければならないのだろうか?

 ハリーはブルッと身震いして毛布を頭の上まで引っ張り上げた。死神犬グリムに取り憑かれただけでも最低最悪なのに、その上吸魂鬼ディメンターまでいるなんてハリーは考えたくもなかった。それでも不意に思い出してしまうと、気持ち悪さで吐き気がしたし、プライドが傷付いた。みんなも吸魂鬼ディメンターは恐ろしいというけれど、気を失ったりするのはハリー以外ではハナしかいなかった。

 それに、女の人の叫び声が頭の中で鳴り響くのもハリーだけだった。なぜならあの声はハリーの母親の死ぬ間際の声だからだ。ヴォルデモートからハリーを守ろうとする母親の最期の声なのだ。そして、母親を殺す時のヴォルデモートの笑い声だ――そう、あの叫び声の主が誰なのか、ハリーはようやく気付いたのだ。
 
 もしかすると、ハナが聞いたという誰かの声はあの「ジェームズ」という人の声なのかもしれない。ハリーは横になったままそんなことを思った。だからハナは「ジェームズを殺さないで」とうわ言を言っていたに違いない。ホグワーツ特急でセドリックがそう話していた――。

「……ハリー」

 ハナのことを考えていたからか、今度はすぐ近くでハナの声が聞こえてくるような気がして、ハリーは毛布の中で目を閉じた。母親の叫び声を聞くのは辛くて眠れそうになったが、ハナの声なら眠れるかもしれない。

「ハリー。ねえ、ハリー」

 しかし、ハナの声がやけにはっきりと耳に届いて、ハリーは流石にこれはおかしいとパチリと目を開けた。そうして毛布から顔を出したところで、危うく叫び声を上げそうになった。

「こんばんは、ハリー」

 本当にハナがそこにいたからである。
 ハナはハリーのベッドのすぐそばに立っていた。暗い医務室の窓から差し込む月明かりを受けて、色素の薄いヘーゼルの瞳がまるで闇夜に光る猫の目のようにキラキラと輝いている。ハリーはその目をどこか別の場所でも見かけた気がしたが、それがどこだったか思い出せなかった。

「ハナ、い、一体どうしてここに? それにどうやってここまで来たの?」

 驚きつつもなんとか声を抑えてハリーは訊ねた。するとハナは杖を取り出しひと振りしてハリーのベッドの周りを衝立でぐるりと囲むと、近くに置いてあったスツールに腰掛けて少しだけ悪戯っ子のように笑った。

「私、その気になれば誰にも見つからずに寮を抜け出すことが出来るのよ」

 ハナは具体的にどうやって寮を抜け出したのかハリーに教えてくれなかったが、ハナならきっと透明マントを使うより簡単に寮を抜け出すに違いないとハリーは思った。なぜなら、ハナは学年でハーマイオニーと並んで1番で「レイブンクローの才女」という人もいるくらいだからだ。でも、その「才女」という称号は努力の上に成り立っていることをハリーはよく知っていた。

 けれどもなぜハナがこんな時間にハリーの元を訪れたのかハリーにはさっぱり分からなかった。そうでなくともハナは夜になるまでハリーにつきっきりだったのだ。もしかして、ハリーが落ち込んでいるのを心配してきてくれたのだろうか? それとも、死神犬グリム吸魂鬼ディメンターに恐れていることがバレてしまったのだろうか? ハリーはそんなことばかり考えていたが、ハナがやってきたのはまったく違う理由だった。

「ハリー、貴方のニンバスを私に預からせてくれないかしら?」

 そばに置いてあったニンバスの残骸が入っている鞄を指差してハナは言った。ハナはこっそりニンバスを受け取りに来たのだ。でも、ニンバスを受け取って一体何をするのだろう? ハリーが疑問に思っていると、ハナはニッコリ笑って言った。

「私、ついさっきいいことを思い付いたの。きっと上手くいくわ」