The ghost of Ravenclaw - 106

13. はじめての敗北



 ニンバス2000はハリーにとって特別な箒だった。
 1年生の時、マクゴナガル先生に見初められ特例措置で最年少シーカーに選ばれた際に先生が送ってくれた箒で、マホガニーで作られた箒の柄は滑らかで光沢があり、柄の上部には「Nimbus 2000」と金の文字で綴られている。穂の部分は小枝が綺麗に束ねられ、金色の足掛け用金具が取り付けられている。

 1991年当時世界最速と謳われたこの箒は約2年の間ハリーの素晴らしい相棒だった。クィレルに呪いを掛けられた時もドビーがブラッジャーに呪いを掛けた時も、ハリーはこの箒と共に試合を乗り越えてきた。そんな箒がハリーにとってどんなに大事か、クィディッチをプレイしたことがない私にだって、そんなこと手を取るように分かった。それなのに――。

「なんてこと――」
「おいおい、そりゃないぜ……」

 金色の軌跡を追って辿り着いた先で私もジョージも、そして、フリットウィック先生さえも一瞬言葉を失くして立ち尽くした。そんな私達の目の前――金色の軌跡が途切れた先では、怒り狂って暴れている暴れ柳とその太い幹に引っ掛かり、滅多打ちにされているニンバス2000の姿があった。私達が到着するまでの間ずっと殴られ続けていたのだろう。暴れ柳の下にはニンバス2000の破片があちこちに飛び散っている。

 また一段と大きな音を立てて箒の柄が折られると、フリットウィック先生が慌てて呼び寄せ呪文を使ってニンバス2000を手元に呼び寄せた。先生が杖を一振りするとニンバス2000の破片が次から次へと私とジョージの足元に集まって来たけれど、そのどれもがひどい有り様だった。箒の柄はバラバラで、穂も小枝が飛び散り、足掛け用の金具も片方外れてひん曲がっている。粉々になった柄の中で辛うじて「Nimbus 2000」という文字だけが綺麗に残っていたが、無事なのはその文字くらいなものだった。

「先生、直りますよね?」

 ぬかるんだ地面に膝をつき震える手で「Nimbus 2000」と綴られた破片を手に取って私は訊ねた。隣を見れば、まるで自分の箒が粉々にされてしまったかのような顔でジョージもフリットウィック先生を見つめている。

「ハリーの大事な箒なんです……直りますよね? 先生ならきっと――」
「もちろん、私だってそうしてやりたい……」

 悲痛な面持ちでフリットウィック先生が言った。

「しかし、ここまで粉々になっては修復呪文ではどうにもならない……」
「そんな……こんなことって……」
「ダンブルドアはさぞお怒りだろう。吸魂鬼ディメンターを配備することすら反対されていたのだから」

 それから黙って破片を拾い集めると、私達は3人で手分けしてそれを抱えてホグワーツ城へと戻った。医務室に向かうには少し遠回りになるけれど、ジョージが他の生徒達とあまり鉢合わせなくて済むルートを教えてくれて、私達はそこを通って医務室に向かった。彼も選手だから、箒がバラバラになったことを学校中で噂されるのは耐えられないと思ったのかもしれない。

 ジョージのお陰で噂好きのホグワーツ生達にニンバス2000が見られることはなかったが、私はこのことをハリーにどう伝えたらいいのか考えあぐねていた。こういう時、ジェームズやリリーは息子に対してなんと声を掛けてあげるだろう。リリーは気が済むまで抱き締めて慰めてくれるかもしれないし、ジェームズは元選手として励ましてくれるかもしれない(「ハリー、ニンバスは君の素晴らしい相棒だった。だったら、最期はそれに相応しく派手に弔ってやろう」)。

 それから、リーマスだったら「君の箒のことは非常に残念だった」と優しく言葉を掛けてハリーの気持ちに寄り添おうとしてくれるだろう。シリウスはハリー可愛さにとびきり高い箒を手に入れてハリーを喜ばせようとしてくれるかもしれない。だったら、私に出来る励まし方はなんだろう。私にだからこそ出来る寄り添い方はあるだろうか。

「ダンブルドアがポッターが目覚めるまでの間、見舞いを許すよう仰いました」

 医務室に着くと私達を出迎えてくれたマダム・ポンフリーが自分はまったく許していないといった口振りで言った。誰も彼もがびしょ濡れだったので、これ以上不衛生な生徒が自分の患者の周りを囲むのは耐えられないと言わんばかりである。しかし、そんな彼女も私達が抱えている木片を見るとそれが何か察したのか痛ましい表情をした。

「ポッターが目覚めたら話をする時間を少しだけ設けましょう。こんな嵐の中試合をするとは……ポッターがこうならずに済んだのは不幸中の幸いでした」

 それからマダム・ポンフリーは「これだからあんな野蛮なスポーツは……」とブツブツ言いながら奥に引っ込んだ。ここまで一緒に来てくれたフリットウィック先生はこれからダンブルドア先生に報告に行くらしく、私とジョージは先生が運んでくれた破片を受け取りお礼を言ってから医務室の中へと入った。

 医務室には既にオリバー以外のグリフィンドール・チームの選手達とロン、ハーマイオニーが集まっていた。恐らくそこにハリーが寝かされているのだろう――いくつか並んでいるベッドの1つを取り囲むようにして立っている彼らは囁くように何かを話していたが、私とジョージがやってきたことに気付くと、その手の中にあるものを見て水を打ったように静まり返った。

「ああ――そんな――!」

 最初に言葉を発したのはアンジェリーナだった。口元を両手で覆って今にも泣き出しそうな声を上げると隣に立っていたフレッドが慰めるようにその背中を撫でた。

「暴れ柳に引っ掛かってたんだ。僕達が行った時にはもう滅多打ちにされてこんなことになってて……」
「ここまで粉々になっていては修復呪文でもどうにもならないから直すのは難しいってフリットウィック先生が仰ったの」

 私とジョージが説明すると、誰もが悲痛な表情をしてバラバラになったニンバス2000を見た。ハーマイオニーはぐすぐす泣きながらも「目覚めてすぐにこれを見たらショックが大きいだろうから」と控え室から持ってきていたハリーのバッグを差し出してくれて、一先ずニンバス2000の亡骸はバッグの中に仕舞われることになった。

「それで、オリバーは?」

 バッグの中にニンバス2000を仕舞い終えるとジョージが訊ねた。そう、この場にオリバーの姿だけが見当たらなかったのだ。もしかしてまだセドリックやフーチ先生と試合結果について揉めているのだろうか。私がそう考えていると、フレッドか肩を竦めて言った。

「シャワー室さ。ショックで溺死でもするつもりさ。ディゴリーはやり直しを求めてたが、ルール的にもオリバーは負けを認めざるを得なかったんだ」
「でも、ハリーにはどうすることも出来なかったわ。あんなに吸魂鬼ディメンターが押し寄せて来たら誰だって恐ろしいもの……」

 鼻を啜りながらハーマイオニーが言うとフレッドは「もちろん、ハリーのせいじゃないさ。ディゴリーのせいでもない」と複雑そうな表情で言った。

「すべては吸魂鬼ディメンターのせいさ……でも、地面が柔らかくてラッキーだった」

 フレッドがそう続けると誰もがその通りだと言うように頷いた。ハリーが箒から落ちた瞬間、誰もがもうダメかもしれないと思ったことだろう。私も魔法が使えず、下敷きになることを覚悟したくらいだ。ダンブルドア先生があの場にいなかったら今ごろどうなっていたことだろう。

「絶対死んだと思ったわ」
「それなのに眼鏡さえ割れなかった」
「こんなに怖いもの、これまで見たことないよ」

 私は最悪の事態を想像してぶるりと身震いすると同時にハリーが無事だったことにひどく安堵していた。