The ghost of Ravenclaw - 095

12. 嵐の中のクィディッチ



 侵入事件直後ということもあり、1日の授業を終えたころには生徒達を始め、先生方も疲労困憊の様子だった。それでも周りから聞こえてくるのはシリウスに関する話題ばかりで、私はそんな話をなるべく聞かないようにしながら図書室への道のりを急いだ。シリウスに対する罵詈雑言が耳に入る度に私は杖を抜きたくなるのを必死に思い留めなければならなかったからだ。図書室に行くとセドリックと鉢合わせる可能性もあったけれど、私が今の状況で静かに過ごせる場所は図書室のあの席かシリウスの所しかなかった。

 足早に廊下を進んでいくと少し先にハリーが歩いているのが見えたが、声は掛けられそうになかった。侵入事件があったからかハリーの隣にはマクゴナガル先生がぴったりと張り付いていたからだ。そのハリーとマクゴナガル先生の後ろを、これは当然のことだという表情のハーマイオニーと、流石にやり過ぎではという顔をしたロンが歩いている。

 どうやらマクゴナガル先生がハリーの警護をしているらしい。今までシリウスがハリーを狙っているというデタラメ話は一応本人には内緒ということになっているので、こんな風にあからさまに先生の警護が付くなんてことはなかったけれど、侵入事件のこともあり方針転換したようだ。これは近いうちにウィーズリーおじさんからだけではなくマクゴナガル先生からも忠告を受ける日も近いかもしれない。マクゴナガル先生はどこまでハリーに話すのだろうか――私はそのことを考えると胃がキリキリと痛んだ。すると、

「そこで何をしている」

 どこか暗い声が頭上から降ってきて、私は顔を上げた。見れば、いつからそこにいたのか、スネイプ先生が疑わしそうな視線でこちらを見ている。なるほど、彼は私のことを疑って見張っているらしい。私はそう思いながらスネイプ先生に向き合った。

「図書室に行く途中でした、スネイプ先生」
「我輩には止まっているように見えたが気のせいかね?」
「ハリーの姿が見えたので挨拶しようか迷っていたんです。でも、マクゴナガル先生と一緒だったので、邪魔をしては悪いかと思い至ったところでした」

 私が答えると、スネイプ先生はそんな言い訳は通用しないぞと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、目を細めた。今朝、パーシーからスネイプ先生が私について妙な話を小耳に挟んだと聞いていたので、私がシリウスの娘だという噂のことだろうと思っていたが、どうやらそれは正解なようだった。

「ミズマチ、君についてよからぬ噂を耳にしたのだがね」

 ねっとりとした口調でスネイプ先生が言った。

「そう、正に今あちらこちらで話題に上がっているブラックのことだ。君がブラックの――」
「おお、これは珍しい組み合わせじゃの」

 スネイプ先生がシリウスについて話し出した途端、ダンブルドア先生が現れて私は飛び上がった。まるで見計らったかのようなタイミングの良さにスネイプ先生は恨みがましそうな視線をダンブルドア先生に向けた。

「スネイプ先生に声を掛けていただいて、世間話をしていたところでした、ダンブルドア先生」

 にっこり笑ってダンブルドア先生にそう言うとスネイプ先生がこちらを睨みつけた気がしたけれど、私はまるっと無視をした。ダンブルドア先生はそんな様子を愉快そうに見ている。

「それは実に楽しそうじゃ。のう、セブルス」

 ダンブルドア先生は時々こういう状況を面白がる節があるように思う。ダンブルドア先生がニコニコ笑ってスネイプ先生に呼び掛けると、スネイプ先生はこんな屈辱は耐えられないとばかりに顔を歪めた。

「――我輩はこれで失礼させていただく」

 真っ黒なローブを翻すとスネイプ先生は足早にその場を去っていった。私はそんなスネイプ先生が廊下の角を曲がり姿が見えなくなるまで待ってから、改めてダンブルドア先生に向き直った。

「助けていただいてありがとうございました」
「スネイプ先生はちと君のことを勘違いしておるようじゃ。誰かから妙な話を聞いたと言っておったのう」
「私が彼の娘だという噂でしょう。私は先日、その話をミスター・マルフォイから聞かされました」
「なるほど、それで君を疑っているというわけじゃな? しかし、何れそれが間違いだとスネイプ先生も気付くじゃろう」

 ダンブルドア先生の言葉に私は頷いた。私がシリウスの娘であるということがまったくのデタラメだったと気付いた時、スネイプ先生はどういう反応をするのだろう。学生時代のあの日、リリーとの会話を邪魔した張本人だと知って益々恨みを募らせるだろうか。どちらにせよ、仲良くなれることはなさそうである。

「君に関する妙な噂もそうじゃが、君自身はわしに何か話したいことはあるかね?」

 スネイプ先生について考えを巡らせていると、ダンブルドア先生が訊ねて私はドキリとした。なぜだかシリウスのことについて聞かれているようなそんな気がしたのだ。先生の淡いブルーの瞳に見つめられると、閉心術を習得したにもかかわらず、すべてを見透かされているような気分になって不思議だ。

「いいえ、何も」

 気取られないように私はきっぱりと答えた。証拠が何も揃っていない現状では、何も言うべきではないと思ったのだ。シリウスのことを伝えるなら証拠が完璧に揃ってからでないとならない。

「では、もう行ってもよろしい――しかし、その前にこれを持っていくといいじゃろう」

 私が考えていることが伝わったのだろうか。しばらくして、ダンブルドア先生は静かにそう言うと、私の手を握ってその手に何かを握らせた。開いてまじまじと見てみると、レモンイエローの包装紙に包まれたキャンディが2つ載っている。

「わしはこれで元気が出る」

 キャンディを見つめる私にダンブルドア先生は朗らかに言った。もしかしたら私がシリウスに対する罵詈雑言に気が滅入っていることに気付いたのかもしれない。2つあるから1つはシリウスにあげよう――私はそう思って、大事にキャンディをローブのポケットの中にしまった。

「ありがとうございます。大事に食べます」

 お礼を言って、私はその場をあとにした。再び図書室までの道のりを歩いていると、ダンブルドア先生と話していた時には気にならなかったシリウスについての話がまた聞こえてくるようになって、私はひっそりと溜息をついた。図書室のいつもの席についたら早速キャンディを舐めようと思う。

 図書室は廊下にいる時に比べたら随分と静かだった。ヒソヒソと囁き声が聞こえていたが、書棚の間を歩き奥へと進んでいくと、やがてそれも気にならなくなって私はホッと胸を撫で下ろした。しかし、1番奥の席に辿り着くなり私はドキリと肩を震わせた。そこにセドリックが座っていたからである。

 セドリックはクィディッチの練習はないのか、相変わらずたくさんの本を積み上げ、羊皮紙を広げ、勉強をしていた。けれども、昨晩の疲れが溜まっているのか広げられた羊皮紙は真っ新なままで、セドリックは机に突っ伏したまま眠っていた。その手にはガラスペンが握られている。静かな空間にはセドリックの微かな寝息が聞こえて、私はそれだけでバカみたいに心臓がうるさくなった。

「セド……?」

 そっと近付いて私は声を掛けた。顔を覗き込んで見たもののセドリックはぐっすりと眠っていて起きる気配がない。クィディッチにO.W.L試験の勉強に加えて昨日の見張りとくれば疲れても当然である。

 ダンブルドア先生のくれたキャンディはもしかすると彼にこそ相応しいのかもしれない。疲れ切って眠っている姿を見ているとそうとしか思えなくて、私はポケットに入れていたキャンディを1つ、羊皮紙の上に置いた。

 もし、私が普通の女の子でいられたら、デートの誘いを断らずに済んで、こうして眠っている彼の隣に堂々と座っていられただろうか。私はセドリックを見つめながら不意にそう思った。抱えている秘密も何もなく、普通の13歳の女の子だったら、握られた手を握り返して彼の気持ちに応えることも許されただろうに――しかしそれはどれも、無いものねだりというものだろう。

「きっと、これでいいのよ」

 自らを納得させるように呟くと、やがて私は逃げるようにその場をあとにした。