The ghost of Ravenclaw - 096

12. 嵐の中のクィディッチ



 ようやく1日が終わると、前日の睡眠不足の影響か、就寝時間になる少し前には同室の子達は既にベッドに潜り込み、スヤスヤと眠ってしまっていた。今日ばかりはレイブンクローのどの寮生も早くに就寝するようで、いつもなら談話室に寮生が溢れ返っている時間帯でも人の姿はまばらだった。

 そういう訳で私はいつもより早い時間帯に鷲となってレイブンクロー塔にある寝室を抜け出し、夜空に飛び出した。昨夜、大広間で眠るころには晴れていた空はすっかり雨模様に戻り、夜空は暑い雲が覆い尽くして星も月明かりも見えなくなっている。週末にはクィディッチ・シーズンの開幕が控えているけれど、この分だと当日の天気は悪いかもしれない。

 城の周りに沿うように旋回し、北にある森を目指していると、先日と同じように明かりの消えたホグワーツ城の2階の廊下からチラチラと明かりが光っているのが見えた。前に見た時も同じ場所から明かりが見えたように思うけれど、この時間はあの辺りを見回っているのだろうか。最初のころはそんなことはなかったと思うけれど、見回る順番を変えたのだろうか。それとも、今まで気付かなかっただけだろうか――私はチラリとその明かりを見てそう思うと、禁じられた森へと向かった。

 シリウスの根城にたどり着くと、シリウスはいつものように犬の姿で待っていてくれた。しかしどうにも元気がないようで、シリウスは私が目の前に降り立つと、何も言わずに目くらまし術で隠されたテントの中へと入っていった。普段は「ワン!」と鳴いてくれるのだけれど、やはり昨夜の一件は堪えたらしい。冷静さを失っていたとはいえ、そもそもシリウスは喜んで自分の出身寮の門番を傷付けるような人ではないのだ。

「ハーイ、シリウス。今夜は素敵なお土産があるわ」

 シリウスのあとに続いて、テントの中へと入るなり元の姿に戻ると私はいつもの調子で言った。私と同じようにポンッと元の姿に戻ったシリウスは、私が敢えてそうしていることが分かったのか苦笑いすると中央のテーブルに着いた。

「お土産? チキンなら大歓迎だが」

 わざとらしく冗談を言うシリウスの向かいの席に座りながら私はポケットからキャンディを取り出すとテーブルの上に置いた。レモンイエローの包装紙に包まれたキャンディがコロリと音を立てて転がった。シリウスは怪訝そうにそれを摘み上げるとしげしげと眺めている。

「キャンディ? ホグズミードのお土産か?」
「いいえ。ダンブルドア先生にいただいたの。先生はそれを食べると元気が出るんですって」
「君が貰ったんじゃないのか?」
「私はもう食べてしまったの。だから、それは貴方が食べて。きっと元気が出るわ」

 にっこり笑ってそう言うと、シリウスは一瞬、泣き笑いのような顔をした。もしかしたら先程挨拶をした時と同じように、本当は私がキャンディを食べていないということに気付いたのかもしれない。それでもシリウスはそれ以上何も言わずに包みを破ると中から出てきたキャンディを口に入れた。今度はシリウスの口の中からコロコロと飴を転がす音が聞こえる。

「クルックシャンクスが昼間、私のところに来た」

 キャンディを舐め始めてしばらくしてシリウスが言った。

「ワームテールの様子を教えに来てくれたんだ。あいつは私が肖像画の目の前まで来たことを知って、怯えきっていたそうだ。自業自得だ――しかし、ホグワーツの様子がイマイチ分からなくてね。そっちの状況はどうだ?」
「昨夜は全員大広間で眠ることになったわ。先生方が夜を徹して貴方の捜索をしたの。これから、ハリーの警備は厳しくなるでしょうね。今日、廊下で見かけた時には既にマクゴナガル先生が張り付いていたわ」
「ハリーには辛い思いばかりさせるな……」

 話を聞いたシリウスが落ち込んだようにそう呟いて、私はテーブル越しに彼の肩を優しく叩いた。そんな私にシリウスは「分かっている」とばかりに一度大きく頷いた。

「ハリーはしばらく苦しめてしまうことになるかもしれないが、しかし、今行動をやめる訳にはいかない。あいつのことはこの手で捕まえなければ気が済まない――そこで、クルックシャンクスにどうにかして合言葉を入手出来ないか頼んでみたところだ」
「合言葉? まさか、次は寮の中に入るっていうの?」
「そのまさかさ。私が寮の扉を突破出来ない限り、あいつは寮の中に閉じ籠って出てこようとはしない。そうなれば、君の言う6月の満月の日は絶対にやってこない――外にいないのにどうやってあいつを捕まえるっていうんだ?」

 もう3回目の作戦を考えているとは思わず、私はギョッとしてシリウスを見た。シリウスはワームテールのことを話す時によく見せるあのギラギラと復讐心に燃え滾った目をして、私ではないどこか遠くを見つめている。きっと、ホグワーツ城の中にいるワームテールを見ているに違いないと私はなんとなくそう思った。

「そうね……貴方の言う通りだわ、シリウス」
「ただこれはしばらく掛かりそうだ。太った婦人レディはどうなった?」
「修復されることになったわ。今はカドガン卿っていう肖像画が代わりの門番を務めているらしいの」
「ああ、あの血気盛んな騎士か。彼はなかなか面白い人物だった」

 今朝、寮に戻る前にダンブルドア先生が話していたことを思い出しながら説明すると、シリウスはカドガン卿を知っているのかクックッと笑った。ワームテールへの怒りが収まっていないからなのか、いつもと変わらないはずのその笑い声はどこか狂気じみて聞こえた。

「……カドガン卿に会ったことがあるの?」
「北塔へ向かう途中で何度かね。カドガン卿なら合言葉さえ分かれば入れてくれそうだ――」
「でも、警備も厳しくなったし、しばらくは大人しくしてないと。それに今週の土曜日にはクィディッチ・シーズンが開幕するの。グリフィンドールの試合だから、ダメにしてしまったらハリーは悲しむわ。クィディッチがとても好きだから……」
「そうか、ハリーはシーカーだったな。きっと素晴らしい選手なんだろう。ジェームズがそうだった」

 ジェームズのことを考えているのか、シリウスから狂気じみた雰囲気がフッと消えて、どこか懐かしそうな寂しそうな雰囲気に変わった。そんなシリウスを見ていると私は誘わずにはいられなかった。

「一緒に観に行きましょうよ」

 私がそう言うと、シリウスはまさか私がそんな提案をするとは思わなかったのか、驚いた表情でこちらを見た。その目には期待と不安、諦めが混ざっているように思えて、私は大丈夫だとばかりににっこり笑った。

「今度の土曜日は満月の次の日よ。リーマスは来られないから、犬の姿なら見られたとしても誰にもバレやしないわ」
「いいのか? そりゃ、見られるものなら見たい。ハリーの勇姿だ――しかし――」
「Merlin's beard! 貴方がそんなに保守的だなんて知らなかった」

 わざとらしく声を上げると、シリウスは一瞬面食らったような顔をした。それから、眉尻を下げて苦笑いする。

「君は根に持つタイプか?」
「あら、なんのことかしら?」

 すっとぼけたフリをして答えると、私はお互い顔を合わせて小さく笑い合った。隠されたテントの中には雨が降り注ぐ音と私達の笑い声だけが響いている。

「分かった。ハリーの勇姿を見に行こう」

 シリウスの奥に潜む狂気はもうそこにはなかった。