The ghost of Ravenclaw - 098

12. 嵐の中のクィディッチ



 昼食を早々に切り上げると、私は予定通り昼休みの残りの時間をリーマスの私室で過ごすことにした。大広間を出て1人で廊下を歩いていると先程のパドマの話を思い出してどうにもモヤモヤが止まらなかったけれど、無理矢理頭の隅の方に押し込め、玄関ホールから大理石の階段を上がり3階に向かった。3階にある3C教室の2つ隣がリーマスの私室である。

「リーマス、私よ。ハナよ」

 私室に繋がる扉をノックして声を掛けると、中から「入ってくれ」といつもより弱々しいリーマスの声が聞こえた。そろりと扉を開き、隙間から部屋の中を覗くとリーマスは丁度ベッドの縁に腰掛けて何かを飲んでいる最中だった。恐らく脱狼薬だろう――手にしているゴブレットから微かに煙が立ち上っている。

「薬が届いたところだったんだ」

 私の考えていることが分かったのか、リーマスは部屋を覗き込んでいる私に向かって弱々しく笑うと、鼻を摘んでゴブレットの中身をひと口飲んだ。リーマスは脱狼薬の臭いも味も好きではないらしく、ベッドの脇にあるキャビネットの上にはチョコレートの大きな欠片が既に準備されている。きっと薬を飲み切ったら食べるつもりなのだろう。

「スネイプ先生が来たの?」

 部屋に入り扉を閉めると私はまたひと口薬を飲んで顔をしかめているリーマスのそばに歩み寄った。軽く杖を振って部屋の隅に置かれていた3本脚のスツールといつも事務室に置かれているブランケットを呼び寄せると、ベッドの脇に座り、リーマスの背中をそっと撫でた。

 ゴブレットにはまだ結構な量の脱狼薬が残っていた。どうやらスネイプ先生がここへ来てからそれほど時間が経っていないらしい。きっと入れ違いになったのだろう――私はスネイプ先生と鉢合わせなくて良かったと密かに胸を撫で下ろした。午後に魔法薬学の授業があるけれど、せめて今だけはスネイプ先生の顔を見たくはなかった。

「ついさっきね。ゴブレットを置いてすぐに出て行ってしまったよ。午前中授業を代わりに引き受けて貰ったから内容を聞けたら良かったんだが、この体調だから気を遣ったのかもしれないな」

 そう言うとリーマスは自嘲気味に笑ってゴブレットを持ち上げた。そのことに複雑な気持ちになりながらも、私はリーマスが授業の内容を聞かずに済んで良かったと思った。D.A.D.Aの教師ならば何れ知ることではあるけれど、スネイプ先生が狼人間の授業をしただなんて満月の夜を控えた今のリーマスに聞かせたくはなかった。こういう時ジェームズやシリウスはなんて言うだろうか。冗談を言って笑い話にでもするだろうか(「聞いてくれよ、ムーニー。授業でスニベルスの奴が狼人間について熱く語っていたんだ。嘆かわしいかな、スニベルスは狼人間が“ふわふわした小さな問題”に過ぎないと気付いていないらしい――」)。

 私室にある小さな上げ下げ窓には雨粒が激しく打ち付けていた。時間が経つにつれて風も強くなり、まるで大型の台風が直撃しているような荒れ模様で、この天気でどうやって叫びの屋敷に向かおうかと私は思考を巡らせた。いつものように寝室の窓からは確実に無理だろう。そうでなくとも長く続くこの雨で最近はシリウスの所に行けていないのだ。

「ひどい雨だな」

 グイッと脱狼薬を飲みながらリーマスが言った。

「これは明日のクィディッチの開幕戦も荒れそうだ。確かグリフィンドール対スリザリンだったかな?」
「それがスリザリンがシーカーの怪我を理由に試合の延期を申し入れて、急遽ハッフルパフとの試合になったの。朝から城内はその話で持ちきりだったわ」
「それじゃ、ハリーとセドリックが戦う訳だ――見られなくて残念だ」
「次の試合は観に行けるわ、きっと。さあ、残りを飲んでしまわないと」

 私がそう言って促すとリーマスはゴブレットに視線を移し顔をしかめたが、やがて意を決したように残っていた薬を一気に飲み干した。空になったゴブレットからはまだ微かに煙が立ち上っている。私はリーマスからそんなゴブレットをそっと受け取ると代わりに用意されていたチョコレートの大きな欠片を差し出した。リーマスの顔色は朝よりも明らかに悪くなっているように見える。

「ありがとう、ハナ。どうもこの味が苦手でね」
「チョコレートを食べたら少しマシになると思うわ。それと、ゴブレットだけれど、次の授業が魔法薬学だから、私がスネイプ先生に返しておくわね」
「ああ、助かるよ」

 それからリーマスがベッドに横になると、私は時間ギリギリまでリーマスの私室で過ごすと、予鈴が鳴る前には地下にあるスネイプ先生の研究室に向かいゴブレットを返却した。頭の中では分かっているはずなのに、スネイプ先生の顔を見るとどうしても「どうして狼人間の授業をしたのか」と問い質したい気持ちでいっぱいになったけれど、私は何か言ってしまいそうになるのをグッと堪えた。少なくとも午後はスネイプ先生がD.A.D.Aの授業をすることはないので、それだけが唯一の救いと言えた。

 憂鬱な魔法薬学の授業を乗り切り夜になると、今日は談話室の隅で就寝時間が来るのを待った。雨風がひどいので、今日は寝室から抜け出すのではなく、談話室から廊下に出て正々堂々と玄関ホールから外に出ることにしたのだ。そこから暴れ柳の下にある地下通路を使って叫びの屋敷に向かう予定だ。生徒達が寝室に戻ったところで目くらまし術を使って寮を出れば、私が抜け出したことはバレることはないだろう。

 休日の前夜だからか、談話室には遅くまで生徒達が残っていた。一番遅くまで残っていたのは同じ3年生であるマイケル・コーナーとテリー・ブートで、彼らは明日行われるクィディッチの開幕戦についてあれこれ議論していた(「やっぱりグリフィンドールが有利じゃないか? ポッターが……」「いやいや、ディゴリーもなかなか強力なチームを編成したって聞いたよ。この雨が続くなら体格的にもディゴリーが有利かもしれない」)。

 どちらもクィディッチが好きなのか議論は白熱していたけれど、就寝時間になるころにはマイケルもテリーも寝室に上がって行った。私は読書をしながらそんな彼らに「おやすみ」と声を掛け階段を上がっていく足音が聞こえなくなるまで待つと、念入りに当たりを確認してから自身に目くらまし術を掛けた。

 鷲のドアノッカーが取り付けられた扉を抜け、長い螺旋階段を下りて廊下に出ると、城内の松明の明かりは消され、辺りは既に真っ暗だった。この雨風では月明かりもまったく届かず、正に一寸先は闇といった状態である。しかし、ルーモスを使う訳には行かないので、私はそろりそろりと歩いて玄関ホールへと向かった。廊下に掛かっている絵画達は誰もが眠っていて、ナイトキャップを被った太った魔法使いは豪奢な肘掛け椅子に腰掛けグーグーいびきをかいている。

 真っ暗なホグワーツ城内はどこかホラー・ハウスのような雰囲気を纏っているように思えた。いくらゴースト達が怖くないとは言えども、この状況でどこからともなくゴースト達がワッと壁から飛び出してきたりしたら叫んでしまうかもしれない。そう思うとなんだか妙にドキドキして、私は辺りを注意深く警戒しながら寮から一番近い階段を下りた。すると、

「わ!」

 2つほど階段を下り、3階に差し掛かったところで角から何かがサッと飛び出してきて私は思わず声を上げた。慌てて両手で口を抑えながら見てみると、暗がりの中に何か小さな生き物が蠢いているのが微かに見えた。もしかして、ミセス・ノリスだろうか――私は口を両手で覆ったままその生き物が何かもっと良く見てみようとジッと見遣った。

「ニャー」

 やがて、私が見ていることに気付いたのか生き物が鳴き声を上げた。どうやら猫であることには間違いないらしいが、その鳴き声はミセス・ノリスのそれではなかった。この鳴き声は寧ろ――。

「クルックシャンクス?」

 思い切って私は訊ねた。暗くて姿こそよく見えないが、この聞き覚えのある鳴き声はどう考えてもクルックシャンクスのものだった。その証拠にクルックシャンクスはそうだと言わんばかりにもう一度「ニャー」と鳴いて、私が立っている辺りをぐるぐると回っている。どうやら、私がどこにいるのか見えはしないもののここにいることは分かっているらしい。なんて賢い子なのだろうかと私は舌を巻いた。

「クルックシャンクス、今夜は森へは行かないわ」

 ぐるぐる歩いているクルックシャンクスに私は声を低くして囁いた。クルックシャンクスがシリウスのところに連れて行って欲しいのではないかと思ったのだ。この雨ではクルックシャンクスもシリウスの所に行くのは難しいだろうからだ。

「他に行かなければならないところがあるの。また天気がいい日に会いましょう」

 クルックシャンクスにそう言って、私は再び玄関ホールへと歩きだした。再び階段を下り、廊下を歩き、また階段を下りて玄関ホールへと向かう。就寝時間を過ぎた玄関ホールは真っ暗で、大理石の階段を下りているとスリザリン憑きのゴーストである血みどろ男爵がふーっと横切った以外、他には誰もいなかった。そっと玄関扉に近付き、ドアノブを握る。

「ニャー」

 次の瞬間、クルックシャンクスの鳴き声が真後ろから聞こえて私は勢いよく振り返った。この暗闇だし、足音も小さいので気付かなかったが、どうやらずっと私の気配を頼りについてきていたらしい。振り返ると玄関ホールの真ん中に座るクルックシャンクスの姿があって、私は眉尻を下げた。

「クルックシャンクス」

 困り果てながら私はもう一度話し掛けた。

「貴方は連れて行けないわ」

 どうしてもシリウスの所に行きたいのだろうか。私は暗闇の中にぼんやりと見えているクルックシャンクスの元に歩み寄るとその場にかがみ込んだ。賢い子なので先程の私の話を理解してくれると思ったけれど、何かシリウスに伝えたいことがあるのだろうか。それとも、私に何か別の用があるのだろうか――。

「あ」

 突然ピンと閃いて、私は短い声を上げた。そうしてクルックシャンクスをじっと見つめると訊ねる。

「貴方、彼に今夜のことを聞いたのね?」

 そう、シリウスに満月の夜のことを聞いていたのではないかと思い至ったのだ。私の問い掛けにクルックシャンクスはまるでその通りだと言うように「ニャー」と鳴いた。この賢い猫は、私が叫びの屋敷に行くことを知っていてついてきていたのだ。私は観念したように溜息をつくと、クルックシャンクスを抱き上げた。

「私達の親友のためにありがとう、クルックシャンクス」

 そうしてこの日、満月の夜を共に過ごす勇敢な仲間が1匹増えたのだった。