The ghost of Ravenclaw - 104

13. はじめての敗北



 雨風が吹き荒れ、雷鳴が轟く中、クィディッチ競技場の観客席には多くの生徒達がひしめき合っていた。さすがにこの強風なので、煽られやすいスタンド席の一番上には誰も行きたがらず、上の席はガラガラだったけれど、それでも寮生活で娯楽が限られている生徒達は数少ない娯楽を逃すまいとそのほとんどが競技場に集まっていた。魔法族の子供達は嵐をものともしない逞しさが標準装備されているように思う。

 そんな多くの生徒達が集うクィディッチ競技場の裏手で私はシリウスと待ち合わせた。嵐なので選手達が無事にプレイ出来るか心配だったが、城から一番遠い入口を誰も利用したがらないことは私達にとって都合のいいことだった。お陰で目くらまし術を使う必要もなく、私達は誰ともすれ違うことなく真っ直ぐに観客席に入ることが出来た。

 観客席は下の方が既に超満員だった。逆に普段人気のスタンド席の一番上は、遮るものが少なく雨風にビュービュー晒されるせいかガラガラで、私達は目配せするとそんなガラガラの席のど真ん中に腰掛けた。もちろんお互いに動物もどきアニメーガスの姿で、である。そうでなければ、こんなに堂々と競技場の中には入れなかっただろう。

 やがて試合開始直前になると、ピッチの両側から選手達が入場した。雨風は弱まるどころか更に強くなるばかりで、選手達はあまりの風の強さによろめきながらピッチの中央に向かって整列した。私達は動物もどきアニメーガスで碌に話も出来ないのにハリーの姿を見つけるとお互いワンワンピーピー言ってハリーを指差したが、雨風と轟く雷鳴にその声は掻き消されていった。

 いつもなら聞こえるリー・ジョーダンの実況の声や観客の声援も今日ばかりはあまり聞こえなかったけれど、審判のフーチ先生が吹いた試合開始のホイッスルの音だけは高らかに競技場の中に響き渡った。それぞれの箒に跨り、雨でぬかるんだ地面を蹴り上げ、風に煽られそうになるのを堪えながら14人の選手達は曇天に飛翔した。紅色とカナリアイエローのマントが雨の向こうにはためいている。

 まずクアッフルを手にしたのはグリフィンドールのアリシア・スピネットだった。アリシアのすぐ下にはアンジェリーナ・ジョンソンとケイティ・ベルが控え、そのあとをハッフルパフのチェイサー達が追っている。そこからクアッフルは一度アンジェリーナに渡り、更にケイティにパスされると開始早々グリフィンドールがハッフルパフのゴールを割り、先取点を獲得した。10対0でグリフィンドールのリードである。いいぞ! とばかりにシリウスが「ワン!」と吠えた。

 次はハッフルパフの攻撃からスタートだった。ハッフルパフのチェイサーがクアッフルをしっかりと握り締めてオリバー・ウッドが守るグリフィンドールのゴールまで弾丸のように突進していく。しかし、ピッチの中央まで来たところで、フレッドかジョージのどちらかが放ったブラッジャーが飛んでくるとハッフルパフのチェイサーの手からクアッフルが滑り落ち、攻撃はグリフィンドールに移った。

 嵐の中試合を繰り広げているチェイサーやビーター達より少し上では、カナリアイエローのマントを靡かせセドリックがスニッチを探して飛んでいた。こんな雨なのに箒はしっかりと安定しているようで、ピッチの中をぐるぐると回ってハリーより先に小さな金のスニッチを掴もうと探しているのが分かった。

 一方グリフィンドールのシーカーであるハリーはどうも調子が悪いようだった。他の選手達より小柄なせいか風に煽られ箒な何度か流されているように思えたし、飛び方もいつもに比べて危なっかしかった。前がよく見えていないのか、他の選手のギリギリを通り過ぎていくことか何度もあったし、ハッフルパフのビーターが放ったブラッジャーにも2回ほど打ちのめされそうになっていた。

 この夏プレゼントしたクィディッチ競技用ゴーグルをしているはずなのに一体どうしたのだろう――不思議に思って目を凝らして注意深く観察していると、ハリーが近くを通り過ぎた時ようやくその原因が分かった。なんとハリーはゴーグルをつけていなかったのだ。競技用と書いていたから大丈夫だと思っていたけれど、ホグワーツでは使用禁止だったのだろうか? それとも何かトラブルが起こったのだろうか。隣を見てみると、シリウスも心配そうにハリーを見つめているのが分かった。

 それでも試合はグリフィンドール優勢で進んだ。最初からこの日に試合をすることが決まっていたグリフィンドールより、突然試合が決まったハッフルパフの方が調整が難しかったことは明らかだった。この嵐の中、負けじとプレイを続けたグリフィンドールのチェイサー達は5本のシュートを見事に決め、スタンドの下の方からワッと歓声が上がるのが激しい雨音に混じって微かに聞こえた。

 グリフィンドールが50点リードしたところで、試合は硬直状態となり、オリバーがタイムアウトを申請すると試合は一旦中断となった。いつの間に用意されていたのか、ピッチの隅には紅色とカナリアイエローの大きなパラソルがそれぞれ設けられていて、選手達は自分のチームのパラソルの下に入って行った。話し合いの様子を見たかったのか、シリウスが座席から身を乗り出して下を見ていたけれど、どうやら見えなかったらしい。1分もすると諦めて大人しく試合の再開を待っていた。

 タイムアウト中に誰かがハリーの眼鏡に対策を施したのか、試合が再開されるとハリーの動きは抜群に良くなった。それまでの危なっかしさがなくなり、飛んでくるブラッジャーを難なく避け、反対側から飛んできたセドリックの下を掻い潜り、スニッチを探してピッチの四方八方を飛んでいる。

 しかし、嵐は良くなるどころか悪くなるばかりだった。空はまるで夜のようにどんどん暗くなっていき、雷鳴だけでなく、激しい稲光が暗い空に走った。稲光はスタンドを照らすほど眩しくて、2回目に光った時はあまりの眩しさからか、方向転換してこちらに向かってきていたハリーが1メートルほどガクッと高度を落としていた。

 信じられない光景が目に入ってきたのはその直後のことだった。おそらく、スタンドの一番上にいたからこそ見えたのだろう――稲妻に照らされたクィディッチ競技場の向こう側から何やら黒い集団が近付いてきていることに気付いて私もシリウスも息を呑んだ。吸魂鬼ディメンターの大群が競技場に入って来ようとしていたのだ。

 シリウスがいることに気付いたのだろうか。私達は思わず顔を見合わせたが、そんなことあるはずがないことは明らかだった。先日も校門を見張る吸魂鬼ディメンターの横をまんまと通れたように、彼らは動物もどきアニメーガスの思考を読み取れず、反応出来ないからだ。だとしたら、彼らの目的は――。

 ゾッとして私はピッチを飛んでいる選手達や観客席にいる生徒達を見渡した。ホグワーツに配属されてから2ヶ月もの間、吸魂鬼ディメンター達は多くの餌を目の前にしてホグワーツに入ることが許されなかった。先日のシリウスの侵入騒動の時ですら、ダンブルドア先生が断固として許さず、吸魂鬼ディメンターは指を咥えて敷地の外で待っていることしか出来なかったのである。その吸魂鬼ディメンター達の我慢の限界が来たのだとしたら? ご馳走様が大量に集まる空間を目の前に我慢が出来なくなったとしたら?

 考えるより先に私はスタンド席から飛び出した。シリウスがそんな私を止めるように鋭く吠える声が聞こえたけれど、聞こえないフリをして気付かずにプレイを続ける選手達の中に突っ込んでいく。途中物凄い勢いで疾走していたセドリックとすれ違った気がしたけれど、構わず突き進んだ。構っている余裕などなかった。今や吸魂鬼ディメンターはピッチに足を踏み入れる直前だったのだ。

 まるで蠢くように吸魂鬼ディメンター達がピッチの中に入って来ると、辺りを氷のように冷たい空気が満たしていった。プレイに熱狂していた生徒達の声がサーッと引いていき、代わりに息を飲むような悲鳴が広がっていく。

「貴方達が罰するべき人はここにはいないわ! 出て行きなさい!」

 吸魂鬼ディメンター達に突っ込んで叫んだ声は猛禽類特有の甲高いピーッという鳴き声に変わり、雨の中に消えた。鷲の姿だと吸魂鬼ディメンター達がいくら集まろうが何の影響もなかったが、逆に吸魂鬼ディメンター達にも影響はなかった。彼らは私に見向きもせず、何かを求めるように上を向き、口を開いている。

 まるで病床に臥した人が必死に酸素を求めるようなゼーゼーという呼吸音が吸魂鬼ディメンター達から聞こえると、観客席から一段と大きな悲鳴が上がった。ハッとして上空を見てみると、こちらを見て固まっているハリーの姿がそこにはあった。その少し先では先程すれ違ったセドリックが未だに疾走している。どうやらプレイに集中し過ぎて周りに気付いていないようだった。

「ハリー、しっかりして!」

 私が鋭く鳴き声を上げるとのハリーの手から箒が離れるのはほぼ同時だった。ニンバス2000はあっという間に強風に煽られて飛んで行ってしまい、箒を失ったハリーの体は見る見るうちに下へ向かって落下を始めた。

「ハリー、しっかりして! ハリー!」

 私は吸魂鬼ディメンター達の中から飛び出すとハリーのすぐ下をグルグル旋回しながら必死に呼び掛けた。しかし、ハリーは気を失ってしまったのか、鷲のピーッという鳴き声は虚しく嵐の中に消えていくばかりだった。下を見れば地面がどんどん近くなっている――私はグルグル飛びながら全神経を集中させた。

 ――モリアーレ!

 鷲の姿で使えるか分からないが、クッション呪文を杖なしで使おうと試みたのである。しかし、そう都合よく上手く呪文が使えるはずがなかった。それは何度試しても同じで、私はハリーの下敷きになることを覚悟した。ハリーの衝撃を和らげるにはこれしかない――そう思った時だった。

「アレスト・モメンタム」

 ダンブルドア先生がピッチに駆け込みながら杖を振るのが見えて、私はハリーの下から間一髪抜け出した。どうやらダンブルドア先生も試合を見に来ていたらしい――先生の杖先から減速呪文が飛び出すと、猛スピードで落ちていたハリーの体がゆっくりと減速していくのが分かった。ハリーはもう大丈夫だろう。私はほっと胸を撫で下ろすと、シリウスと共にクィディッチ競技場をあとにしたのだった。